きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

これが四十肩(五十肩?)か?!

2011-05-20 | 健康とか病院とか
先週だろうか、ある朝から右腕を上げると痛くなった。

いわゆる四十肩だの五十肩だの言われるものだと思われる。
日常生活にまだ影響はないが、例えば伸びをしようと腕を上げるとズキン!となったり、背中に回そうとすると痛くなったりする。
(毎回必ずそうなる訳でもなく、どういう按配でそうなるのか、まだ良く分からない。)

病院に行くほどの緊急事態ではないのだが、ネットで調べてみると、これから徐々に傷みが増し、ピーク時には日常生活にも支障が起こる事もあるが、半年から1年で自然に治るらしい。(なんてまぁ先の長い話なんだろう。)

それから、この前の健康診断でも引っ掛かった。
去年は全部「A」だったのに、コレストロール値がBになってしまった。
食生活でこれ以上の改善は見込めそうにないので、せめて運動でもしようか、やるなら水泳がどうだろう、と思っていながら実行をしていない矢先にこの事態。
これではクロールもバックもできそうにない。

放射能が気になって、散歩(ウォーキング)もイマイチする気になれず。

私はまだこの程度だが、kekeも引っ掛かってしまった。
視力と尿検査だ。
再検査をするように言うも、本人、生きていること自体が面倒なので行く気が無い。
問診票の質問事項は「やる気が無い」とか「調子が悪い」とか「寝起きが悪い」とかことごとく、悪い方にペケをつけて、視力検査も少しでも自信が無いと「分かりません」と答えたからこうなった、でも本当はもっと見えているはず、アンタみたいに適当に答えて良い視力と認識させられるのが不本意だから、と言う。
たぶん、今までの学校の健康診断でも、知らぬ存ぜぬだったんだろう。

それでもブルベリーのヨーグルトを初めて食べていたりするので、魂のどこかでは健康でありたい、と言う本能があれでも宿っているのだろうか。

バイトはまったく決まらず。
今では探しているのに決まらない。

この現状、結構マズイ状況なのだが、他にも放射能問題とかいろいろな心配事があるので、少々ケセラセラと言う雰囲気になりつつある。

父は言った。
「(糖尿病で)食事制限するよりも、短命でも好きなものをおいしく食べていたい。」

kekeに「東京を離れちゃうか」なんて冗談を言ったけれど、もしウンと言われても、よくよく考えてみたら父や、父の面倒を看ている妹夫婦や幼い姪っ子を置いて、どうして私らだけ疎開する事ができるだろうか。
そこまでしなければならないほど、10年20年長く生きる事の意味があるのだろうか。ましてや私とkekeにおいて。

今まで当たり前のように平均寿命は軽く超える気でいたけれど、当たり前のように元気でいるつもりでいたけれど、それは当たり前の事では無かったのだろう。
右肩ひとつ、言う事きかないぐらいなんだからな。

ノロも休みましょう

2011-05-20 | 今の会社
社長はどうもあちこちでノロ自慢をしているようで、最初に言い出したのが、一昨日の昼食時だったらしい。
(私は法務局に外出中)

一足早く食べ終わった社長が「オレ、ノロウイルスで下痢が止まらなくてよ~」と言いながら、食事中のAさんとnanuさんの横を通り過ぎて行ったらしいのである。

「便所に入るのも気になるよ。腰掛ける方には行かないからいいけど。」
「そうですね、明日は消毒液を持ってきましょう。」
「それで、自分は強靭だと思ってるでしょ。」
「そうですね、お孫さんは吐きまくって、娘さんは点滴しているそうですから。」
「移ってないならそうだけど、あの状態なんだから、普通に掛かってるでしょ。」
「よく考えたら、ウィルスには冒されてますね。でも昨日も治ると思って飲みに行ったそうです。2杯目で気分悪くなって帰ったそうですが。」
「店の方は迷惑でしょ。」
「そうですよね!ノロウィルスが巻き散らかされてますからね。」
「店から帰って寝た方がいいって言われたらしいよ。」
「お店の人もご存知で。」
「あの調子で話してるんだと思うよ。」
「飛沫感染が無いと思ってるので、マスクもしてませんからね。」
「周りに居た客も慌てて帰ったんじゃないの?」


