リーメンシュナイダーを歩く 

ドイツ後期ゴシックの彫刻家リーメンシュナイダーたちの作品を訪ねて歩いた記録をドイツの友人との交流を交えて書いていく。

10. 二度目のヴュルツブルクへ

2015年06月04日 | 旅行

旅日記 No. 8

 ちょっと時間を先送りして…ドイツ語留学をしてきました

  私は2006年4月26日に日本を発って、5月から6ヶ月間のドイツ語留学をしてきました。その間、少しはリーメンシュナイダーの作品に関係する文献を読んだり、ホームページの更新をしたりする時間があるかと思っていたのですが、それは大変な間違いでした。ドイツ語学校、ゲーテ・インスティテュートは厳しい授業で知られています。毎日自分がいかにできない生徒であるかを自覚させられ、苦しい宿題に追われ、輝くドイツの景色をゆっくり楽しむ余裕もなく過ぎていきました。その間の苦労話、それでも楽しかったできごとなどは「Midoriの留学日記」として元のHPに記録してあります。興味のある方はご覧になってみてください。(申し訳ありません。この後、Yahoo!のサービスが終了したため見られなくなっています。)

   ✤Midoriの留学日記へ

 留学した町はシュヴェービッシュ・ハルといって、まだ中世の雰囲気を残した美しい町です。交通は少々不便でしたが、たくさんの方と知り合いになり、助けていただいて何とか厚いドイツ語の本もリーメンシュナイダーに関することなら読むことができるようになりました。でも理解できるのは6~7割でしたが。旅行中、何とか地元の方とのやりとりもできる程度まで聞いたり話したりできるようになり、新たに友だちも増えました。

  下の写真、左はシュヴェービッシュ・ハルのミヒャエル教会です。斜めにみえますが、階段の上に立っている人の姿を見てください。これでまっすぐなのです。写す角度が斜めになってしまったのでした。<作品写真21>は、教会内のミヒャエル祭壇の中央部分です。ドラゴンを倒した聖ミヒャエル(一般的には聖ミカエルと言われますが、現地の人はミヒャエル教会と言っているように聞こえましたので、そう書きました。)をリーメンシュナイダーの弟子と言われているハンス・ボイシャーが彫ったものです。彼は、教会前のマルクト広場にある「魚の泉」<作品写真22>も作っています。そのどれも、私がシュヴェービッシュ・ハルに留学していた頃は知りませんでした。情けないことです。

  

 

           

            ミヒャエル教会                                             <作品写真21>  ミヒャエル祭壇(部分)               <作品写真22> 魚の泉

                     St. Michael                                               Michaelsaltar                                                         Fischbrunnen 

                                                                                       Tilman Reimenschneider Schule (Hans Beuscher), 1520頃      HansBeuscher, 1509 

                                                                                                   いずれも Schwäbisch Hall

               

 ドイツ留学中に、大切な方が亡くなられました。このHPに度々登場していただいた植田重雄氏です。故植田氏の書かれた著書『リーメンシュナイダーの世界』(恒文社)に巡り会わなければ、私のサードライフは全く違っていたことでしょう。ここに、改めて心よりご冥福をお祈り申し上げます。

   ✤私は世に言うセカンドライフということばではなく、サードライフということばを使っています。最初は親に育ててもらった時代、セカンドライフは社会人として生き、子育てをしてきた責任のある時代、そしてサードライフこそが余生として自分の好き    なことを追求していける時代だと思っているからです。

 それでは、ここで2000年8月、親子3人の旅の続きに戻りましょう。


 ブダペストからオーストリア経由でヴュルツブルクへ

 ブダペストで思いがけずにリーメンシュナイダー作の聖母子像を見てからは、ウィーンに回りました。あいにく当時は美術史博物館にリーメンシュナイダー作品があることも知らなかったので観光旅行を堪能しました。その後、この旅で一番行きたかったヴュルツブルクに回りました。 

 ヴュルツブルクに再びやってきた最大の目的は、マインフランケン博物館にある作品をデジタルカメラで記録することでした。1999年8月に来たときにはフラッシュがたけなかったため、普通のカメラではぼやけてしまってあまりいい写真がとれなかったのです。それで、今回はまだ出始めた頃の340万画素デジカメを買って、リーメンシュナイダーのすべての作品を写したいと思ったのでした。
  その他にも4つの目的がありました。それは、前述の『リーメンシュナイダーの世界』に出ていた作品の中で、ヴュルツブルクを起点として行ける近くの街に、次のような作品があることがわかっていたからです。 

