先週だろうか、ある朝から右腕を上げると痛くなった。
いわゆる四十肩だの五十肩だの言われるものだと思われる。
日常生活にまだ影響はないが、例えば伸びをしようと腕を上げるとズキン!となったり、背中に回そうとすると痛くなったりする。
(毎回必ずそうなる訳でもなく、どういう按配でそうなるのか、まだ良く分からない。)
病院に行くほどの緊急事態ではないのだが、ネットで調べてみると、これから徐々に傷みが増し、ピーク時には日常生活にも支障が起こる事もあるが、半年から1年で自然に治るらしい。(なんてまぁ先の長い話なんだろう。)
それから、この前の健康診断でも引っ掛かった。
去年は全部「A」だったのに、コレストロール値がBになってしまった。
食生活でこれ以上の改善は見込めそうにないので、せめて運動でもしようか、やるなら水泳がどうだろう、と思っていながら実行をしていない矢先にこの事態。
これではクロールもバックもできそうにない。
放射能が気になって、散歩(ウォーキング)もイマイチする気になれず。
私はまだこの程度だが、kekeも引っ掛かってしまった。
視力と尿検査だ。
再検査をするように言うも、本人、生きていること自体が面倒なので行く気が無い。
問診票の質問事項は「やる気が無い」とか「調子が悪い」とか「寝起きが悪い」とかことごとく、悪い方にペケをつけて、視力検査も少しでも自信が無いと「分かりません」と答えたからこうなった、でも本当はもっと見えているはず、アンタみたいに適当に答えて良い視力と認識させられるのが不本意だから、と言う。
たぶん、今までの学校の健康診断でも、知らぬ存ぜぬだったんだろう。
それでもブルベリーのヨーグルトを初めて食べていたりするので、魂のどこかでは健康でありたい、と言う本能があれでも宿っているのだろうか。
バイトはまったく決まらず。
今では探しているのに決まらない。
この現状、結構マズイ状況なのだが、他にも放射能問題とかいろいろな心配事があるので、少々ケセラセラと言う雰囲気になりつつある。
父は言った。
「(糖尿病で)食事制限するよりも、短命でも好きなものをおいしく食べていたい。」
kekeに「東京を離れちゃうか」なんて冗談を言ったけれど、もしウンと言われても、よくよく考えてみたら父や、父の面倒を看ている妹夫婦や幼い姪っ子を置いて、どうして私らだけ疎開する事ができるだろうか。
そこまでしなければならないほど、10年20年長く生きる事の意味があるのだろうか。ましてや私とkekeにおいて。
今まで当たり前のように平均寿命は軽く超える気でいたけれど、当たり前のように元気でいるつもりでいたけれど、それは当たり前の事では無かったのだろう。
右肩ひとつ、言う事きかないぐらいなんだからな。
いわゆる四十肩だの五十肩だの言われるものだと思われる。
日常生活にまだ影響はないが、例えば伸びをしようと腕を上げるとズキン!となったり、背中に回そうとすると痛くなったりする。
(毎回必ずそうなる訳でもなく、どういう按配でそうなるのか、まだ良く分からない。)
病院に行くほどの緊急事態ではないのだが、ネットで調べてみると、これから徐々に傷みが増し、ピーク時には日常生活にも支障が起こる事もあるが、半年から1年で自然に治るらしい。(なんてまぁ先の長い話なんだろう。)
それから、この前の健康診断でも引っ掛かった。
去年は全部「A」だったのに、コレストロール値がBになってしまった。
食生活でこれ以上の改善は見込めそうにないので、せめて運動でもしようか、やるなら水泳がどうだろう、と思っていながら実行をしていない矢先にこの事態。
これではクロールもバックもできそうにない。
放射能が気になって、散歩(ウォーキング)もイマイチする気になれず。
私はまだこの程度だが、kekeも引っ掛かってしまった。
視力と尿検査だ。
再検査をするように言うも、本人、生きていること自体が面倒なので行く気が無い。
問診票の質問事項は「やる気が無い」とか「調子が悪い」とか「寝起きが悪い」とかことごとく、悪い方にペケをつけて、視力検査も少しでも自信が無いと「分かりません」と答えたからこうなった、でも本当はもっと見えているはず、アンタみたいに適当に答えて良い視力と認識させられるのが不本意だから、と言う。
たぶん、今までの学校の健康診断でも、知らぬ存ぜぬだったんだろう。
それでもブルベリーのヨーグルトを初めて食べていたりするので、魂のどこかでは健康でありたい、と言う本能があれでも宿っているのだろうか。
バイトはまったく決まらず。
今では探しているのに決まらない。
この現状、結構マズイ状況なのだが、他にも放射能問題とかいろいろな心配事があるので、少々ケセラセラと言う雰囲気になりつつある。
父は言った。
「(糖尿病で)食事制限するよりも、短命でも好きなものをおいしく食べていたい。」
kekeに「東京を離れちゃうか」なんて冗談を言ったけれど、もしウンと言われても、よくよく考えてみたら父や、父の面倒を看ている妹夫婦や幼い姪っ子を置いて、どうして私らだけ疎開する事ができるだろうか。
そこまでしなければならないほど、10年20年長く生きる事の意味があるのだろうか。ましてや私とkekeにおいて。
今まで当たり前のように平均寿命は軽く超える気でいたけれど、当たり前のように元気でいるつもりでいたけれど、それは当たり前の事では無かったのだろう。
右肩ひとつ、言う事きかないぐらいなんだからな。