人と、オペラと、芸術と ~ ホセ・クーラ情報を中心に by Ree2014

テノール・指揮者・作曲家・演出家として活動を広げるホセ・クーラの情報を収集中

2015年 ホセ・クーラ マドリッドで知的障害者のためのチャリティーコンサート / Jose Cura / Charity concert in Madrid

2016-08-25 | チャリティー活動



ホセ・クーラは、アーティストの社会的責任として、また、そもそもクーラのアーティストとしての原点である平和と社会正義の実現のために、各国で、可能な限り、さまざまな形のチャリティーコンサートに参加しています。
フランスのナンシーで行われた2011年日本の東日本大震災支援のコンサートについては、以前、紹介しました。
 * → 「2011年 フランス・ナンシーで東日本大震災チャリティーコンサートに出演」

東日本大震災支援のような突発的、緊急的な取り組みのほかにも、白血病克服のためのドナーバンクの創設を目的としたポルトガルの取り組みでは、創設時からの理事となり、またハンガリーの障害者の就労支援のための基金には、定期的に訪問して支援のコンサートを行うなど、継続してとりくんでいます。

こうした活動の一環として、今回は、2015年4月9日に開催された、マドリッドでのチャリティー・コンサートを紹介します。
知的障害者の支援を目的としたProdis財団の15周年にあたって、クーラと長い付き合いのあるバリトンのルッジェーロ・ライモンディが、財団支援のために開催する7回目のコンサートで、ライモンディは、自身も障害のある子どもをもち、系統的に支援を続けているそうです。ライモンディの要請を受けて、クーラもはじめて参加しました。

コンサートは、ホセ・クーラが歌う、オペラ道化師のバリトンのプロローグ“Si può?…”から始まったようです。
他のソリストの歌をはさんで、クーラは、プッチーニのトスカから「星は光りぬ」や、アルゼンチンの愛国歌「アウローラ」の「旗の歌」やアルゼンチンの歌などを歌ったらしいのですが、残念ながら、録音も動画もありません。

参加者: José Cura, Rosa Torres-Pardo, Sabina Puértolas, Marina Pardo, Ruggero Raimondi

ポスター


クーラは、コンサートに参加した思いを、フェイスブックに記しています。いくつかの写真とともに、紹介したいと思います。

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●小さなピエロとともに

私は、とても感動的な瞬間の素敵な思い出を共有したい。
それはProdisのためのコンサートで、道化師のプロローグ“Si può?…”を歌った時のことだった。

私はいつも、一番近い席に子どもがいるとき、その子の手を取って、歩きながらと手をつないで歌うことがよくある。今回は、アナのチャンスだった。
アナは21歳。ダウン症をもっているが、私がこれまで一緒に歩いたなかでも、とても賢い女の子だった。

こういう場合、通常、子どもたちは、とても固くなったままだけれど、それどころか、アナは、私と一緒に歩きながら、無意識のうちに、「小さなピエロ」の役を演じてくれた。




私は、歌うあいだ、彼女を見ながら、魂の安らぎを感じた。それとともに、危険も感じた。
アナの無邪気さに、私は、深く心を動かされたので、歌いながら、感情のあまり窒息しないように、集中しなければならなかったからだ。

歌い終わって、私は安堵した。私だけではなかった。会場のなかの、ほぼ全員が泣いていた。
ありがとうアナ。
そしてみんな、財団の素晴らしい子どもたち、ありがとう。


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クーラは、以前、インタビューなどで、「自分はすぐ泣いてしまう」と言っていたことがありますが、今回もそうだったようですね(笑) 
一見、強面で、頑固、納得いかないこととは、とことんたたかいますが、その内面は、情熱的で熱く、ヒューマンな人であることがわかるエピソードだと思います。

 → 財団のHPのコンサートの記事



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2003年 ヴェローナのアレーナでトゥーランドットのカラフ・デビュー / Jose Cura / Turandot in Verona

2016-08-21 | オペラの舞台ートゥーランドット



プッチーニの最後のオペラ、トゥーランドットでカラフが歌うアリア「誰も寝てはならぬ」は、TVCMやフィギュアスケートなどでもよく使われ、有名な曲です。ホセ・クーラも、コンサートのアンコールでほとんど必ず歌っているように、テノールのアリアのなかでも、最も人気がある曲の1つではないでしょうか。

クーラがトゥーランドットのカラフ役にデビューしたのは、意外に遅く、2003年、イタリアの野外劇場ヴェローナのアレーナでした。ヴェローナのアリーナは、夏のオペラで大変に有名です。クーラは2000年代前半に何回も出演しています。巨大な石造りの野外会場に、巨大な迫力の舞台です。

このデビュー以来、クーラは、現在もこの役を歌い続けています。今年2016年の9月には、ベルギーのリエージュにあるワロン王立歌劇場で、クーラ自身が演出・舞台デザインなどを行い、カラフでも出演するプロダクションが予定されています。ワロン王立歌劇場の2016/17シーズンのオープニングを飾る舞台となります。今後、詳しい情報が入りましたら、またまとめて投稿したいと思います。

