つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

初めての亜米利加文化。~ ジョーン・バエズと音楽教師。

2020年05月03日 06時42分22秒 | 手すさびにて候。
前回の同カテゴリー投稿<初めての亜米利加。~ コカ・コーラ。>では、
個人的な「豊かなアメリカ」の原風景について投稿した。
--- そこから連想してみる。
僕が、初めて自分から意識した「アメリカ・カルチャー」は何だろう?
記憶の奥底から浮かび上がってきたのは、
教壇に立つ女性と、彼女が手にしたLPレコードだった。

ほんの手すさび手慰み。
不定期イラスト連載、第百三十九弾は「ジョーン・バエズ と音楽教師」。

中学時代、音楽の授業での一幕。
お名前は失念したが、教鞭を取っていたのは、
セミロングの黒髪が印象的な女性教師。
教壇に立つのがどこかまだ不慣れな様子で、
顔にはニキビもあったように記憶している。

ある日、彼女が一枚のLPレコードを持参して登壇した。
ジャケットには、赤いドレスに身を包みギターを抱えた女性シンガー。
針を落とす前、女性教師は白いチョークを手に取った。

We shall overcome, we shall overcome, We shall overcome someday
いつの日か、我らは(困難を)乗り越える
Oh, deep in my heart, I do believe, We shall overcome someday.
心の奥深くで勝利を信じている
We'll walk hand in hand, we'll walk hand in hand, We'll walk hand in hand someday.
我らはいつの日か共に手を取り合い歩む
Oh, deep in my heart, I do believe, We shall overcome someday.
心の奥深くで勝利を信じている
We are not afraid, we are not afraid, We are not afraid today.
我らは恐れない、(どんなに困難でも)今日を我らは恐れない
Oh, deep in my heart, I do believe, We shall overcome someday.
ああ、心の奥深くで信じてる いつの日か乗り越えられると。

『この歌は「We Shall Over Come~勝利を我らに」と言います。』

と口火を切って、概ね以下の要領で曲の意味を説き背景を解説してくれた。

歌っているのは“フォークの女王”と呼ばれるシンガーソングライター。
名前は「ジョーン・バエズ」。
アメリカの首都ワシントンに、人種の壁を越え30万人が集まり、
黒人の人権を要求して行進した時に、合唱された

--- 僕は「ワシントン大行進」「大合唱」の光景を空想し、身震いした。
そして、レコード盤が回り始める。
シンプルで力強いセンテンスは、
繊細で艶やかな伸びのあるソプラノに乗って耳を打ち、心を撃ち抜いた。

授業が終わった後、
美しいセンセイの面影と共に何度も反芻したお陰で、
「勝利を我らに」は、初めて空で覚えた「英語詞の歌」になった。

(※2012年7月7日投稿:「津幡町での初めて物語⑤」をベースに加筆・改訂)

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