ふぅ。。。^^;
今日の朝はまだ無事だった。私のおなか。

いつかのインフルエンザ事件を彷彿させる今回の出来事。。。。。

せめてしっかり食事だけは取って体力をつけて臨みたい。

社長のノロウィルス

2011-05-19 | 今の会社
社長が昨日からノロウィルスにかかったらしい。

昨日からトイレから出てくると何かを探して「sake君、胃腸薬ない?」と言う。
正露丸はあった。

孫のノロウィルスだ、と言って「俺だからこの程度で済んでいるけど、孫は吐きまくって母親(娘)は点滴している」と言う。
そんな状態なら仕事を休んでも良いのでは?と思うのだが、ノロウイルスは嘔吐物や汚物を触ったりして感染するらしいから平気、と言う。

それでも私は恐ろしいので、社長のマグカップはキッチンハイターに一晩つけておくことにして帰った。


そして、今日になっても社長のノロは収まらず、コーヒーを入れようとすると「白湯でいい」と言う。
Aさんに話していた会話では「昨日はパンツを3回履き変えた、我慢できなくてもらしてしまってよぉ」と言う話である。
さらにはティッシュをお尻の穴に詰めているそうである。

インフルエンザの回でもそう思うのだが、そのウイルスが今まさにこの事務所内をウヨウヨしていると思うと、呼吸をするのも恐ろしい。
彼はゆっくり家で休むと言う事ができないのだろうか。

みんなが事務所から出て行って、二人となり静かな時間が訪れると、「それじゃ病院に行って来る」と言って出て行った。

私はノロウイルスの感染方法と検索して厚生労働省のページを読んでみた。

http://www.mhlw.go.jp/topics/syokuchu/kanren/yobou/040204-1.html#03

「このウイルスの感染経路はほとんどが経口感染で、次のような感染様式があると考えられています。
(1) 患者のノロウイルスが大量に含まれるふん便や吐ぶつから人の手などを介して二次感染した場合
(2) 家庭や共同生活施設などヒト同士の接触する機会が多いところでヒトからヒトへ飛沫感染等直接感染する場合
(3) 食品取扱者(食品の製造等に従事する者、飲食店における調理従事者、家庭で調理を行う者などが含まれます。)が感染しており、その者を介して汚染した食品を食べた場合
(4) 汚染されていた二枚貝を、生あるいは十分に加熱調理しないで食べた場合
(5) ノロウイルスに汚染された井戸水や簡易水道を消毒不十分で摂取した場合
などがあります。」


・・・・・飛沫感染もするらしい。((+_+))


私も明日はケツの穴にティッシュをつめるようになるのだろうか。。。
おそろしや。。。

私は再度、社長が白湯を飲んだマグカップを濃いめのキッチンハイターにつけておいた。

手作りピザ

2011-05-18 | ぶきっちょさんの家事一般


生地はホームベーカリーで作りました。
(材料は2枚分です)

材料 :薄力粉(小麦粉) 280g
    牛乳 180ml
    オリーブ油(orバターやサラダ油でも)15g
    はちみつ 7.5g
    塩  5g
    ドライイースト 小さじ1

強力粉が無いので薄力粉でやってみました。
はちみつは砂糖大さじ1で代用できると思います。

生地はねばねばしているので、形を整える際の台(まな板など)に多めに小麦粉を撒いておくと良いと思います。

サクサクと言うより、もちもちした生地になりました。

トマトソースは市販のものです。
玉ねぎ、ベーコン、チーズを乗せてます。

バジルペーストも買って散らしてみました。

建設業経理士への愚痴

2011-05-17 | 今の会社
建設業経理士1級。(全3科目) 

