人と、オペラと、芸術と ~ ホセ・クーラ情報を中心に by Ree2014

テノール・指揮者・作曲家・演出家として活動を広げるホセ・クーラの情報を収集中

インタビュー 私にとってミラノは、壮大な都市であり、成功へのハードな闘争の象徴 / Jose Cura in Miran

2016-05-29 | 芸術・人生・社会について①


2015年3月に、クーラはミラノのスカラ座で、ビゼーのカルメンに出演しました。カルメンはエリーナ・ガランチャ、ミカエラはエレーナ・モシュクでした。再演でもあり、残念ながら録画も、また録音もほとんど見当たらないのが、いつものことではありますが、残念です。

この出演の際に取材したのだと思いますが、2015年5月16日付でイタリア語のインタビューが掲載されました。 → 記事のHP
クーラ自身のキャリアの出発と成功への道のりのなかで、ミラノがひときわ特別な位置にあったこと、ミラノの街、スカラ座、ブーイングについてなど、インタビューのなかで語ってます。イタリア語からの翻訳が不十分ですが、大意をくみとっていただくということで、概略を紹介したいと思います。

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――私にとってミラノは、歴史的で壮大な街、そして挑戦、自分自身を確立するための闘争・・そこには、雨、交流、素材に対処するうえでの組織的困難があった。

●ミラノで国際的なキャリアに弾みがついた
1991年、私は2つの目的をもってイタリアに到着した。1つは、私自身のルーツを再発見するため。母方の祖母はイタリアのクーネオ県サント・ステーファノ・ベルボ Santo Stefano Belbo の出身だった。
もう1つは、仕事を探すことだった。

私はオーディションを探し、エージェントをまわった。しかし、誰も私を評価してはくれなかった。私の最後のカードを使うことに決めた。テアトロ・コロンの歌の教師からもらった電話番号にかけた。テノールのフェルナンド・バンデラだった。彼は電話にでて、ミラノで会う約束をしてくれた。この街に着いたのは4月で、重い雨が降っていた。

●困難に挑み、物語が始まる
そこからが私の叙事詩の始まりだった。バンデラ氏は私の歌を聞き、こう言った。「ブラボー、あなたは重要な声をもっている」。
それから彼は、私の今後の計画を聞いた。私はアルゼンチンに帰国する予定であり、何も計画はないと言った。
彼は「あなたはどこにも行かない!」といい、初めてのエージェントを紹介してくれた。アルフレード・ロード Alfredo Road だ。



●歌の教師、ヴィットリオ・テラノバとの出会い
仕事は、まだなかった。アルフレードは、私の声には、まだ、主にスタイルの上での微調整が必要だと語り、歌の先生を紹介してくれた。
ヴィットリオ・テラノバ――彼は1991年から1992年の半ばまで、私に無料でレッスンしてくれた。上にいくための力を私に与えてくれた、本当に寛大な行為だった。

●テノールへの道
自分がオペラを歌えることを発見したのは、20歳の時だった。アルゼンチンでオーケストラの指揮と作曲を学んでいた。歌はそれらを補うためのものだった。大学の学長が私の声を聞いて、「声を育成しなさい。そうすれば指揮者としてのスキルももっと洗練される」と私に言ってくれた。そのアドバイスによって、自分がテノールになれるということを見いだした。



●ミラノに戻って
ミラノは仕事を通じて知ることになった街。私にとってはまだ、大部分が未知のままの場所だ。ミラノは探求しようとする者だけに、トリッキーにも、その深い懐を明らかにする。カンペリオハウスから100メートルのところに、サン・マウリツィオ教会や考古学博物館などの本物の美しさを発見できる。

2011年にスカラ座でレオンカヴァッロのオペラ「道化師」を歌った時、新改装のホテルに泊まった。初めての部屋を割り当てられた。それ以来、ミラノに来るたびに、毎回同じホテルの同じ部屋をとる。カンペリオホテルにそって歩き、小さな路地を横切る時、まるで過去のミラノに戻っているようだ。そして、1982年に道化師が初演されたダルヴェルメ劇場にも近いことが、私に親密感を抱かせる。



●スカラ座でのブーイングについて
これは全ての観客に関係することではない。また私だけにあることでもない。これらの人々は、個性あるアーティストをターゲットにして否定し、ブーイングの恐ろしさに対して何も配慮することがない。スカラでは多くのアーティスト、カラスでさえその対象にされた。口笛は、設計者ピエル・マリーニの時代以来、劇場の歴史の一部だ。今では、反対の意思表示以上のものになっている。

