きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

すべて自分だけのもの

2011-05-05 | 息子keke
今日は外出をせず家で過す。
本を読んだり、食事を作ったり、kekeと食べたり、午後には寒気がして布団に入って昼寝。

昨日、「寝てばっかりしててもしょうがないだろう」とkekeに言ってケンカしたばかりだった。
でも、家に居て寒かったりすれば、布団に入りたくなるかもしれない。

そして入ってしまえば、起きるのも面倒になる。。。たしかに。


そう言えば、こんな風に過すのは久しぶりだ。
どこにも行かないと、こんなに考える時間があるのか。

私はまたそのうち車を引退して、そんな生活に戻ってみようと思う。
お菓子グッズはしまってあるし、ミシンだってある。
車が無くたって、やりたい事はあるんだ。
乗れるのは逆に今だけ、そう思うから、また次の週末もどこかに行こうと思う。


昨日、kekeは「かまわないで!」と言った。

一番親に望むことは「何もしないこと」なのだそうである。
黙って見守ってほしい、と言うことなのだそうである。

こんなに毎日どこかに行って何かしなくては居られない私が、一番どうにか解決したい事に「何もしないで」と言われてしまう。
そして、状況は良くなるどころか、全く何も変わってはいない。

唯一変わったことは、「もうkekeの全ては(命を含む)、kekeのものだ」と自覚を始めた事である。
それほど辛く苦しい人生なら(大人目線では決してそんな事は無いと思うのだが)、それを捨てることさえ、kekeの自由である、と悟ったことである。
それは決して望ましくない悲しいことなのだが、少なくても「お母さんのために生きるべきだ」と私が言えるはずがない。

kekeの人生はもう私の手から離れたのだ。
kekeはこれから、自分が何のために生きて行くのか、それは少なくても「親のため」であってはならないと思う。
私自身も「親のために」と思って生きたことなんて一瞬たりとも無いし、それはおかしい。

例えば、ある人だったら地位や給料を上げることかもしれない、ライバルを蹴落とすことかもしれない。
ある人だったら、素敵な人と恋愛する事かもしれない。
普通だったら、家族とか子供とか養うためとか、あるだろうけど、kekeにはそんなものは居ない。

誰かを蹴落として満足する性格ではないし、恋愛するような状況でもないし、だとしたら、「苦しい思いまでして生きている必要が無い」と考えることは、むしろ当然のように思う。

私はkekeのために生きていけるけど、kekeが私のために生きるようなことがあってはならない。
そう言う形になってしまいそうになるなら、それは間違いだったと思う。
しかし、それを解決するには、私ではダメなのである。

こんなに近くに居て、何もできない事はあまりに無力で悲しいことだ。

ずっとこのまま状況は変わらず、kekeはずっと家にいるかもしれない。
それも仕方ないだろう。

私は仕事があるうちは働くし、稼げなくなったら死ぬしかない。
生活保護を相談するとか、もちろん車はその前に早く処分する。

考え付くことはロクな事ではないが、本当にそうなるかもしれないので覚悟しよう。
考えてみたら、それでも私は平気じゃん。今更世間体もクソも無いし。
確かに生きていてくれるだけでも、私にとってはありがたいことだ。