つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

ハートブレイク・ホテルと少年の日。

2021年06月13日 08時08分08秒 | 手すさびにて候。
                
先日、NHK-FMで聴いたあるやり取りが印象に残った。

歌手/作曲家/俳優の「宇崎竜童」氏をゲストに招いた番組で、
楽曲制作のエピソードなどをトークしていた。
「宇崎」氏については諸姉兄ご承知かと思うが、
まず改めて簡潔にプロフィールを紹介したい。

昭和21年(1946年)2月23日、京都生まれ。
妻は作詞家の「阿木燿子」氏。
昭和43年(1973年)「ダウンタウン・ブギウギ・バンド」を結成してプロデビュー。
「スモーキン・ブギ」「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」などでヒットメイク。
また、作曲家としては一連の「山口百恵作品」で知られる。
俳優業にも進出。バンド解散後はソロ活動へ移行。
現在も多方面で活躍中だ。

--- さて、印象に残ったやり取りである。
本来は聴き起こししたいところなのだが、事後配信に対応していないため、
僕個人の記憶に沿い、少し補足と想像を交えて書いてみたい。

話題はゲストの少年時代。
彼は、小学校の男性教諭から注意を受けた。
「教育上好ましくない下世話な歌謡曲を歌っていた」というのが理由だ。
しかし、実は口ずさんでいたのはこの曲だった。

エルヴィス・プレスリー ハートブレイク・ホテル 1956 / Heartbreak Hotel


 Well, since my baby left me
 Well, I found a new place to dwell
 Well, it's down at the end of
 Lonely Street
 At Heartbreak Hotel
 Where I'll be...
 I've been so lonely, baby
 Well, I'm so lonely
 I'll be so lonely I could die

『先生、アレは歌謡曲じゃありません。ロックンロールです』
発した一言は、教師の怒りに油を注ぐ結果になったという。

そんな出来事があった週末、半ドンの午後か日曜日。
彼が、校庭で独り遊んでいると宿直の女性教諭から声がかかる。

『木村くーん(宇崎氏本名)』
『何ですか?』
『この前、叱られていたでしょ。--- あの時の曲、持ってるの?』
『---?--- はい、持ってます』
『センセイ、聞いてみたいな』

彼女は、大学を出て赴任したばかり。
ケチをつけてきたオジサン先生に比べれば年齢は近く、親しみが湧いた。
柔らかな物腰と言葉遣いにも、好感が持てた。
一旦、学校の近くにある家へ戻り、
姉のレコード棚から78回転のシングル盤を持ち出してきて、彼女に手渡した。

嬉しそうに受け取ったセンセイは、
校内に1台きりの機材、手回し式の蓄音機にレコードをのせ針を落とす。
それは、学校中の拡声器につながっていた。
ラッパスピーカーから大音量で流れる「エルビス」の甘い歌声を聞きながら、
少年は、独り鉄棒で逆上がりをしていた。

不定期イラスト連載 第百七十五弾「ハートブレイク・ホテルと少年の日」。



まるで、映画のワンシーンのようだと思った。

「宇崎」氏が中学時代までを過ごしたのは、東京の「代々木上原」。
東京都渋谷区の西部にあるそこは、今は閑静な高級住宅街だが、
明治・大正の頃は原っぱや牧場だったという。
前述のエピソードがあった当時は、牧歌的な風景が残っていたのではないだろうか。

その頃の世相を振り返ってみよう。

テレビの本放送がスタート(1953年)
第五福竜丸事件(1954年)
映画「ゴジラ」公開(1954年)
トヨタ・クラウン発売(1955年)
売春防止法成立(1956年)
東京タワー完成(1958年)

---「エルビス・プレスリー」を受け容れる感性を備えた女性と少年は、
敗戦から立ち直った日本に新しい価値観が生まれはじめた時代の象徴なのかもしれない。

Elvis Presley "Hound Dog" (October 28, 1956) on The Ed Sullivan Show


そもそも「エルビス・プレスリー」の存在自体が、
“世界の新しい価値観”そのものだった。

第2次大戦後のアメリカで、好景気を背景にして生まれた「豊かなティーン」。
戦前・戦中を生きた大人たちと異なる基準を持つ新人類が、
彼を「ロックンロール」のスターとして熱狂的に迎えた。
ロックもロールも、元は「セックスやダンス」を意味する黒人英語のスラングである。

