梅様のその日暮らし日記

その日その日感じた事や世間で話題の事について自分なりの感想や考えを書いていきます。

「桐生選手のこと」から考えたこと

2017-09-13 13:17:32 | 日記
  今日の新聞を見たら、桐生選手のコーチに当たる土江良吉さんが、やはり典型的なダメコーチだったんですね。入学早々桐生選手の反発を買って、そっぽを向かれていたようです。その後も、土江氏が課したウエイト・トレーニングのせいで走る時の感覚が失われたと言われれば、重量物を引っ張ってダッシュする練習に代えたり(これはボルトがやっている練習です)、桐生選手がハンマー投げの室伏氏の下でトレーニングしたいと言えば、橋渡しをしてやったり・・・。土江氏には確固たる理念などない、行き当たりばったりの人だったとしか思えません。

  短距離選手と言っても、いろいろあるのです。カール・ルイスや、10秒フラットの日本記録を長らく保持していた選手は、上体を鍛えるウエイト・トレーニングはしていませんでした。(カール・スイスは晩年衰えを感じ出したころ、下半身のウエイト・トレーニングを取り入れましたが。)東京オリンピックの200mで優勝したヘンリー・カー選手(私はこの時生で見ていました。)や、メキシコ・オリンピックの200mで優勝したトミー・スミス選手も、ウエイト・トレーニングをしたムキムキの体形ではありませんでした。

  桐生選手は恐らくウエイト・トレーニングを必要とするタイプだと思われますが、筋トレ志向の強いトレーニングと短い距離のダッシュに偏り、長めの距離を伸び伸びと走る練習が不足すれば、堅苦しい走り方に陥ってしまうのは自然な成り行きだったのだと思います。残念ながら土江コーチには、新入学して来た桐生選手に対して、リオ・オリンピックを見据え、そこから逆算して効果的な練習を積み重ねていくという視点が全く欠けていたように思います。

  一流のコーチというものは、選手から見たらカリスマでなければなりません。かつて瀬古選手の全盛期、日体大出身の長距離選手が数名、瀬古選手のコーチの下で学びたいとして、SB食品に入り、日体大閥から追放されたこともありました。それでも彼らはSB食品を選んだのです。

  コーチがカリスマとなることに成功し、かつその指導方針が正しければ、選手は面白いように伸びて行きます。だから、運動部の顧問は面白くて止められないのです。

  もっとも、ダメな人はどこまでいってもダメです。私が楽しく陸上部の指導をしていた頃、体育大出身、バレーボール専攻の男性体育教師が、女バレの選手たちがちっとも言う事を聞いてくれないとこぼしていました。女子の指導は壺にはまりさえすればベルトコンベアー式に驚異的に進んで行くものなのですが、指導者にカリスマ性が無いと、(カリスマ性が身に着くほどの努力をしないと、とも言えますが)、完全にそっぽを向かれてしまうので、どうにもならなくなってしまいます。

  話がだんだん反れてきました。正直なところ、カリスマ性を身に着けることが出来ないと感じたら、その人はコーチ業を続けるべきではありません。誰より自分がみじめになってしまいます。最近耳にすることが多い、「学校における部活顧問の異常なまでの労働時間」というい問題も、顧問自身がカリスマになれないために、練習時間や内容についてキッパリと削減できないからだと私は考えています。カリスマ性を身に着け、短時間でも依然と変わらない成果を上げて見せれば、それで一件落着なのです。

桐生選手の事

2017-09-12 15:30:38 | 日記
  東洋大学の桐生選手が、ようやくモンゴル人種の最高記録を出し、10秒の壁を破りました。せっかくの快記録にケチをつけるようで、誠に失礼だとは思いますが、jかつて名も無い陸上競技部の指導者として前半生の一部を捧げた者として、私の率直な感想を書かせていただきます。


