リーメンシュナイダーを歩く 

ドイツ後期ゴシックの彫刻家リーメンシュナイダーたちの作品を訪ねて歩いた記録をドイツの友人との交流を交えて書いていく。

4. 初めてのヴュルツブルク

2015年06月01日 | 旅行

旅日記 No.3                 

 マインフランケン博物館
 

  リーメンシュナイダーが1483年から住んで仕事をした街、ヴュルツブルク。恐らく彼の彫刻が一番沢山残っているのもこの街でしょう。今回の旅の一番の目的、リーメンシュナイダーの彫刻を見るにはミュンヘンとともに欠かせない場所です。

 ヴュルツブルクに着いた日の翌朝、8時半に駅前のホテルを出て9時前にマリア礼拝堂に到着しました。壁は手入れしたばかりのようで白く輝き、入り口の門の上にアダムとエヴァの像が立っていました。これはレプリカで、オリジナルはマインフランケン博物館に移されているはずです。礼拝堂の中は参拝者もほとんどなく、静けさの中で騎士コンラート像をじっくり見ることができました。騎士と言いながらどこか繊細な哲学者のような顔をしています。
 ここから旧マイン橋を渡って急な坂を上るとマリエンベルク要塞に着きました。入り口かと思ったところはまだ城壁だったようで、奥にようやく入り口がありました。要塞と言うだけあって守りは堅固です。先に領主博物館に入り、その後マインフランケン博物館に入りました。同じ建物なので中でつながっているのかと思いましたが別の入り口から入り直さなければなりませんでした。

 マインフランケン博物館にもたくさんの展示室があり、その中を進んでいくとようやくリーメンシュナイダーの部屋に到着です。広い部屋にゆったりと彼の作品が並んでいました。ミュンヘンよりよほどたくさんの作品がありました。ザッと数えて70体ほどでしょうか。夫と私はゆっくりゆっくり全部の作品を見て回りました。この日はほとんど他に参観者はなく、警備に立っている男性はずっと私たちの動きを見ていたようです。どうやら怪しい人物ではなく、リーメンシュナイダーに興味津々であるとわかったようで、彼の方から話しかけてきたのです。
 私がことのほか感動したのは、聖セバスチアンでした。(旅の始まり参照)その矢の跡を示してくれたのはこの警備の方でした。他にも、アダム<写真5>とエバ<写真6>も印象深いものです。この対になった砂岩の彫刻は、リーメンシュナイダーの出世作とも言われているそうです。このオリジナルをここに移すとき、残念ながら足の下の方で切り離して運んだということでした。確かにオリジナルはふくらはぎの辺りでカットされた跡がありました。これも警備の方(次の年にもお会いしてペーターさんというお名前だとわかりました。)が教えてくれたことです。アダムもエヴァも左腕がなくなってしまっていますが、非常に澄んだまなざしが印象的でした。

 

                                             

                   <作品写真5> アダム Adam                             <作品写真6> エヴァ Eva
 
                                   Tilman Rimenschneider, 1491-1493   Mainfränkisches Museum, Würzburg

 

 

 次回は同じマインフランケン博物館にある聖母子像についてです。

 ※ このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA

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3. 空中に浮かぶマグダレーナ

2015年06月01日 | 旅行

旅日記 No.2                        

ようやく見られた聖マグダレーナ

 翌1999年に、夫と私はドイツ旅行に出かけました。夫にとっては初めての、私にとっては二回目のドイツ旅行です。(今度はトルステンにもシルビアも海外にいて、会うことはできませんでしたが。)
 今回は、パリ経由でミュンヘンに飛びました。飛行機のトラブルでパリに一度戻り、ミュンヘン空港にようやく着いたのは夜も10時半を回っていました。苦労して電話をしておいたので、受付が閉まってしまうのではないかという心配はしなくても済みましたが、空港のお店はほとんど閉まり、ミュンヘンまでの切符の買い方もわかりません。ようやく親切な紳士に教えてもらって何とか切符を買い、ミュンヘンのホテルにたどり着いたときの安堵感は忘れられません。
    