次に取りに行こうかと思った資格。
3月までは2科目合格目指してコツコツ勉強していた。

4月にkekeの留年&休学でそれどころじゃなくなり、それから勉強していない。

受験するなら今月中に申し込まなければならない。
私は迷ってる。
今から2科目は無理でも、1科目なら、やればどうにかなりそうな気がする。

勉強は嫌いではない。
でも、やり始めたら、またああなる。
どうなるかと言うと、料理をろくにせず、勉強にひたすら追われるようになる。
そんなにしなくてもいいはずだけど、この徹底的な性格が自分を追い込む。
車に乗るのも、ピアノを弾くのも、いけないような気持になってくる。
そして、前回は髪が抜けて禿げた。

それでも、宅建は許せる。
それなりに有名な国家試験だ。
受かったなら、儲けものだ。

それに比べて建設業経理事務士とやら。
業界人以外誰も知らないこの資格。
たぶん国家資格なんてものじゃないだろう。
この業界でなければ何の意味も無い資格。

しかも許せないのは、宅建だの1級施工管理技士だの1級建築士のように、5年ごとに更新&講習が必要になったとか?(もちろん講習は有料)
1施工や1級建築士のようなメジャーな資格でもないのに、有料で講習なんて、何か勘違いをしているとしか思えない。そのくせ、そう言う人が居ないと建設業ができませんみたいな説得力がないから、社内では全く評価が無い。
仮に取ったところで、給料が上がるとは到底思えない。
(今年は3年ぶりに昇給があったら、私だけはナシ)

本当にバカらしい。
一生懸命勉強しても又自分だけ給料が据え置き、また1施工の連中だけしか昇給しないと思うと、ドアホ臭くて勉強する気にならん。

が、「こいつ、資格一つ取れない」と思われるのもシャクである。
取らないでいる以上「取れない」と思われ続けるのがシャクなのである。

しかし、もし仮に受かっても誰にも認めてもらえないのがもっとシャクである。

さて、時間は迫る。
どうすればいいのだろう。

なすがまましかありません(part2)

2011-05-16 | 日記
「ネットワークでつくる放射能汚染地図~福島原発事故から2か月~」

昨日のコメント欄で話題になりましたが、ごらんになった方いらっしゃいますか?

私は横になって見ていたので途中で寝てしまいました。
今、どこかで内容を書かれている所が無いかと思い、探しているところです。

ホットスポット(放射能濃度が高い場所)にある集会場のような所に避難していたおばあさんが、「原発が憎い、東電が憎い」と言っていた辺りまで見ていたのですが。

時間がある時に検索してみようと思います。


「東京もいよいよ危ないのではないか」と言う話もkekeとしているが、kekeは「行きたいなら1人で行けば」と言う。
「生きていこうと言う気がないから動く必要も無い。」と言う。

ネットから得た話では、東京の土壌の汚染はかなりすごい様子である。(私は何ベクトルだとどれだけ危ないのかが分からないので読んでも分からない。)
でも、うちら親子は少しづつ新しい情報(と言うか今更分かる情報)に驚くかもしれないが、今の所、ここを離れるつもりはない。

・・・と言うか、もうそう言う次元ではないように思う。

これから何が起こり得るかも知れないことを、あれこれ考えていくと、とても不安で怖いのだが、それでも生きていかなければならないし、今まで頂いた皆さんのコメントのように、(長く生きることよりも)精一杯生きていこうと思う。
そう、心に決めると、気持は軽くなった。

もうどうにもならないのだから。


たまたまスーパーで妹に会い、kekeが「生きる気がないなんて言うんだよ。」と愚痴ったら、真剣に怒ってくれて、「お姉ちゃんそんな事を言わせてはいけないよ。【お母さんには二度とそんな事を言うもんじゃない】と怒るべきだ」と言う。

