つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

見えている世界と見える世界は違うかもしれない。

2016年12月28日 23時51分20秒 | 日記
人間の目は、角膜⇒眼房⇒瞳孔⇒水晶体⇒硝子体⇒網膜の順で光を受け渡す。
網膜に映った像を視神経が脳へ送り、その情報を処理する事で外界を認識できる。
視覚世界は目と脳の組合せで作られているのだ。
つまり「見る」のは「目ではなく脳」だと言っても間違いではない。
…という事は、脳の情報処理によっては、
稀に現実とは違った視覚世界を目の当たりにできるのである。
先日の散歩中、それは突然やって来た。

この画像は、パチンコタイガー津幡店の駐車場で撮影。
通りすがりに気が付いた高札には、こう書かれていた。

<中橋遺跡>
中橋遺跡は、平安時代中頃から室町時代にかけて営まれた遺跡である。
発掘調査により、二棟の掘立て柱建物、六基の井戸が検出され、
遺物では十世紀代の土師器(はじき)をはじめ、
中世期頃の珠洲焼(すずやき)や中国製の青磁器天目茶碗などが出土している。
井戸が多く検出されていることは飲料水が豊富で、
生活を営むうえで適した土地であったことを示している。
居住者層は河北潟や津幡川の水運に深く関わり、かつ河北潟縁辺を開拓した
開発領主層が想定される。 
【※原文ママ(  )内加筆。
  土師器…古墳時代~奈良・平安時代まで生産された素焼きの土器。
  珠洲焼…石川県能登半島の先端・珠洲市周辺で生産された中世の焼き物。】

開けた駐車場スぺ―スを凝視しながら、高札の文字情報を反芻するうち、
ぼんやりと往時の景色が現れた気がした。
無地無着色の麻製の丈の短い上着をまとい、やはり麻のズボンを履いた小柄な人々。
足元はせいぜい草鞋か素足。
水辺の傍だけに稲作と漁業を生業とし、質素ながら充実した暮らし。
僕には、そんな風に見えた。
コメント
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