つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

砂漠の女王。~セプティミア・バトザッバイ・ゼノビア。

2018年02月21日 08時21分42秒 | 手すさびにて候。
ほんの手すさび、手慰み。
不定期イラスト連載・第七十三弾は「囚われのゼノビア」。

縁のない者にとって「砂漠」は憧れの場所だ。
炎熱、乾燥、乏しい植生など、過酷な環境とは知っているが、
身近ではないだけに、何処かロマンを感じてしまう。
「アラビアのロレンス」や「月の砂漠」。
「マルコポールの冒険」に「シルクロード」。
砂漠は、歴史の舞台になり、数々の名作と英雄を生んできた。
その白眉と言えるのが“砂漠の女王”と「パルミラ王国」である。

「パルミラ王国」の元は、シリア砂漠に築かれたオアシス都市。
滾々と湧く水源のお陰で、ナツメヤシや葡萄が木陰を作るそこは、
砂の海を往く隊商にとって、絶好の寄港地。
舫いを解かれたラクダは喉を潤し、商人は円形劇場や浴場で疲れを癒した。
金、銀、宝石、絹、塩などが豊富に並ぶバザール。
行き交う人々は多彩な肌を持ち、多種の言語が飛び交う国際都市だっただろう。

紀元前1世紀にローマ帝国の属州となった「パルミラ」は、
やがて紀元後2世紀に絶頂期を迎える。
その頃、実権を握ったのが「ゼノビア」だ。
「ローマ帝国衰亡史」の著者、
19世紀・イギリスの歴史家「エドワード・ギボン」は、こう書き残した。

『ゼノビアこそ、アジア的な隷従怠惰の悪癖を打破した殆ど唯一の女傑だった。
 容姿はクレオパトラに劣らず、貞節と勇気は遥かに勝る。
 肌は浅黒く、歯並みは真珠のように白く、
 漆黒の大きな瞳は、ただならぬ光を帯びて輝き、
 声は力強く、しかも実に音楽的だった。』 (※要約/りくすけ)

聡明で美しく、軍事・政治に長けた“砂漠の女王”は、自主独立を宣言。
周辺地域へ侵攻し勢力を拡大し、ついに大ローマと激突。
戦場は、現在のトルコ南部・アンティオキア。
緒戦は「パルミラ」に軍配が上がるも、手痛い反撃を食らい、敗走。
本拠地での籠城戦を展開するものの、敗北。
ローマの軍門に下った。

皇帝の凱旋式。
捕虜となった「ゼノビア」は、黄金の鎖につながれてローマ市民の前に登場。
その美貌と威厳を誇示してみせたという。

女王の後半生については諸説ある。
実は、ローマへの護送中に病死、あるいは自殺していた。
永遠の都で処刑された。
罪を赦され貴族に嫁ぎ、社交界で活躍して幸せな余生を送った等々…。
今やいずれも想像の域を出ない。
真実は、歴史の彼方。
時の砂嵐の向こうにある。
コメント (1)
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