つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

さらば、星の王子さま。

2016年01月16日 18時52分47秒 | 音とアート。
昨年末の「ナタリー・コール」に続けて、またも訃報が届けられた。
デビッド・ボウイさん死去、69歳がん家族に囲まれ
デヴィッド・ボウイ、葬儀はせず密かに火葬「音楽だけ覚えていてほしい」
本日は初七日である。
「デヴィッド・ボウイ」が仏教徒かどうかは知らないが、
その魂が極楽浄土へ行けるよう供養の意味を込めて、一筆捧げたい。

「デビッド・ボウイ」…本名「デビッド・ロバート・ジョーンズ」が生まれたのは、1947年1月8日。
小雪のチラつく朝のロンドンで産声をあげた。
幼い頃は、両親の離婚問題や、自分の目のケガなど不幸が続き、
あまり恵まれた環境ではなかったそうだ。
そんな寂しい少年の心を癒やしてくれたのは、音楽。
8歳の時に出会ったロックの虜になり、10歳でミュージシャンになる事を決意。
高校を中退して、本格的に音楽活動を開始。
バンドの一員として、1964年にプロ・デビューを飾るものの鳴かず飛ばず。
幾つかのグループを渡り歩き、2年後にソロシンガーへ転向するが、結果は同じ。
誰も彼に注目してくれなかった。
一旦は、音楽の道をあきらめかけた時…歴史が救いの手を差し伸べてくれた。

「ボウイ」を甦らせたのは、宇宙開発。
1969年7月「2001年宇宙の旅」をモチーフにした曲『スペース・オディティ』が、
アポロ11号の月面着陸成功に合わせてリリースされると、時代の波に乗って大ヒットを記録。
続く、アルバム『ジギー・スターダスト』も、音楽業界から熱狂的に迎えられる。
更に「ボウイ」は、まるで宇宙人のような奇抜な衣装やメイクで身を固めステージに登場。
“火星からやってきたロックスター「ジギー・スターダスト」”になりきって、
華麗な“グラムロック”のトップにのし上がった。
おかげで作品はミリオンを記録、ツアーもソールドアウト。
何もかもが順風満帆に思えたが、彼は突然ライブ活動からの引退を宣言する。

理由は心の問題。
「ボウイ」ではなく「ジギー」を求めるファンの望みを叶えるうちに、
自分で自分が分からなくなった。
架空のキャラクターと、現実とのギャップに苦しみ、
やがて、精神のバランスを崩すほどに追いつめられてしまった。
「ジギー・スターダスト」を演じることをやめた「デビッド・ボウイ」は、
アメリカに渡って“魂の音楽”ソウル・ミュージックに走ったり、
ドイツに現れ、当時最新のシンセサイザーを使った
“ベルリン三部作”と呼ばれる、実験的なアルバムをリリースしたり。
迷い、苦しみながら前に向かって歩き続け「レッツ・ダンス」を生み出す。
プロデューサー「ナイル・ロジャース」を起用したキャリア最大のメガヒット。
新しいファンを取り込んだ大規模なワールドツアーも成功。
ちょうど、映画「戦場のメリークリスマス」に出演した頃、
カルト・ヒーローの座に別れを告げ、押しも押されぬロックスターとして認められる。

「フレディ・マーキュリー」とコラボレーションした「アンダー・プレッシャー」。
「ミック・ジャガー」とデュエットした「ダンシング・イン・ザ・ストリート」。
「パット・メセニー」と共演した「ビギナーズ」など、音楽史に残る作品を連発。
常に第一線で居座り80年代を駆け抜けた。
90年代は、バンドを結成して活動を行ったかと思えば、再びソロにカムバック。
21世紀にはレーベルを移籍して、コンスタントに作品を発表。

晩年は病気に苦しめられ、ライブは2006年のニューヨークが最後。
69歳の誕生日だった今月8日、最新アルバム「★(Blackstar)」をリリースした矢先、
天に召されて星屑になった。

リスクを背負い、確立したスタイルを脱ぎ捨てて挑戦を続け、
音楽の枠も軽々と超えて、スクリーンへ活躍の場を広げ、
亡くなる直前まで創作活動を続けていた偉大なアーティストのご冥福を、心からお祈りします。
お疲れ様でした。
ありがとう、さようなら「ボウイ」。

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