今回は、2003年カラフデビューのヴェローナの舞台について、その時のクーラのインタビューの言葉や、舞台の画像、そしていくつかの動画を紹介したいと思います。

*以下の投稿でも、クーラのトゥーランドットの解釈を詳しく紹介しています。2006年にチューリッヒ歌劇場の出演の際のインタビューや、動画を掲載しています。とても興味深く、ユニークです。ぜひこちらもご覧ください。
 → 「ホセ・クーラ トゥーランドットの解釈」

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――2003年のインタビューより
●クーラの声にとって、困難なカラフ

バリトンに似た私のような深い声にとって、カラフは困難な役柄だ。
私の声の重心は、少しトーンが深い。カラフの声は非常に甲高いために、彼の解釈には、工夫が必要だった。






●アレーナの演技や声楽上の制約

音響の面では、アレーナより悪い劇場もあるほどで、特に問題はない。
唯一の問題は、テノールの伝統的スタイルとは違う私の演技スタイルには、適していないことだ。
私は、動きや身振りを必要最低限にしている。しかしアレーナでは、演技の全てが大規模で、ジェスチャーや動きが拡大される。
またボーカル・ダイナミクスは、全てが2、3度上昇し、プッチーニのオーケストラの密度によって、オペラ劇場におけるピアノは、アレーナでメゾフォルテになる。






●カラフのキャラクターは、すべて自分の反対

カラフのキャラクターは、私が人生で信じていることの、そのすべてで反対であり、彼に自分を投入することはない。
私は、私と私の家族の犠牲のおかげで、現在の場所に到達した。私は、誰も傷つけ利用したことはない。




●トゥーランドットは寓話

カラフは権力を求める野心家だ。欲しいものを手にするために、躊躇なく、大切な人の命を危険にさらす。
トゥーランドットは寓話であり、カラフによって、人間の悲惨さとエゴイズムが、道徳的に実証される。

リューの死にあっても、彼は止まらない。彼は自分が探し求めるものを得るまで、最後まで、トライし続ける。それは権力だ。
カラフは、「愛している」とトゥーランドットに一度も言わない。それは、彼女の権力のみに興味があるからだ。








●素晴らしい音楽、しかしメッセージは・・

カラフと同様に、ヴェルディのオペラ、アイーダのラダメスも、アムネリスの権力を見ている。
アイーダにおいて、その最後に、ラダメスは罪を贖う。しかしカラフは違う。
トゥーランドットのオペラの終りは、非常に感情的な音楽を伴っている。にもかかわらず、ひどいメッセージを内包している。
それは、権力志向が最終的に成功するというものだ。

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2003年ヴェローナ・アレーナでのプッチーニのトゥーランドットから、「泣くなリュー」の動画をYouTubeから。
トゥーランドットの感動的なシーンの1つ、リューに語りかけるカラフ。
Jose Cura 2003 "Non piangere, Liù" Turandot


2003年ヴェローナのトゥーランドットから、ホセ・クーラの歌うカラフ「誰も寝てはならぬ」を。TouTubeより。
鳥かごみたいな枠のなかで歌う、カラフ。
Jose Cura 2003 "Nessun dorma" Turandot


2003年ヴェローナのトゥーランドット、「死のプリンセスよ! 」からラストまで。
Jose Cura 2003 " Principessa di morte!" Turandot


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カラフのキャラクターには共感できない、自分とはすべて反対、と断言するクーラですが、プッチーニの音楽的な到達に対しては高い評価と敬意をもち、「ヴォーカリストの地平を開く作品」と述べています。そういうことから、現在に至るまで出演を続けているのだと思います。

こうした解釈、長年の舞台経験をふまえて、今年の9月にクーラが演出する作品は、どのようなものになるのか、とても楽しみです。フェイスブックでのクーラのコメントによると、プッチーニが亡くなり、その後、弟子が引き継いだ部分については、カットすることになりそうだという話です。そうすると、ハッピーエンドではなく、リューの死で終り、よりいっそう、カラフの冷酷さ、権力志向をきわだたせて、終る・・ということになるのでしょうか?

ワロン王立歌劇場のトゥーランドットは、放映されるという情報もあります。ますます、楽しみです。

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2015年 ホセ・クーラ ハンガリーでのインタビュー / Jose Cura / Interview in Hungary

2016-08-19 | 芸術・人生・社会について①


今回は、2015年の4月に掲載された、ホセ・クーラのハンガリーでのインタビューを紹介したいと思います。
クラシック音楽にたいするアプローチや、自らの多面的な活動への批判について、かつて第4のテノールなどと呼ばれたことについて、など、みずからの芸術的信念にもとづいて、とても率直に語っています。

クーラは近年、ハンガリーで毎年のようにコンサートやオペラに出演しています。2015年は2月に、ハンガリー国立歌劇場でオテロ、マホ・アンドレアとのコンサート、そして5月には、ジュールでロスト・アンドレアとのオペラ・コンサートなど、出演が相次ぎました。このインタビューは、5月のジュールでのコンサートに向けた企画だったようです。

さらにこの後も、2016年4月のシェイクスピア没後400年の記念日に、ジュール・フィルハーモニー管弦楽団とともに、ヴェルディのオテロを指揮するなど、ハンガリーとの関係はさらに深まっているようです。

このインタビューの原文はハンガリー語のため、十分理解できない部分があります。概要と発言の大意をくみとっていただければということで、訳は不十分ですが、紹介したいと思います。

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――ハンガリーの魅力
Q、1997年のオテロのデビューは多くの人々に最も記憶に残っている。その後、何十年もの間に、このオペラとの関係は変わった?