●次にミラノに戻る時

何も考えていない。20年以上のキャリアを経て、私は、アーティストに敬意を示してくれる場所で観客の前に行き、演奏する喜びを感じている。
非常に残念なことだ。オペラ劇場としてのスカラ座は、オーケストラ、合唱団、技術設備、もっとも優れたものを兼ね備えており、本当に驚くべき素晴らしさであるのに。



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クーラが出演したカルメンでは、初日、主に指揮者や演出、クーラやモシュクら出演者に対するブーイングと口笛があったということですが、ネット上の観客の反応や海外のクーラファンのレポートによれば、一部から執拗なブーイングがあったが、それを超える拍手と喝さいがあったようです。長く続く拍手とブラボーが聞えるカーテンコールの動画も、アップされていました。

最近、スカラ座では、ツイッターやインスタで、当日の舞台をリアルタイムに発信してくれて、そういう面でも素晴らしいです。
また動画もアップされていますので紹介します。   *写真はスカラ座のツイッター等から

ガランチャのハバネラ
Carmen - L'amour est un oiseau rebelle (Teatro alla Scala)


予告編 Trailer Camen (Teatro alla Scala)


                          








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ホセ・クーラ 道化師の解釈 "私は仮面の背後にいる" / Jose Cura / Pagliacci

2016-05-24 | オペラ・音楽の解釈


レオンカヴァッロのオペラ、道化師は、ホセ・クーラが、ヴェルディのオテロに次いで、数多く歌い、演じてきた役柄だと思います。
クーラのこのオペラと主人公のカニオへの思い入れはとてもつよく、歌手として最後に歌うのはカニオだ、と語るほどです。
いくつかのインタビューから、クーラが道化師とカニオについて語った部分を抜粋しました。
また、動画やエピソードも紹介したいと思います。

以前の投稿「カヴァレリア・ルスティカーナと道化師の演出」や、「年齢と役柄について、コレッリ、カルーソー、パヴァロッティ・・」でも、道化師の作品論、解釈や自分の思いについて語った内容を紹介しています。よろしければご覧ください。

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●私は「カニオ症候群」ではない
はじめて1996年にカニオを演じた。ほとんどの赤ん坊のように見えた。髪を白く染めていた。今また髪を染めるが、それは年寄りに見えすぎないためだ。もちろん自分のカニオは、長い間にたくさん変化してきた。

これまでのところ、私自身は「カニオ症候群」には罹ってはいない。これはコメディアンの危機に関することだ。現実の人生における仮面。それは誰にでも、しばしば起こること。そのリスクは、役者だけでない、サッカー選手にも、政治家にも、誰にでも。

私は、危険で傲慢な男たち、アルコール依存症を演じる。観客は、私が実際生活の中でもそのようだと思う。彼らは、「クーラは嫌な、傲慢で神経質な奴だ」という。しかし実際に私に会った時の印象は違う。もちろん私は、ステージ上の人物とは違う。

●マスクの下の本当の顔
オペラの後半、カニオのアリアで、彼は、自分はピエロじゃないと歌う。マスクの下、それが本当の顔だ。人は常に、自分が本当は何者であるのか、いかに仮面に屈しないか、を考えなければならない。



●ショー・ビジネスの縮図
道化師の物語は、ある意味では、ショー・ビジネスの縮図のようなものだ。若い女性を利用する老人、一緒にベッドにいけば大きなキャリアを保障するという。これは今日でも、非常に一般的だ。ショー・ビジネスの一方の側面。

他の側面もある。自分のキャリアをつくるために老人を誘惑する若い女性。キャリアのために彼を利用し、ディーヴァになった次の瞬間には、彼を捨てる。これもまた、今日も一般的なことだ。

これらはもちろん、貧しいピエロの団体から、オペラ団体、またはあらゆる重要なステータスの段階においても、共通すること。
背後にある物語は、完全に近代的で、ショー・ビジネスの明確な描写だ。



――2015年スロバキアのインタビューより
●オペラ・道化師との出会い
1995年(96年?)、コンセルトヘボウ管弦楽団とのテレビ放送のためのコンサートが最初だった。それ以来、カニオを約150回演じた。演出とセット設計もやっている。

●業界の変化、若いアーティストの苦労
音楽業界は過去10年で大きく変わった。新しい才能はたくさんあるが、若いアーティストはビジネスへの対処に苦労している。
今日、物事が異常な早さですすむために、彼らは翼をあまりに早く燃やしてしまう。

その結果、近い将来、「一流」のアーティストの不在が問題だ。
「一流」のアーティストは、ただ美しく演じる者ではない。個人のスタイルを確立する勇気があり、誇りとリスク、言うべきことをもっている者のことだ。

