「今日の一枚」は、コカコーラのロゴが入った木製の赤いベンチだ。
今では見かける機会は少なくなったが、昔は至る所に置いてあった。
少年時代は、何度このベンチに腰かけて、飲み食いしたことだろう…。
とりわけ思い出深いのは、僕が十八の夏。
旅の記憶に登場する。
その旅の動機は、自分の無知だった。
大学の同級生から石川県・金沢についての質問を投げかけられ、
面積や人口、気候などのデータや観光地といった、
一般的な答えは返す事ができた。
だが、どれもガイドブックの域を出ず、言葉に実感が伴わない。
生まれ育った土地を離れて初めて、故郷の知識が薄い事に気付かされた。
そこで、考え、目標を立てた。
…『己の目で見て、耳で聞いて、肌で感じ、自分自身が納得できるようになろう。』
…『まずは、能登半島を歩いて一周してみよう。』
そして夏。
帰省した僕は、リュックに着替えを詰めて、津幡町を出発した。
見慣れた景色が徐々に遠ざかり、迎えた初日のゴールは羽咋市。
距離にして30㎞は歩いただろうか? あまりの過酷さに先が思いやられた。
志賀町、門前町、輪島市と外浦を北上し、珠洲の先端を回って内浦へ。
能都町、穴水町、七尾市、再び羽咋、そして津幡町に帰着する行程。
その間の寝泊まりは、屋根付きのバス停や駅の構内、漁師小屋など。
要するに野宿である。
日の出と共に動き始め、予め定めてあったその日の目標地点までひたすら歩く。
腰に下げた携帯ラジオから流れる
「ロサンゼルス・オリンピック」の実況中継に励まされ、
「ルイ・アームストロング」の「ウィ・シャル・オーバー・カム」を一緒に歌い、
能登の潮風と雄大な景色を眺めつつ歩みを進めた。
そんな旅の気休めが「赤いベンチ」だった。
まだ、コンビニなどない時代。
集落毎にある酒屋や万屋は、飲料・食料を調達する拠点になり、
店先の赤いベンチは、休憩時間を設ける目安になった。
つまり徒歩旅行の一里塚である。
旅の途中、蝉時雨を聞きながら赤いベンチで、瓶コーラを飲むのが常だった。
散歩途中、朝日を浴びながらベンチを見ていると、あの日の僕が見えた気がした。
今では見かける機会は少なくなったが、昔は至る所に置いてあった。
少年時代は、何度このベンチに腰かけて、飲み食いしたことだろう…。
とりわけ思い出深いのは、僕が十八の夏。
旅の記憶に登場する。
その旅の動機は、自分の無知だった。
大学の同級生から石川県・金沢についての質問を投げかけられ、
面積や人口、気候などのデータや観光地といった、
一般的な答えは返す事ができた。
だが、どれもガイドブックの域を出ず、言葉に実感が伴わない。
生まれ育った土地を離れて初めて、故郷の知識が薄い事に気付かされた。
そこで、考え、目標を立てた。
…『己の目で見て、耳で聞いて、肌で感じ、自分自身が納得できるようになろう。』
…『まずは、能登半島を歩いて一周してみよう。』
そして夏。
帰省した僕は、リュックに着替えを詰めて、津幡町を出発した。
見慣れた景色が徐々に遠ざかり、迎えた初日のゴールは羽咋市。
距離にして30㎞は歩いただろうか? あまりの過酷さに先が思いやられた。
志賀町、門前町、輪島市と外浦を北上し、珠洲の先端を回って内浦へ。
能都町、穴水町、七尾市、再び羽咋、そして津幡町に帰着する行程。
その間の寝泊まりは、屋根付きのバス停や駅の構内、漁師小屋など。
要するに野宿である。
日の出と共に動き始め、予め定めてあったその日の目標地点までひたすら歩く。
腰に下げた携帯ラジオから流れる
「ロサンゼルス・オリンピック」の実況中継に励まされ、
「ルイ・アームストロング」の「ウィ・シャル・オーバー・カム」を一緒に歌い、
能登の潮風と雄大な景色を眺めつつ歩みを進めた。
そんな旅の気休めが「赤いベンチ」だった。
まだ、コンビニなどない時代。
集落毎にある酒屋や万屋は、飲料・食料を調達する拠点になり、
店先の赤いベンチは、休憩時間を設ける目安になった。
つまり徒歩旅行の一里塚である。
旅の途中、蝉時雨を聞きながら赤いベンチで、瓶コーラを飲むのが常だった。
散歩途中、朝日を浴びながらベンチを見ていると、あの日の僕が見えた気がした。
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