酒好き文化風俗研究者

みんなで美味しいお酒を飲む方法を模索中!
酒好きの最大の敵であるアルコール依存症に勝つ事を支援しています。

国家千年の計。男女共存社会以外での道のりは戦争による破壊の繰り返しが歴史である。

2015-08-24 | 社会問題
日本の中立国家論は阿部総理の言う積極的平和主義にも同意している。

中立国家と日本国憲法との組み合わせは、古代大和から続く神風の遺志に適ったものである。

男女共存社会による中立とは、万物を貫きその全ての部分を大いなる統一の元に結びつける最高の調和の表現である。

その中立の法を遂行する者は男性であるが、その男性が応用する法の理念そして源泉は母なるものである。

中立国法を創造する原理と、女性の理念を付与し、共存共栄をもたらす原理とが結び付いる点に世界各国からの同意が生まれる。

中立とは母なるものであるから、その原型は、平和的であり、普遍的であり、共感的である。グレイトマザーたちは男性の仕事である戦争を終わらせる。

一方で争いを受容する社会と、他方で平和と正義を等分する理念は、同じ社会的なものの異なった側面を示している訳だが、正しさと正しさとの衝突には男性的な問題解決能力には本能的に限界があり、母性的不変原理の生来的な特性を生かす事が本望となる。

応報と報復には二元的な正しさの主張が全てである。それは苦痛を苦痛によって補う相対的な力関係の運動であり、二つの犠牲を約束する血の復讐の法であっては人類は未だ未熟な存在と言える。

正しさと正しさの戦いは生贄によって帰着する。正義は戦いを好む。正義には悪者が必要である。

正義は永遠に果てることのない闘争である。殺害は次の殺害を生み、民族が完全に滅びてしまうまで世代を超えて暴れ狂い続ける。

争いを無限数として示すと、不安定要素と無限性は男性的な属性にあたる。無限数は決して終わりをもたらすものではないから永遠の分裂こそ最も必然的な現実となる。

従って無限数は誕生や生をもたらすものではなく、死とカオスをもたらすものである。つまり男性的な無限数による正義の主張は自然死の原理が働いている。

他人を支配する、女性を支配する、他民族国家を支配する、宇宙を支配する、それらはつまり永遠に反目し続ける二元的な力である強い者と強い者との闘争の繰り返しにのみ、無限数は永遠に両極の間を交互に振れ動く男性社会の模像でしかなく、それは報復という反撃の動因を含み、終結をもたらすことは決してない。

闘争本能が無限的なものと一致する時、死が自然の法的概念と考えられ、また、そう語られるのもまさにそのような歴史的事実なのである。

無限数が死の連鎖にあるのなら、自然数が女性的な生なる法であり、自然と正義が同じものであることを中立国を以て示される。

中立的な生活において法の極みは同時に自然的生活の法の実現にも適っている。と言うのは、不法を行うことと不法に苦しむこととは欠如と過多とに起因するが、正しさはその中庸のゆえに正義と正義の調停をするものが中立的概念である。

対立する二つの観念は相互に矛盾するものであるから、認められると同時に根本的な動機が繰り返されるに違いなく、生成と死滅との交替によって命を繋ぎ止める生の現象とそれを顕現させる相互関係の実現にある。

自然数による連続性が生み出す現象には、女性的自然原理それ自体は普遍的であり、自然力に基づく法にも当てはまる。

従って法には生命の現象からその現象を生み出す法へと転じられる運動であり運動させる力は生命現象の実現と言える。よって法と女性との関係にいささかも変更を加えるものでもないし、法の起源を母性に見出すことを否定するのも矛盾がそうさせているのかもしれない。

実際、この世から戦争が無くなればつまらない世の中になると考えるから、この世から戦争が無くならない。

社会は支配関係を好む自然的本能が存在するから支配関係が続く。

私達の社会問題は私達の次元に比例するからいつまでも同じ問題が繰り返される。

自然に任せていては上手く行かないように、それは人が不自然だからである。

社会が不完全なのは人間が不完全だからであって、それを誰かの責任にして逃げているだけにも見て取れる。

問題がそこにあって、解決策がそこにある。世界が変わらないのは私達が変わらないだけなのかもしれません。



コメントを投稿