もしアーティストが誰からも受け入れられているなら、それは「前に進んでいない」ことを意味する。もしアーティストが何度も同じ古いことを繰り返そうとしているなら、それにお金を費やす必要はなくなる。

伝説的なミレッラ・フレーニから、プライベートレッスンを受けたことはないが、最良の方法を彼女から学んだ。ステージ上のパートナーとして間近に彼女の驚くべきテクニックを見た。最高の特権的レッスンだ。

●オペラの生き残る道は?
知的誠実さと解釈の上での誠実。常連を喜ばせるだけの解釈では、若い観客をひきつけることはできない。シリアスであることとイノベーション、困難だが根本的なことだ。

●今年一番嬉しかったことは?
初めてマーラーの交響曲第2番「復活」を指揮したこと。私は、もう一度、すぐにこのような「地球外の経験」をくり返すことが待ちきれない。

●最後に指揮するなら?
バッハのミサ曲 ロ短調 (BWV 232)を最後に指揮して、指揮者としての人生を終えることができるなら、私にとっては夢のように素晴らしい別れだ。

●歌手として最後に歌うなら?
道化師として人生を終了したい。
“Remember I that I have never been this mask, but the man behind it!”.



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クーラは2009年にニューヨークのメトロポリタンオペラで、道化師とカヴァレリア・ルスティカーナに出演しています。その時の素晴らしい観賞記が、以前オテロの時にも紹介しましたが、ニューヨーク在住のmadokakipさんのブログに掲載されています。
クーラの解釈、表現を、本当に的確につかんだレポートです。ぜひお読みください。 → ブログのリンク


またmadokakipさん選出のシーズンBest Moments Awardsにも選ばれています。 → ブログのリンク

2009年のメトロポリタンオペラでの道化師、「衣装をつけろ」をYouTubeから。音声のみ。
Jose Cura 2009 "Recitar! ... Vesti la Giubba" Pagliacci


さかのぼって若い頃の動画を。2000年頃の「もう道化師じゃない」
Jose Cura 2000 "No, pagliaccio non son!" Pagliacci


こちらは2011年、リセウ大劇場
PAGLIACCI (Liceu 2010-11) "Vesti la giubba?


DVD・ブルーレイになっている2009年のチューリッヒのカヴァ・道化師出演時にテレビが取材。舞台や化粧室の様子、公園で写真を夢中で撮ってたり、食事中気さくにインタビューに答える様子など、楽しい動画。
kulturplatz - José Cura: Tenor für alle Fälle


チューリッヒの舞台のブルーレイは、今1000円を切るお手頃価格で販売されているようです。まだご覧になっていない方はぜひ。おすすめです。


ホセ・クーラがどれほど道化師を愛しているかをうかがわせるのが、クーラの愛犬の名前。その名もカニオ。そのほかにも2匹飼育しているとFBで紹介されていました。


アーティストとしてのキャリア全体をつうじて、解釈を深め、歌い、演じてきたクーラの道化師。ぜひとも、日本でもその迫力の舞台を見せてほしいものです。ファンとしては、最後にカニオを歌う日が、まだまだ先であることを願っています。



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年齢と役柄について、コレッリ、カルーソー、パヴァロッティ・・ / Jose Cura/ about Corelli,Caruso etc..

2016-05-22 | 芸術・人生・社会について①


ホセ・クーラは、オペラ歌手としても、アーティストとして、また生き方においても、我が道をゆく人ですが、記者会見やインタビューなどでも、自分の考えを非常に率直に発言し続けています。それらを読むのは、私にとって、いつもとても面白く、いろんなことを考えさせられます。
今回は、オペラ歌手としての役柄と年齢について、また、コレッリやカルーソー、パヴァロッティ、ドミンゴなど偉大な先輩たちについてと、彼らとは違う現代のオペラ、自分自身のスタイルについて、などのテーマで語った内容を、いくつかのインタビューから抜粋して紹介します。
オペラやキャラクター、音楽と芸術に対する考え、オペラのあり方についての問題提起など、アーティストとしてのクーラの個性、ユニークさ、人間性がわかるように思います。
前回の投稿で紹介した、テアトロ・コロンでのカヴァレリア・ルスティカーナと道化師では、クーラはカヴァレリアのトゥリッドウを歌わず、道化師のカニオだけを演じました。そこには、以下に紹介するような思いがあったようです。

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――2015年5月のスペインのインタビューより
●最愛のトゥリッドゥから去る時
私の最愛のトゥリッドゥ(マスカーニのオペラ、カヴァレリア・ルスティカーナの主人公)は、私が20年間ともに歩んできた役柄だが、私は去ろうとしている。声が理由なのではなく、年齢のために。

