ヒマヒマノキ ~歩いて、見て、楽しんで~

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エッセー  時代小説の楽しみ~珠世・慶次郎・伊三次~

2016-01-30 | 日記
時代小説は人気があるんですね。本屋さんによっては時代小説のコーナーが置かれているところもあるくらいです。

             

私が、シリーズものの時代小説で、最初に読んだのは諸田玲子さんの「お鳥見女房」(新潮文庫)でした。シリーズの第1作にはこんなくだりがでてきます。

  「米や味噌なら、なくなれば買い足せばいい。だが、人と人とのつながりは
   途切れればそれで終わり。その儚さ(はかなさ)を思えばこそ、せっかく
   結ばれた縁は大切に育まねばと思う。」

それは、自分の人生のいろいろな場面や機会に出会った人を思い出させる言葉でした。今は音信は途絶えてしまっているが、あの人はどうしているだろうか。なつかしく、息苦しく、せつなく、あるいはうれしく。

すっかり時代小説にはまってしまった私が、次に読みだしたのが、3年前に亡くなられた北原亜以子さんの「慶次郎縁側日記」(新潮文庫)と、昨年亡くなられた宇江佐真理さんの「髪結い伊三次捕物余話」(文春文庫)です。小説の世界とわかっていても、主人公の珠世・慶次郎・伊三次とその家族や取り巻く人たちはどうなっているだろうか、幸せを得ているのだろうか、気になってしまうのです。                    

時代小説になぜ取り込まれるのか、それは、主人公たちの喜怒哀楽に表された人間模様、人と人とのかかわり、葛藤に、自分を見つけるからなのだと思うのです。舞台は江戸の暮らしですが、私にとってはいつのまにか、これまでの自分の暮らしであり今の暮らしそのものになってしまうのです。

人は、苦しさや悲しさや辛さの中で、一瞬一瞬につかのまの幸せを感じて生きている。人生はその繰り返し。まさに「ひとつ悩みが済めば、またひとつ悩みができる。どこまでいっても切がない」のです(宇江佐真理:『名もなき日々を』文春文庫)。

今年に入って手にした新刊本(文庫本)~諸田玲子さん『来春まで』、北原亜以子さん『祭りの日』、宇江佐真理さん『名もなき日々を』~を、今読んでいます。特に、「髪結い伊三次」の、伊三次とお文、伊与太と茜がどうなっているのか、気になって仕方がありません。

           

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