オテロは、タイトルロールを200回歌った。しかし、それぞれ、パフォーマンスは異なっており、最も記憶に残るもの、最も重要な転換になったというものはない。

ブダペストでのオテロの2公演は、幸運の星の下につくられたと言える。オペラチームとは、ゆっくりと15年かけて取り組んでおり、素晴らしい歌手、ミュージシャン、そして指揮者によって構成されている。

Q、毎年、ハンガリーに戻っている理由は?

私はプロフェッショナルだ。呼ばれたところに行き、出演料を受け取り、私の仕事をする。あなたも出演料を受け取ったら、同じことをするだろう?
もちろん、これには別の面がある。私は、すべてが揃ったハンガリーで仕事をするのが好きだ。労働条件、プロフェッショナリズム、そして我々は毎年、素晴らしいプロダクションをつくってきた。だから私はここにいる。




――欲求不満を抱えて生きるより、満足のために死ぬほうが良い
Q、歌、指揮、演出、舞台デザインと、多彩なアーティストだが、どうやって、それらすべてに対処することができるのか?

私のように、多くのことをやろうとする者に対して、確かに、非常にナーバスになる人々がいる。彼らは、理解せず、妬み、問いただす。「どうやって、これらすべてのことを行うことができるのか?」――実は、その問いは続いている・・「なぜあなた5つのことをやるのか?私は1つだけだ!」と。

私が、すべてのことで最高になれるとは思わない。しかし成功のためには、非常な忍耐力、勤勉さと才能が必要となる。それが大切なことだ。
欲求不満を抱えて、不幸せなまま生きるより、幸福と満足のために死ぬ方がより良いと、私は確信している。また、みんなにアピールする何かをなすことができないならば、決して勝者になることはできない。




Q、あなたは勝者だが?

私を信じてくれる人々によって支えられている。25年を経て、私を支持してくれる聴衆、コンサートのチケットを買ってくれる人々。彼らは、そのお金によって何を得ることができるのか知っている。それがクーラのブランドだ。

最高のミュージシャンたちは彼らの楽器をうまく弾きこなすが、他の人のコンサートに行くのかどうか、あなたは疑問をもつだろうか?彼らは、美術館や劇場にいくのか?音楽祭に行って、楽しむ?ミュージシャンや歌手、そして、あなたは、これまでの人生のなかで、パラシュートジャンプに挑戦したいと思ったことはあるだろうか?

私は、あなたも「生きる」ことを願う。私たちは、ほとんどの時間を費やして、継続的に観客にサービスするアーティストだが、ステージだけに自分を閉じ込めて生きることはできない。




――クラシック音楽は楽しいもの、生きて脈打っている

Q、「クーラのブランド」とは?

それはマーケティングのためのものではない。シンプルに、私自身の、すべてのポジションのことだ。いま私たちがここで話しているように、また私が妻と食事している時のように。それが私のステージの上でのやり方だ。

私は情熱をもって人生を生きている。結局、退屈するには人生は短すぎる。

あなたは私のことを、真面目で尊敬されるマエストロと思っているかもしれない。私は、アーティストとして世界で名を知られるようになったが、申しわけないが私はあえて言う。その真面目と退屈は、同義ではないか。

世界的に有名な作品だからと、あまりに真面目に恐ろしく退屈なやり方でアプローチすることは、クラシック音楽から若い人たちを追い払っている。クラシック音楽は価値ある芸術だが、楽しいものだ。それは、死んでいない。生きて、脈打っている。私たちがいま話し合っているように。




――誰もが、自分自身の道を歩む必要がある
Q、若い人たちにどうやって伝える?

若い人たちに問題はない。彼らは素晴らしく、才能豊かだ。問題は私たちの方にある。
私はそれを、世界中でマスタークラスを行ってきた経験から知っている。

私は芸術的な側面を彼らに示すことはできる。しかし、どうやって成功し、満足できるアーティストになるのか、そのレシピはない。 誰もが、自分自身の道を歩む必要がある。そこから逃れることはできない。キーメッセージは、「自分自身であれ ("be yourself")」だ。

今日では、最も簡単に有名になるには、面白い動画をインターネットにアップすること。そうすれば一日であなたはスターだ。評判を得ることは簡単だが、私たちアーティストは、卓越性のために努力しなければならない。

Q、ヨーロッパのオーケストラにとって、その存続のため、観客の若返りが最大の問題だが?

私が参加したコンサートでは、どこでも若い人たちがたくさん参加している。ショーの終りには、私がこのジャンルを扱う方法について熱心に語りあっている。それは彼らにとっては、新鮮さに満ちていると言う。

これには、彼らが時代錯誤と感じる燕尾服を着ていないという、外観も関係している。なぜ21世紀のステージで、ジーンズを着ることが許されない?

一方で、外観については、別の典型的な例がある。マエストロと呼ばれる方法を知っているだろうか?とてもおかしいことだが。私は15年前からメガネをかけるようになった。それまでは、私はただのテノールだった。しかし今では、確かにとても真面目なマエストロだ。ばかげているだろう?



