幽玄(ゆうげん)
僕は、初めてこの言葉に接した時から惹かれるものがあった。
あれは13~14歳頃に読んだ大人向けの怪談物で、
美しい「物の怪」が侍に憑りつき、生気を奪い、立ち去る場面。
出典元や粗筋は覚えていないが、ラストシーンの文面は心に残っている。
『枯れ木のようになった男は、闇に溶けてゆく後ろ姿から目が離せなかった。
音もなく滑るように進むようすは、能舞台の役者さながら。
霞む意識の中で、男は“幽玄”を見た---』
脳裏に情景を思い描き背筋がゾクリとした。
早速「幽玄」を辞書で繰ると、概ね以下の記載。
■ 奥深く計り知れない趣のこと。
■ 気品があり、優雅なこと。
■ 中世の文学・芸能の美的理念の一つで、ほのかな余情の美。
中学生には理解しずらかったが、難解故、却って言葉が纏う妖しさは増す。
前述「物の怪」の印象と相まって得体の知れぬ魅力を感じた。
そして、幽玄を体現しているらしい「能舞台」「能役者」にも俄然興味が湧く。
今ならネット検索すれば画像でも動画でも閲覧できるが、
1970年代末の世の中ではそうはいかない。
また、北陸の片田舎に於いて、能を鑑賞する機会など滅多に訪れない。
辞典をはじめ書籍で根気よく調べるしかなかった。
やがて、それが600年の歴史を持つ「古典芸能」だと知り、ある人物に辿り着く。
ほんの手すさび 手慰み。
不定期イラスト連載 第二百三十弾「世阿弥(ぜあみ)」。
「世阿弥」の誕生は、室町時代初期。
生家「観世一座」は、現代のサーカスに近い芸能集団。
歌舞・軽業・モノマネ・寸劇などが混在する出し物を引っ提げ、
奈良、京都を中心に畿内一円の寺社へ出向き、糧を得ていた。
一座の長、父「観阿弥(かんあみ)」から英才教育受けて育った「世阿弥」は、
取り分け「舞い」の分野で早くから才能が開花。
踊りの所作や技術に優れていたのは勿論、圧倒的に美しかったという。
彼見たさに老若男女が足を運んだ。
時は、永和元年(1375年)仲秋。
所は、京都・今熊野社(いまくまのしゃ/現:新熊野神社)。
巷で評判を集める「観世一座」の興行が催された。
V.I.P桟敷席から熱心に見詰めるのは、室町幕府三代将軍「足利義満」。
その視線の先には、匂い立つ美少年がいた。
すっかり魅了された将軍は、彼を寵童(ちょうどう)--- 愛人にする。
「義満」18歳、「世阿弥」12歳だった。
権力者と稚児の只ならぬ間柄。
そう聞くと、昨今巷を騒がせる「旧 Johnny's」を連想するかもしれないが、
14世紀の武家社会で、男色・少年愛は異端に非ず。
初々しい男子に若さと美の象徴・理想を求め、愛情を注いだ。
「主従関係」「年長-年少間の義兄弟関係」「友情」などが理念の土台と考えられる。
事の是非、好き嫌いはさて置き、
時を数百年遡れば、近現代と異なる性への眼差しが存在したのだ。
また「ギブ&テイク」の意味合いも無視できない。
「世阿弥」側は「自分たちの未来」が係っていた。
生活基盤が不安定な旅暮らし。
差別の対象にもなる低い身分。
トップがパトロンになってくれることは、一座にとって大チャンス。
少年は皆の期待を背負い、ミッションを帯びて御所に赴いたと思う。
一方「義満」にすれば「未来の芸術」を遠望した。
天才ダンサーを育て、才能を伸ばし、大衆芸能とは次元の違う舞台を創りたい。
そんな憧憬を抱いたのではないだろうか。
そして、夢は結実する。
手厚い庇護のお陰で、面・装束・楽器といった周辺アイテムが充実。
生活苦から逃れた役者は、心置きなく芸に精進。
謡(うたい)・舞・演奏・豪華な衣装など、
ステージを構成する美を結集し、磨き上げ、歌舞主体の総合芸術---「能楽」が大成した。
「観阿弥」「世阿弥」親子の目指した境地が「幽玄」。
その概念については前述したとおりである。
では「能楽に於ける幽玄」とは何か?
残念ながら僕は、それについて語る知識を持ち合わせていない。
ライブ観劇は、たった一度だけ。
しかし、その乏しい能体験で「幽玄を感じること」は出来たかもしれない。
大学3年の夏、ツーリングに出かけた。
愛車「SEROW225」に跨り、当時住んでいたアパートから名古屋市内を抜け、
ワインディングロードをひた走り数時間。
午後4時近く、岐阜県・岩村町(いわむらちょう/現:恵那市)に到着した。
東美濃の山城「岩村城」址の見学が目的だった。
山頂の石垣群に近い駐車場まで登ろうと思っていたが、
麓に予想外の人影を見止め一旦エンジン停止。
手近な方に何があるのかと聞いてみたところ、
ちょうどこれから「薪能(たきぎのう)」が催されるとのこと。
なるほど立派な舞台もある。
城址訪問は次の機会に譲り、僕は観客の一人となった。
(※参考動画_奈良「薪御能」/こんな雰囲気でした)
蜩(ひぐらし)の蝉時雨が、草むらの虫の音に代わる頃。
日輪が山の稜線に隠れ、宵闇が忍び寄る。
鉄籠の薪から火の粉が舞い上がり始めた。
パチパチと木が爆ぜる音、仄かに漂う煙の匂い。
辺り一帯に流れる鼓(つづみ)や笛の囃子、歌(謡/うたい)に乗って、
舞台奥に渡した幕の後ろから役者登場。
淀みなく滑るように壇上を動き回る。
陰影が無表情な能面に雄弁な変化をもたらす。
--- 実に妖しく、とても美しい。
演目もストーリーも分からなかったが、
少年の日に“幽玄”を教えてくれた、美しい「物の怪」に出会った気がした。
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