リーメンシュナイダーを歩く 

ドイツ後期ゴシックの彫刻家リーメンシュナイダーたちの作品を訪ねて歩いた記録をドイツの友人との交流を交えて書いていく。

330. 18回目のドイツ旅行(10) 2人旅 パリ後半 ルーヴル&愛さん一家

2024年01月10日 | 旅行

▶コルベイユ=エソンヌ


AUX ENFANTS DE LARROND DE CORBEIL MORTS POR LA PATRIE
 「祖国のために亡くなったコルベイユ地区の市民(子ども)のために」という意味だそうです。

 

▶まずはルーヴル美術館へ

 2023年8月26日。今日は久しぶりにゆっくりの出発。ルーヴル美術館の入館予約は11時半です。旅行に来てからこんなにゆっくり宿を出たのはアイゼナハに次いで2回目でしょうか。日本に出したい絵はがきを3枚書いて、近くの郵便局へ。受付で郵便局の場所を聞いてもどこなのかよく理解できず、その近辺をウロウロしてようやく小さな黄色い郵便局のマークを見つけてホッとしました。フランスでも郵便局は黄色いマークなのですね。日本への絵ハガキは1枚1.8ユーロもかかりました。1ユーロ160円としても288円です。日本の2倍以上です。ずいぶん高いなと驚きました。

 今日もM1でルーヴル美術館駅まで乗車。地下通路を出るともうガラスのピラミッドの下です。まずはリュックを預け、貴重品とカメラだけ持って受付へ。スマホで予約チケットを見せるとまだ11時頃なのに入館することができました。私は「まだ早い」と追い返されるかと思っていましたが、三津夫が「大丈夫だよ。ここで時間まで待つことないよ」と言うとおり、問題なくは入れたのです。案外予約時間については見ていないのですね。
 真っ先に向かったのは後期ゴシック彫刻のある展示室です。私も以前来たときに見たはずなのですが、全く記憶に残っていなかったグレゴール・エーアハルトの「マグダラのマリア」(『結(ゆい)・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーからシュトース』 97頁にカタログの写真を載せてあります)をしっかり見ることが第一目的でした。写真集を作る際にカタログで何度も見ていたとおりに、マグダラのマリアが本当に美しいことを実感しました。後ろ側に回ると、長いふさふさした髪の毛が波打って彫られていました。ただ、背中の部分に大きめの切れ目が四角く入っていて、やや髪の毛のウェーブが揃わないところがあります。丸彫りのひび割れを防ぐために、ここから内部をくりぬいたのでしょうか。やはり彼女はこの展示室の看板スターです。
 ここから少し離れたショーケースの中にはリーメンシュナイダーの「受胎告知のマリア」があります。天使像はどこかに紛失したのでしょうか、今まで見ている限りの
情報では記録がありません。アムステルダムの「受胎告知」はあどけないほどのマリアと美しい天使とのコラボが素晴らしい作品ですが、リーメンシュナイダーの初期に相次いで彫られたこちらのマリア像は、今一つ緊張した表情で目が少し怖いのです。しっかりもう一度記憶に刻みました。この展示室には何体もの聖母子像が並び、私は聖母子像があると写真を撮っているので大忙しでした。

 「サモトラケのニケ」を見てからレストランで昼食をとりました。その後は三津夫の見たい作品のある展示室を順番に見て回りました。「モナ・リザ」は黒山の人だかりで、なかなか前に進めません。以前じっくり見たからいいねとサッと見るだけで出ました。ダヴィンチ作品を何点か見て、ミロのヴィーナスまで見たところで疲れて終わりにしました。

 ホテルに帰ったら疲れがドッと出て2人とも爆睡。その後、郵便局探しの時に見つけた小さな中華料理店で夕食をとり、明日訪ねる愛さんと連絡を取り合いました。自分たちだけで何とか行けると思っていましたが、長男のユウゴ君を迎えに出してくれるというのです。愛さん一家も申し訳ないほど親切です。

▶コルベイユ=エソンヌへ

 8月27日。朝はパリ北駅まで行き、明日、ロンドンに行くときに乗るユーロスターへの歩き方を下見することにしていました。重いトランクを持ってウロウロしたくなかったからです。
 リヨン駅から地下鉄Dラインで北駅まで行けるので、比較的順調に下見を終了。ところがユウゴ君の乗る電車がちょうど良いのがなくて約束より早めにホテルに着くと連絡が入ったので、時間までに戻れるか心配になってきました。愛さんに「遅れるかもしれない」と連絡すると「ロビーで待つから大丈夫です。ゆっくり来てください」との返事。幸いリヨン駅までは順調に戻れたものの、地上階に上がってからどの方向が私たちのホテルだったかわからなくなって迷ってしまい、ようやく見慣れた出口を見つけてホテルに駆け込みました。ちょっと遅刻。ユウゴ君にお詫びを言い、愛さん一家へのお土産を持ってホテルを出発しました。

 ユウゴ君たちの家はコルベイユ=エソンヌという、リヨン駅から1時間ほど南下した郊外の町にあります。車中は家族の様子や2月にユウゴ君が来日したときの話などを楽しみ、終点に到着。駅を出て歩き始めると、途中の公園にトップ写真の彫刻があり、花束が置かれていました。何かの追悼記念なのだろうと思いましたが、翻訳機が訳してくれませんので、フランス語のタイトルだけ書いておきました。
 後日、愛さんに教えてもらって正しい意味がわかったので書き足しました。「祖国のために亡くなったコルベイユ地区の市民(子ども)のために」という意味だそうです。
ENFANTSは「子ども」という意味ですが、例えば北海道の人を「道産子」、東京都民を「江戸っ子」というような意味で「子ども」ということばが使われているのではないかということでした。

 愛さんはフランスのトゥールーズに留学して大学院を卒業。フランス語もペラペラです。お肉のマイスター、ティエリさんと知り合って結婚。この町でお肉屋さんを経営しています。今日は午後2時までで営業が終わるので、その後バーベキューをしてくれるそうです。お店の写真を撮った後、「閉店までもう少し時間があるから川縁を散歩してきたら」と勧められてユウゴ君と次女(末っ子)のノエちゃんと車で出かけました。セーヌ川はところによってゴーゴーと音を立てて流れていましたが、ユウゴ君はボートの漕ぎ手としてこの川で練習を重ね、レースでも優勝しているのです。その体格の良さがわかる写真を載せておきます。

 


愛さん夫妻のお肉屋さん。このお店のカラフルなこと。日本ではなかなか見かけませんね。


このセーヌ川でボートを漕いできたユウゴ君は、大学を辞めてボートのコーチの見習いになる勉強を始めるとか。
  ノエちゃんはチェロをずっと弾いてきて、来週から音楽学院の寄宿舎で勉強だそうです。


▶美味しいバーベキュー、ご馳走様でした。

 お店に戻ると既に閉店していて、裏庭にはバーベキューの準備ができていました。出かけていた長女のエマちゃんも帰宅して、皆で美味しいソーセージやパテ、サラダをいただきました。お肉類は全部ティエリさんの手作りです。なんと贅沢なことでしょう。専門家の作るソーセージやパテの味は保証付きです。ただ、ソーセージは1本が大きくて種類も多いので、三津夫と半分ずつ分けていただきました。夕食用にサンドイッチのお土産までいただきました。どうもご馳走さまでした!!
 






この中庭のバーベキューは家族の集まりや友人の集まりで大活躍のようです。


 帰りは愛さんが駅まで送ってくれてお別れ。また来年、今度は帰省の折に我が家にも遊びに来てください。
 明日からロンドンへの旅が始まります。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2024  Midori FUKUDA

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