「いままで何をやっていた!」


  この一言に尽きます。男子短距離選手のピークは21歳、2歳です。そのピークで迎えたオリンピックでは満足な成績を挙げられず、今年の世界選手権については国内予選落ちで、リレーにしか出場することができませんでした。オリンピックも世界選手権もリレーでメダルを取ったのだから良いではないかと言う向きもあるかと思いますが、桐生選手個人の競技人生を思えば、そんな簡単な問題ではないのです。

  私は彼の100メートルのタイムが高校時代からさっぱり伸びないことに失望していましたが、同時にその理由も何となくわかっていました。彼は200mには、ほんの付き合い程度にしか出場せず、その記録も高校時代のまま停滞していたのです。つまり、長めの距離の練習をしておらず、当然の結果として、のびやかなフォームと広い歩幅を獲得できない、せせこましい走法に終始していたのです。ではスタート・ダッシュの神様に成れたのかと言えばそんなことは無く、同じ学生選手である多田選手が五輪優勝選手の度肝を抜いたようなスタートダッシュは身に着けることができませんでした。

  一方、一流の短距離選手であれば、200メートルの記録は100メートルの記録の2倍か、それよりも少し早くなります。かつて世界選手権の200mで3位に入賞した末次選手は、100mが10秒02、200メートルは20秒03でした。桐生選手をこの方程式に当てはめるなら、200mを20秒01か20秒02で走っていなければならなかったのです。

  桐生選手の今回の快挙については2種類の相反する記事が掲載されていました。そのどちらを快挙の原因とするかで、その人の短距離走に関する理解度が試されるところです。

  ある記者は、桐生選手が50mダッシュを70本行ったことを取り上げていました。失礼ながら、この記事を書いた記者は、とんだ馬鹿野郎です。50mダッシュを何本行ったところで、後半置いて行かれてしまう悲劇を解消することなど出来ないことは、素人でもわからなければなりません。この記者は無知な根性論者の一人に過ぎません。大和魂があればアメリカに勝てる式の発想です。

  もう一人の記者は、桐生選手が250mや300m走を練習に取り入れることにより、100m後半の総力が向上し、歩幅も10センチ伸びたことを取り上げていました。こちらは十分に科学的で、短距離走の本質を良く理解している人物なのだと思います。

  問題は、東洋大学における桐生選手のコーチが、こんな私でも分かるような簡単な理屈に、なぜこの時期になるまで気づかなかったのかということです。お陰で桐生選手は当人のキャリアでもっとも優れたパフォーマンスが出来る年齢を逃してしまいました。もちろん21歳より遅い時期にピークを迎える選手もいますが、高校生で10秒01という大記録を出してしまった選手のピークが20代後半に来ることは考えられません。

  桐生選手の場合、次の東京オリンピックは、総合力が落ち始める20代半ばで迎えなければなりません。避けることの出来ないこの問題を、どうやって解決するのか、静かに見守りたいと思いますが、私の予感では、今後日本選手数名が一気に9秒台に突入し、東京五輪予選では桐生選手は既に過去の人になっている可能性が高いと思います。真に残念なことです。

今更マツコ

2017-09-07 16:15:55 | 日記
マツコ・デラックスさんが
「K-POPが日本の芸能界より上」の発言に大反論します。

日本人からしたらマツコデラックスさんが話してることが正論だとは思うんですが、
韓国人からしたら全然納得できないご様子。

これはもう文化とかそういう違いからくる価値観の違いだと思ってしまう。

■日本の芸能界は草野球レベル、
韓国の芸能界はプロ野球レベルと発言した
韓国人タレントにマツコさんがブチ切れ!