私は老人でないが、男の子のような人間でもない。私は皮膚感覚で、少しトゥリッドゥがぴったりしなくなったと感じている。この点で、知的な正直さと自己検証がアーティストにとっては不可欠だと思っている。

マノン・レスコーのデ・グリュー、ラ・ボエームのロドルフォ、椿姫のアルフレードでも同じことが起こる。これら子どもたちのドラマは、若者の未熟な心理に合うが、50代の「オーラ」がある時、それを20歳と信じるのは難しい。

●オペラはパラドックス
オペラがパラドックスであることは事実だ。偉大なパヴァロッティ(世紀で恐らく最も美しい声)は、人生のほぼ最後まで、ラ・ボエームのロドルフォを演じた。しかし彼が歌うかどうかにこだわらない人は、素晴らしい音を楽しむだけだ。

今日、すべてはとても急進的に変わった、良くも悪くも。18や20歳の男の子になりきろうと奮闘する70歳の男性に与えられる喝采を想像してみてほしい。コミックとの境界。そこが問題だ。

●年を重ねたテノールの役は少ない
問題は、年を重ねたリアルな役柄、若いロマンチストではないテノールの役柄は、きわめて少ないことだ。オテロ、カニオ、サムソン‥ごくひと握りしかない。私の年齢の歌手に性格がマッチする役は、一般的にはバリトンだ。

女性の場合、多くのソプラノが、最後はメゾを歌う。しかし我々には素晴らしいドミンゴがいる。バリトン・ロールで経歴を広げている。
(このあとは以下のような英文が続きます)and all are tearing their hair ...(ちょっと訳しにくいです‥直訳すると「みんな髪をかきむしっている」ですが・・苦笑)



――2004年のインタビューより
●私はコレッリの大ファン
私はフランコ・コレッリの歌唱のスタイルの大ファンだ。コレッリ、デル・モナコ、カルロ・ベルゴンツィ・・驚くべき器官だった。今、誰も彼らのように歌えるとは思わない。
また、もし今、彼らのように歌うならば、ブーイングされるだろう。もしくは、傲慢のラベルを張られる。
カルーソーも、今日では、かつて彼が歌ったように歌うことはできない。これが良いことか悪いことか、私は知らない。

●歌うように指揮し、指揮するように歌う
私はいつも、歌っているように指揮をする。そして指揮しているように歌う。それは、私が指揮する時、音楽のフレージングが歌手のフレージングと同じ呼吸をもっているのが好きだからだ。
私は、音楽を杓子定規に指揮することが好きではない。私にとって、それは音楽の死を意味する。私の考えでは、歌手は楽譜上の別の五線譜だ。彼は楽譜につるされているわけでも、ピットから必死に引っぱられているわけでもない。

それは音楽的でないだけでなく、オーケストラの音楽家に対する敬意の欠如を示す。歌手は音楽家であるべきだ。バイオリニストがバイオリンを弾く音楽家であるように、歌手は咽頭を使う音楽家だ。
歌手もまた音楽家であり、そこには個々のフレージングがあり、カラーがあり‥。しかしそれは、まるで規則がないように音楽を演奏することとは無関係だ。



――2003年のインタビューより
●クーラは真面目な歌手じゃない?

Q、オペラファンの中には”ホセ・クーラは真面目な歌手ではない”と言っているが知っているか?
A、聞いている。
しかし本物のオペラファンがそう考えているとは信じていない。単に保守的な人々のいうことだ。彼らは、ステージ上で楽しみ、笑い、良いムードをつくる人は真面目な音楽家とみなすことができない。
歌う時には、常に苦しみ、ハイノートの前には冷や汗をかき、葬式にでもいるかのようにふるまわなければならない‥。
全くナンセンスだ。

私はこういう人間。他人の好みのために変えるつもりはない。しかしクラシック音楽への私のアプローチが、全員に受けるわけではないことを私は理解し、完全に受け入れる。これが人生。全ての人に受ける必要はない。

Q、あなたはドミンゴのような服装をしないが?
A、彼らは伝説的歌手であり、尊敬しているが、彼らの世代は私の父と同じ年齢。別の考え方をするのは自然だ。父はスーツとネクタイで旅行する。彼らの世代の感覚だ。

Q、しかしオペラはむしろ古い世代のエンターテインメントでは?
A、オペラに行く人の誤解だ。クラシック音楽を聴くことは、年齢に関係なくすばらしい。
状況によってはドレススーツも着るが、自分らしくないので、いつもそうすることはできない。偽善とコミュニケーションは両立しない。

