Tenkuu Cafe - a view from above

ようこそ『天空の喫茶室』へ。

-空から見るからこそ見えてくるものがある-

さようなら、ジャンボ - (Final)

2011-03-01 | その他


「ジャンボ機」の愛称で親しまれてきた日本航空のボーイング747―400型機が1日、ラストフライトを終え成田空港に到着した。ホノルル発JL75便(乗員乗客421人)と沖縄発JL3098便(同272人)の最後の2便が駐機場手前に差し掛かると、社員が「ありがとうジャンボ」などと書かれた横断幕を手に乗客らを出迎えた。
 75便の機体は到着後、退役セレモニーを行うため格納庫へ。現役時代の姿などがスライドで機体に投影され、社員が別れを惜しんだ。機長を務めた斎藤一之さん(49)は「入社以来ずっと乗務してきた。私にとって恩師であり相棒。ありがとうと言いたい」と感無量の表情で話した。 (時事通信:3月1日より)





本日、3月1日、JL3098便、B747-400(JA8077)が沖縄から、13:18、JL075便、B747-400(JA8089)がホノルルから13:25、相次いで成田空港に、“Final Touch Down”を終えた。


1970年7月1日、ホノルル便で初就航したJALのジャンボ機は、経営再建のためのリストラで、すべて退役、本日をもって41年の歴史に幕を閉じた。




最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (芋焼酎)
2011-03-09 22:12:31
sogoさん

 こんばんは。ご無沙汰しておりました。
 久しぶりにコメントの書きこみをさせて下さい。「さよなら、ジャンボ」シリーズを感慨深く読ませていただきました。sogoさんの寂しさ、そしてB747に対する愛着、文面や写真、そして行間から容易に読み取ることが出来ました。

 これだけジャンボ機を愛する人がいるなんて、ボーイング社の関係者が知ったら大喜びすると思いますよ。出来ればこのブログがボーイング社の関係者の人々の眼にとまって欲しいと思まずにいられません。

 この「さよなら、ジャンボ」シリーズを眺めながらさて、私が愛する飛行機って一体なんだろうとふと考えてみました。50年くらい前、私がまだ少年だった頃、「ちばてつや」の「紫電改の鷹」に出てきた「紫電改」かな?それとも現代ジェット戦闘機の原型と言われる「震電」?やっぱり「ゼロ戦」?「F86セイバー」?「F104」?漫画の影響からか、かなり軍国少年だった私は、小学生時代これらの飛行機に心を奪われていました。

 福岡市に住んでいた私は街の中に板付飛行場(今の福岡空港)があり、米軍機や自衛隊機、そして民間航空会社の飛行機を見ながら育ってきました。日本航空のダグラスDC8が就航した時は空港に父と観に行ったものでした。

 しかし、当時の私は恥ずかしい話、ダグラスDC8とコンベア880(だったかな?)を間違えて覚えてしまったようで、しばらくはコンベア機を見てDC8を見たつもりになっていました。間違いだったと気付いたのは、しばらく経ってからでした。

 DC7とかバイカウント機のプロペラ機の翼と違って、DC8などのジェットエンジン機の後退翼に心をときめかせたのを覚えています。セイバーやDC8の後退翼飛行機の絵を良く書いていた思い出があります。

 相変わらず、ダラダラと書いていますが少々アルコールが入っていると言う事でお許しください。

 sogoさんにとってのB747は、きっと私にとってのDC8なんだなーと思いながら「さよなら、ジャンボ」シリーズを眺めさせて頂きました。B747が古参と言っても、私には「最新鋭機」のままなんです。そんな「最新鋭機」が引退だなんて、今更ながら時間の経つ事のあまりの早さに目眩さえしてしまいます。B747は、デビューしてもう数十年が経っていたんですね。私の時計は随分前に止まっていたようです。

 そう言えば、私は先月還暦を迎えました。仕事もあと20日で定年を迎えます。日本航空はどん底から脱却しようと、もがき苦しんでいます。不評だった「赤色ノの字」マークの尾翼から、栄光の「鶴丸」マークで再出発します。私も、4月からは、現在の職場で再雇用です。私もせめて心の中には栄光の「鶴丸」マークを書いてもう一鞭いれようと思っています。

 支離滅裂な文ですね。読み直すと消してしまいそうなので、恥を忍んでUPします。誤字脱字文法間違いあるとおもいますが、スルーしてください。

 また、時々書き込もうと思っています。
返信する
Unknown (sogo)
2011-03-10 21:58:45
芋焼酎さま。

ご無沙汰しております。
すばらしいコメントしていただきありがとうございます。
いつもながら、芋焼酎さんの博学には恐れ入ります!!

“スカイメイト”で初めて乗ったのが、JALのDC-8。
ボーイング機に比べて倍ほどの大きな窓は魅力的でした。
「空の貴婦人」と呼ばれたように、とてもスマートな機体で私も好きでしたが、ジャンボの登場で、その後、あっという間に退役。

そう、DC-8といえば、あの独特な「天窓」を思い出します。当時は太平洋路線を飛ぶ時は、パイロットの他、航空機関士と航空士が乗務していたそうです。
INSなど無かった当時、航空士が「天窓」から天測して自機位置を導き出して航行したとのこと、今思うと何ともロマン!を感じますね。

技術の進歩とはいえ、航空士、そして、機関士もいなくなり、今では2マン・クルーが当たり前の時代、何とも味気ない?空の旅になってしまったようです。その上、燃費効率優先で、4発機も、今回のジャンボの退役で日本の空から消えてしまいました(ANAの数機のジャンボを残すのみ)。エンジンが4つある「安心感」は絶大だったのに….。


返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。