 随分以前の出来事を蒸し返した感がありますが、今更のように、韓流ブームの真っただ中で起きたささやかな事件についての投稿がありました。

  バラエティー番組の中で、当時よくテレビで重宝されていた韓国人が、韓国の芸能界はプロ野球レベル、日本の芸能界は草野球レベルだと力説した際に、マツコ・デラックスが、「日本人は寛容だから韓流タレントを受け入れてやっているんだ、だったら出て行けよ!」と感情を爆発させて絶叫したことがあります。投稿者はマツコに肩入れして、正論だと主張しており、これに同調する意見が次々と投稿されているのですが・・・・・私の見解は少し違います。

 この時発言した韓国人は誠に挑発的でしたが、韓国人の心理を知れば、激怒する必要などなかったはずです。韓国人の常として、「日本が基準」という潜在意識があり、それが何であれ、日本を超えたと感じさせるものがあれば、天にも昇る気持ちになり、高揚してしまうのです。この時の発言も裏を返せば、韓国人の対日コンプレックスの裏返しであるに他なりません。

  マツコはこの時そうした心情には思いが至らず、いたずらに感情を爆発させ、怒りをむき出しにして怒鳴り散らしただけで、韓国のアイドル・グループの方がはるかに力量が上だという韓国人側の言い分に対して、何の切り返しにもなっていなかったのです。番組終了後もマツコの腹は煮えくり返り続け、ストレスがたまったままになっていたのではないかと思います。こういう状態を韓国では火病と言います。

  韓流アイドル・グループにはドーム・ツアーを全て満員にできるだけの力量があり、現実に日本で人気があるので、つまりはそれだけのファンがいて支持されているのが現実です。日本の芸能人でも、ドーム・ツアーを満員にし続けるだけの人気者はそう多くありません。別に日本人が寛容だから韓流アイドルを受け入れてやっている訳ではないのです。ですから、マツコの罵声は事実無根、相手の挑発に乗せられてぶちぎれてしまったに過ぎません。事実は事実として認めるだけの大きさが無かったと言うしかありません。

  昔ある韓国人女性が、私に向かってこう言ったことがあります。

「昨日はあんまり腹が立ったので、ブチ切れて思い切り怒鳴りまくってやりました。皆さんもやってみるとすっきりしますよ。」

  彼女は日本の大学を出た、とても知的な美人なのですが、これを聞いた私は、やはり彼女も韓国人の端くれなんだなあ、と妙な感心をしたことがあります。

  怒鳴るのは一時の憂さ晴らしにしかなりません。怒鳴っても何も変わりません。それでもいいから怒鳴りたいという方は、ご自由に怒鳴ればよろしい。ただしそれではご自分が韓国人と同じ精神構造の持ち主だという事を暴露することになります。マツコのぶち切れに賛同し、正論だと述べた方々は、その点をお考えになる必要がある必要があるのではないでしょうか。

  ちなみに怒鳴り合いになったら日本人は韓国人には勝てないと思った方が良いと思います。韓国人の、自分の間違いを指摘させないために徹底的に相手を叩き続ける能力は、もしかしたら世界一かも知れません。並の日本人であればうまく言い返せないまま追い込まれてしまうこと間違いなし。感情的になれば相手の思うつぼなのです。この投稿でマツコ正論!とコメントを入れている多数の方々は、一考を要する気がします。

  あ、激高して殴り合いになってしまったら、日本人は韓国人に勝てませんので念のため。韓国には徴兵制があり、男性は全て軍隊で敵を殺すための訓練を受けています。下手をすれば殺されます。その点は要注意ですね。

中国時代劇に見る「韓流」

2017-09-06 07:47:25 | 日記


 
  韓流の影響力、というテーマで、興味深いものを発見しましたので、それについて触れてたいと思います。

  しばらく前に、「則天武后」という中国ドラマを録画してありました。実はヒロインの顔が好みでないという理由から、鑑賞することもなく放置してあったのですが、せっかくなので中国語の聞き取り練習として見てみることにしたのです。すると・・・・。

  則天武后と言えば中国・唐の時代に、皇帝とは血縁の無い女性でありながら皇帝の座に上り詰めたという、傑女です。則天武后の記念碑も直接見たことがあるのですが、その功績はあまりにも大きく、到底文章で書き表せるものではないという理由で、碑には文字がまったく刻まれていませんでした。

  全70話のドラマを20話まで見終わっての感想ですが、これまで見て来た中国の時代劇とは明らかに一線を画していると感じました。一言でいうなら、中国で製作された中国の時代劇でありながら、その実は韓流時代劇なのです。