Q、あなたな楽天家と思われているが?
A、バレエ・ダンサーが跳躍する時、全ての筋肉は緊張しているが、顔は笑顔だ。観客は簡単なことなのだと思うが、実は違う。アーティストの任務は、観客を楽しませ、良い時間をもつことだ。



●私にとって、指揮は、オペラ歌手のルーチンから脱出する重要な機会を与えてくれる。好む好まざるにかかわらず、80年間のオペラ公演中、75%が同じレパートリーだ。だからルーチンに陥りやすく、新鮮さを失いかねない。

●日頃の私は、とても思案がちで、平和的な人間だ。51歳になった(当時=1962年生まれ)。年老いてはいないが、もう若くはない一定の年齢になった時、思慮深く、知恵をもつことは、人生において到達すべき、最も美しいことの1つだと思う。



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役柄と年齢、オペラのパラドックスについてのクーラの意見には、いろいろ異論反論があることと思います。特にオペラの場合は、役柄には、何よりも、それに合った声とテクニックが優先だという考え方があるでしょうし、役の年齢設定と同じ年齢の歌手ではとても歌いこなせない役柄も多いのだと思います。でも、ヴェルディが椿姫のキャスティングに、ベテランではなく若い歌手をつよく希望したという話を聞いたことがありますが、舞台芸術であるオペラにおいては、当然、視覚的要素がますます必要とされてきているのは、最近の動向でも明白です。

同時にクーラが主張しているのは、単なる年齢、単なる視覚的要素ではなく、キャラクターの心理的リアリズムなのだと思います。
前の投稿の「カヴァレリア・ルスティカーナと道化師の演出」を読んでいただいた方には、クーラが、主人公の心情と社会背景を掘り下げて演じ続けてきたことがわかると思います。

リアリズムにもとづき、現代社会に生きる、知的に誠実なオペラをつくる。先人たちをリスペクトしつつ、自分らしく、堅苦しくなく、観客とともに、自分自身もクラシック音楽を楽しむ――クーラの音楽と人生へのアプローチは、一貫しているように思います。

最後に、コレッリのファンだというクーラが、1997年にウィーンでコレッリを囲むコンサートに出演した際の動画をYoutubeから紹介します。

ジョコンダより
JOSE CURA "Cielo e mare" La Gioconda (Ponchielli)


アンドレア・シェニエより
Jose Cura "Come un bel dì di maggio" Andrea Chénier


はじめてドイツ語で歌う、といってます。
Jose Cura "Du bist meine Sonne" (Franz Lehár)


最後に、テノール5人でコレッリを囲んで。でも残念ながら、コレッリは歌おうとはしませんでした。
Galouzine,Dvorsky,Saifert,Gedda,Jose Cura And Corelli
Concert with 5 tenors and Corelli 1997






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カヴァレリア・ルスティカーナと道化師の演出 / Jose Cura / Cavalleria Rusticana & Pagliacci

2016-05-18 | 演出――その他


ホセ・クーラは、マスカーニのカヴァレリア・ルスティカーナと、レオンカヴァッロの道化師の2つのオペラに長年、出演してきましたが、2012年には、ベルギー・リエージュのワロン王立歌劇場で、両作品をはじめて演出、舞台設計、照明と主演も担いました。
そして2015年7月、故郷アルゼンチンのテアトロ・コロンで再演を果たしました。この時は、クーラは道化師のみ出演しています。ネットラジオでも放送されました。上演は7月14、17、18、19、21日。
クーラの作品解釈と演出コンセプト、リハーサルや舞台の様子などを、インタビューと画像などで紹介します。



クーラは、舞台をイタリアのシチリアから、ブエノスアイレスのラ・ボカ地区カミニートに移しました。イタリア系移民の街です。舞台装置もカミニートのカラフルな町並みを再現。アルゼンチンタンゴの要素も取り入れた、とてもシックな演出です。

そして、この2つをオペラを、連続したドラマとして描こうとしました。カヴァレリアと道化師が、同じ小さな街で、つづいて起こる事件として、1つの流れのなかにおかれます。街に住む幼なじみの2人をめぐる悲恋、そしてそこにやってきた陽気な旅芸人一座と、彼らの抱える差別と偏見、人生の重荷と辛さ、悲しみ、そしてつきすすむ悲劇の結末。美しいセットで繰り広げられる切ない切ない物語です。

劇場HPには、「ホセ・クーラのステージングは、観客のすべてが魅力的なプロットで魅了されるまでその情熱を掘り下げることを約束します。誰も無傷で脱出できません」と紹介されていました。