  1)ローテンブルクにある「聖血の祭壇」
  2)クレークリンゲンにある「マリアの昇天祭壇」

  3)フォルカッハという村にある「ローゼンクランツのマリア」
  4)マイトブロンにある「嘆きの群像」

この全てを見て回るというのが私の願いでした。そのために、ここヴュルツブルクには3泊しました。

 ヴュルツブルクに着いた日に、私たちはマリア礼拝堂、大聖堂などの市内のリーメンシュナイダー作品を訪ね、翌日の早朝からローテンブルクに日帰りの小旅行をしました。この中世の姿をそのまま残した美しい街の中央に聖ヤコブ教会があります。この教会に、リーメンシュナイダーの傑作の一つといわれる「聖血の祭壇」があるのです。この祭壇は、『リーメンシュナイダーの世界』では「晩餐祭壇」と紹介されています。最後の晩餐の場面をリーメンシュナイダー独特の解釈で彫ってある祭壇です。ドイツ語では「聖血の祭壇」となっているので、ここではこのことばを使わせていただきます。

 この聖ヤコブ教会には、昔から多くの信者が巡礼に参ったそうです。それはドイツ騎士団による「主の血の聖櫃」が祀られているからだとのこと。教会が建てられたのは13世紀、リーメンシュナイダーの祭壇ができあがったのは1505年だそうです。1501年に取りかかって5年間かかっていると、『リーメンシュナイダーの世界』には述べられています。しかし、『Heiligblutalter von Tilman Riemenschneider (ティルマン・リーメンシュナイダーの聖血の祭壇)』という小さな冊子には1504年にできたと書かれていました。
 みなさんも、有名なレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」をご存じでしょう。あの横長のテーブルと、ずらりと並んだ弟子たちの図と思い比べると、この祭壇のこじんまりしたテーブルを取り囲んだ動きのある弟子たちの様子は実生活に近い感じがします。しかも興味を惹かれたのは、手前にお金の入った革袋を持って立っているユダを取り外すことができる鍵があるということです。その鍵でユダの像を取り外すと、テーブルの向こう側でキリストの膝に伏せって、「主を裏切る者はだれですか」と問うているヨハネが見えるのです。以前は1年に1回(と聞いたような気がします)、ユダを取り外して人々にヨハネの姿を見せてくれたようですが、今では壁に貼られた写真で見ることしかできません。この構図は、ヨハネとキリストの親しさを感じさせます。
 故植田氏が述べているように、この12人の使徒とキリストとのやりとりは、まるでドラマの一瞬を切り取ったようです。彼らの逼迫した会話が聞こえてくるような気さえします。リーメンシュナイダーは一人一人の弟子の気持ちを深く読み込み、人間洞察をし、そして彫り上げています。一般的にリーメンシュナイダーの彫刻は、心のうちに深く沈む悲しみ、敬虔さ、信仰心などを静かに訴えかけてくるものが多いのですが、この祭壇は故植田氏の書かれたような動きを感じるのです。

 この聖血の祭壇とクレークリンゲンのマリア祭壇の写真は、2007年の旅で写真家のヨハネス・ペッチュ氏が私に譲ってくださいました。そのときの旅日記で写真を紹介することにします。

 ローテンブルク駅からタクシーでクレークリンゲンに乗り付け、そこでマリア祭壇を見たのですが、あいにく堂内は暗く、高いところにあるマリアの表情はよく見えませんでした。敬虔な雰囲気だけは伝わってきましたが、絵はがきで見る限り素晴らしい像なのですけれど。もっと明るいところで見たいというフラストレーションを抱えながらヴュルツブルクに戻りました。そこから私たちはマインフランケン博物館に急ぎ、デジタルカメラでリーメンシュナイダー作品を写しまくりました。そして「作品名を必死でメモしたのです。
 博物館の出口で前年お会いした館員の方を見かけたので、少しは上達したはずのドイツ語で話しかけたら、「あぁ、去年リーメンシュナイダーの部屋にいた…」と思い出してくださいました。写真を2年分送るのでお名前と住所を書いてくださいとお願いし、ペーターさんと知り合いになりました。
 このあと、私がヴュルツブルクを訪ねるときには必ずペーターさんとお会いしています。昨年の留学中には合計4回マインフランケン博物館とペーターさんを訪ねました。ペーターさんは、一昨年既に博物館の仕事を定年退職されたのですが、週末には忙しくなるため、博物館に呼ばれて仕事をしています。私がヴュルツブルクに行くと必ず車でいろいろなところを案内してくださったり、美味しいレストランに連れて行ってくださったりするのです。これもリーメンシュナイダーに導かれたご縁ですね。

 この日のうちに旅の第一番の目的であるマインフランケン博物館の作品の写真を撮ること、および1)、2)の目的を達成しました。次回は残る3)、4)について書くことにします。

※ このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA

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