Tenkuu Cafe - a view from above

ようこそ『天空の喫茶室』へ。

-空から見るからこそ見えてくるものがある-

雲上を飛ぶ (21)

2009-09-11 | その他
ブロッケン現象(Brocken spectre)によって、虹色に染まる雲。

太陽の光が背後からさしこみ、影の側にある雲粒や霧粒によって光が散乱され、見る者の影の周りに、虹の環となって現われる大気光学現象。 光輪 (グローリー, glory) ともいう。
ドイツ中部のブロッケン山でよく現れたのでこの名がついた。

かつて山上でこの現象を見た人々は、そこに仏の姿を重ね合わせたと言われている。
新田次郎著『槍ヶ岳開山』によるとあの播隆上人も、笠ヶ岳で遭遇したこの現象に阿弥陀如来を見たと記されている。

航空機から見下ろす雲には、虹の環に囲まれた搭乗機が投影される。


最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
沖縄シリーズ閉幕は残念!! (芋焼酎)
2009-09-12 08:29:52
sogoさん

 おはようございます。Tenkuu Cafe の沖縄シリーズ、内容の濃さ・深さ、切り口の面白さ・意外さ、そして全体から受けるスケールの大きさ、ともかく圧倒されていました。とても面白かったです。そして、勉強になりました。沖縄についてももちろん、自分が生まれ育った日本という国についても何も知らない「自分」についても改めて気付かされました。

 つい最近、朝日新聞で外国の方(イギリスだったかな?)が日本の素晴らしさについて語っていました。その中で一番目についたのが「流氷を見ることができて、マングローブの林が見られる。こんな国は世界中にみても日本しかない。」思わず納得してしまいました。

 sogoさんの沖縄シリーズを毎日見ながら、沖縄について色んな事を考えました。沖縄が日本に復帰したのはつい最近の事と思っていたら、もう37年も経っている事に改めて気がつきました。

 先週の朝日新聞の昭和史再訪というコーナーで「沖縄返還」が取り上げられていました。それを読みながら、沖縄返還協定が国会で強行採決された時の事を思い出していました。その採決が強行と同時に抜き打ちだったので余計に国民の怒りを買った事を記憶しています。

 当時、沖縄から飛び立つB52という大型爆撃機が、ベトナムに毎日大量の爆弾を落としていました。文字通り沖縄はベトナム戦争の出撃基地であり、最前線であったのです。それに反対する沖縄の人々は、沖縄が返還されたら、ひょっとして本土並みに基地の「少ない」島になるのではとの淡い期待を持ったそうです。

 その沖縄の人々の思いを日本政府に伝えるために、当時の琉球政府主席の屋良朝苗氏が建議書を携えて羽田空港に降り立った同じ時間に、抜き打ち強行採決されたことは衝撃的でした。

 ともかくsogoさんの沖縄シリーズを毎日見ながら、戦前の沖縄戦争、戦後のベトナム戦争出撃基地、沖縄返還・・・・色んな事を考えました。

 さて、朝日新聞はこの特集の最後に、当時「基地の島としての沖縄」復帰に抗議してきた、沖縄の詩人、高良勉氏について次のように伝えています。


 ”復帰の日、ずぶぬれで抗議集会・デモに参加した詩人の高良勉さん(60)が使っている名刺の住所は「琉球弧・南原町××」。「沖縄県は絶対に使いたくない。僕は復帰を認めない。」住民が復帰に託した夢は、いつかなうのだろうか」 (論説委員・大矢雅弘)”

 P.S
 sogoさんの沖縄シリーズ、これで終わりという事ですが、ちょっと残念です。また、沖縄に飛んでください。それまでに私ももう少し、沖縄について勉強しておきたいと思います。
返信する
変化に富んだ豊かな自然 (sogo)
2009-09-12 11:35:50
芋焼酎さま。
おはようございます。

このたびは、皮相的かつ冗長なる“琉球弧の島シリーズ”、最後までお付き合いいただきありがとうございました。おまけに格別なコメントいただき、恐縮しています。お恥ずかしい限りです。

気ままに、空を飛び、その都度、思いつきを、自分勝手な興味関心のおもむくまま、文字にしただけの駄文ですので、どうかサッと読み流してください!