いくつかのインタビューで、演出意図や解釈、作品の背景などを語っています。興味深い部分を抜粋してみました。

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●故郷のイタリア移民へのオマージュとして
2008年にサンディエゴで道化師を歌っていた時、2つのオペラの演出依頼を受けた。私はアルゼンチンのイタリア移民へのオマージュを設計する機会だと考えた。舞台はカミニート通りが理想的だと思った。 (*クーラの母方の祖母はイタリアからの移民です)
このプロジェクトは非常に私たちそのものだ。カミニートであり、バンドネオンがあり、ガルデルの声があるタンゴ‥。私は観客が誇りを感じてくれることを願う。古典的なアルゼンチンの風景の一つだからだ。

1つの場所と時間内に、2つのオペラのすべてのキャラクターを共存させることを想像した。2010年に小説を書いた。実現しなかったそのアイディアを2012年リエージュでの演出に使った。



●ワーグナー、ヴェルディとヴェリズモ
ヴェリズモオペラは、ワーグナーの素晴らしいレトリック、ヴェルディの英雄的人物像に対する、アレルギー反応のように誕生した。ヴェリズモは彼らの悲惨さを露出し、肉と血、過ちを犯す人々を描きだした。
言葉は、音楽のつけたしではない。リアリズムにおいて、言葉は、音楽と同様に重要だ。他のレパートリーとは大きく異なり、音楽によるプレッシャーを感じることなく、言葉を語ることができなければならない。

今2017年にタンホイザーを準備している。ワーグナーの美しさが印象的だ。しかし音楽的レトリックに基づいている。ワーグナーのアプローチは、音楽的に何が起こっているかを理解する努力が必要だ。

ワーグナーに対して、ヴェリズモの音楽的アプローチは即時的だ。もちろん危険性がある。即時性は下品と理解されかねない。憎悪や行動の意図を理解すること、トーンのバランスを見つけることが必要だ。

●主人公の名前の由来、復活祭の日曜日、血の儀式 ~ カヴァレリア・ルスティカーナ

   

カヴァレリア・ルスティカーナで何が起こるかを説明するためには、主人公の名前の由来を明らかにする必要がある。
トゥリッドウとサントッツァは、それぞれサルヴァトーレとサンタの愛称だ。
母親の名はマンマルチアではなく、Annunziataの愛称Nunzia、つまり受胎告知。ローラはスペイン語でAddolorata(=痛み)、ドロレスの略だ。

物語はイースターで起こる。マンマルチア(受胎告知)の息子、サルバトーレ("surrender" =降伏)は、ローラ(痛み)に裏切られ、Santuzza(聖)よって売られる。
すべては復活祭の日曜日に発生する。サルバトーレ=「降伏」は、赤ワインで乾杯する。それは血の儀式を意味する。

●トゥリッドウの愛と憎しみ、苦悩
兵役から戻ると、恋人ローラの裏切りを知ったトゥリッドウ。彼は村に戻って以来、死の影を背負った。人生を破壊したローラを憎むと同じ狂おしさで、ローラを心から愛した。なぜ結婚したの? 彼女に繰り返し聞いた。

トゥリッドウとサントッツァは憎しみ合っていない。彼らは幼なじみ。彼女は、彼がいつか自分の男になることを望んでいた。幼なじみの愛を利用した男の子の復讐は、サンタを傷つけ、ローラの嫉妬を招いた。

●道化師はショービジネスの縮図
道化師は、失敗したコメディアンのドラマ。彼のカンパニー全てに影響を与え、彼の妻も子も苦しめる。シルヴィオとネッダのロマンスは、人生とアルコールに敗れ、すでに半分死んでいる男に、とどめの一撃となる。

ショービジネスに共通する多くの側面がある。多くの「スター」がいずれ落ちる。貧しい村のピエロのカニオとはスケールは違うが、彼のドラマ、これは多くの兄弟たちの職業であり、ある日の私のことだ。



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クーラは、単なる浮気と嫉妬の痴話喧嘩ではなく、社会背景からこれらの悲劇を浮き彫りにしています。こうした演出コンセプトが、舞台上でどう表現されているのか、いくつかの場面を見てみたいと思います。 (*写真は、クーラが両方を演じた初演の舞台の映像から)

クーラが「最愛のトゥリッドウ」とよぶカヴァレリア・ルスティカーナの主人公。クーラの解釈は、「彼こそが最大の犠牲者」です。兵役が彼の人生すべてを狂わせてしまいました。軍隊帰りが分る衣装で登場します。

 

