梅様のその日暮らし日記

その日その日感じた事や世間で話題の事について自分なりの感想や考えを書いていきます。

桐生選手の事

2017-09-12 15:30:38 | 日記
  東洋大学の桐生選手が、ようやくモンゴル人種の最高記録を出し、10秒の壁を破りました。せっかくの快記録にケチをつけるようで、誠に失礼だとは思いますが、jかつて名も無い陸上競技部の指導者として前半生の一部を捧げた者として、私の率直な感想を書かせていただきます。


「いままで何をやっていた!」


  この一言に尽きます。男子短距離選手のピークは21歳、2歳です。そのピークで迎えたオリンピックでは満足な成績を挙げられず、今年の世界選手権については国内予選落ちで、リレーにしか出場することができませんでした。オリンピックも世界選手権もリレーでメダルを取ったのだから良いではないかと言う向きもあるかと思いますが、桐生選手個人の競技人生を思えば、そんな簡単な問題ではないのです。

  私は彼の100メートルのタイムが高校時代からさっぱり伸びないことに失望していましたが、同時にその理由も何となくわかっていました。彼は200mには、ほんの付き合い程度にしか出場せず、その記録も高校時代のまま停滞していたのです。つまり、長めの距離の練習をしておらず、当然の結果として、のびやかなフォームと広い歩幅を獲得できない、せせこましい走法に終始していたのです。ではスタート・ダッシュの神様に成れたのかと言えばそんなことは無く、同じ学生選手である多田選手が五輪優勝選手の度肝を抜いたようなスタートダッシュは身に着けることができませんでした。

  一方、一流の短距離選手であれば、200メートルの記録は100メートルの記録の2倍か、それよりも少し早くなります。かつて世界選手権の200mで3位に入賞した末次選手は、100mが10秒02、200メートルは20秒03でした。桐生選手をこの方程式に当てはめるなら、200mを20秒01か20秒02で走っていなければならなかったのです。

  桐生選手の今回の快挙については2種類の相反する記事が掲載されていました。そのどちらを快挙の原因とするかで、その人の短距離走に関する理解度が試されるところです。

  ある記者は、桐生選手が50mダッシュを70本行ったことを取り上げていました。失礼ながら、この記事を書いた記者は、とんだ馬鹿野郎です。50mダッシュを何本行ったところで、後半置いて行かれてしまう悲劇を解消することなど出来ないことは、素人でもわからなければなりません。この記者は無知な根性論者の一人に過ぎません。大和魂があればアメリカに勝てる式の発想です。

  もう一人の記者は、桐生選手が250mや300m走を練習に取り入れることにより、100m後半の総力が向上し、歩幅も10センチ伸びたことを取り上げていました。こちらは十分に科学的で、短距離走の本質を良く理解している人物なのだと思います。

  問題は、東洋大学における桐生選手のコーチが、こんな私でも分かるような簡単な理屈に、なぜこの時期になるまで気づかなかったのかということです。お陰で桐生選手は当人のキャリアでもっとも優れたパフォーマンスが出来る年齢を逃してしまいました。もちろん21歳より遅い時期にピークを迎える選手もいますが、高校生で10秒01という大記録を出してしまった選手のピークが20代後半に来ることは考えられません。

  桐生選手の場合、次の東京オリンピックは、総合力が落ち始める20代半ばで迎えなければなりません。避けることの出来ないこの問題を、どうやって解決するのか、静かに見守りたいと思いますが、私の予感では、今後日本選手数名が一気に9秒台に突入し、東京五輪予選では桐生選手は既に過去の人になっている可能性が高いと思います。真に残念なことです。