さんでんじです。

ブログで思いのまま、自分なりの感想も含めて、発信します。

そろそろ年賀状作り。

2008-12-20 15:22:46 | Weblog
もう今年も、あと10日とちょっと、そろそろ年賀状作りに取りかからねば、というわけで、今やっております。

もちろん年賀状のメインは、妻が作ったデコパージュ。ちなみにこの写真は、妻がクリスマス用に作ったオーナメント。なかなか良いでしょ。これも、買うより、手作りの方が味わいがあるというもの。料理と一緒ですね。

年賀状には、どのデコパージュを使うのかって?それは秘密です。電子メールの年賀状もいいのだろうけど、年賀状くらいアナログで、と思うわけですよ。

デコパージュは手作りですが、年賀状はパソコンのソフトを使って家庭用のプリンターで印刷。プリンターはキヤノン製です。キャノンといえば、派遣切りで話題になりました。それも私が去年住んでいた大分で。これ以上、残酷なことをすると、キャノン製品は買いませんから。

私や妻の、顔の知った、住所の分かっているお友達には、届きますので、ご期待くださいね。郵便局のくじ付きハガキですから、楽しみもありますよ。

ショック、富士・はやぶさが来春に廃止。

2008-12-19 20:51:18 | Weblog
ブルートレインの廃止がいろいろ話題になっていたけど、今日の新聞に、とうとう富士号が来年春のダイヤ改正でなくなるとあった。大分と東京を往復する寝台列車で、昨年、大分に引っ越してから、東京へ行き来するのに、結局3往復ほど利用させていただいた。

列車の外側は結構老朽化しているが、中はまだまだきれい。洗面所やトイレは、ちょっと時代を感じさせる。とにかく私が利用した限りは乗客が少なく、いつもガラガラ。だから快適だったんだけど。

なんで寝台にしたのかというと、大分と東京の往復料金が3万2620円と安いのが魅力だった。新幹線で往復すると、5万円近くかかるから。なにより、寝たまま移動できるってのがいい。

寝たまま移動するといえば、夜間の高速バスが人気だけど、料金が安いからだと思う。さらに深夜に出て、早朝に到着するという便利さがいいんだと思う。1泊の宿泊料金が助かるから。

寝台列車の富士は、午後4時43分の大分発。これがちょっと早すぎる。東京着が翌朝の9時58分。これもまた遅すぎる。会社なら、とうに始まっている時間だから。JRもこの辺を考えて、たとえば地方都市を夜の10時頃に出発、、東京に朝の8時前に到着するような寝台列車を考えたら、出張族には便利だと思うな。地方都市を夜に出て、東京に早朝到着する列車を。バスに客を取られるばかりでなく、いろいろなニーズを探るべきですよ、JRは。

妻たちが見た、春日若宮おんまつり。

2008-12-18 21:39:25 | Weblog
妻たちは、朝の10時から、夕方の6時くらいまで、奈良市内をうろうろしたらしい。おかげで帰ってくるなり、疲れた~、足が痛い。を連発する。さぞやいい運動になるだろうに。

妻はなぜか大根を買って帰った。東向き商店街の南都銀行向かいのブティック、その店頭で野菜を売っているのは私も前から知っていた。妻の岡山から来た友人は、そこでカリフラワーを買った。霜にやられているので、半額に負けさせたという。半額にするから、大根も買ってねといわれた。もちろん葉付きである。

この野菜を売る人は、毎朝に掘ったばかりの野菜を宇陀からはるばる1時間半くらいを掛けて、この場所まで運んでくるらしい。ごくろうさま。奈良土産に、宇陀産の朝堀り野菜はいかがですか。

おっと、おんまつりの話しでした。妻たちがなが~い行列を見ていて、ある時、でっかく重そうな太刀を持った若者衆が通りがかった。行列が渋滞していて、若者が担いだまま立ち止まっている。重いでしょ、と妻の友達は若者に声を掛けたそうな。重いですと、返事が返ってきた。すると、肩の上にタオルは入れてあるんでしょ、とさらに続けた。忘れたんです。すごく痛いんですと。そんなやりとり。普通、話しかけるかな。ま、いいけど。みなさん、お疲れ様でした。

