梅様のその日暮らし日記

その日その日感じた事や世間で話題の事について自分なりの感想や考えを書いていきます。

夏休みの思い出

2017-09-01 10:23:39 | 日記
夏休みが終わった。いや、とっくに終わっている地域も多いのでしょう。
ちょっと爺臭いことを書いてみようと思います。

昭和30年代初期まで、一般家庭はとても貧しかったことを覚えています。その分子供たちの欲望なんてささやかなもので、私たちは夏休みいっぱい、毎朝ラジオ体操に出掛けて、最終日にご褒美の鉛筆2本を受け取ると、今年もやり切ったという充実感に満ち溢れていたものです。

夏休み中、ずっとではないけれど、町会会館に移動図書室がやってきて、いろいろな本を読めました。近所には本屋も図書館もなかったので、本好きの私は移動図書館が大好きでした。今思い出せば大した本も無かったのですが、それでもむさぼるように借り出しては読みふけったものです。

時には一日だけ、公園に建てた柱に大きな白い布を張り、数年前にヒットした映画を上映してくれました。萬屋錦之助の織田信長を今でも鮮明に覚えています。テレビなんか普及していない時代の事なので、近所中の人が集まり鑑賞していました。今同じことをしたら、騒音公害だと言って苦情が来ること間違いないでしょう。物に恵まれていないと、この程度のことがものすごく楽しみだったのです。ささやかな瞬間・瞬間に、極上の幸せを感じることができた時代でした。

まだ田んぼにはオタマジャクシがおり、小川には小魚がおり、春になれば燕がやって来て軒下に巣を作り、空を見上げると雁の群れがVの字に隊列を組んで飛んでいました。高い建物が無かったので、荒川の土手に上がれば、隅田川の花火が鑑賞できたものです。

しかし、いいことばかりではありません。我が家から息を止めても到着できるほどの荒川には、入水自殺した遺体がよく流れて来ました。遺体は一端川底に沈み、内臓が腐敗してガスがたまると浮力が付いて浮き上がって来ます。ガスでパンパンに膨れ上がった遺体が流れて来るのです。

あの頃、人は簡単に死にました。すぐ近所で、昨日元気で遊んでいた子が翌日には死んでいたなどということもありました。当時は栄養状態も衛生状態も悪かったので、簡単に致命的な伝染病にかかってしまったのです。私の母は、貧しいながらも男の子4人を一人も失うことなく育て上げたことが誇りでした。もっとも兄が川底で仮死状態になっているところを近所のおばさんに助けられたことがあるので、奇跡的に全員揃っていたというところでしょうか。

まとまりのない文章になってしまいました。私もたわいないおとなしい文章を書こうと思えば書けるのです。ということで今日は筆を置くことにします。