リーメンシュナイダーを歩く 

ドイツ後期ゴシックの彫刻家リーメンシュナイダーたちの作品を訪ねて歩いた記録をドイツの友人との交流を交えて書いていく。

58. 私の帽子はいつも旅をする

2017年04月22日 | 旅行

2016年・ドイツ14回目の旅  No.14

 

         

         柔術の先生、ヴィリーらしいインテリア               ヴィリーの家で 窓辺のかぼちゃたち       


  ◆10月22日(土) 啓子さん、帰国   3051歩

   今日の第一目的は啓子さんのお土産を買いにスーパーマーケットに行くことでした。シルヴィアが日本人用にと調理してくれた温かい卵焼きをいただき、庭で採れたミニトマトやらパプリカなどの野菜もあって啓子さんも嬉しそう。
 10時頃出発して大きなカウフランドに行き、けい子さんはたくさんのサラミやチョコレートなど、本当にこれだけトランクに入るのかしらと心配になるほど買い込みました。一方、私は切実にあるものを探していました。それは毛糸の帽子。旅行に持って来たのは二つとも娘の奈々子が編んでくれたもので、一つは秋口に使える薄手のベージュの帽子、もう一つは厚手で真冬に頭を寒さから守ってくれる白い帽子なのですが、こちらをクレークリンゲンでなくしてしまいました。ブルク牧師さんに問い合わせてカフェで落としてきたことがわかり、保管していただいていますが、またクレークリンゲンに行くのは12月です。その間、寒くなったらかぶれる帽子が必要でした。バックナングの小さな町で3軒ほどお店を回ってようやく見付けたのが茶色くて温かい帽子でボンボンが乗っているのです。9ユーロでした。これで北風も大丈夫。そして、白い帽子が車ではと被っていたベージュの帽子も昨夜から見当たらなくなってしまったのです。クラウスが電話で確かめてくれたところ、昨夜のレストランに私の薄手の帽子が残っていたことがわかり、夕方取りに行くことになりました。「お手数をかけます」と心の中で手をあわせました。私の帽子はこうしてしょっちゅうあちらこちらに持ち主の手を離れて旅をしています。これも持ち主がおっちょこちょいだからに他なりません。

 

  バックナングの市場   昼食のテーブルとクラウス 

  一度家に戻り、買ってきた果物やチーズケーキの残り、朝のパンなどをお昼にいただきました。ゆっくりおしゃべりしながら食べたときの話題はやはり「トランク三題噺」でした。「空飛ぶトランク」「壊れたトランク」「はまったトランク」のうち2つは啓子さんのトランク。それでも中身は壊れなかったというのです。通販生活で買ったトランクの丈夫さが確かめられましたね。もう一つ「窃盗団のシートベルト」の話をして大笑いしたと日記には書いてあるのですが、内容が思い出せません。きっと啓子さんなら覚えているでしょう。また、彼女は音楽が好きでクラウスと話が弾んでいました。
 啓子さんは買い込んだお土産を無事にトランクに詰め終わりました。シルヴィアからも瓶ビールをもらったと嬉しそう。でもきっと重くなったことでしょう。来るときには私たち用に梅干しやお茶や果物まで用意してきてくれた人ですから案外来たときも帰りも同じぐらいの重さだったのかもしれませんが。
 列車は15時25分発。シルヴィアの家を14時頃出発してシュトゥットガルト中央駅まで見送りに行きました。ヴィリーもホームで待っていてくれました。列車は満席のようで座れたかどうか気になりながらも、外からだと中が見えないのです。方向違いに手を振っていたかもしれません。啓子さんが無事帰国するようにと祈りながら駅を後にしました。

 ここから向かったのはヴィリーの家でした。彼の家はシュトゥットガルト中央駅からもトラムで行ける範囲の街中です。ここでアンゲリカ(ヴィリーの彼女)が大事な会議が終わって訪ねてくるまで待つということでした。シャンパンで乾杯したりおつまみが出たりする中で、アンゲリカも合流。ヴィリーが一生懸命レストランに電話を入れ、GINZAという中華料理店を予約してくれました。
 6時過ぎにヴィリーの家を出てレストランへ。奥の部屋で丸テーブルを囲み、中華兼和食を楽しみました。その際、私は日本から持って来た「核兵器廃絶」「自衛隊のスーダン駆けつけ警護・派兵反対」の署名をお願いしてみました。だめならだめでしょうがないと思いつつ。でもみんな「よくわかる」と言って署名してくれたのでホッとしました。特に元教員だったアンゲリカは現在もシリア難民の子どもの面倒を見ている人で、戦争には絶対反対と深く共感してくれたのでした。
  このあとシルヴィアが、「緑と私はオーストラリアで出会ってから20年になるのよ」と乾杯してくれたのに驚きました。1996年、シルヴィアが19歳で、フライブルク大学の学生だったときでした。私もあの頃は海外に行くと「30歳?」と聞かれたものでした。20周年。この長い友情に感謝です。下の写真はアンゲリカとヴィリー(レストランにて)。


            

※ このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA

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