つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

我が学び舎、かつてここに立てり。

2016年07月17日 10時12分28秒 | さらば、母校よ。
きのうは、散歩途上に立ち寄った大西山で、
意識が過去へと遡った一幕について投稿した。
本日は、その続編。
大西山の過去の風景を振り返ってみたい。

まずは、今の様子を掲載する。

最近設置された飲料自販機の奥は、小学校のグラウンド。
校庭の周囲をカバーする金網の向うの稜線は、県森林公園へ連なる丘。
低く垂れこめた鱗雲に覆われた空が、梅雨の半ばを窺わせる。
特に視界を遮るもののない、開けた空間。
それが、現在の大西山だ。
俯瞰では、こうなる。

ほんの数年前、過去はこんな様子だった。

真ん中あたりの広いスペースは、グラウンド。
その周囲にはプールと、渡り廊下で繋がった体育館と校舎があった。
画面上の「津幡小」のマークは、現在の校舎の位置である。

主に、読み・書き・算盤を学ぶ寺子屋スタイルから、
近代的な学校教育へ移行したのは、明治5年(1872年)。
津幡町は、制度発足の翌年「弘願寺」を借りて、小学校を開設した。
明治20年(1887年)、大西山に最初の校舎を落成させる。
大正2年(1913年)に完成した木造二階建て校舎を経て、
昭和40年(1965年)、鉄筋4階建ての校舎が建った。
僕が通った学び舎である。
往時の風景の幾つかを掲載しておこう。

やがて、歳月を重ね老朽化した学び舎は、
平成23年(2011年)春、大西山を下りた。

移転・新築した現校舎は、真新しく美しいが、
僕の記憶にはない「知らない建物」なのだ。

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