――偉大な天才音楽家たちの背後に、普通の人間の姿、現代につながる人間性をみることが大事
Q、アンドレア・ロストとのジュールのコンサートは?

ジュールでは、アンドレア・ロスト、カールマン・ベルケシュ(指揮者・クラリネット奏者)、ジュールフィルハーモニー管弦楽団と私、4者によるコンサートだ。複合的な効果は非常に良く、ポジティブな意志を私は確信している。カールマン・ベルケシュは素晴らしいユーモアのセンスの持ち主で、これは非常に重要なことだ。このようなコンサートは、ポジティブなエネルギーを与える。

私は、誰かが亡くなりでもしたかのような表情でステージに登場するのを嫌う。こんなやり方では、モーツァルトは演奏できない。バロック時代、最も偉大なバッハもそうだ。バッハは21人の子どもを持っていた。あとは想像してみて・・。シューベルトは、片手にビールを飲みながらスコアを書いた。これは非常にシリアスな話だ。

これは彼らに対して失礼なことではなく、私は、すべての偉大な天才の背後に、人間としての彼自身、普通の人間の姿があるということを言っている。このことを認識するのがなぜ重要なのか?彼ら天才たちを人間として見る時、私たちは彼らの弱さを認識する。それによって、彼らが達成した奇跡を、私たちはよりいっそう称えることができる。彼らの人間性によって、常に今日とつながっており、だからこそ、彼らの仕事は永遠に生きる。私は、これが、連日、ステージにあがるアーティストの感覚であり、聴衆に伝わっていくものだと思う。

こうした関係に光を当てることは、私の使命だと思っている。20年前、英国の評論家が、「クーラは、クラシック音楽が、彼のアミューズメントのために書かれていないことを知るべきだ」と書いた。しかし若い世代は、この問題を乗り越えることができるだろう。

25年間、私は、音楽学校の教師たち、そして批評家とたたかってきた。神が私に慈悲深いなら、私は、あと25年間、この戦いを続けることができる。そしてそれから私は、天国、あるいは地獄に向かうだろう。




Q、教え子たちはあなたに従う?

世界中でマスタークラスを行っているが、文字通りの意味での生徒はいない。
マスタークラスで私は、私がプロフェッショナルとしての仕事について考えていることを伝え、それから、彼らが望み、自ら決めた彼らのやり方を認める。

しかし先ほど話したように、一番大切なことは、自分自身であること。偽りの生涯のために、自分自身を演じつづけることはできない。私のキャリアの始まりの時期、常に誰かと比較された。ドミンゴ、カレーラス、そのほかにも。そして私は、自分が誰か有名人の生まれ変わりなどではなく、違っていることを喜んだ。




――長年のハードワーク、忍耐が、真のアーティストをつくる
Q、第4のテノールと呼ばれて?

かつて、キャリアのはじめに、私は、カラヤンか、カルーソーの生まれ変わりなどと言われた。これは、メッシはマラドーナの生まれ変わりだというようなもの。愚かだ。私はただ私ではいられないのか?

3大テノールは、すでに過去の世紀の偉大な音楽家の話だが、これはプレスのための便宜上の分類にすぎない。エージェントはより多くのチケットを売るために、この安上がりのマーケティングの仕掛けを利用した。しかし私は、このような「空っぽの器」は好きではない。私は、長年のハードワークと忍耐による卓越性があることを信じている。

本当のアーティストになるためには、そのような長い道のりがある。それぞれの才能の始まりには、ひとつの種があるだけだ。 私はその種が、ハードワークの30年間の後に、強い、成木となっていることを確信する。人々は、その涼しい木陰を好むか、その果実を好むのか、決めることができる。しかしポイントは、私はすでに単なる種ではなく、木になっていることだ。



(聞き手 Farkas Mónika)

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今回のインタビューも、また率直で、アーティストとして"我が道"を歩む、クーラの自負と決意が強烈です。
正直なところ、反感を持つ方もいらっしゃるかもしれません。とりわけクーラのこの間の活動やキャリア展開をご存じない方には、"傲慢"と感じられるのではないかと、和訳しながら少し心配してしまいました(いまさらですが・・笑)。

しかしこれがホセ・クーラです。「商業主義の商品にはなりたくない」と、大手エージェントからも、レコードレーベルからも独立して、マスコミにも、大劇場にも媚びることをせず、自立したアーティストの道を歩んできました。またテノールだけに専念すべきという圧倒的な批判を受けながら、本来の志望である作曲や指揮、さらには演出や舞台デザイン、照明、衣装デザインなど、総合的で多面的な活動を開拓しています。

どんなに批判や壁にぶつかろうと、こうした活動につきすすんでいけるのは、芸術の社会的役割に確信をもち、優れたアーティストとして自らを高め、与えられた能力を全面的に発揮させたいという、あくなき向上心と使命感、冒険心、好奇心とに満ちた人物だからこそだと思います。そのためには、いかなる努力もハードワークもいとわない。こういうクーラの人物像は、本当にユニークであり、私にはとても魅力的に感じます。

 *クーラのキャリアに対する考え方や歩みについては、いくつかの投稿で紹介しています。お読みいただければ幸いです。
    → 「ホセ・クーラ スターダム、人生と芸術の探求」
      「ホセ・クーラ 音楽への道」
      「ホセ・クーラ 平和への思い、公正な社会への発言」