今まで1人でここまで立派に育てて、お金や時間をどれだけ使ったと思っているのか、と怒る。

でも、私はkekeに怒れない。

本当に私は良いお母さんだったのだろうか。
100%、120%子育てに全力疾走できていたのだろうか。

その時その時は、それなりにはやっていたように思う。
それはこのブログにも記録してきた。

でも、完璧ではなかったと思う。
夜にバイトをしてた訳でもないし、(一時期ポスティングをしたことはあったが)
もっと全力で稼ぐ事もできたかもしれない。
夜のビールを止めたら、子供のためにもう1つ何かできたかもしれない。
例えば、小さい頃だったら本の読み聞かせとか。
そんな事もろくにできなかった。

小学校の頃は仕事にも慣れてなくて、スーパーのお惣菜を買って、ハンバーガーの夕飯もあった。
(小学校時代に限ってではないか。)

そんな自分を振り返ると、とても良いお母さんだったとは思えない。
でも、私だって生身の人間だ。
限界があったのである。

とてもじゃないが、そうでもしないと、やっていけなかったのである。

それで、良いお母さんになれてなくて、子供が「生きててもしょうがない」と言っても、それで怒る事ひとつできないのである。
妹は「自分を幸せだと思えないあの子が不幸だよ」と言うが、それは私自身にも言えることだからである。こんなもんさ、私の人生はと思ってしまう母親が、どうして生きていく希望を子供に与える事ができるのか。

そう言うわけで、どうにもならない我が一家であるが、それでもこれからも引き続き、私は精一杯最後まで、自分らしい人生を生きて行こうと思うわけである。
これは、決して後ろ向きな考えではない。

後は神様におまかせさ。

そもそも、地球の長い歴史から行くと、人間の登場はごくごく最近なのだと言う。
(何百ページの本の最後の1ページぐらいの最近)
それで、文明を持ち、まわりの生き物をコントロールしようと、化学兵器で思うがままにしようとし、戦争やら原発やらは地球から見たら迷惑なだけ、そのような人間勝手の歴史(ワガママ)がいつまで続くものであろうか。

地球規模のレベルからすると、思い上がっていたのだと思う。

生霊と言う方法

2011-05-14 | 父の記録と母の思い出
昨日夕食時に映っていたのは、モト冬樹の自宅が「生霊にとりつかれてます」と言われていた番組。

「そか~生霊と言う手があった。」と訳の分からない事を言う母親。(私)

「生前に悔しくて悔しくてしょうがなかったら、あの世に行ってからそいつに取りついてやろう。」
kekeは相槌も打たずシカトしているので、「でも、kekeにはとりつかないよ。お前は好きだから。^^;」と言う。

悔しく悔しくてどうしようもない事があったら、あの世から晴らしてやると思うと、また明日も頑張れる。
(このセンテンスは、後半部分が大切なのである。)

「しかしなぁ、モト冬樹のマジっぽいね。女の恨みで家がとりつかれちゃあ、しょうがないよね。kekeはこう言う事には決してならないように。。。女の恋愛沙汰の恨みは恐ろしいよ。」
「リア充ではないから。」
「なぁに、生霊にとりつかれるような事をするぐらいだったら、1人でいる方がよっぽどいいよ。」


そう言えば、私は子供の頃に祖母と同居していた。
母の母である。
 
この祖母と母は、(孫から見ると)仲が悪かった。
毎日のように母は祖母に怒鳴っていて、祖母はたまに言い返すような事があろうものなら、怒りは倍増していた。
真夜中にやられた日にはたまらなかった。

私は年中、母から悪口を聞かされていた(悪口と言うより子供時代の恨みツラミ)上に、私にまで恨みが飛び火して、「お前はやる事が雑でおばあちゃんにそっくりのB型」と言う名称で呼ばれていた。
当時の私のキャラは妹と比べると、「ぞんざいで、愛嬌が無くて、憎ったらしい」と言うキャラクターだったので、「あぁ、おばあちゃんもその手の人なのだなぁ」と想像した。

