つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

気高き野生の美

2010年05月18日 23時19分32秒 | 草花
先日、散歩に出かけた時に目についた、野生の藤の花を写してみた。
見かけた場所は、大西山の麓。
農道の脇で滾々と湧き出る霊泉・「清水(しょうず)」の周辺である。

この「清水」、今では、津幡町内に唯一残る酒蔵「久世酒造」が
日本酒の仕込みに使っているという。
滋味溢るる軟水で、お酒の味がまろやかになるんだとか。
その辺りについては改めて書いてみようと思うが、
とにかく、ファンが多いようで、ポリタンクやペットボトルをもった人が
よく訪れているのを見かける。

さて、そんな泉の周辺は田園地帯。
田植えが終わった田んぼからはカエルの声が聞こえ、
新緑の山々からは、ひっきりなしに鳥の声。
竹林を吹き抜ける風にのって運ばれてくる青葉の香りに、
水と土の匂い、若干の草いきれが混じり合い、風情ある山里の趣が心地いい。
そして、若葉が茂る山へ目を向けると、所々に薄紫の花の色…更に目に心地いいい。

人が手入れをした藤棚で密生して咲いている様子も美しいが、
自由気ままに咲き乱れた野生の藤は、
逞しさと美しさが同居した「真の女性美」を思わせる。
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町の鳥は、白鳥。

2010年05月17日 23時15分56秒 | 日記
津幡町自己への紹介シリーズ、第三弾。
町の公式HPを見て町鳥が「白鳥」だと確認した。
これは、うすうす気が付いていた。
花のつつじ、木の松と比べ、人造のモニュメントが見受けられたからだ。
写真にあるマンホール。 街灯のデザイン。 道路案内板のデザイン。
それらに、なぜか白鳥が描かれている。
理由は、こういう事らしい。

『(白鳥は)渡り鳥で、県内では河北潟、邑知潟に飛来します。
 清潔で美しく、そのはばたく姿は、町章の飛鳥と重なり、
 また白鳥神社の故事来歴もあり、公募により町の鳥に選ばれました。』

残念ながら、正直なとこころ、町内で生きた白鳥を見た記憶がない。
冬になったら河北潟へでも行ってみよう。
あ、ちなみに津幡町の文化会館「シグナス」は「白鳥座」の意味らしい。
実は、こちらの大ホールにもまだ入った記憶がない。
何か興味のわく催しがあったら、ぜひ足を運ぼう。
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大西山の景色

2010年05月16日 21時44分33秒 | 日記
古城址に 河北の花と
大西山の 丘辺に立てば
山はみどりに 潟ひらけたり
わが学び舎 ここに立てり
(津幡小学校校歌より)

前回の投稿では、正面から写した画像を掲載したが、
裏側…グラウンド側から眺めてみると、小高い位置にあることがよく分かる。
大西山の標高はわずか15メートルながら、
町の中心にあり、北国街道を見下ろす絶好のビューポイント。
かつて、ここに城が築かれたのも納得できる。

寿永2年(1183)、源平倶利伽羅峠の一戦を前に、平家軍が陣を張った。
建久元年(1190)、加賀井上庄の地頭都幡(津幡)隆家が居城した。
天正4年(1576)、上杉謙信が越中から入って七尾平定の足掛かりとした。
その後、一向一揆衆が立てこもる砦になった。
天正11年(1583)、前田利家が支配すると、弟の前田秀継に守らせた。
天正12年(1584)、佐々成政が末森城を攻撃した時、利家は津幡城で軍議を開いた。

やがて、戦国の世が終ると廃城となり、
明治20年(1887)、学び舎が建った。
戦とは縁遠くなったはずの大西山だが、平地の中にある見晴らしのよさが災いし
太平洋戦争中には「防空監視所」が設置され、B29の襲来を見張ったそうである。
そして、ようやく訪れた平穏。
だが、この校舎に残された時間は、あと僅か。
老朽化により、丘の下、スカール跡地に立て替え工事が進行中。
見慣れた景色が無くなる日も近い。
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町の木は、松。

2010年05月16日 21時16分51秒 | 日記
やはり、津幡町のHPを見て町木が「松」だと知った。
その説明文には、次のように書かれている。

『(松は)日本を代表する常緑性の高木で、古来より神の宿る神聖な樹木、
 長寿の象徴として尊ばれています。
 町内の至るところに成育しており、公募により町木に選ばれました。』

大西山の古城址に建つ津幡小学校。
その校舎正面に茂っているのが松の木だ。
おそらく僕が子供の頃と比べて、
それほど成長したようには思えないから不思議だ。
記憶の中にある「坂の上の松」。
30数年前も、同じ景色を見上げて登校していたように感じる。
針のような葉を抜くと、あの頃と変わらない鼻孔を刺激する独特の匂いがした。
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つつじ咲く、大西山の忠魂碑

2010年05月15日 09時45分05秒 | 日記
前回の投稿「町の花はつつじ」の続きである。
ブログのタイトル「古城址」に建つモニュメント…「忠魂碑」の前景に、
美しいつつじが咲いていた。

日清・日露の戦死者を供養する目的で建立された「忠魂碑」。
この小さな町からも、兵士が出征していったのだな、
国中から兵力をかき集め、国運を賭けた戦いだったのだな、
…と改めて思う。

そう言えば、昔、金沢の映画街で見た映画「二百三高地」では、
金沢の第9師団に焦点が絞られていた。
当時、中学生だった僕は、スクリーンの中で見覚えのある風景や
聞き覚えのある石川弁に接し、やや奇妙な面映ゆさを覚えたものだ。
しかし、映画の出来は、よかった。

日本が戦いへ向かわなければならなかった理由。
兵士たちが抱えた様々な思い。戦場の愚と現実。
大きなドラマと個人の視点、両方から「明治の日本」が描かれていた。
今は亡き名優陣…三船敏郎、丹波哲郎、夏目雅子らの演技と
「さだまさし」の歌う主題歌『防人の詩』が心に染みた。

映画館で席を隣にした父親は「右翼的」だと評していたが、
僕にはそう感じられなかった。
異国で命の花を散らした男たちの無念を詠う名曲だと思う。
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