ロスト・アンドレアとのコンサートより
Jose Cura 2015 "Yesterday"









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ホセ・クーラ、アルゼンチンの歌、ラテンアメリカの歌 / Jose Cura / Songs of argentina , Latin American songs

2016-08-14 | アルゼンチンや南米の音楽


ホセ・クーラは、アルゼンチンのロサリオ出身です。音楽家としての夢を実現するために、91年にイタリアに渡り、フランス在住をへて、スペインのマドリードに長く住んでいます。しかしアルゼンチン出身ということへの誇りと、母国へのつよい愛を持ち続けてきました。

これまでに、アルゼンチンやラテンアメリカの曲を収録した、アネーロとボレロという、2枚のCDも出しているほか、各地のオペラコンサートのアンコールで、アルゼンチン・南米の歌を必ずといっていいほど歌っていますし、アルゼンチンの歌を中心としたコンサートも開いています。

故郷では認められず、意を決して欧州に渡り、そこで国際的なキャリアに飛躍したクーラ。故国との関係では、深い愛とともに、決して単純な思いばかりではなかったようです。それでも、機会あるごとにアルゼンチンの歌や南米の歌を歌い、文化を伝える役割を積極的に果たしてきました。
今回は、クーラのアルゼンチンの歌、南米の歌の録音・動画やコンサートの写真などを紹介したいと思います。




●アルゼンチンの愛国歌「アウローラ」より
まずは、アルゼンチンの愛国歌「アウローラ」のなかの「旗の歌」。2009年ウィーンのクリスマス・コンサートより。朗々と歌いあげる素晴らしい歌唱です。
Jose Cura " Alta pel cielo" Aurora


クーラは、子どものころ、毎朝、学校では、旗を揚げながらこの歌を歌うことになっていた、という記憶を語ったことがありました。それほど、アルゼンチンの人々には親しまれた歌のようです。

同じく「アウローラ」、こちらは2003年、プラハでのコンサートで。
José Cura in Prague - Aurora (Canción a la Bandera 1)


●祖父の地を訪ねて――ソリアでのコンサート
クーラは前述のようにアルゼンチンのロサリオ出身ですが、移民の国らしく、父方の祖父母は中東レバノンからの移民、母方の祖母はイタリア出身、母方の祖父はスペイン出身の移民なのだそうです。
2013年に、クーラは、祖父の地スペイン北部のソリアを初めて訪問しました。
ソリアで、アルゼンチンの歌のリサイタルを開催してます。その際、町の様子を自ら撮影して、フェイスブックに掲載しました。

ソリアの町から母に電話するクーラ


ソリアの古い建物、教会などを訪れて、祖父たちの暮らしぶりに思いをはせる。






美しい古い街並み、自然をおさめた写真、クーラ撮影








リサイタルの舞台写真。残念ですが録音や録画はありません。






ピアニストとリハーサル



●モナコのモンテカルロ歌劇場でのリサイタル、今後の予定など
2014年12月には、モナコのモンテカルロ歌劇場で、アルゼンチンの歌のリサイタルを開いています。
クーラのアルゼンチンへの思いはつよく、曲を紹介しながら、思いを語りながらの進行だったために、観客からは「もっと歌って」という声があがったという話も聞こえてきました。思いのこもった語りを聞くのもよいけれど、クーラの声と歌を少しでも多く聞きたいという、観客の願いもわかりますね(笑)





このモナコでは、来年2017年に、クーラのワーグナーデビュー、タンホイザーのパリ版(フランス語)が上演される予定です。

そのほか、ウィーンでもアルゼンチンの歌のリサイタルを開催しています。

今後の予定では、今年2016年11月7日にルクセンブルクで、アルゼンチン、ラテンアメリカの歌のコンサートがあるほか、12月7、8日、プラハ交響楽団とともに、プラハのスメタナホールでユニセフのためのコンサートに出演し、クーラが指揮、ラヴェルのボレロの他、ピアソラ、ヒナステラのアルゼンチン音楽を演奏します。


●故郷への思いを込めたクーラの歌
Youtubeにあがっているクーラの歌をいくつか紹介したいと思います。
どれも哀愁のある、しっとりとした歌で、クーラの故郷への愛と思いが深く込められたものに感じられます。
以前、クーラのYoutubeチャンネルに、アルバム「アネーロ」のメイキングビデオが掲載されていて、母国のピアニスト、ギタリストとともに曲をつくりあげていく風景が映されていました。現在はチャンネルは閉鎖されて、見ることはできないのが残念です。



アルゼンチンの作曲家であり、ピアニストのカルロス・グァスタヴィーノの「ばらと柳」
La rosa y el sauce - tenor José Cura (ARGENTINA)


アルゼンチンの作曲家、アルベルト・ヒナステラの「忘却の木の歌」
Canción del árbol del olvido - tenor José Cura (ARGENTINA)


1998年、オランダ・アムステルダムの運河コンサートで、ピアノの上に座り、ギターで弾き語り。
Cura Prinsengrachtconcert Argentinian songs


メキシコ出身の作曲家アルマンド・マンサネーロの2曲、2010年チェコでのコンサートから。
Jose Cura "Somos novios" & "Esta tarde vi llover"


アルゼンチンの作曲家アリエス・ラミレスのミサ・クリオージャ。ロス・カルチャキスとの演奏で、2007年、アッシジにて。
José Cura - Misa Criolla - Assisi 2007


最後に、1998年のマンハイムのコンサートから、ギターの弾き語りを。
Jose Cura Argentinian Songs


移民のルーツをもつクーラの家族、そして母国アルゼンチンへの望郷と、苦さも含む複雑な思い。
日頃、オペラの巨大なホールを響かせるクーラの声、歌とは違う、クーラ自身の等身大の、情感豊かな、思いの込められた歌を味わうことができると思います。
できるなら、こじんまりとしたホールで、ゆったりとクーラの歌と語りを聞くリサイタルに行ってみたいものです。










 
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2016年 作曲と指揮 / ホセ・クーラとバッハ、2つのマニフィカト / Jose Cura & Bach / Magnificat

2016-08-11 | 指揮者・作曲家として


2016年3月11、12日、チェコの南ボヘミア州チェスケー・ブジェヨヴィツェでのコンサートで、ホセ・クーラの指揮により、クーラ作曲のマニフィカトとバッハのマニフィカトが演奏されました。

クーラは、テノールとして国際的にその名が知られましたが、もともと大学で指揮と作曲を専攻、指揮者、作曲家をめざして勉強してきた経歴をもちます。これまでも何回か紹介しましたが、1991年にイタリアに渡り、本格的な歌手活動を始める前に、書きためていた多くの作曲作品がありました。長年しまい込まれ、発表の機会をもてずにいたクーラの作品ですが、ここ数年、演奏される機会が相次いでいます。

今回紹介するマニフィカトは、クーラがアルゼンチン在住時代の1988年に作曲したもの。2014年4月に、イタリアのマッシモ・ベリーニ劇場で、クーラ指揮で世界初演されました。 
 → その際の様子を紹介しています 「ホセ・クーラ 平和への思い、公正な社会への発言」

そしてかねてから、好きな作曲家を1人あげるとしたらバッハと答えていたクーラ。自作と敬愛するバッハの2つのマニフィカトを、同じに日に指揮するというのは、喜びもひとしおだったのではないでしょうか。



クーラのフェイスブックの告知画像


会場は、チェスケー・ブジェヨヴィツェの聖ニコライ大聖堂です。
2014年10月30日、クーラ作曲のスターバト・マテールを世界初演した同じ場所です。とても美しい教会のようです。
 → スターバト・マテールの初演を紹介した記事 「ホセ・クーラ 作曲は、やむにやまれぬもの」 



この時期クーラは、ヨハン・ボータのキャンセルを受けて急きょ出演が決まった、ザルツブルク復活祭音楽祭のオテロ(3/26初日)のリハーサルと、このコンサートの準備のために、ザルツブルクとチェコの間で移動を繰り返しており、体力的には大変だったようです。
 → ザルツブルク復活祭音楽祭2016のオテロについては、(レビュー編)をはじめいくつかの投稿で紹介しています。

マニフィカト=「わが心、主を崇め」とは、キリスト教の聖歌で、ラテン語で、聖母マリアの祈りだそうです。
コンサートの前半は、1988年にホセ・クーラが作曲したマニフィカト。ソプラノのために書かれ、子どもたちの合唱団、混声合唱、そして、オーケストラで構成されています。
そして後半では、ヨハン・セバスチャン・バッハ(1685 - 1750)作曲の、Dメジャーのマニフィカト(BWV243)。2人のソプラノ、アルト、テナー、バス、混声合唱とオーケストラによって演奏されました。

クーラがいくつかのインタビューで、このマニフィカトの作曲の思いを語っています。抜粋して紹介したいと思います。

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――2015年ドイツ誌でのインタビューより
1988年にマニフィカトを作曲した。私の妻は、2回流産した後、3回目に妊娠した自分自身に気づいた。今回は明らかに確実に思われた。
長男が生まれた時、私は25歳だった。マニフィカト誕生と同時だった。
その3年後に、私たちは幸運を求めて、ヨーロッパに移住した。そして私の歌手としてのキャリアが始まった。当時の楽曲は、27年間、ボックスに仕舞い込まれていた。
私が思うこのマニフィカトは、聖母マリアの歓喜の歌であるだけでなく、夢でいっぱいの若者、そして彼女にいま起こっていることに直面して抱いている怖れの歌でもある。
1988年、テキストにこういう思いを込めて音楽をつけた。プレミア(2014年4月)は非常にうまくいった。私に信頼を寄せてくれたベリーニ劇場(初演の場となったイタリアの劇場)には本当に感謝している。



――2016年2月プラハでのインタビューより
マニフィカトは聖母マリアに捧げたもの。しかし、主要なインスピレーションは、私がついに父親になったということであった。