そんな祖母であったが、私にだけは「良いおばあちゃん」であった。
私の顔もスタイルも、自分ではコンプレックスの塊の鼻声まで「いい声だね。」と褒めてくれた。
私は勉強が好きな子だったので、祖母のくれた問題集をやってみては「sakeは頭がいい」と褒めてくれた。
それから小遣いもよくくれた。但し「お金は貯金するものだよ。」とすぐに貯金をしなければならなかったけど。
トランプではいつも負けてくれたし、とにかく私のやる事なす事全てパーフェクトに褒めてくれたおばあちゃんであった。

前置きが長くなってしまったが、祖母は決してよくあるおばあさんキャラ=ほがらかで人が良くて何でもウンウンと聞いてくれるような人ではなかったのである。
それは、あくまでも私に対してだけであった。

母が「お前とおばあちゃんはよく似てる」と言うように、「ぞんざいでいい加減で、素直じゃない」キャラの人だったのである。
いつか家族旅行に行く直前に、母とのバトルが勃発して、「こんな家、旅行中に焼けてしまえ!」と祖母が叫んで、父と母と大騒ぎになった、そんなキャラの人だったのだ。

そんな祖母もガンで入院するようになり、ごくたまに両親について病院に行ったのだが、ある日、祖母がとても血行が良くてほがらかで、何だかとても幸せそうであった。そして、とっても幸せそうに両親を見回したのである。(もう会話ができるような状態ではなかった。)

それから2~3日後に祖母は死んだ。
あの最後のおばあちゃんは何だったんだろう?

あんなに母と毎日ケンカをして、いじめられ(?)てて、でもとても幸せそうに、「今までありがとう」とでも言うような感じであった。

あの祖母を思い出す時、私の最期はどうなるのだろう?と思う。

私は最期の時に、ああやって今までの自分の人生を幸せだと思い、ありがとうと心で繰り返しながら、あの世に行くのだろうか、そんなバカな。

でも、母が言うように、私と祖母は隔世遺伝と言うか、似ている部分が多かったように思う。
もしかしたら、私は最期に幸せを見つけることができるのだろうか。


・・・それとも(予定通り?)生霊になるのであろうか。

なすがまましかありません

2011-05-13 | 巷の話題
メルトダウンって何?(ーー;)

いつそうなったの?

私達大丈夫なの?

炉心棒とか、格納容器とか、よぉ分からんから。

知りたいのは、どれだけ放射能を浴びてるの?
マスクしてなくても大丈夫?
水道水飲んでも大丈夫?
昨日は雨に濡れても大丈夫だったの?


極力ブログには地名を出さずにいたけれど、地元の人は気がついたかもしれない。

昨日だか一昨日だか、90歳だかのジイサンが行方不明と言う町内アナウンスがあった。
(父も徘徊で行方が分からなくなった事があり、それはそれで大切な事だと思う。)

町内放送なんて、計画停電の時だけかと思っていたけど、考えてみればできるんじゃん。
明日は風向きが悪いから、外出は控えましょう、とか。
雨には濡れないように気をつけましょう、とか、

そう言う情報、何ンにもないんだけど、普通に暮らしてて大丈夫なの?

(パニックも大変だけど、分かれば仕事をしてない人は自分の身を最大限守れるのでは?)