  一目で分かるのが、明らかに韓国ドラマ「トンイ」などを意識した、成り上がりが骨子となっている上に、衣装が華美で鎧兜が現実よりも立派なものになっていることです。また、「トンイ」や「チャングムの誓い」を制作した韓国ドラマの監督であるイ・ビョンフン氏が取り入れた、ピンクを主とした花を背景や前景にさりげなく取り入れ、画面の華やかさを演出するという手法がそのまま使われています。夜の室内には無数の太い蝋燭が光を放ち、本来は薄暗いはずの部屋が明るく照らし出されても違和感のない演出がなされていることも韓流の手法です。

  城内で武芸大会やポロの大会が行われるところなども、以前見た韓国ドラマそのものです。陥れたい相手の部屋に呪いの人形を隠すなども、韓国宮中時代劇の常套手段です。セリフも、「三国志」や「三國」などと比べると、ほとんど現代劇と変わらない、優しい言い回しになっています。相違点を挙げるなら、韓国歴史ドラマの真骨頂である、「妬み・嫉み・足の引っ張り合い、殺し合い」という色合いは、かなり薄められている印象があります。

  中国と言えども、韓流時代劇の良いところ??は積極的に採用するという姿勢があるのでしょうか。しかし、「則天武后」は、あまりにも韓流時代劇であり過ぎるような気がします。大中華帝国の誇りや如何に?というところです。

夏休みの思い出

2017-09-01 10:23:39 | 日記
夏休みが終わった。いや、とっくに終わっている地域も多いのでしょう。
ちょっと爺臭いことを書いてみようと思います。

昭和30年代初期まで、一般家庭はとても貧しかったことを覚えています。その分子供たちの欲望なんてささやかなもので、私たちは夏休みいっぱい、毎朝ラジオ体操に出掛けて、最終日にご褒美の鉛筆2本を受け取ると、今年もやり切ったという充実感に満ち溢れていたものです。

夏休み中、ずっとではないけれど、町会会館に移動図書室がやってきて、いろいろな本を読めました。近所には本屋も図書館もなかったので、本好きの私は移動図書館が大好きでした。今思い出せば大した本も無かったのですが、それでもむさぼるように借り出しては読みふけったものです。

時には一日だけ、公園に建てた柱に大きな白い布を張り、数年前にヒットした映画を上映してくれました。萬屋錦之助の織田信長を今でも鮮明に覚えています。テレビなんか普及していない時代の事なので、近所中の人が集まり鑑賞していました。今同じことをしたら、騒音公害だと言って苦情が来ること間違いないでしょう。物に恵まれていないと、この程度のことがものすごく楽しみだったのです。ささやかな瞬間・瞬間に、極上の幸せを感じることができた時代でした。

まだ田んぼにはオタマジャクシがおり、小川には小魚がおり、春になれば燕がやって来て軒下に巣を作り、空を見上げると雁の群れがVの字に隊列を組んで飛んでいました。高い建物が無かったので、荒川の土手に上がれば、隅田川の花火が鑑賞できたものです。

しかし、いいことばかりではありません。我が家から息を止めても到着できるほどの荒川には、入水自殺した遺体がよく流れて来ました。遺体は一端川底に沈み、内臓が腐敗してガスがたまると浮力が付いて浮き上がって来ます。ガスでパンパンに膨れ上がった遺体が流れて来るのです。

あの頃、人は簡単に死にました。すぐ近所で、昨日元気で遊んでいた子が翌日には死んでいたなどということもありました。当時は栄養状態も衛生状態も悪かったので、簡単に致命的な伝染病にかかってしまったのです。私の母は、貧しいながらも男の子4人を一人も失うことなく育て上げたことが誇りでした。もっとも兄が川底で仮死状態になっているところを近所のおばさんに助けられたことがあるので、奇跡的に全員揃っていたというところでしょうか。

まとまりのない文章になってしまいました。私もたわいないおとなしい文章を書こうと思えば書けるのです。ということで今日は筆を置くことにします。