――チェコでの報道より抜粋
チェコでバッハとクーラ作曲の2つのマニフィカトを指揮する。現代とバロックの2つのスピリチュアル・ソングによる純粋なプロセスになるだろう。
「観客には、コンサートを絶対に逃さないようにといいたい。それは歴史的な出来事になるだろう」とクーラ。
マニフィカトは、イエス・キリストの誕生の前に聖母マリアが歌う賛美歌。ラテン語の詩に由来する。
「2つのバージョンでは、リスナーは、精神的な音楽の強さに、涙をさそわれることになるだろう。そこには時間の境界がないことを知らされる。」
「それは特別なコンサート、この劇場のシーズンの偉大な文化的なイベントになるだろう」と南ボヘミア劇場の支配人。



――2016年3月チェコでのインタビュー
当時、私は25歳だった。妻は2回の流産を経て3度目の妊娠をした。法王が聖母マリア年を宣言した年だった。
歌は私たちが子どもを得た喜び、そして聖母マリア出現への喜びを表現した。しかしそれだけではない。



マリアがその事を知った時、彼女はまだティーンエージャーだった。そして彼女は恐らく、かなりのショックを受けただろう。
私のマニフィカトでは、マリアが砂漠に1人で座っているところから始まる。作品のメッセージが表示される。

1人でいる場合には、人は何もできない。もし我々が団結せず、戦争、テロリズム、経済的道徳的危機を別のものに置き換えようとしない限り、我々は勝利することはできない。
これがマニフィカトに託した、私のメッセージだ。



第2部では、ヨハン・セバスチャン・バッハ作曲の1723年、D長調のマニフィカトを演奏する。バロック時代の象徴的なマドンナの音楽的肖像画だ。

南ボヘミア劇場との連携は5回目となる。2011年にチェスキークルムロフの回転劇場で、道化師のカニオを引き受けたことから始まった。
野外公演で雨が降り始めたが、パフォーマーの誰もがその場を離れなかった。プロの99%は雨で止める。全員がとどまったことを見たことがなかった。私はとても感動した。この人たちと一緒に仕事をしたいと思った。

最初のリハーサルの時、誰もが緊張するが、彼らもかなり緊張していた。彼らは自分自身のベストを尽くし、それらが良いことを私に証明したかった。30分後に、全員が感じた――それは美しい音楽だった。



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ホセ・クーラ指揮、3月11日の2つのマニフィカトのコンサート。多くの写真がフェイスブックなどネット上に掲載されました。
オーケストラ、ソリスト、合唱団、総勢128人のパフォーマーによるステージだったそうです。







いくつか動画もアップされています。
オーケストラとリハーサル中。
JOSÉ CURA


コーラスとのリハーサルの様子。
Jose Cura Magnificat / Rehearsal 2016


ソリストとのリハーサル中。
まるでシェークスピア劇のようなセリフ回しで、ソリストに解釈を伝えるホセ・クーラ
Jose Cura Magnificat / Rehearsal with soloists 2016


オケ、ソリスト、合唱がそろったリハーサル風景がチェコのニュースで紹介された。
Jose Cura Magnificat rehearsal news video


ホセ・クーラと。ソプラノ歌手のマリア・ヴィーソ、3/12のマニフィカトのコンサートを終えて。
“Thank you! Such a wondefull concert”とコメント。


出演したソリストたちとホセ・クーラ。


マニフィカトをめぐるエピソードからは、クーラの妻シルヴィアさんと子どもへの深い愛が感じられます。クーラは、長男に続き、長女、二男の3人の子どもに恵まれました。
 *クーラの家族については  → ホセ・クーラ 妻、家族、愛について

クーラ作曲の諸作品は、これからも世界初演が予定されています。しかし残念ながら、コンサートに参加した人以外には、まだ作品に触れる機会はありません。CDやDVD、それ以外でも何らかの形で、視聴できるようにしてほしいものです。
もちろん、日本で、日本のオーケストラとともに作品を演奏する機会があれば、それが一番うれしいですが・・。どこか日本のオーケストラが招聘してくれないものでしょうか。
クーラは今、プラハ交響楽団のレジデントアーティストとして契約・活動してますので、その縁で、プラハ響の首席指揮者であるインキネンが常任指揮者に就任する日本フィルで、こういう企画が実現したら素晴らしいと思うのですが、いかがでしょう?

           









*画像は、主催者のFBなどからお借りしました。



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2011年 フランス・ナンシーで東日本大震災チャリティーコンサートに出演 / Jose Cura / Concert solidarité Japon 2011

2016-08-06 | チャリティー活動


ホセ・クーラは、社会に対する関心を常に持ち続け、積極的に発言をするとともに、オペラなど芸術を現実社会に近づける努力をしています。また、さまざまなチャリティー活動にも熱心にとりくんでいます。

日本ではほとんど報道されませんでしたが、ホセ・クーラは、2011年9月4日、フランスのナンシーにあるロレーヌ国立歌劇場で開かれた、東日本大震災支援のチャリティ・コンサートに出演しました。

クーラは、ロレーヌ国立歌劇場で2007年から2010年にかけてマスター・クラスを担当するなど、劇場と関係が深く、このチャリティ・コンサートには、クーラとともに、マスタークラスの教え子たちも多数参加しています。
このコンサートの収益は、すべて日本赤十字に寄付されたそうです。

また日本人歌手として、世界各地で活躍されているソプラノの大村博美さんが参加され、クーラと蝶々夫人の二重唱を歌いました。
大村さんは、HPで、次のように感想を書かれていました。 → 大村さんのHP