私が単純に悲観的なブログやらを読んでいて、勝手に妄想しているだけかもしれないけど。

戦争時代に原爆を落とされて被害に遭うなんて心から気の毒だと思っていた。
でも、自分らも知らないだけかも、なんてな。

5年先、10年先、こんな自分が笑い話になったらいいけど。

福島に居たって、越すに越せないそうである。
マイホームのローンはあるし、その上、仕事のあてもないまま、引越し先の家賃払って暮らしていけないって。

ごもっともな話だと思う。

路頭に迷うぐらいなら、この先どうなっても、暮らしていくしかないって。


そう言えば、一時期モコが埃でまっ黄色だった。
夜中に大雨が降った後、車体が黄色のしずくの跡で黄色だった。

この二日これだけ雨が降ったのに、今は黄色にならない。

あんなになったら、去年の春も気付いて大騒ぎしていたと思うけど。
(花粉の量が今年はハンパなかったのだろうか。)

ベランダもすごくて、初めてZENさんのデッキブラシを拝借してゴシゴシこすった。
(これももう何年も住んでて、こんなにこびりつくほど花粉と埃がついたのは初めてである。)

何とか足柄郡のお茶っ葉が出荷停止になったらしい。
あんな所で?!

お茶っ葉は乾燥させて凝縮してしまうのだろうか。。。


私はもしかしたら数年後ガンになるのだろうか。

いつかはなるものだと思っていたけど、あと数年後になるかもとは思っていなかった。
70代でそうなるんだったら(それはそれで大変な事ではあるけど)、まだいろいろと覚悟もできているかもしれない。
この年でなってしまうのと、心持が違うような気がする。
(でも、4年後は50だから、なっても”想定内”か?)

今まで全く考えもしなかった事が、「もしかしたらなるかも」と思うようになるのとでは、実際にはエライ違いだ。
しかも、実際の所がよぉ分からん。

どうして?

大人だけならまだともかく。

魚のお食事

2011-05-11 | 今の会社
今日はAさんに「朝社長が来たら、ハンコをもらってほしい」と言われた書類を朝イチで作ったり、メールをチェックしてプリントアウト(社長は自分のメーラーを開かないから)している所に、nanuさんがやってきて、「あれ?水槽の電気がついてない。」と言うのだった。

水槽の電気もつけてiいられないほど忙しいのが分かりそうなのに、「俺コーヒー。」と言うので仕方なく社長や課長の分まで入れて、とりあえずやらなきゃならない所を片付けた。

さてさて、それで魚達のお食事タイムである。
nanuさんが水槽の電気をつけてくれたようなので、私は棚の上から顆粒(エサ)を取り出して、パラパラと巻く。

私の餌のやり方は、水槽のフタを開けて、水流のある所にパラパラ撒くと、流れに沿って右から左にエサが流れていくのを、エンゼルフィッシュやミッキーマウス(正式名称ミッキーマウス・プラティ)が一緒に流れながら食べていくのである。

欲張りでよく食べるエンゼルだが、少々オツムが足りないので、全員流れの方向に一斉に顔を向けて、バクバク食べており、その背後でそっと追加でエサを巻いても、食べるのに夢中で気がつかない。

なので私はエンゼルが食べている少し背後でそっと、エサを追加してやるのである。
するとミッキーが2匹ぐらい寄って安心してパクパク食べる。
テトラはその下で舞っている。


今日もそのようにまず、正式なエサをひとつまみ撒き、エンゼルがガツガツ食べている間に、そっと、隅にエサを撒いた。。。。

しかし、今日はその追加のエサの食いつきがやたら悪い。
ミッキーが食いつかず、どんどんエサが落ちていくのである。

・・・・・・・(ーー;)

「nanuさん、もしかして電気をつけて、エサもあげましたか?」
「あぁ、やったよ。」
「もう!知らないから又あげてしまいました。」
「いいんだよ何回もやって。エサの袋にも数回に分けてって書いてあったぜ。」

くそ。

水槽が来た時にあれほど「やり過ぎてはいけない」と言われたのに。。。。
(水が汚れるから足りないくらいが良いそうである。)

言っても気分悪いだろうから言わないが、残念無念(エサをやるならちゃんと報告してくれないと困る!)。これで死んだらどうしてくれるんだ、と軽く恨む。
これからはこう言う時は、エサをやる前にチェックしなくては。(ーー;)