芋焼酎さんのおっしゃるとおり、日本列島は、南北3,000kmに亘って、亜熱帯から亜寒帯にいたる気候と変化に富んだ地形が広がり、豊かな自然環境が展開しており、地球的規模で見ても珍しい地域です(因みに、飛行機という文明の利器を使うと<良い悪いは別として>、3~4時間の内に、この列島を縦断できてしまいます。9月の中旬であれば、南の沖縄では、まだまだ海のレジャー真っ盛りですが、北の北海道大雪山では、すでに紅葉が始まっています)。

しかしながら、この豊かで、美しい日本列島の自然は、明治維新以降の近代化、そして太平洋戦争以降の急速な経済成長の影響で大規模に破壊されています。同時に、この美しい自然に調和しながら育まれてきた日本各地のの伝統や文化も軽視されるようになりました。

「沖縄戦」や「沖縄返還」に纏わることなど、知らないことばかりです。
折に触れ、教えていただければ幸いです。よろしくお願いします。

空を飛びながら、日本列島の変化に富んだ美しさを眺めるとともに、日本人として歴史の流れと現実を少しでも認識したいと思っています。

返信する
Unknown (芋焼酎)
2009-09-12 13:21:38
sogoさん

 さっそくのレスポンス、ありがとうございます。sogoさんの言われるように、日本の景色って本当に美しいですよね。今は新幹線であっという間に行けるようになってからは、あまり感動はなくなったのですが、ひと昔前など上越線での旅などは車窓に繰り広げられる景色に夢中になったものでした。文字通りトネルを抜けると雪国の世界が広がり、九州生まれの私は子供のように額を窓に付けたものでした。しかしながら、今は雪も少なくなり、おまけに新幹線という事でトンネルだらけの旅で、昔の風情がすっかり失せてしまいました。残念でなりません。

 以前、パキスタンのラワルピンジからカラチまで車で半月かけて縦断する旅をしたことがあります。感動の旅でしたが景色だけは退屈で仕方ありませんでした。町から村へ、村から町へとパキスタンの国土を移動したのですが、車から見える途中の景色は、ずーっと同じ景色、しかも土色の砂漠のようなものばかりでした。

 しかし、それでも感動の旅となったのは、小さな村を訪れる度に出会える特上の笑顔で接してくれる人々でした。イスラムの厳しい規律で貫かれているパキスタンですが、人々の笑顔は格別のものがありました。人々の笑顔と同じくらい感動したのは、街そのものでした。表現が下手でうまく伝えられませんが、人々が生活している街そのものに深く感動したものでした。まるでアラビアンナイトの世界というか、パキスタンの街にすっかりやられてしまいました。

 パキスタンの話は本筋と違いますので話題を戻します。

 実はTenkuu Cafeにお邪魔する前までは飛行機から見る景色というのに退屈していたのですが、「飛行機からの景色は奥深いものがあるんだよ」とsogoさんから教えてもらってからは視点を変えて飛行機の旅を楽しんでいます。

 話は変わりますが、今朝の新聞で日本航空がアメリカのデルタ航空から資金提供を受けて、実質的なデルタ航空傘下になるというニュースを報じていましたね。私としてはかなりショックな出来事で、単なる一企業の業務提携話とは思えません。全日空の台頭があった今でも、日本航空はナショナルフラッグとして、デンと構える存在でいて欲しいと思っています。航空会社は単なる運輸会社ではなく、夢がたくさん詰まったものだという気がしてなりません。そのうち、日本航空の尾翼に、デルタ航空のマークが並ぶんじゃないかと勝手に想像しています。

 アメリカ人が、パンアメリカン航空が経営危機になり消え去った時などは、どんな感じでいたのかなと想像を巡らせています。経済の世界がグローバルなものになってきている現在、私のような思いは時代錯誤な感傷でしかないのかも知れませんが・・・・。



 



 
 
返信する
まったく同感です。 (sogo)
2009-09-12 18:56:24
芋焼酎さま。

「“メガ・キャリア”が“フラッグ・キャリア”をも次々と飲み込んでいく…」そんな時代がついに日本の航空業界にも来たのですね。私も複雑な気持ちでニュースを聴いていました。

成田空港が開港する前の羽田空港には、各国の“ナショナル・フラッグ”をあしらった飛行機が、ところ狭しと空港にひしめき合っていた光景を思い出します。各国から飛来するカラフルな飛行機を見ながら、自分の将来と重ね合わせ、夢を膨らませていたものです。

その中でも、目を引くのは、やはり、赤い“鶴丸”のDC-8と、あの青い“パンナムロゴ”のB-707でした。
当時アメリカでは、国内線は、“ビッグ・フォー”と呼ばれる、ユナイテッド、アメリカン、イースタン、デルタ、そして国際線は、パン・アメリカン、トランス・ワールドと棲み分け?していたように記憶しています。

まさか、パンナムが姿を消し、JALがデルタの傘下に入るなど夢にも思いませんでした。
(イースタン、トランス・ワールドはすでになく、あのノースウエストもデルタに吸収されてしまいました)そして、今や、世界は“アライアンス”の時代とは…

資本の力がぐいぐいと幅をきかせる世の中、仕方がないのかもしれませんが、寂しさを感じずにはいられません

返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。