兵役によって愛するローラとの仲を裂かれたトゥリッドゥの怒りと悲しみ、諦めきれない愛。閉鎖的で保守的風土で未婚のまま妊娠したサントゥッツァ。若い2人の切なさ、つらさをリアルに描き出そうとします。
サントッツアの悲劇と苦悩を示す、マンマ・ルチアとの二重唱の場面。サントッツアはルチアの手を自分のふくらんだお腹に。じゃけんな母親に描かれがちな場面ですが、クーラは2人の女性のシーンに別の意味を持たせました。

   

広場を中心に、人々の喜怒哀楽が描かれます。イタリア移民たちの街の閉鎖的で人間関係が濃い雰囲気のなか、結婚前に妊娠したサントッツアの苦悩がいっそううきぼりになります。

   

トゥリッドウとサントッツアの二重唱でも、単なる痴話げんかやDVとは違う描き方をしています。トゥリッドウは、自分を裏切り結婚したローラを一度は諦め、サンタを愛そうとしました。すがりつくサンタへの憐れみ、愛しさが表現されています。

   

サントッツアに手を取られ、自分の子どもを身ごもったお腹に当てられ、事実を知り衝撃を受けるトゥリッドウ。サンタへの思いも込みあげます。

  

ローラとサントッツアへの思いに引き裂かれ、苦悩しながら、しかしローラをどうしても諦めきれないトゥリッドウ。彼に去られ絶望したサンタは、妊娠したお腹をたたき、苦しみ叫びます。

   

舞台とした広場とマンマルチアの店は、カラフルな昼、シックで照明が印象的な夜と、雰囲気を変えます。間奏曲の間には、広場にアルゼンチン・タンゴのダンサーが登場し、ドラマと悲劇の結末を象徴するダンスを踊ります。

   

トゥリッドウの死後もドラマは続きます。道化師の冒頭はトゥリッドウの葬列。そして6カ月後、道化師一座を拍手で迎えるサンタとルチア。サンタは大きなお腹で店を手伝いつつ、出産を待っています。新たな命を生む出す女性の強さを暗示しているのでしょうか。

     

そしてつづく道化師では、仮面をつけた道化師と、その仮面の下の傷ついた素顔‥。旅芸人一座の苦悩を、抱えてきた人生の重荷(障害や傷跡‥差別)をふくめ、描きだします。

     

テアトロ・コロンがFBに掲載したオペラ、カヴァレリア・ルスティカーナと道化師のリハーサル写真。演出とセットデザイン、カニオ役を兼ねるホセ・クーラ、立ち上がったセットで演技をつけたり、自分の出番をチェックしたりとマルチタスク。









カヴァレリアのリハーサルをする指揮者のロベルト・パーテルノストロと、演出のホセ・クーラ。


●ホセ・クーラ テアトロコロンでのインタビューより

私は誠実な態度と美しい演技の融合を愛する。私は信じる。ステージで歌手の顔を見ることをやめ、キャラクターの顔を見る。そうしてこそ現代のオペラ劇場になる。

演出作品の選択で私の唯一の要件は、台本を信じられることだ。知的誠実さは、歌手としても必要だが、演出・舞台監督として、自分が何をすべきか信じるだけでなく、人を説得するために、非常に重要だ。

Q、テアトロ・コロンをどう思う?
A、私はアルゼンチン人で、コロン劇場は私の最初の劇場だが、ゲストとして来ている。変化と努力をみた。巨大な劇場が抱えがちな問題を超えて、人々の力が物事を前進させる。
テアトロ・コロンでは、人々は、アーティストからエンジニアまで、劇場を愛し、彼らの仕事に多くのことを望んでいる。2013年と比べて、落ち着き、給与も改善され、皆に心理的に良い影響を及ぼしている。

Q、20年以上スペイン在住だが?
A、自分はアルゼンチンの子と思っており、世界のどこへ行っても必ず「アルゼンチンの芸術家」と呼ばれる。死ぬまで「アルゼンチン人」と呼ばれ続ける。誇りは常に変わらない。

Q、欧州の経済危機について?
A、私たちが直面する危機は、経済的危機だけでなく道徳的危機、またスペインだけでなく世界の問題。それは始まりだ。経済危機は、この危機の結果の一つである。経済危機はこれまでも多くあったが、現在直面している危機は、道徳的危機だ。それは、より長く、より多くの痛みと深刻な結果を及ぼす。そして、私はそれをより懸念する。

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クーラの故郷アルゼンチンのテアトロコロン。財政難や長期の改修が続いていましたが近年、壮麗な姿で復活。クーラはマルセロ・アルバレスとともに若い頃、劇場のコーラスにいたそうです。しかし当時、オーディション等で認められることはありませんでした。