しかし、このエサの食いつきの悪さは、kekeのようである。

kekeは母乳の頃は、プクプク太って大きな赤ん坊だったのに、離乳食になってから、さっぱり食べなくなった。
幾らやっても食べないので、そのうち栄養失調で死ぬのではないか、と心配になった。

2~3歳ぐらいの頃は食べないののピークで、一日一食食べれば良い方だったと記憶する。
体もやせほそっていて、しかもウンコまで出なかった。
1週間出ないとまずいという噂があって、浣腸を買ってきていたほどだ。

20年経った今になってもう一度振り返ると、あまりに食べない所を、年中食べさせようとしていたので食事をする意欲がなかったのではなかろうか。
「腹が減った!何か食べたい!」と言う気力にならなかったのだ。

このような過保護はそれから気付きも反省も無いまま20年が続き、今現在も進行中。
食欲に限らず、全てにおいて、手取り足取り余計な事まで用意してしまい、kekeはぬくぬくと成人したのである。


やっぱり、生存競争が無ければ意欲は沸かないわな。。。
熱帯魚を見ながら、今日も反省。。。

エサに食いつく魚達

2011-05-10 | 今の会社
会社に魚が着てから、2ヶ月半ぐらいだろうか。
それなりに、大きくなったのではないかと思う。

先月、ZENさんが青くて小さいエビ4~5匹と、尾っぽがミッキーマウスの斑点がある魚を6~7匹入れた。
数日後、私とZENさんが水槽を覗いたみたが、エビは1匹も見えなかった。
小さいからどこかに隠れているのか、と思いたかったが、たびたび覗いても全く居ないので、ZENさんは「他のに食われちゃったんだろ」と言った。
それ以来、エビの姿は二度と見ていない。

ミッキーマウスは死んでしまった1匹を除いて、元気に泳いでいる。
ミッキーは餌も新参者の割りには、果敢に食いついて行くようで、エンゼルフィッシュと競って水面でパクパク食べている。

その下をネオンテトラが舞い、おこぼれの餌を奪い合って食べている。
グラスキャットは今では2~3匹がテトラと一緒に餌を追いかけている。

かと思うと、相変わらず下の方で餌を取りに行かないグラスキャットも居る。

私はネオンテトラが餌を取り合っているのを見るのが好きだ。
餌の粒が大きいと、口の中にすっぽり入らなくて、しばらくくわえたまま泳いでいるが、ふとしたはずみで餌が口からこぼれてしまい、あ!と思うや、他のテトラにパクッと食べられてしまった光景は当たり前で、この前は、やっぱり口の中に入らなくて、しばらくくわえたまま懸命に泳いでいる所に、また上から別の餌が落ちてきて、そっちを食べようと口を開けてしまったら、くわえた餌も落としてしまって、落ちてきたのも取りこぼしてたテトラが居た。

水面でミッキーとエンゼルがバクバク餌を食べてしまうので、そこから落ちてきた餌のテトラ達の競争がすごい。
これだけ身をひるがえして、すばやく食べられるなら、ミッキーやエンゼルの上を行くように思うが、体が小さいためか水面で食べることは苦手らしい。

テトラはよく見ると、肥えているのと、そうでもないのがいる。
餌が目に入れば、すごい勢いでパクッ!とつかんで、クルッと身を翻して自分だけのものにするのがテトラである。
大きく肥えたテトラは、それが得意で幾つも餌をゲットできるのであろう。
しかし、体が小さい奴はなかなか餌を自分のものにできないのかもしれない。

どこかのんびりしてたり、取ろうとしても、他のに横からパクッと食べられてしまうのだ。
私は体の小さいテトラに注目した。

泳いではいるが、なかなか餌が食べられない。
どこか奥ゆかしいか、要領がイマイチなのだろう。
取りに行こうとしても、他のに食べられてしまう。

それでも、やっと上から落ちてきた、粉みたいな餌を、パクと食べているのを見て安心した。


エサの時間になると、もうスタンバイして、エサが来ると途端に食いつく魚達。↓^^;