由緒書によると、寛文11年(1671)7月近隣の名家、金杉六左衛門の寄贈になるもの
です。六左衛門が我が子の病弱を嘆き、不動尊に一心に祈願し三七日の満願の日、眼前に不動
明王が現れて「我を信ずる者は寿命長久福徳円満如意吉祥にして病気病難忽ち平癒せしめ、海
運安穏をあたう、我像を建立し菩提寺に安置すれば信ずる者の諸願速やかに成就せしむ」との
お告げを蒙る。我が子の病も忽ち癒え、その恩徳に報ぜんと尊像を建立し西岸寺に寄贈したと
あります。
日限の由来は、7日または5日と「日を限って」願をかけて祈ったことによるとあります。
旧い記録には、特に足痛の病の平癒を祈る者多く、加持の草履を請け、満願の日に新しい草
履を納めたとあります。今も足の病治癒を願う人々が多いといいます。