当時は「公民権運動(※)」の真っ最中。
一部の白人はブラックパワーに脅威を感じていた。
アフリカンアメリカンを強く意識させる歌やパフォーマンス。
さらに「よく分からない若いもん達」が熱狂しているではないか。
オトナ達の多くは、さぞ盛大に眉間にシワを寄せ、
あるいは深いため息をつきながら「エルビス・プレスリー」を見つめたことだろう。

(※アフリカ系アメリカ人が、憲法が保障した権利の適用、実現を求めた運動)
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青春と制服。

2021年06月12日 22時28分28秒 | 日記
             
辞書を引くと以下の記載があった。
『夢や希望に満ち活力のみなぎる若い時代を、人生の春にたとえたもの』

19世紀~20世紀を生きたアメリカの詩人は、こう定義づけた。
『青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。
 優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、
 怯懦を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、
 こう言う様相を青春と言うのだ』

あなたが「青春」に抱く印象は、どんなものだろうか?

--- そんなことを書いてみたくなったのは、
津幡銀座商店街にある「みたにや呉服店」店頭のポスターが目に留まったからだ。



まだ幼さが残る白い布地も眩しい夏服姿の少年と少女。
図書室らしき場所で、目線を合わせて微笑み、寄り添いながら背表紙に手を伸ばす。
印象に残るデザインは「トンボ学生服」のもの。
最下部に印刷された文字「オリジナル小説サイト」を覗いてみた。

制服と君の横顔

大人びて見えた、制服姿の君。
横顔を眺めるとなりから
向き合って話せるふたりになるまで。

制服もすこし着慣れてきた、中学一年生の四月半ば。
新しいクラスのオリエンテーションで
校舎のスケッチをすることになった真央は
友だちとはぐれた先でひとりの男の子と出会う。
小学校では同じクラスになることのなかった
名前しか知らない彼 ------ 翔太のさりげない優しさから
真央の青春がはじまっていく。


50台半ばには、何とも面映ゆい世界観。
都合と時間が許せば、
ロマンチックがお好きなら、
上記リンクからアクセスし一読するのも一興である。

さて、主役の女の子は「林 芽亜里(はやし・めあり)」さん。
平成17年(2005年)生まれ、石川県出身。
小学4年生でモデルデビューし、ティーン誌の専属モデルとなる。
“ガーリーの神様”と称されるほどの可憐さで人気を誇っているんだとか。

オッちゃん、知りませんでした。
こんな可愛らしいコが同県とは。



僕が学生の頃の流行りと言えば、
男子は「変形学生服」。
いわゆる「長ラン」「短ラン」。
裏地に刺繍のツッパリスタイル。

女子は「スケ番スタイル」。
くるぶしで小さく丸め込んだソックスと、履きつぶした靴。
長~いスカートに短い上着を着て、腹部がチラ見え。
これも、今からすれば赤面するほど面映ゆい。

最近は、学校制服にジェンダーレスの動きが拡大しているという。
時代なのである。
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13度目の正直、8年と1397走の蓄積。

2021年06月10日 22時48分48秒 | 賭けたり競ったり
             
本日(2021/06/10)、桐生競艇場に於いて「一般戦」の優勝戦が行われた。

一般戦は、最も格が低く、賞金額も低い。
最上位A1クラスから最下位B2クラスまで、
ベテランも新人も混在している。
年間、毎日どこかで開催されていて「艇界の屋台骨」と言えるレースだ。

今節の桐生一般戦のタイトルは「ミニボートピア津幡 開設8周年記念」。



津幡町の場外舟券売場「ミニボートピア津幡」がオープンから8年が経った。
--- という事は、僕が競艇ファンになって、やはり8年経過を意味する。
優勝戦メンバーで1号艇に陣取るのは、デビュー8年目、
静岡支部の「金子 萌(かねこ・はじめ)」31歳。
初優勝がかかっていた。
奇妙な数字の巡り合わせもあり、何としても投票したいと思い、
仕事を早めに切り上げ駆けつけることにした。

