星を見ていた。

思っていることを、言葉にするのはむずかしい・・・。
良かったら読んでいってください。

fortune cookies(7)

2008-10-31 02:34:58 | fortune cookies
 メールを送信し会場の席に戻ろうとしたとき、私の実父の姿が見えた。再婚した奥さんとその奥さんとの間に出来た子供も一緒だった。私は久しぶりに実父を見た気がした。普段はまったく接点がないし顔を合わすこともないけれど、親戚の冠婚葬祭では必然的に顔を合わす。私は話をするのが億劫なので顔を合わせても特に何も話さない。そもそも違う家族として何十年も生きてきた以上話題はまったくないし、それに再婚した奥さんはどうも私のことが嫌いなようだということが、私と接するときの態度で分かっていた。再婚した奥さんは実父よりも一回りほど若く、また再婚してしばらくしてから子供が出来たので、まだ子供は小学4,5年くらいに見えた。
「こんばんは。お久しぶりね。」
 私が目礼だけして通り過ぎようとすると、その奥さんから声を掛けられた。自分から私に声をかけてくることなんて今までなかったように思うのでずいぶんと珍しいことだなと思った。
「お久しぶりです。美樹ちゃん随分と大きくなって。」
 私は会話をする内容が見つからないので傍らにいた子供に半ば話すようにそんなことを言った。その時何年か振りに、というかこの子が生まれた直後写真で見せられた以降初めてだと思うのだが、私はその子の顔の造作を真近で見た。そして目を見張った。その子の顔は私の子供の時の顔とどう見ても瓜二つだった。奥二重の眼、はっきりとした眉、猫っ毛の髪。細かい全部の顔のパーツをそれぞれ見ていったら当然違いはあるのかもしれないが、ぱっと見たときの印象がまるで小学生の時の私の顔そのものだった。今までこれほど顔をまじかで見たことがないので気がつかなった。私の心の中を見透かしているかのように、実父の奥さんは話をしながら私の顔をじっと見つめていた。目が、口とは違うことを話しているような感じで喋っていた。
「もう始まるみたいです。」
 私はその直視をする視線に耐えられなくなってそう言った。葬儀社の人が会葬を始めると弔問者に声を掛けていた。人ごみをかき分け私はそそくさと席に戻った。

 葬儀の間、不謹慎かもしれないけれど私は死者を悼む気持ちで心を満たされていたわけでなく、まったく別のことを考えていたりした。父親を亡くした従妹は感情を乱すこと無く弔問客に丁寧にお辞儀をしていた。本当は父親や夫を亡くした家族というものはそれどころではない心境なんだろうけれど、こういう場ではそう振舞うしかないのだろう。叔父は会社を営んでいたので仕事がらみの弔問客は列をなして並び、丁寧な長いお経は永遠に続くのではないかと思われた。

 私は漠然と死ぬということについて考えていた。だが死というものと自分がどうもうまく結び付かなかった。例えば自分が癌だと宣告されて命があと数カ月しかないと分かったときに、死というものは突然に現実的な問題となるのだろう。死ぬ恐怖が自分の思考の大半を占め、その恐怖で夜も眠れなくなる日がくるのだろうか。その時自分は何をしておかなければと思い又何について後悔をするのだろう。今の自分にはそんなことは具体的に何一つ思い浮かばなかった。お経の後いろいろなお話を住職さんはしていた。仏教の難しい話を砕いてわかりやすく話ていたので私は退屈だと思っていた話に興味を持った。命の儚さについて説明をしていた。掌の上に落ちる雪のように命は儚いと。すぐに溶けてしまうように儚いのだから、毎日精一杯生きなさいと、そんな趣旨のお話だった。私は自分の人生のことについてそれほど深く考えたことはなかったが、自分の今の生活を見つめて精一杯生きていると言えるのだろうかと考えた。

 私が物心ついてから考えてきたことはとにかく自立をしたいということだけだった。家を出て自由になる、そのことばかりを考えてきた。その意味では今の生活は私にとってそこそこ快適だと言えた。仕事の面でも趣味の面でも、取り立ててこれを達成したいという野望のようなものも持っていなかった。私の目下の心配事は信次との関係くらいだった。だが信次と結婚したいという希望はなるべく持たないようにしていたし、信次との関係はいろいろと懸念事項はあるけれど問題はないほうと言えた。また恋愛が人生の生きがいのようなものというのもどうなんだろうという、冷めたもう一人の自分の意見もあった。
 
 だが自分の奥底の願望はそうじゃないのだと、多分自分自身でも薄々分かっているのだ。安定した生活とか平和な結婚生活なんて、ちっとも希望していないのだと自分では思おうとしているのだが、本当は、自分の芯の部分ではそうではないのではないか。私は自分がその考えを今思いついたということを忌々しく思った。そんなことを望んでいないと思っているほうが幸せな気がした。そのほうが人生は生きやすいと思われた。期待してないと思っていたほうが気苦労もないし体力も使わないからだ。だめだったときの落胆も消耗も少ない。私は信次が本当は自分のことをさして大切にしないと思って、だから自分でも期待していないのではないかと思った。いや期待しているのだが期待していない振りをしている、期待してないと自分で思い込んでいるのではないかと。本当は信次は自分だけの信次でいてほしいし、離婚した妻や子供なんかより自分だけを最優先してほしいと、私だけのために存在してくれる信次でいてほしいのだと思っているのではないのか。でもそれが叶わないからそう思っていない振りをしているのではないかと、ぼんやりとそんなことを考えた。これでは私は最初からやる気がないようなものだ。
 一生懸命に生きるっていうのはどういうことなんだろう。

 私は失うことを恐れているのだろう。自分では私は身軽なのがよいのだと思っていた。心を依存する人間がいない方がよいのだと。だが信次だけは違った。私は信次だけは失いたくなかった。自分には心を許せる家族も、友達もいないと思っていたのだったが、信次にだけはそう思いたくなかった。私がいまいちばん死んだら困る人、それは信次だった。父や母が死んでもそれほど感情は乱れないと思うが、信次が自分のもとからいなくなることを想像すると、私は今の従妹の心境が理解できた。なぜいなくなってしまったのだろう。なぜ死んでしまったのだろう。恐らくその気持ちでいっぱいになってしまうだろう。さっきまで血の通っていた人間が、もう話すこともできない。肉体はここにあるのにそれは物みたいに動かない。

 私は今日初めて涙を流した。叔父を悼んでというよりは、自分の愛する人がこの世からいなくなったときのことを一瞬でも想像したからだった。弔問者に向かってお辞儀をしている叔母と従妹が、急にか弱い女二人に見えた。


***ご感想などコメントいただくと励みになります***
にほんブログ村 小説ブログ 短編小説へ
人気blogランキングへ
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする