つれづれなるままに 191  友のブログへ

2007-01-21 20:10:49 | 雑記
「中年から老年にかけて人間は様々なものを失ってゆく。
そして、確実に六十からの生き方が大切な転機となる。それは、その時期を過ぎると人間は一日一日弱り、病気がちになるという絶対の運命をもっているからだ。直りにくい病気、機能の退化、親しい人との死別、そして、社会で不要となる運命
も待っている。悲しいかな誰にでもこんな状況はくる。このような時期に入った者はどう生きたらいいのでしょう。長く生きることが決して幸せでないなんて、思ってはいけません。望んでも長く生きれなかった人のことを思うと、そんな自分勝手な言い分は許されません。年を取ってからなしうることにそれほど大きなことなどない。それならちょと気楽に、うまくいってほどほど、まずくいってもほどほどに、偶然の幸不幸に乗っかって、与えられたものに感謝することが出来れば最高の幸せなのではないだろうか。人間は物質だけで生きれるものではないはずです。死ぬまでの時間が短くなってきた者にとっては、与えるべき多くを持っているか、素直に感謝する心を持っているか、そしてその対象となる愛する相手を持っているか、どうやら、人生の最終章に向けての自問自答がまだまだ続くのだろう。」とブログに

人生に最終、終盤なんてあるのだろうか。死ぬまでの時間が短くなってきたとは思わない。「50、60は鼻垂れ小僧、100歳、これからこれから」と言う言葉があるように、まだ10年も、20年もあるのではないか。
幾つになっても一回限りの人生、自分なりに、悔いなく豊かに精一杯生きていけたらそれでいいのではないかと思う。絶対の運命などとは考えたくない。ましてや死に向かっているなどとは、まだまだ、これから、こらからが人生です。楽天家の私かな。


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