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Terra Australis Incognita “未知の南の土地”  を飛ぶ - (9)

2013-10-06 | 海外

 
「だいたい、きみたちは勘違いをしている。イギリスは確かに文明国だ。しかし、文明国というのは略奪国と同義語だ。海賊さ。根こそぎに奪い去り殺し尽くすのがやつらの流儀だ。そんな国に何を学ぼうというのだ」 (西村寿行著『無頼船・ブーメランの日』より)





以前、田中邦衛と薬師丸ひろ子が出演した「タスマニア物語」という映画を観たことがある。絶滅したといわれている伝説のタスマニア・タイガーに魅せられた男の物語であったが、タスマニアの自然の雄大さは圧巻だった。

しかし、この島にもアボリジニの悲劇があった。


1803年にシドニーから最初の植民が行われた。初期の植民者は流刑囚とその看守であり、南東部のポート・アーサーと西海岸のマッカリー・ハーバーが流刑植民地となった。

彼らは‘スポーツハンティング’の延長として、アボリジニを殺害、若い女性を捕らえて強引に妻とした。

1828年には開拓地に入り込むアボリジニ民族を、イギリス人兵士が自由に捕獲・殺害する権利を与える法律が施行された。
1830年代までブラック・ウォーと呼ばれる戦争を起こしたが、タスマニア・アボリジニたちはフリンダーズ島へ強制移住させられるなど激減し、アボリジニ人口は90%以上減少する。

さらに1876年には、タスマニア・アボリジナル最後の生存者である女性のトルガニーニが死亡して、多い時期で約3万7千人ほどいた純血のタスマニアン・アボリジニが絶滅した。





Tasmania is an island state, located 240 kilometres to the south of the Australian continent.
Tasmania is a particularly scenic island with a particularly brutal and tragic colonial history.

As was the case elsewhere in Australia, with European colonisation came the decline of the Aboriginal population. This was largely due to introduced diseases and conflicts with the new arrivals. It is estimated that in 1803, there were between 5,000 and 10,000 Aboriginal people in Tasmania. By 1833, just 30 years later, the indigenous population was down to 300.












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