さてさて、大根はふろふき大根となりました。絶対におろしにしないで、煮炊きしてくださいと強く念を押されたらしい。柚子入りの甘め白味噌もおいしかったけど。大根はもちろん葉付きで買っていた。前の人が残した葉があったので、それまでもらってきたような。大根の葉は、野菜なんですよ。栄養価も高いのですよ。ムダなく使いましょうよ。

久しぶりのインスタントラーメン。

2008-12-17 21:13:29 | Weblog
約3カ月ぶりの袋ラーメン、銘柄は明星チャルメラのしょうゆ味。5袋入りなので、前回と同じ。もし、これ以外に袋ラーメンを食べるとしたら、日清のチキンラーメン。昔ながらの懐かしい味が好きなんだな。日清の出前一丁、あのゴマラー油が好き。ハウスのうまかっちゃん。豚骨ぽくってたまに食べたくなる。滅多に売っていないのが残念。

サッポロ一番の味噌ラーメン。味噌なら、これが一番ましかな。本当は、サッポロ一番の塩ラーメンにバターを入れて食べるのが好きなんだけど、今はバターがないので、あきらめましょ。九州ならマルタイっていう、おいしいのがあるらしい。一度も買う機会がなかった。

てなわけで、鍋にきっちり500ミリリットルを計量カップで量って入れる。鍋の湯が沸騰したら、麺を入れる。ここでストップウオッチを動かす。麺を入れた後にスープを入れる。本当は、一番最後がいいのだけど、玉子を入れるので先にスープ。

1分後に玉子投入。なるべく麺の上から落とさないようにして、半熟状態にするため。2分後、さらにもう1個の玉子を溶き卵にして、ふわっと浮くように入れる。鍋の底に、こびりつかないように注意。で、ピッタリ3分で火を止める。だからストップウオッチが必要なんです。

鉢に入れたら、なんか寂しいので、海苔3枚入れる。本当は、ネギなんかがあるとドサッと入れるんだけど、まあいいや。妻は、岡山から来たお友達と、春日若宮おん祭や奈良の観光案内で不在、というわけでした。たまには、インスタントもいいかも。

不況だから、モノを共有するというアイデア。

2008-12-17 12:20:09 | Weblog
昨日のテレビ東京系の情報番組「ガイアの夜明け」ですが、その内容というか、ビジネスの方法ににちょっと感心しちゃった。まず最初に紹介されたのが、ライドシェア。つまりネットを利用してのクルマ相乗り。どこか目的地に行くときに、1人で走るのはもったいない。そこで、私はいついつにどこからどこまでクルマで行きます。よろしかったら一緒に乗っていきませんか。その代わり、いくらかのお礼というか、謝礼をもらいますが、という方法。

これって、いわばインターネット上のヒッチハイクですよね。1人でクルマを走らせるより、誰かを乗せて走る方が、効率がよい。でも、かつての私はひとりで気ままにクルマを走らせるのが大好き。だから誰かを乗せようとか考えたこともなかった。

しかし20年以上もそうやってきて、段々と自動車のムダを感じる。特に渋滞なんかで。東京都心へ向かうクルマの渋滞は凄まじいものがある。で、そのクルマを見ると、ほとんどが1人で乗っている。もし誰かと乗れば、車台数が少なくなって、渋滞が大きく緩和されるだろうに。で、私は東京にいた5年前にクルマは捨てた。電車があるじゃないかと。

で、結婚して、なんやかやで大分県に住んで、そこでまた、朝の通勤時の渋滞を見る。やっぱり乗っている人は、1人が大半。大分は東京と違って、交通網は電車なんかJRのみ。ま、田舎ってバスさえないところが多くって、どうしてもクルマに頼らざるを得ないんだけど。

会社専用のマイクロバスとか、乗り合いバスとか、もっと考えたらいいのにと思う。このライドシェアは「のってこ!」サイトでやっている。これを見本に、地方の大企業なんか、派遣社員をリストラするばかりでなく、もっと考えたらどうですか。番組では、高級ブランドバッグの1週間レンタルも紹介していた。価格の20分の1くらいで、レンタルできるのならお手頃だ。オリックスがマンション1棟でクルマを共有するシステムもあった。これからはモノも、仕事も共有する時代なのかも。

奈良の夕日。

2008-12-16 20:41:57 | Weblog
奈良の夕日です。生駒山のかなり南にストンと落ちる。時刻は午後4時40分くらいか。日の入りが段々と遅くなって。でもそれ以上に、日の出が段々と早くなって、もうすぐ冬至ですね。

空の雲も、秋のようなダイナミックさはなくて、なんだかひっそりしている。この夕日に当たる木々の葉っぱが、ただ枯れているんだけなんだけど、紅葉のように輝いて見える。

野山もそんな感じで、遠目から見ると、緑だったり、赤く染まってたり、黄色っぽかったり。平野部から見る山並みの景色は、つくづくいいな~と。それが奈良盆地から見る景色の醍醐味ですね。

ところで明日は春日大社、若宮神社のおん祭で、お渡り式があります。簡単に言えば、いにしえの時代の風俗衣装をまとった時代行列です。

800年以上毎年、絶え間なく行われてきた行事らしい。市内の中心部は、交通規制で車は入れませんのでご注意を。天気が良かったらいいけど。


未曾有の大不況、という悲鳴が上がる。

2008-12-16 13:06:26 | Weblog
昨日、広島の友人と久しぶりに電話で長話をした。会社の景気が悪いという話しについで、広島の都市も景気が悪いという話しになった。広島といえばマツダの企業城下町。ご多分に漏れず自動車メーカーのマツダも、まずは派遣切りからリストラが始まって、今やそんな話題が全国各地でわき起こっている。

次はアーバン・コーポレーションの話しになって、アーバンは広島が本社。倒産して、民事再生手続きを開始していることは誰もがご存知のはず。アーバンは、広島銀行が地元企業として大事に育てていこうと融資をしていた。約500億らしい。そこへみずほ銀行が1000億円をより低金利で融資をした。調子に乗ったアーバンはどんどん事業を拡大した。不動産も頭打ち。サブプライムの損失も影響したのかも知れない、みずほは融資のあ回収に動いた。いわゆる貸し剥がしだ。で、無事にみずほは1000億円を回収したが、おかげでアーバンは倒産。かわいそうに。

大手都銀ってそうですね、巨額の資金を低金利で融資する。どこの企業だってパクッと食いつきますよ。折角、地銀が大事に大事に育てようとしているのに、いきなり割り込んで、パッと資金を引き揚げてしまう。残酷だ。

で、都銀の話しになって、某大手都銀の広島支店は、正社員は数名で、あとは派遣やパートで構成されているとか。その正社員だって、融資や審査の決裁権はなくって、取引を始めようとしている会社関係の書類をすべて東京の本社にファクスかメールで送るらしい。つまり決裁権は、東京だけにある。正社員は、単なるご用聞きだけで、銀行マンとして仕事は面白くないだろうな。

都銀の地方支店は看板だけで、すでに地方は切り捨てている。こんな時こそ、地銀や信用金庫は頑張って地元企業を支えなくては。企業を倒産させるのは、景気ではなくて、貸しはがす銀行だから。あっそうそう、未曾有は、みぞうゆう、と読むのではなく、みぞう、です。セレブ麻生総理みたいに読みを知らないと、恥をかきますよ。


私立中学の入学時納付金が、86万8000円。

2008-12-15 15:20:40 | Weblog
大阪市内のとある私立中学校の入学時納付金、その内訳は、入学金22万円、年間の授業料66万8000円。へえ~、300人ほど生徒を集めれば、2億6000万円か。

86万8000円は大金だ。私立中学に通わせることができる家庭は限られているだろう。私立中学に行くためには、まず入試という関門が待っている。そこそこの学力。まして名門の中学なら、並大抵の頭じゃ入れぬ。

