梅様のその日暮らし日記

その日その日感じた事や世間で話題の事について自分なりの感想や考えを書いていきます。

僕はヒーロー

2016-06-24 14:58:43 | 日記
   意外や意外、「思考停止した若者たち」が、「乳出しチマチョゴリ」を押さえて一番多くの人に読まれていました。「乳出しチマチョゴリ」については、自分で書いておきながら後悔半分のようなところもありましたので、ほっと一安心。こうした若者たちの存在に危機感を抱く人がちゃんと存在することに、安堵の吐息を漏らした、というところです。

   「思考停止した若者たち」の特徴は、精神的な発達が小学校高学年で止まっていることです。世の中の不条理に気が付き、納得できずに大人たちに対していらいらし始める、これが本格的に始まるのは高校生になってからでしょう。中学生でも感じないことはありませんが、さすがに高校生とは大きな違いがあります。要するに、「誰とでも仲良くしましょうね!」という、小学校の先生の教えから、一歩も出ていない、それが「思考停止した若者たち」の特徴です。

もしかしたら、たぐいまれなる平穏な(平凡な、とも)学校生活を送って来た子供たちが、成長した暁に「思考停止した若者たち」になるのではないかと疑っています。たとえばいじめられっ子は、世の中の不条理というものを身に染みて体験していますから、「誰とでも仲良く」などという言葉の虚しさを知っています。スポーツ競技に打ち込んだ子であれば、周囲は全て自分のライバルであり、「誰とでも仲良く」が建前であって、人を蹴落とさなければレギュラーになれないことを知っています。

もう一つ懸念しているのは、こうした「思考停止した若者たち」が生まれ、かつ自分がまるで一人のヒーローであるかのように酔いしれている原因の一つは、ゲーム機やコンピュータ・ゲーム、あるいはスマホ上のゲームで没入できるバーチャル・リアリティーの影響があるのではないか、ということです。ゲームの中では誰でもヒーローになることができます。そのために実社会における知識や経験が必要なわけではないのです。

問題は、あまりに幼稚過ぎて、「誰とでも仲良くすべきだ」と、「誰とでも仲良くなれる」という二つの間には途方もない違いがあるということに気が付かないことにあります。
この違いに気が付かないために、①「仲良くすることが当然望ましいことだ」→②「仲良くなるためにはどんな障害を取り除かなければならないのか」→③「その障害は自分の側にあるのか、相手側にあるのか」→④相手側にはその障害を乗り越えようとする意思があるのかないのか」→⑤相手側がその障害を乗り超えるのが難しいとしたら、その障害が出来た原因は何なのか」→⑥「その障害は自分の側の努力だけで取り除くことが出来るのかどうか」という分析をするに至らず、いつまでも①の段階にとどまり、②以下の問題提起をしている人たちを、差別主義者だとレッテルを貼り、ハンドマイクを握ってラップに陶酔し、ののしりまくっているのです。

   今、反韓に至ってしまった人々は、多かれ少なかれ、③から⑥の経過をたどって、最後にギブ・アップしてしまった人たちです。①の段階にとどまっていられる幼稚な人たちは、永遠にギブ・アップすることがありません。自分たちの行動が、次々と新たな障害を設けて、「この障害を越えないのはお前たちに反省の心が無いからだ」と日本人に向かって叫ぶ人たちを、一方的に利する結果になっていることなど、視野に入ることはないのです。

   幼稚な正義感のみで生きている彼らを日本共産党がいとも簡単に取り込んでしまったことはもはや明々白々です。ただ、日本共産党が激しやすい朝鮮人を煽って日本中で血の暴動を起こした過去を知らなければなりません。また、日本共産党こそが本当の改憲政党であることも知るべきです。彼らは護憲を主張していますが、その一方で天皇制(これは共産党の造った用語です)の廃止も公言しています。天皇の存在は現行憲法にのっとったものです。これを廃止するということは、とりもなおさず憲法を変えるということに他なりません。

   また、自衛隊を目の敵にしていますが、これは自分たちの指揮下にない軍隊に対する恐れを表しているに過ぎません。これまで共産主義の国で、軍備を持たない国が一カ国でもあったでしょうか。現実に、戦後日本が戦力放棄を憲法に盛り込んだ際、唯一これに反対した政党が実は共産党だったのです。共産党が政権を取った暁には、「共産党の国軍」を設置し、徴兵制を敷くことは目に見えています。

「気をつけろ・甘い言葉と共産党」です。

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