つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

小品、ボクシング。

2024年03月10日 18時59分59秒 | これは昭和と言えるだろう。
                         
(2024年)3月も10日になるというのに、北陸の最高気温は一桁止まり。
まだ真冬の装いだ。



上掲画像は、前回投稿で書いた「中能登町」へ通う際に通る道、
石川県・七尾市~金沢市を結ぶ「国道159号線」で撮影。
羽咋市(はくいし)辺りのスナップである。
積雪こそ少ないものの、霙(みぞれ)交じりの氷雨や、
霰(あられ)が降ることも珍しくない。
慎重にハンドル握りつつ運転する道すがら、
「その看板」に気付いたのは1ヶ月ほど前の事だった。





いわゆる“キリスト看板”の下、
色褪せたサインボードには「角海老ボクシングジム」の文字。
上部、白抜きなってしまったところには、
左右にボクシンググローブ、中央にチャンピオンベルトが描かれていたと推測。
看板の最下部には、ジムの住所や連絡先が配されていたと考えられるが、
文字も絵柄も消えてしまっている。

この看板が掲げられたであろう当時、僕は大のボクシングファンだった。
観戦した拳の交錯の中で一番のヒーローは、
WBA世界ジュニアフライ級王者「具志堅用高」氏だ。
(※所属は「角海老」ではなく「協栄」)
バラエティ番組の影響で“オモシロいオジサン”の印象が強いかもしれないが、
実に凄い方なのである。
昭和51年(1976年)にベルトを巻き、
僅か5年の間に14度のハイペースでタイトル戦を重ね13度連続の防衛。
これは2024年現在も日本人男子最高記録に君臨している。



闘志を前面に出し、打つ手を止めないファイティングスピリッツ。
高いテクニックを駆使したボクサーファイター。
その闘いは多くのボクシング・ファンを魅了した。
僕も間違いなくその1人である。

--- さて、今投稿の題材としたボクシングジムは、東京都・豊島区に実在。
昭和52年(1977年)創設以降、
4人の世界チャンピオンと、多数の日本~東洋太平洋チャンピオンを輩出。
帝拳、ワタナベ、大橋、三迫、協栄らと肩を並べる業界大手だ。

まったくの余談ながら、僕はかつて人生の一時期、ボクサーだった。
その頃、一度だけスパーリングの為「角海老」を訪れたことがある。
もう40年ほど前、遠い遠いムカシ昭和のハナシ。
古びた看板を見て、オジサンはつい思い出してしまったのだ。
                           

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4 コメント

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りくすけさんへ (Zhen)
2024-03-10 21:57:21
こんばんは、りくすけさんが、一時期とはいえ、ボクサーだったとは、驚きです。僕もボクシング、好きでした。今は、興味薄れましたが。

具志堅さんの後輩にあたる亀田昭雄さんとは、交流があり、具志堅さんのこと、亀田さんの世界タイトル戦(A.ブライヤー線)のことなど話を聞いたことがあります。懐かしいなぁ~。

僕は、飯泉健二さん、小木曽真一さん(プロ転向後のリング名:風来ゆうと)のファンでした。

では、また。
Zhen様へ。 (りくすけ)
2024-03-11 05:47:40
コメントありがとうございます。

僕の戦績はまったく平凡。
現役時代も短く、目を悪くしてあっさり終了。
本文にも書いた通り「遠いムカシのハナシ」です。

亀田昭雄さん、確か栃木出身でしたね。
残念ながら世界には手が届きませんでしたが
素晴らしい才能、実力の持ち主だったと記憶。
天才が天才足り得ないのは何故か?
「沢木耕太郎」氏の「一瞬の夏」に登場する
「カシアス内藤」さん同様、
勝負の栄光を掴むのは一筋縄ではいきませんね。

亀田さんも、内藤さんも、今は鬼籍に入り、
時の流れを感じます。

では、また。
Unknown (象が転んだ)
2024-03-14 13:28:49
”一瞬の夏”
懐かしい響きです。
エディ・タウンゼントさんによると
内藤選手は、彼が今まで育てた中で”最高のボクサーだ”と語ってました。
一方で沢木耕太郎さんは彼の中に”自分に似た弱さがある”と、内藤選手を小説にしました。

亀田昭雄選手も懐かしいです。
おっしゃる通り、”200年に一度の逸材”と評されながら世界には届かなかったんですが、両者共にウエルター級という層の厚い階級にいましたから・・
ボクシングとなると話が尽きないですね。
では・・・
象が転んだ様へ。 (りくすけ)
2024-03-15 06:01:39
コメントありがとうございます。

”最高のボクサーだが、弱さがある”
この辺りが、天才が天才足り得ない理由でしょうか。
モハメドアリ(カシアスクレイ)が持っていた、
自己陶酔のようなエゴイズムこそ、
強者の条件かもしれません。
並み居る強敵を次々とマットに沈め、
アメリカとの裁判に勝ったように。

思えば、具志堅さんがベルトを巻いた当時、
ジュニアフライの階級は、新設間もない頃。
記録樹立には層の薄さも幸いしていたでしょうが、
階級のパイオニアとして、やはり偉業と言えると
考えます。

では、また。

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