公立の中学もあるだろうけど、これじゃー子供に対する教育費って、べらぼうに高くなり、塾だの習い事など、いくらお金があっても足りゃしない。

それでもって、最近の大学生の基礎学力が足りないと、話題になっている。教育費が高くなっているのに、基礎学力が一向に上がらないのはなぜなんだ。

この辺に、日本の教育界の落とし穴があるのかも。少子高齢化で、若者がだんだんと減少している。これで教育レベルが下がったんじゃ、日本の将来はますます暗くなる。なんてね。

テレビ局が作る映画って、所詮は。

2008-12-14 22:14:10 | Weblog
「私は貝になりたい」という映画が苦戦しているとか。ちょっと前は、踊る大捜査線、相棒、HERO、三丁目など、テレビ局の制作する映画がヒットした。しかし、私はそのどれも映画館で見たことはない。どれも、ま、テレビで放映するのなら見てやろうか、という程度だ。

踊る大捜査線をテレビで見たとき、その演出やストーリーの運び方が、まるでテレビドラマじゃないか、と思ったものだ。で、踊る大捜査線は、続編をいろいろとやっているようだが、わざわざ映画館まで足を運んで、1800円を払ってまで、見る価値はあるのか、と。ちなみに韓国だと600円くらい。アメリカやヨーロッパでも1000円以内と日本より安い。

それだったらNHKの衛星放送でとか、ケーブルテレビでとか、たま~にいい映画をやっている。その方が、絶対に失敗がない。たとえ失敗でもタダだし、面白くなけりゃテレビを切ればいいだけの話しだ。

テレビ局も、映画を作ることで、その効果によりテレビの視聴率を稼ごうとしているのだろうけど、くだらない番組作りで却って興味を削いでいる感じだ。テレビ局は、しっかりテレビ番組を制作し、映画は映画会社にまかせなさいよ。

映画ならではの面白さっていっぱいあるんだけど、そんな映画をテレビで放映するとき、ズタズタにカットしないでほしい。あっ、あの場面もカットしてある、ここも、で、哀しさを通り越して、テレビ局のばかやろ~と叫びたくなることしばしば。ま、タダだからしょうがないか。民放テレビを見るときは、DVDに一旦録画して、CM飛ばして見るのが一番ですね。

君が、生きた日々。

2008-12-14 13:59:56 | Weblog
パソコンの中に取り込んだ、古い写真をパラパラと振り返ってみると、かつて住んだ杉並の写真が懐かしい。そんな中で、1枚のこの写真に目が止まった。8年前の写真だ。新しいコンパクトデジカメに買い換えたばかりで、パシャパシャとご近所を撮りまくった中の1枚だ。

門扉の下から、顔を覗かせる1匹の犬。眼の周りだけが黒くって、いつも寝そべっていた。なにか恨めしそうに眼だけをこちらに向ける。ちょうどアパートから善福寺川緑地公園に向かう、通り道の住宅街にその犬はいた。公園に行くたびに、通りがかると気になって、今日はいるかな、と。

時々、玄関の扉の前にいて、おいで、呼びかけると、のそりとカラダを動かして、また門扉の下で寝そべる。そして、いつもの眼の表情をこちらに投げかける。どうして欲しいんだろうと、私は考えるが、その当時は犬の相手の仕方も知らなかった。ビスケットのクズのようなモノが、時々、散らばっていた。ご近所さんが与えた、残りかもしれないと。

そして、ある時から、通りがかっても全く見かけなくなった。どうしたんだろ。なんの面識もない家だから、見ず知らずの私が聞くわけにもいかない。ひょっとして、と。それからしばらくして、玄関脇の犬小屋も消えていた。家人と思われる人が、庭で日向ぼっこをしている。やっぱり、そうだったんだ。

君が生きた日々を思う。その向こうの広い公園を、ご主人とのんびり歩いたかもしてない。見ず知らずの人が、門扉の向こうから声を掛けたかもしてない。そして、愛嬌のある姿を見せてくれた君。この写真があったから、また思い出せた。名前も知らない君を。