リーメンシュナイダーを歩く 

ドイツ後期ゴシックの彫刻家リーメンシュナイダーたちの作品を訪ねて歩いた記録をドイツの友人との交流を交えて書いていく。

173. 15回目のドイツ旅行(21)オーストリアからブッフ・アム・ヴァルトへ

2019年03月05日 | 旅行

▶︎15回目のドイツ旅行(21)オーストリアからブッフ・アム・ヴァルトへ


フリーデルの食卓から見える景色(ブッフ・アム・ヴァルトにて)


この旅一番の厳しい乗り換え

 9月26日(水)この日は何度も寿命が縮まった感じがした一日でした。

 今回の旅行では3回、列車の乗り換えが大変な日がありました。最初はデュッセルドルフからヘールまでの往復の旅、2回目はニュルンベルクからオーストリアのリーエンツまでの旅、そして3回目がこの日のオーストリアからローテンブルク近郊にあるブッフ・アム・ヴァルトにフリーデルを訪ねる旅です。フリーデルと会えるのがこの日しか無く、できるだけ早くローテンブルクに着いてタクシーでフリーデルの住むブッフ・アム・ヴァルトに行きたかったので、列車の乗り換えがこのような予定になりました。

 リーエンツ東チロル駅 6:29発 → シュピタルーミルシュテッター・ゼー駅 7:27着

 シュピタルーミルシュテッター・ゼー駅 7:40発 → ザルツブルク中央駅 9:48着

 ザルツブルク中央駅 10:00発 → アウクスブルク中央駅 12:15着

 アウクスブルク中央駅 12:30発 →シュタイナハ 14:02着

 シュタイナハ 14:36発 → ローテンブルク 14:50着

 ドイツ鉄道をご存じの方はため息が出ると思います。綱渡りのような乗り換え時間ですから。10分や15分遅れるのが日常の鉄道旅では、一つ乗り変えに間に合わなければこの日の計画は大きく動き、あきらめるしかない状態もあり得るのです。でもブッフ・アム・ヴァルトではフリーデルが私たちを待っていてくれるので遅れるわけにはいかないという厳しい日程でした。

 まず最初の列車は途中駅からどんどん小学生、中学生たちが乗ってきて満席。案の定、ザルツブルクから少しずつ遅れが出てアウクスブルク中央駅1番線に着いたのは12時27分でした。多くの乗客が5番線に向かって走り出しました。ホームの前方に行く人、後方に行く人と自然に分かれ、私たちは後方への矢印があったのでそちらのグループに入ったのですが、何と途中で工事中の縄が張ってあって立ち入り禁止。みんな怒って縄をくぐり抜けるので私たちも後に続きました。結局途中の階段を重たいトランクを持って必死でかけ下り、かけ上がり、5番線に着くと車掌が今か今かと私たちを待ってくれていました。私は三津夫より一足先を走っていたのですが、どこの乗車口も人が一杯だったので一つ先の乗車口まで走って飛び乗りました。その直後に列車は出発! 三津夫は乗れたのかと振り向くと入り口近辺には見当たりません。胸がドキドキしました。席を取りあえず確保し、後ろの車両に探しに行こうとすると、ようやく三津夫の姿が見えました。良かった~! 「何で勝手に先まで走って行っちゃうのさ!」と怒られましたが。私は息が弾んで汗びっしょりでした。それにしてもアウクスブルク駅の表示、ひどいなぁ。

 このあと、シュタイナハでは、比較的乗り換え時間にゆとりがあったので充分間に合いましたが、下りたときに一瞬駅を間違えたかと思い、からだが固まりました。それは今までとホームの長さが違ったからです。古い小さな駅だったのにホームが長く、今までの見慣れたシュタイナハ駅とはあまりに違っていたのです。近くの人に確かめたら工事で駅を拡張しているということがわかってホッとしたのでしたが。

 ローテンブルクでは勝手知ったる駅前のホテルにチェックイン。すぐにフリーデルに電話を入れて、駅前のショッピングで急ぎ花籠を買いました。この間にタクシーが1台出て行ってしまってから中々戻ってこないのです。ブッフ・アム・ヴァルトまで行くバス便は無いため、いつもタクシーで行くのですが、ここまで長く待たされたことはありません。まだか、まだかと首を長くして待っていても来ないので、フリーデルにもう一度遅れると電話を入れました。しばらくすると一人のおじさんが私の方にやってきて、「あなた方がずっとタクシーを待っているからタクシー会社に電話を入れておいたよ。もうすぐ来ますからね」と言うのです。涙が出るほど嬉しくて頭を深く下げました。それでも何か混んでいるらしくて合計40分待ってようやく1台のタクシーがやってきました。フリーデルの住所を見せ、「今、タクシーに乗ったから」と電話を入れてようやく胸をなで下ろしました。これで何とか明るいうちにお墓参りができそうです。

 ブッフ・アム・ヴァルトに着くと待ちかねていたフリーデルが門から出てきてくれました。運転手さんとはどうやら顔見知りだったようで二人とも驚いて話をし、彼から名刺をもらっていました。懐かしい家に入ってしばしお茶とケーキで歓談のひととき。私はこの窓辺の景色が大好きです(トップの写真)。今まで何回ここでご馳走をいただいたことでしょう。この後、彼女の運転でお墓まで行きました。私にとっては2回目の、そして三津夫には初めてのお墓参りでした。前夜書いてきたカードを墓前に供えると、フリーデルは家に持ち帰ると言って読み、涙ぐんでいました。

 

ヨハネスのお墓。2015年1月30日に亡くなってもう3年が経ったのですね。


思い出を語り合い、お別れ

 その後、フリーデルが用意してくれていたマウルタッシェンをご馳走になりました。そして、美味しいコーヒーを飲みながらヨハネスが作ったアルバムを見、昔話をしてヨハネスを偲びました。最後はいつものように記念写真。このフリーデルの笑顔がいつまでもブッフ・アム・ヴァルトで見られることを祈りながら、さっき送ってきてくれた運転手さんに迎えに来てもらってローテンブルクに戻りました。


※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA

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