つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

津幡川沿いの歴史あるお寺。

2010年05月23日 11時19分31秒 | 日記
“暴れ川”だった「津幡川」の災害復旧工事と河川改修完成記念碑が建つお寺、
加賀爪の「弘願寺(ぐがんじ)」。
写真は、川越しに横から写したものだが、正面に回ると立派な鐘楼があり、
本堂も、広くて立派な寺院だ。
建物が日差しを遮ってくれるので、前庭は常にほの暗く、涼しく、静謐が漂う。
一方、本堂の甍の大屋根は、日の光を浴びて鈍く輝き、重厚な美しさが感じられる。

愛犬との散歩途中、よく立ち寄るお気に入りの場所だが、
先日、ここで遊んだ事を思い出した。
それは、お寺の縁の下でウスバカゲロウの幼虫「蟻地獄」を観察した時の思い出。

適度に乾燥していて雨風がしのげる縁の下。
幾つもの「すり鉢状の穴」を見つけ、アリやダンゴムシを捕まえてきては
穴に落として、捕食の様子を観察した。
巣穴の底で大きなキバを開いて獲物が落ちるのを辛抱強く待っている「蟻地獄」。
獲物が落ちると、穴の底から大きな2本の牙を使って土砂を跳ね上げ、脱出を妨害。
土を散弾代わりにした一種の狙撃みたいなものだが、狙いはなかなか正確である。
しかも、乾燥したすり鉢の壁は崩れやすく、這いあがれない。
アリはまさに奈落へ落ちていった。

ところで「弘願寺」は、元々、加賀爪にあったわけではないらしい。
最初は「鳥越山弘願寺」…もっと山沿いにあって、加賀一向一揆の拠点だった。
観応元年(1350)津幡町鳥越で創建され、
慶長14年(1609)町中心部の加賀爪に移ったのだとか。
その経緯の裏には、戦国の世で、自主独立を果たした歓喜や
奈落へ囚われたアリ以上に悲惨な運命など…どんなドラマがあったんだろう。
コメント
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