「ホセ・クーラも気さくな人柄で、彼の熱い気質があふれた情熱的なうたを披露してくれました。 最後に歌った アンコールの “誰も寝てはならぬ” では自分のマスタークラスの弟子である若いテノールたちとうた合戦のように一緒にうたいあいっこを披露してくれ、次の世代を育てたいという彼の思いの感じられるいい舞台になりました。
私はオテッロより “柳の歌~アヴェマリア” を祈りをこめて歌い、蝶々夫人より ピンカートンとの二重唱 ( ホセ・クーラと)や 花の二重唱 などを蝶々さんの舞台でやるように演技をつけて歌いました。終演後、涙で目を真っ赤にしたお客様がたが楽屋に訪ねてきて下さって、感激しました。
今回のコンサートの収益はすべて日本赤十字に寄付されました。復興への祈りを込めて!!」


大村さんの誠実な人柄とともに、クーラの熱意とフランクな人柄が伝わります。

今回は、劇場のHPなどにアップされた画像を紹介するとともに、YouTubeから、コンサートの様子を一部紹介したいと思います。画質音質が良くないのが残念です。
 → 仏ロレーヌ国立歌劇場のHP

コンサートのポスター“コンサート「親愛なる日本 」”
大村さんとクーラの名前が大きくのっています。


大村博美さんとホセ・クーラ




大村博美さんとホセ・クーラ、プッチーニの蝶々夫人より、二重唱
Puccini Madame Butterfly duo final acte I :"Bimba dagli occhi ... " José Cura Hiromi Omura


大勢の出席者と共に


ホセ・クーラ、デュエットのようですが、曲目はわかりません。


ホセ・クーラ、コンサートのアンコール定番、プッチーニのトゥーランドットから「誰も寝てはならぬ」
Puccini Turandot "Nessun dorma" José Cura


こちらはコンサートの様子を報じたフランスの新聞報道、劇場HPよりその一部を






震災から5年以上たちますが、被災地のくらしと営業の再建はまだまだすすんでいないといわれています。こうした取り組みをなんらかの形で継続的に生かしていけないだろうかと思います。

大村博美さんとホセ・クーラ、コンサート終了後の写真のようです。(大村さんのHPより


*画像は、劇場のHPなどからお借りしました。
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2016年 リュブリャナ・フェスティバルでホセ・クーラのオテロ Jose Cura / Otello in Festival Ljubljana 2016

2016-08-03 | オペラの舞台―オテロ


ホセ・クーラは、2016年7月6日、スロヴェニアの伝統ある音楽祭、リュブリャナ・フェスティバルで、ヴェルディのオペラ、オテロに出演しました。
とても美しい舞台、衣装も美しく、歌手も良く、クーラはスタンディングオベーションを受けたそうです。

オテロの原作者シェークスピアの没後400年にあたる今年、年初からいくつもオテロに出演しています。3月のザルツブルク復活祭音楽祭でのオテロにつづき、今回で4か所目。そして、次にクーラがオテロに出演するのは、2017年6月の16, 20, 22, 25, 27, 29日、ベルギーのリエージュにあるワロン王立歌劇場の予定です。

全体の映像や録音はありませんが、記者会見の様子や、舞台のとてもきれいな写真がたくさんアップされています。またニュース映像で、舞台の様子が一部、放映されていますので、紹介したいと思います。

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●リュブリャナ・フェスティバルへの出演にあたって、記者会見






●レビューより

「リュブリャナフェスティバルでジュゼッペ・ヴェルディのオテロ:ホセ・クーラの勝利」

「その夜の魅力は、もちろん、ゲストのスター、ホセ・クーラだった。すでに長いキャリアをもち、クーラは、現在、オテロの最も説得力のある解釈者の1人。それは俳優としてのカリスマ性と能力のためだけでなく、声の品質のためでもある。」

「そして最後のシーンは、鋭く、感動的な結末であり、観客を感情的に巻き込んで、深い敗北感で消耗させるほどだった。」

●舞台写真 → 女性カメラマンのHPより

当日の舞台を、女性カメラマンがHPにたくさん、掲載してくれています。とても美しく鮮明な写真です。いくつか紹介させてもらいます。

第1幕、オテロ登場の場面


第1幕、オテロとデズデモーナの二重唱の場面 美しいキスシーン




第2幕 イアーゴの策略で疑念を深めていくオテロ


第2幕の終りか? 復讐の決意を固めている場面か。


第3幕 


第3幕 本国からの使者から、本国への召還命令を受け取る




第4幕


最愛のデズデモーナを殺害、そして自らの過ちを知り、デズデモーナの名を呼びながら泣き崩れるオテロ


ラストシーン オテロの死


●ニュース映像より
スロヴェニアの放送局が放送したニュース映像です。後半、舞台の映像とクーラのインタビューが流れます。早口の英語で、キャリアのはじめのことなどを語っているようです。
Jose Cura 2016 Otello


クーラのオテロの正規の映像は、2006年リセウ大劇場のもの以来、発売されていません。こういったフェスティバルの舞台などを、DVDに収録して販売してもらえたらよいのにと思います。せめて、録画をネットに掲載してほしいと切に願います。

●画像いろいろ
               





*写真は、リンク先のカメラマンのHPや劇場のフェイスブックなどからお借りしました。
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