星を見ていた。

思っていることを、言葉にするのはむずかしい・・・。
良かったら読んでいってください。

雲の壁紙

2008-07-14 13:43:15 | 読みきり
 部屋の中にもう荷物は何もなかった。がらんとした、昨日まで居間として使っていた空間に立っていると、たいして愛着のなかったはずの家なのに、懐かしさのような、空しさのような、切なさのような、何とも言えない感情が押し寄せてくるのを感じた。そしてこの光景は、ずっと以前に見た覚えがあると思った。この家に引っ越してきた十数年前、初めて何もない部屋にこうして同じように立って、狭い社宅暮しから、誰にも邪魔されずに自分たちだけで住む家がやっと出来たのだと実感したときのことを思い出した。家具が置いてあったときには気付かなかった壁の染みや陽にやけた跡や、柱の傷や子供が小さな頃に書いた落書きなどが、自分がずっと長いあいだここに住んでいたということを嫌でも思い出させた。もう用がないこの家に、一分たりとも長くいたいとは思わなかったが、何となく立ち去りがたいものを感じて二階に上がった。一応最後に、この家がどんなだったかを確かめておきたかったのかもしれない。

 二階に上がるとまず自分たちの寝室だった部屋をざっと見た。ここを見ても、もう何の感傷も抱かなかった。思い出したくもなかった。部屋が北向きにあるせいか、暗くて狭くて落ち着かない場所、そういうイメージそのものだった。ベッドや箪笥や古びたカーテンなどがすべて取り去られた空っぽの部屋でさえ、そういうイメージが付きまとった。もうこの部屋に用はないのだと思うとほっとした。そのまま隣の子ども部屋を覗いた。何もないがらんとした部屋だったが、空と雲の柄のブルーの壁紙がここは子供部屋だったということを主張していた。家を建てたら子供部屋の壁紙は絶対にこの柄にするのだと、家を建てるずっと前から決めていた。以前見たアメリカ映画に出てきた子供部屋の、壁紙がこの柄だったのだ。ここに子供用のベッドと机を置くと、いかにもという感じの子供部屋になった。子供が大きくなるとこの壁紙を変えてくれと何度もせがんだが、そのうちね、と言っているうちにとうとうそのままになってしまった。結局高校生になるまでこの部屋であの子は過ごしたのだ。その昔見た映画というのは、確か離婚をテーマにした映画だったことを思い出した。そして皮肉だなと思った。

 私はこの抜け殻のような家を眺めながら、これから住むことになる2DKの市営住宅のことを思った。その今日から自分たちの住まいになるところは、私の持っている市営住宅というイメージからは少しはましなような気がした。まだ築年数がそれほど経っていないので、その辺の中古マンションとそれほど変わりがなかった。私と息子と、それぞれが部屋を使ってもやや広めのダイニングキッチンがあるのだからそれで十分だった。もう高校生の息子は学校やらアルバイトやらで多分ほとんど家にはいないだろうし、私も仕事があるので日中は家にいない。夜ご飯を食べて静かに眠れる場所があればそれで良いのだ。私にとっての安眠とは、それは主人がいない部屋に一人で眠ることであるのだから、それはもう私にとっては十分幸せな睡眠になるに違いなかった。

 私たちの仲が険悪なのは息子も大体分かっていただろう。私はあえて隠すこともしなかった。主人に文句があればいつでも憚りなく言ったし、彼も私に対して遠慮はしなかった。それでもそうなる前の、この家に引っ越してきた直後の十年ほどは、主人の母と同居していたこともあってそのような険悪な雰囲気ではなかった。その当時の私たちは、何か薄いベールに物を包んだような話し方をしていた。それはお互いに本音ではなかったのだろう。私たちはそれぞれの役目を従順に演じていただけかもしれない。よき嫁や妻や、よき夫など、そうあるべきだ、という曖昧な基準に従ってそのように振舞い、余計な波が立つのを避けていたのだ。それは無意識的にそうしていたのかもしれないし、そうすれば表面上はうまく家庭を形成できると意識的に計算づくでそうしていたのかもしれない。ただ私たちはお互いにそういう気配を感じていつつも、あえてその点に追求しなかった。そうしないほうが毎日はつつがなく送れるし、面倒なことも何一つ起きなかったからだ。

 その、一見平和で平凡な家庭が、少しづつ変わり始めたのは同居していた義母が亡くなってからだ。それまで義母の手前何となく追求しなかったそれぞれの不満な点を、お互いに容赦なく口にするようになった。私は義母が生きているときは例え思っていても口にしなかったようなこと、例えば自分がまるで主人のハウスキーパーとして結婚したんじゃなかろうかと思えることや、それまでに何となく形作られた家のルールが、まったく亡き義母のやり方であるということが、我慢できなくなってあえて口にするようになった。主人にしてみればそれまでおとなしく何の文句も言わなかった従順な妻が、急に自我を示し出したので戸惑ったかもしれない。彼は変化というものを嫌ったし、自分はいつまでも誰かが面倒を見てくれるもの、それは端から見たら子供がそのまま大きくなったようなものでしかないのだが、一家の主とはそのようにあるべきだと信じて疑わなかった。私が専業主婦だったら、それはそれでうまくいっていたのかもしれない。だが私は給料こそ主人には到底及ばないほどの額であったけれど主人と同じように朝早く家を出て、夜帰ってくる会社員としての生活をしていた。それなのに私だけが家事の負担や育児をすべて担っているということに、日々のストレスや不満が溜まっていった。