 翌朝、夫と私はミュンヘンのバイエルン国立美術館に歩きで向かいました。夫は地下鉄に乗ってしまうと町の様子がわからないといって歩くことを好みます。私も歩くこと自体はいとわないのですが、「美術館歩き」はなぜかとても疲れるのです。ましてこの日は4つも大きな美術館を回る予定ですから、本当は朝ぐらい地下鉄でもいいのではないかなと思ったのですが、まぁ、仕方がありません。(註1)
 ようやく美術館に到着しました。しかし、リーメンシュナイダーの部屋がわかりません。何人かの館員にたずねてようやく彼の作品を集めた部屋にたどりつくと、「聖マグダレーナ」<写真4> が空中に浮かぶように壁に掛かっているのが見えました。私が自分の目で初めて見たリーメンシュナイダーの彫刻が彼女だったのです。1年待ってようやく見られたという思いも重なり、この像の敬虔さ、静謐さに深い感動を覚えて、胸が締め付けられました。私にとって、彫刻を見てこんなに涙が流れたのは初めてのことでした

 

                                 

                                   <作品写真4> 天使に支えられる聖マグダレーナ
                                                  Heilige Magdalena von Engeln erhoben

                                                     Tilman Riemenschneider,  1490-1492
                                                               Bayerisches Nationalmuseum, München
 

 

 「聖マグダレーナ」の様子を植田重雄さんは『リーメンシュナイダーの世界』の45~46頁に、以下のように書かれています。
 
 ……聖女マリア・マグダレーナ(マグダラのマリア)は、中世になると、人間の信仰の象徴的存在となった。手を合わせて天上の声に聴き入ろうとする彼女を、飛び交う六人の天使が扶(たす)けている。天使たちの表情や、手や足の振舞いはやさしさにみち、祈りと瞑想の中にいる聖マグダレーナには地上の重みや束縛が感じられない。
 孤独の荒野で懺悔と神への帰依に専心する聖女をあわれみ、神はこれらの天使を派して日々の食物を奉仕せしめ、一糸まとわぬ彼女のために毛髪 (あるいは毛皮)でその身をおおわしめたという。毛髪でおおわれたマグダレーナが、瞑想と祈りにより苦行の聖約を果たして、次第に毛髪がとれ清浄にかがやく姿に返ってゆく有様をリーメンシュナイダーはえがいた。彼女の顔はもとより、両手、胸、足の獣性を表す毛髪はすでに脱落している。………


 同書によれば、「マグダレーナは、イエスによって七つの悪霊を追い出してもらったガラリヤの女性」で、「イエスの十字架の死を見とどけ、復活のイエスを見た最初の栄誉をになった」人物なのだそうです。彼女はこのあとマルセイユに上陸してこの地方を教化し、サント・ボームで幽独の生活にはいって三十年苦行を続けたと伝えられているとのことでした。


 同じ部屋に展示されていた「聖バルバラ」も、他の像も、深い思いを秘めてひっそりとたたずんでいるのでした。私だけでなく、夫もこの日からリーメンシュナイダーの彫刻が大好きになりました。

 次回は、旅の続きで、初めてのヴュルツブルクです。

 

(註1)

ここままでに書いた旅の詳細は、『ヨーロッパ2人旅、22日間』にまとめて自費出版しています。夫、三津夫との共著です。読んでみようと思う方はメールでご連絡ください。送料込み1,000円でおわけ します。 メールアドレス:M I D F K 4915(アットマーク)Y A H O O . C O . J P 半角小文字に直してください。
 リーメンシュナイダーについて興味のある方は、植田重雄著『リーメンシュナイダーの世界』(恒文社)、または2012年3月に出版された『リーメンシュナイダーとその工房』(イーリス・カルデン・ローゼンフェルト著 溝井高志訳 阪南大学翻訳叢書23)をご覧ください。この本はリーメンシュナイダー研究者の専門的な文章を日本語で読める貴重な本となっています。

※ このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA

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