つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

鬼はそこにいる。

2022年02月05日 04時44分44秒 | 手すさびにて候。
                   
きのう(2022/02/04)は、二十四節気の「立春」。
その前日は「節分」--- 文字通り「季節を分ける」タイミングだった。

季節の分かれ目に忍び込む邪気を祓う行事が「豆まき」。
「鬼は~外っ!」
掛け声と共に、縁起が良いとされる炒り大豆で架空の鬼を追い出すわけだが、
鬼退治と聞いて記憶に新しいのは『鬼滅の刃』だ。
「鬼殺隊」の面々が戦う「鬼」は、邪気や厄の象徴。
天災、疫病、飢饉。
昔、人智を越えた恐ろしい出来事は鬼の仕業と考えられた。

思い描くイメージも凶暴そのもの。
二本、または一本の角を生やした筋骨隆々の巨漢。
凶器を手にした立ち姿は、典型的なヒール(悪者)である。
だが一方、ベビーフェイス(善玉)へ転化した鬼も珍しくない。

ほんの手すさび 手慰み。
不定期イラスト連載 第百九十三弾「鬼子母神(きしもじん)」。



子授け・安産・子育ての神として知られる「鬼子母神」。
彼女は元々古代インドの魔族の一員だった。
当時の名前は「可梨帝母(ハーリーティ)」。
夜叉大将の元へ嫁ぎ、百人とも、千人とも、万人ともいわれる子を成した。
いわゆるビッグ・マザーである。

さぞ慈愛に溢れているかと思いきや、残虐な一面も有していた。
度々人界に現れ幼児をさらい、子に与え、自らも食したという。
人々は「ハーリーティ」を恐れ、憎み、神々に救いを求めた。

その訴えを聞き届けたのが「仏陀」である。
一計を案じ、彼女が最も可愛がっていた末子を隠した。
半狂乱になり、世界中を7日間探し回るも発見には至らず。
嘆き悲しむ母に対し、仏陀はこう諭した。

「千人のうちの一子を失うもかくの如し
 いわんや人の一子を食らうとき、その父母の嘆きやいかん」

犯した過ちを悟り反省した「ハーリーティ」は仏教に帰依。
悪鬼から神に転じた。
--- 冒頭では“鬼=ヒール”と書いたが、
「鬼子母神」に代表されるように、その立場は様々。
また、案外身近であることは言葉からも明らかだ。

例えば「次元の高さ」や「熱中度」を指す場合。
 →鬼レベル、鬼美味い、鬼のように寝る・食べる。
あるいは「激しさ」や「強さ」を表す場合。
 →鬼教官、鬼嫁、仕事の鬼。
といった具合に、僕たちは会話の中で鬼を口にする。

更に、鬼瓦やナマハゲに至っては「魔除け」。
そして前述の『鬼滅の刃』や『桃太郎』『一寸法師』『酒呑童子』など、
鬼キャラが登場する神話・伝説・民話・創作は枚挙に暇がない。
恐怖の具現であり、畏敬の対象。
善悪の何たるかを知らしめる不思議な存在。
ある意味、日本人は鬼に親しみを抱く民族と言えるのではないだろうか。

--- いや、親しみどころでは済まない。
もっと“鬼近い”間柄かもしれない。
そもそも人は心に鬼を飼っているではないか。

僕も、あなたも。
                 

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