梅様のその日暮らし日記

その日その日感じた事や世間で話題の事について自分なりの感想や考えを書いていきます。

教育って②

2017-09-28 18:27:49 | 日記
恐らく今でも存在すると思うのですが、「小○教育技術」などという月刊誌がありました。小学校の先生向けに、学年別にどのような心構えとテクニックを持って指導に当たるべきかという、いわば先生向け指導法虎の巻のようなものです。

小中学校と高校の決定的な違いは、高校では否が応でも個性を尊重し生徒対応ができなければやっていけないのに対して、小中学校では、生徒は全て平等という姿勢を貫かなければならないとされていることです。

高校と小学校の比較対象としていつも思い出す話があります。私が就職したての時、ある体育教師から聞かされた話なのですが、彼はかつて問題行動の多い男子を自宅に引き取って生活を共にし、更生させたことがあったそうです。

一方、小学校を退職したある女性教師は、自分のクラスの生徒の中に家庭環境があまりにも劣悪で、このままでは人としてスポイルされかねないと案じた挙句、独身の身ながらその子を自宅に引き取る決意をしたそうです。しかし、先輩教師から、それではその子だけを特別扱いすることになり、望ましくないとしてストップをかけられ、結局引き取ることをあきらめざるをいなかったと聞かされました。私より少し年上のその方は、中国ツアーでたまたま一緒になっただけの方なのですが、問わず語りに語ってくれたところを見ると、教師人生の中で、個人的には忘れがたい痛恨の思い出なのではないかと思います。

平等主義は、教育の進歩に対しては、ひどいブレーキとなることがあります。たとえばある生徒がどうしようもないワルで、もはや退学させなければ他の生徒たちに害が及ぶとして強制的に退学させたとします。するとそれ以降、同じことをしでかした生徒は、たとえどんな事情があっても、他の生徒たちに危害を加える恐れなど皆無でも、前例に倣って退学させることになります。

そんな風ですから、何か事件が起こって判断に迷うと、まるで裁判官のように、過去の事例を調べてそれに揃える作業がまず優先され、それに沿って職員会議で決議がなされ、保護者及び生徒本人に決定事項が伝達されるという、誠に機械的な仕組みが出来上がっていくのです。

以下、筆が滑ってK君の事例を書いてしまったのですが、今更と思い、改めて削除いたしました。要は学校というところは、誰でも出来る範囲を指導の大枠とするということです。従って、私のような者が汗と涙でこなして来たことでも、他の先生方にその覚悟がなければ、全体としてはそちらに合わせてレベルを下げる羽目になります。K君の退学は、正にその好例でした。