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すけさん日誌

杜の都で気ままに暮らす、管理人さんの日記です。
備忘録を兼ねた記録として使えれば、野望達成。

412便 消滅す

2015年11月29日 | 日記とか

松川事件の現場に行ってきましたよー。

と言うたびに それ何だっけ? と聞かれるので、概略を下に貼っておきます。

事件のあらまし
1949年8月17日午前3時9分(現在の2時9分)、東北本線の金谷川~松川間のカーブ地点で上り普通旅客列車が脱線転覆し、先頭蒸気機関車の乗務員3人が亡くなりました。原因は何者かがカーブ外側のレールを取り外したからでした。この事件は、当初は松川事件その他さまざまに呼ばれましたが、裁判が仙台高裁に移って後、この松川事件の呼び名がようやく定着しました。
ともあれ、この事件の犯人として、国鉄と東芝松川工場関係から各々10人の労働者が逮捕・起訴されました。被告たちが労働運動の取締りや大量解雇などに不満をもったこと、8月12日~16日の一連の順次共謀(前後関係のある共同謀議)によって事件を準備したこと、それにもとづいて東芝側の3人が松川駅の線路班倉庫からバール、自在スパナ各1挺を盗み出し、国鉄側3人と東芝側2人が現場付近で落ちあって20分ほどでレールを取り外したこと、これが検察側による起訴事実の概要でした。
松川裁判は、第一審の全員有罪(死刑5人、無期懲役5人など)から出発して、控訴審(17人有罪、3人無罪)、上告審(原審破棄、高裁差戻し)、高裁差戻審(全員無罪)、再上告審(無罪確定)までに14年がかかり、63年9月に決着しました。被告たちが全員無罪になったのは、この事件が全くの冤罪(えんざい)事件であることが証明されたからでした。



写真は、事故現場のカーブ。
当時は向こうから上ってきて(上り線を走ってきて)転覆しましたが、現在は複線化されたために下りのみの通過となっています。


というわけで、現地は小雨が降ったりやんだり、という感じでしたが、事故現場の地形を眺めつつ、いろいろなことを考えてきたのでした。

(-人-) ナムー


鉄道をお好きな先輩や こういう事件を好きそうな後輩 にも久々に会うことができて、有意義な時間となりました。

準備などなど、いろいろとお骨折りいただいた皆さまに、あらためてお礼申し上げます。

_○/\_ ハハァー!










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