その途上、夕闇迫る路上で動く小さな影に気付き、慌ててブレーキを踏んだ。



一匹の亀。
急いでシャッターを切り、車に轢かれないよう草むらへ渡した。
懸命に四肢を動かし前進しようと藻掻く様子が、つい「金子」とダブる。

彼が優勝戦に乗艇するのは13回目。
今回が、デビューから数えて1397走目だ。
8年間、何度も挫折を味わい、涙と汗を流し、叱咤激励を浴びただろう。
栄冠に手が届きそうで届かない自分のキャリアを亀の歩みのように感じ、
焦りがあったかもしれない。
心が折れかけた時があったかもしれない。
コツコツと積み上げてきた努力が実り、今夜、辿り着いたチャンスだ。

『やはり「金子」に賭けてみよう』

そう決心して、僕は迷わず1号艇をアタマに張った。



結果は1-3-4。
スタートで隣の2号艇が出遅れ「壁」がなくなり、
3号艇が外から、4号艇が内から襲い掛かった。
だが「金子」は、それらをブロックしながら旋回。
ターンマークを回った瞬間、あっという間に突き放し、
戦績上位の諸先輩をねじ伏せ、見事に初優勝を飾った。

はじめの一歩を踏み出したレーサーの活躍と大成を願う。
おめでとう!
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悪いのは神か、美か。~ 蛇女メデューサの悲劇。

2021年06月08日 22時44分44秒 | 手すさびにて候。
                  
略奪、不倫、強姦。
裏切、暴力、暗殺。
近親相姦・殺害。

こんな言葉を羅列しただけでゲンナリする方は多いだろう。
僕も同じだ。
どれも自分の人生とは無縁であって欲しいと、心から願っている。
だが、フィクションの世界では、ストーリーを盛り上げるために、
必要不可欠な要素と言えるかもしれない。
例えば、今回の題材「ギリシア神話」は、修羅場のオンパレード。
神々は「もめごと」がお好きなのである。

ほんの手すさび 手慰み。
不定期イラスト連載 第百七十四弾は「蛇女メデューサ」。



昔々、あるところに美人で評判の三姉妹がいた。
長女「ステンノ―」、次女「エウリュアレー」、三女「メデューサ」。
特に末っ子の麗しさは際立っていて、誰もが彼女の髪の素晴らしさを称えた。

「メデューサ」は“処女神”「アテナ」の巫女になり純潔を誓うが、
ギリシア1の美貌が放っておかれるはずもない。
連日、求愛者が引きも切らないモテモテぶり。
いつしか「アテナ」の心に嫉妬の炎が灯り、次第に大きくなっていった。
やがて、彼女に言い寄る輩の中に“運命の男”が現れる。
「ポセイドン」だ。

神話のセンタープレイヤー。
「オリュンポス12神」のメンバーにして、世界の海を統べる“海神”。
「アテナ」にとっては、何度も刃を交えてきた仇敵でもあった。
そいつが「メデューサ」に猛アタックをかけてきて、
ついには、無理やり関係を持ってしまったのである。

実は「アテナ」には暴挙を防ぐ力があったが、
あえて見て見ぬふりを決め込み、既成事実をネタに怒りを爆発させた。
純潔の誓いを破り、罪を犯したと被害者を責め立て、
自慢の髪を毒蛇に置き換え、醜い化け物に変えてしまう。
その爛々と輝く双眸に見つめられた者は、
怖ろしさのあまり身体が硬直し、石化してしまうほどだったという。

蝶よ花よと賞賛を集めた美女の面影を失い「メデューサ」は逃亡。
地の果てで魔族に混ざって暮らすようになる。
つまり一般社会と距離を置いたのだが、
度々、名声を上げようとする人間が彼女に近付き犠牲になった。

---『怪物・メデューサ討つべし!』の気運が高まり、
「アテナ」心の奥底で燻る熾火が、にわかに勢いを増す。

女神は、討伐役に武器を与え、道案内をし「メデューサ」退治を成し遂げさせる。
そして、切り落とした首を自分の盾に埋め込み、
敵を石化する能力を備えた「イージスの盾」を手に入れた。

「アテナ」視点と「怪物退治」を軸に据えるなら、ハッピーエンド。
「メデューサ」視点なら、踏んだり蹴ったり、理不尽極まりない話なのである。

「ギリシア神話」は、古代地中海世界の諸民族に伝わってきた様々な伝承の集大成。
起こりは明確ではなく、吟遊詩人や人々が口伝えにしてきた話である。
神々や英雄たちを体系的にまとめ、
文字として記録に留めたのは、紀元前8世紀と言われる。
--- 乱暴に言えば「真説不明」だ。

