なんとも立派な浅草猿若町碑を発見しました。旧町名由来案内を読みます。
この地はその昔、丹波国(現在の京都府)園部藩主小出氏の下屋敷であった。天保
12年(1841)、徳川幕府は天保改革の一環として、この屋敷を公収し、その跡
地に境町・葺屋(ふきや)町・木挽(こびき)町(いずれも現・中央区)にあった芝居小
屋の移転を命じた。
芝居小屋は、天保13年から14年にかけて当地に移り、猿若町ができた。町名
は、江戸芝居の始祖といわれた猿若勘三郎の名をとってつけたという。
以下猿若三座と続きますが、明日述べることとします。