 それから些細なことでの言い争いが耐えないようになった。私が我慢をすれば済むことだとは分かっていたけれど、体力的にも精神的にも辛いと思える日々は私を辛抱強くはしてくれなかった。主人が出張でいないときなどは心底ほっとした。子供と二人で過ごすということは、私にとっては心安らぐときだった。私は多分、そもそも主人と結婚したのが間違いだったのだ、そう思うようになってきた。職場の上司が紹介してくれた人と、何の疑問もなく結婚してしまった当時の自分を、考えが甘かったのだと呪った。もしかしたら、私がどうしようもないくらいに惚れてしまった相手と結婚したのであったら、私はどんなことにも耐えられたかもしれない。この人の為なら、とあらゆることを我慢できたのかもしれないし、それだけ好きになった人の母親だったら、もっと愛情を持って接することも出来たのかもしれない。だが私は、だんだんと主人のことを所詮は他人なんだとしか思えないようになっていた。私がそれだけ愛情も何も感じなかった夫婦生活を決して離婚という方向に考えなかったのは、それは単純に息子がいたからだった。もしかしたら、これが女の子だったのなら、もう少し考えが違ってきたのかもしれない。でも私は、男の子の母親だった。私は子供が実際に生まれてくるまで、自分が男の子の母親というものをやっていけるのかどうか不安で仕方がなかった。男の子に接するのは、自分の苦手な分野だった。例えそれがわが子であっても、どんどんと成長していくに従って自分はどういう育て方をしていいのか自信がなかった。やはり父親は必要だと思っていた。

 そんな生活が続いていくうちに、やはり私は息子と二人で行きていこうという決心に変わったのは、主人が長期に単身赴任をしてからだった。息子が中学一年のとき、主人が一年間の地方への単身赴任となった。私は正直、なぜこんなときにと思った。中学一年といったらいちばん難しい年頃ではないか。小学校から中学になり、思春期という時期に入ってきた息子を、私ひとりで上手く切り抜けられるのかと不安に思った。息子は取り立てて何か問題を起こすような子供ではなかったが、それだけに中学に入って父親が不在になった途端に、何かが起きるのでは、とまだ起きもしないことに対しての不安が募っていった。けれども単身赴任の一年間、何事も起こらなかった。息子にしてみれば両親が些細なことで逐一口げんかをしている家に暮らしているよりも、静かな家に静かに暮らしているほうが伸び伸びとしているように見えた。私としても家事の負担は想像以上に少なく、あれこれと突っかかってくる人もいない中で、精神的にゆったりとした日々を過ごした。主人のいない一年間で、私は主人に頼らずに生きていけるかもしれないという、ささやかな自信を得たのかもしれない。

 一年間を終えて帰ってくると、主人は以前の主人とは違っていた。妙に私や息子に対して優しさを示すようになった。私はもう、主人の優しさは必要としていなかった。私は自分のペースで生活する術を少しづつ身に着けていた。息子が大学生くらいになって家を出てしまったら、一人きままな生活をしようと、密かに想像していた。具体的に離婚という話にはなっていなかったが、私の中では勝手にそう思っていた。そう思っていたからこそ、主人が戻ってきてからの日々の暮らしを、何とか穏便に過ごすことができたのかもしれない。だがある日、主人の優しさは主人なりの作戦だったのだと分かった。単身赴任の間に主人は土地の人と付き合っていた。主人にしてみれば、単身赴任が終わったらそれでお終いになる関係なはずだったのだろう。だがその若い女はこちらまで付いてきた。私はそのことが露見したとき、何の感情も感じなかった。ああ、そうなの、と思っただけだった。私はもう主人を必要としていなかったし、別に主人が他所の女を抱こうが構わなかった。それはまったく他人同士が誰と付き合っていようが自分に関係がないように、その時の私にとってはすでにどうでもいいことの範疇になっていた。

 だが、私のそんな反応を見て主人は怒った。私が嫉妬に狂って女をなじるとでも思っていたのだろうか。どこまでもステレオタイプ的な考えしかできない人だと思った。主人にしてみればそれは遊びだったのかもしれないが、彼女にとってみればそれは本気だったのだ。私は逆に、彼女が怒るのも無理がないと思った。どうして主人はそんな風にしか女を見ることができないのだろうと思うと、やはり言いようのない怒りが湧いてきた。他の女と寝た、という怒りではなく、女性蔑視を公然としているような態度に対しての怒りだった。その時私は、もうこの人とはやっていけないと思った。主人はどこまでも勘違いをしていた。私が怒っているのは、主人が浮気をしていることに対してだと信じて疑わなかった。浮気に嫉妬するくらいなら、私は逆に主人と別れようなどとは思わなかっただろう。だがそんな心理は到底わからないようだった。

「パパとママと、離婚したら悲しい?」
 当時まだ小学生だった息子に私はある日尋ねた。
「かなしくない。僕はママと一緒にいられたらそれでいい。」
 私が離婚をしようと本気で決めた一言だった。

私は雲の壁紙の子ども部屋を出て、階下へ降りそのまま玄関に向かった。外に出ると表札を外し、そのままゴミ袋の中に捨てた。


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