いつも通る道。教会がやっている幼稚園なのだろう、ときどき聖句が掲げられることがある。
でも、今回は英語だぞ。どうして??
大勢いるまだドイツ語理解が難しい難民たちへのキリスト教布教かとも思った。一応、ネットで検索してみたら・・・
ああ、有名な歌なのね。
元は宗教的な意味が無いけれど、こうして使って布教効果を狙ったわけだ。
最後はワイパーに隠れて見えないけれど、ドイツ語で「神」とある。
「あなたは決して一人で歩むことは無いだろう、ただし、我々の神を信じれば」
という意味になると思う。
信仰と共に生きることは、ヒトにとって結構な励みになるらしい。
ここではあらゆる宗教の熱心な信者に出会うので、それを簡単に理解できる。
すでに神様は我々一人ひとりにちゃんと存在していて、それに気付くか否かにかかっていると思う。
数年前だったか、コンゴ人男性とそんな話題になって、彼と大いに盛り上がったことがある。
「だから、お互いの違う神様を尊敬し合わなくちゃいけないんだ」
と、彼は力説した。
ただ、こうした自分にすでに存在する神様は聖典、生活指針や祈祷など指示してくれない。
それらが存在する様々な宗教の方がわかり易くて手っ取り早いのは間違いない。
結構な額のお金がかかることも多い。生活のすべてをその教団にささげなくてはならない例も見ている。
私に能力があれば、もっと突っ込んで書いてみたいものだけれど。
無理なことは止めておいて、今日も生き抜くことに全力を傾けよう。
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