昨夜は十時過ぎに寝てしまったので、朝の四時ごろに起きだして、地域で開いている短歌の会の作品をざっと添削してから、届いていた飯沼さんの歌集をひろげる。帯に「清切の第五歌集」とあるが、これは当たっている。確かにページを繰ってみると清清しい切なさが感じられる歌がある。近年はほとんど交流がないが、お互いに駆け出しの頃は研究会等でよく一緒になった。だから、作者が上智大学の囲碁部だったことや、英語が堪能な事、夫とイギリスに住んだ経験があること、ピアノを弾くこと、父上が広津和郎や夏目漱石についての著書のある学校の先生だった事など、この歌集の背景となることを多く知っている。これだけの情報でも、この歌集を読むうえでは結構参考になるはずだ。短歌にはそういうところがあって、どうしても実際の作者を知っている方が深く読める面がある。それは短詩型の宿命である。近年はそういう「私性」を否定したうえでの作品に賭けようとする人たちの割合が増えたが、私はそれも肯定する立場だ。ただ従来通りの読み方で読めるものについては、それでいければそれでいいと思っている。前置きが長くなった。
この歌集には、奄美に移住した娘や、老いた父母についての歌が数多く収められている。それが「清切」の感を呼び起こすのである。
きこえない耳に聴いてる否見てるモーツァルトのホルン協奏曲
「死ぬ前にこんな時代が来るとはなあ」朝あさ父の怒りは増しぬ
エレベーターに暗証番号ありしことふと悲しめり窓を見上げて
指さきに微かな傷の増えてゆく鍵に触れても人に触れても
※「鍵」に「キイ」と振り仮名
帰りたい帰らせてくれと繰り返す碁笥より石を取り出しながら
※「碁笥」に「碁笥」と振り仮名
別れ方が難しいのだ冷たすぎず温かすぎず雲のようにも
一首目は、耳が遠くなったのにこれで最後と娘をコンサートに誘った父をうたったもの。やがてその父は自力で立てなくなって施設に移り、認知力が衰えて遷化する。
歌集の前半には、奄美に渡り、染色の仕事をしている娘さんのことがうたわれている。
子の染めしTシャツを着て眠りゆく土のいろ草のいろのうつしみ
タイトルにもなっている歌だが、つまりこれは、かならずしも自分の思うようにはならなかった娘の生き方を受容し、深く肯定する思いをのべたものなのだろう。あとがきには、ベートーヴェンのバガテル、とりわけ作品126の5番に心が深くやすらいだとある。歌と音楽が作者のひりひりと傷むこころを直していたのだ。同様なつらい日々を送る者には、とりわけ共感できるものがあるはずだ。読めばすっと入ってくる歌が多いのだが、それは何より平易なことばでつづられた歌の一首一首がよく彫琢されているからである。
止められなかったせんそう、げんぱつ、死者たちの真白き花はひしめいて咲く
『青白き光』佐藤祐禎
祐禎さん津波に呑まれてしまいしか思い嘆きし日より一年
歳月は断念を生み断念は希望をうむと ほんとうだろうか
たまさかに善きことせむと思うものやさぐれ者のリリオムでさえ
※ 注「リリオム」に、「モルナールの戯曲」
「ヒロシマ」の「ヒ」が聞こえない響きよきオバマの声を巻き戻しつつ
さよならとさようならとの微かなる違いを思うきみの遺影に
亡きひとは譜面のなかに在るべしと祈りのごとく動きだす指
社会的な歌についての近藤芳美の思想を咀嚼し、また師の大島史洋の歌の骨法と言葉についての感覚をよく受け継いでこれらの歌がある。まことに一朝にして歌は成るものではないということを、飯沼さんの姿を近くから遠くから見てきた者として思うのである。
この歌集には、奄美に移住した娘や、老いた父母についての歌が数多く収められている。それが「清切」の感を呼び起こすのである。
きこえない耳に聴いてる否見てるモーツァルトのホルン協奏曲
「死ぬ前にこんな時代が来るとはなあ」朝あさ父の怒りは増しぬ
エレベーターに暗証番号ありしことふと悲しめり窓を見上げて
指さきに微かな傷の増えてゆく鍵に触れても人に触れても
※「鍵」に「キイ」と振り仮名
帰りたい帰らせてくれと繰り返す碁笥より石を取り出しながら
※「碁笥」に「碁笥」と振り仮名
別れ方が難しいのだ冷たすぎず温かすぎず雲のようにも
一首目は、耳が遠くなったのにこれで最後と娘をコンサートに誘った父をうたったもの。やがてその父は自力で立てなくなって施設に移り、認知力が衰えて遷化する。
歌集の前半には、奄美に渡り、染色の仕事をしている娘さんのことがうたわれている。
子の染めしTシャツを着て眠りゆく土のいろ草のいろのうつしみ
タイトルにもなっている歌だが、つまりこれは、かならずしも自分の思うようにはならなかった娘の生き方を受容し、深く肯定する思いをのべたものなのだろう。あとがきには、ベートーヴェンのバガテル、とりわけ作品126の5番に心が深くやすらいだとある。歌と音楽が作者のひりひりと傷むこころを直していたのだ。同様なつらい日々を送る者には、とりわけ共感できるものがあるはずだ。読めばすっと入ってくる歌が多いのだが、それは何より平易なことばでつづられた歌の一首一首がよく彫琢されているからである。
止められなかったせんそう、げんぱつ、死者たちの真白き花はひしめいて咲く
『青白き光』佐藤祐禎
祐禎さん津波に呑まれてしまいしか思い嘆きし日より一年
歳月は断念を生み断念は希望をうむと ほんとうだろうか
たまさかに善きことせむと思うものやさぐれ者のリリオムでさえ
※ 注「リリオム」に、「モルナールの戯曲」
「ヒロシマ」の「ヒ」が聞こえない響きよきオバマの声を巻き戻しつつ
さよならとさようならとの微かなる違いを思うきみの遺影に
亡きひとは譜面のなかに在るべしと祈りのごとく動きだす指
社会的な歌についての近藤芳美の思想を咀嚼し、また師の大島史洋の歌の骨法と言葉についての感覚をよく受け継いでこれらの歌がある。まことに一朝にして歌は成るものではないということを、飯沼さんの姿を近くから遠くから見てきた者として思うのである。