「メデューサ」の逸話にも諸説あり。
度々、再考、改訂、解釈が加えられてきた。
今投稿についてはご意見様々あるだろうが、
「りくすけ意訳 篇」と捉え、寛大に受け止めてもらえたら幸いである。
コメント (4)
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土地に歴史アリ、歴史の上に今在り。

2021年06月06日 18時18分18秒 | 日記
              
津幡町に「川尻(かわしり)」と呼ばれるところがある。
河北潟(かほくがた)(※)へ注ぐ津幡川の河口、
“川の尻”にあたる地点から付いた地名だ。
(※今は川尻から河北潟までの距離は離れている。
  江戸~昭和と埋立/干拓が行われため遠くなった。
  往時の湖は現在の5倍強の大きさだった)

その川尻には「井上(いのうえ)」を冠する場所が少なくない。
公立の学び舎は「井上小学校」。
新興住宅街が「井上の荘」。
公民館は「井上コミュニティプラザ」等々。
これは、昭和の大合併で津幡町に統合される以前「井上村」だった名残だと思う。

かつての自主独立の気運を反映してか「井上地区」は、
地域の歴史検証や独自の取組が盛んだ。



現在「いのうえスタンプラリー」を開催中。

井上地区の寺社や歴史文化遺産を巡り、各所の立て看板に設置した判を押し、
スタンプ12個集めたら「井上公民館の鉛筆(2B)」贈呈。
24 個集めたら「井上公民館の鉛筆(2B)とノート」を贈呈。
郷土史ファンのレクレーションや、
小学校の授業などで活用するにはピッタリの企画だと思う。
僕も散歩がてら幾つか巡ってみることにした。



ラリー6番目地点「医師(くすし)神社の縁起伝説」。
 今から400年ほど昔、疫病が流行して村人が次々と死んでいた。
 そんなパンデミックのさ中、信心深い「徳右衛門」が田をおこしていると、
 鍬の先に血がついていた。
 不思議に思って鍬のあたった所を掘り起こすと、
 木コロの化石が現れ、鍬のあたった所から血が流れているではないか。
 驚いた「徳右衛門」は、その木を持ち帰り、村人とともに朝夕礼拝したところ、
 疫病がたちまち治まったという。
 地区の中心に小さな祠を建て「病よけの神様」として祀るようになり、
 社号を「医師神社」とした。

ご神体が生々しく血を流す「木コロ」--- 球状の木片で、
農作業中に土中から発見された。
いかにも日本(の田舎)的なアニミズムの香りが漂う起源のエピソードだ。



ともあれ、社殿前の立て札には確かにボトルがぶら下がる。
なるほど、コイツから判子を出して用紙に記録していけばいいのか。
様式を確認し「井上公民館」前へ。
駐車場の一角で2本の石碑と立て札を発見した。



画像向かって左、ラリー2番目地点「洞庭善兵衛(どうにわ・ぜんべえ)の碑」。
 「善兵衛」氏は村長や県会議員を歴任し、
 川尻新道改修工事など地域に貢献した業績は枚挙にいとまがない。
 その功績を讃え、大正十三年に建立した。
 
画像向かって右、3番目地点の「真田吉左衛門(さなだ・きちざえもん)の碑」。
 「吉左衛門」は明治7年の生まれである。
 俳句の宗匠(そうしょう)で号は蕉翠(しょうすい)と称した。
 氏は、明治四十年~大正四年まで郡会議員を務め、郡会議長の重責も果たしている。
 各要職に就き、数多くの業績を残したが、
 とりわけ川尻地内の耕地整備事業や川尻水門建設工事の功績は大きい。

いわゆる地元の名士の記念碑である。
そして、その背後には民草の記念碑も建つ。



この地に生まれ育ち、日清~日露~日中~太平洋戦争まで、
明治以降、近代の戦いに赴き死んだ人たちの「忠魂碑」だ。

説話上の人物や名士だけではない。
スタンプラリーのポイントにはなっていないが、
多くの人々の歴史の上に「今」が在る。

改めてそんな感慨を抱いた散歩だった。
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