つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

天(あま)駆ける恍惚と不安。~ ワレンチナ・テレシコワ

2019年05月10日 21時31分38秒 | 手すさびにて候。
ほんの手すさび、手慰み。
不定期イラスト連載、第百九弾は「ワレンチナ・テレシコワ」。

『地球は人類の揺りかごである。
 しかし、人類は永遠に揺りかごに留まることはないだろう。』

今から100年ほど前を生きたロシアの数学者、
「コンスタンチン・エドアルドビッチ・チオルコフスキー」が遺した言葉である。
彼が導き出した公式から、ロケット工学の扉が開いた。

同じ時期、アメリカでも独自に宇宙を目指す研究が始まり、
液体燃料、姿勢制御装置などの基礎技術が確立。
“近代ロケットの父”と呼ばれる「ロバート・ハッチンス・ゴダード」の功績である。

また、ドイツでも世界初の「宇宙旅行協会」が設立され、研究が進む。
彼等は時の政権から援助を得て、本格的な弾道ミサイルを完成。
「アドルフ・ヒトラー」が「V-2(報復兵器第2号)」と命名したロケットは、
ロンドンを恐怖のどん底に突き落とした。

戦後、ドイツの技術者は袂を分かち、東西の大国で禄を食む。
片や資本主義国家代表・アメリカ合衆国。
此方社会主義国家盟主・ソビエト社会主義共和国連邦。
東西冷戦の熱い戦い、宇宙開発競争「スター・ウォーズ」の火蓋が切られた。

初戦でリードを奪ったのは、ソ連。
史上初の人工衛星「スプートニク1号」を打ち上げ、
「ユーリ・ガガーリン」が、人類で初めて宇宙の英雄になり、
「ワレンチナ・テレシコワ」は、人類で初めての天女になる。

『わたしは、カモメ。(Я чайка/ヤー・チャイカ)』

彼女が大気圏外から発した台詞は、
女性らしい詩的なロマンスを持って、受け入れられた。
『私は今、宇宙(そら)を飛んでいる。 まるで鴎になったようだわ。』
といった具合に。

しかし、現実はコールサイン。
乗機の無事を伝えるため、別名を使ったに過ぎない。
すなわち『こちら、カモメ号。 現在飛行中。』
というわけである。

「ワレンチナ・テレシコワ」がバイコヌールから地上を離れたのは、1963年。
宇宙への挑戦は始まったばかり。
その先鋒を務めたのだから、名誉と引き換えに背負ったプレッシャーは、重い。
とても、旅を楽しむ余裕などなかっただろう。

・・・以降、これまでに宇宙へ行った人の数は、僅か500人余り。
月旅行が現実味を帯び始めているが、庶民には高嶺の花。
星々が瞬く領域は、まだ、遥か遠くにある。

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