人気ブログを書いていらした、プロフェッショナルでインターナショナルな看護師・看護教員、えぼりさんの「漂流生活的看護記録」第9回、「寄り添う人々」で、このテアトロコロンの公演について触れられています。アルゼンチンの人々とその誇りある生き方、人生へのあたたかく連帯の思いにあふれた、すばらしいレポートです。えぼりさんはクーラと直接会って、話したこともあるそうです。まだお読みになっていない方には、ぜひぜひ、おすすめします。


DVDの編集作業をしたようですが、残念ながら2作品のDVDはまだ公開されていません。ワロニー王立劇場の舞台が、しばらくの間、arteで公開されていました。Youtubeにもアップされているようです。
結局、ネット上で公開されることによって、DVDを出しても投入した資金が回収できなくなる、という「ネットと著作権」の問題が壁になっているとみられます。クーラは大手エージェントにも大手レーベルにも所属せず、自前のプロダクションですべてやっていますから、この問題はさらに深刻のようです。DVD発行を期待して、ここでは、劇場の公式動画だけ紹介しておきます。

初演されたワロン王立劇場での紹介動画 Youtubeより
Cavalleria Rusticana & Pagliacci (Pietro Mascagni) - Extraits


テアトロ・コロンのYouTube公式チャンネルから、ホセ・クーラ演出のオペラ、カヴァレリア・ルスティカーナと道化師の紹介動画。
Cavalleria Rusticana 2015 - Teatro Colón


Pagliacci 2015 - Teatro Colón


初演のベルギー・リエージュのワロニー王立歌劇場でのリハーサルの様子とクーラのインタビュー動画。
Cavalleria Rusticana & Pagliacci (Pietro Mascagni) - Répétitions


共にカヴァレリアと道化師をつくったテアトロコロンの合唱団に寄せたホセ・クーラの言葉。
「2013年は(オテロ)古い友人との会合だった。2015年は兄弟として。そして次は‥。みんなにハグ!」


ホセ・クーラがFBで紹介した写真、テアトロ・コロンのカヴァレリア・ルスティカーナと道化師の出演者とともに、そしてスタッフの写真。達成感と連帯感が伝わる。
   




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2015年 北京・国家大劇院にデビュー サムソンとデリラ Jose Cura / Samson Et Dalila / Beijing

2016-05-14 | オペラの舞台ーサムソンとデリラ


2015年9月9、11、13日、ホセ・クーラは、中国の北京にある国家大劇院の新制作サンサーンスの「サムソンとデリラ」に出演しました。トリノ歌劇場との共同制作だそうです。
国家大劇院は3年前から、サムソンとデリラの新制作のためにクーラを招待、これが北京でのクーラのデビューとなりました。これ以前に中国では、2007年、上海でプッチーニの「トゥーランドット」のカラフで出演しています。

それにしても中国だけあって、国家大劇院のすごいスケールとロケーションには驚かされます。


  

指揮ジャン=イヴ・オッソンス 、演出・セット・衣装はクーラと同じアルゼンチン出身のウーゴ・デ・アナ。デ・アナ演出のオペラにはクーラは何回も出演しています。96年の(びっくり白塗りの)イリスとか、99年スカラ座の運命の力など。豪華で緻密、美しい舞台・衣装で定評があります。
キャストはダブルキャストでした。
Samson=Jose Cura / Mario Zhang 
Dalila=Nadia Krasteva / Oksana Volkova
指揮 Jean-Yves Ossonce


リハーサルや本番の舞台の写真が劇場のHPやFBに掲載されました。とても幻想的な雰囲気の舞台です。残念ながら、映像や録音はありません。大劇院がDVDで発売してくれることを願いたいです。
初日を2日後にひかえた9月7日に、クーラの記者会見が行われました。サムソンの解釈、北京の印象、プロダクションの評価などに加えて、これまでの自分のキャリアなどについても語っています。この会見と、現地の新聞に掲載されたインタビューなどから、主な内容を紹介します。
また後半の、自分の声についての話は、他のインタビューではあまり読んだことがない内容です。自身の声に対する批判にこたえたかのような、興味深い内容です。



●大劇院 次は演出家として仕事をしたい
指揮者のJean-Yves Ossonceとは初めての共演だが、良いスタートになっている。中国国家大劇院のコーラスの破壊力は称賛すべきものだ。大劇院と合唱団のチームは非常に有望だ。私は演出・監督として、北京で彼らと仕事ができることをつよく願う。彼らに一緒にいる時、私はとても強い力が出るし、また彼らも同様に火山のようにエネルギーが爆発する。キャリアの多くでオペラを歌い、その後、演出、監督をした。それによってアイデンティティの変化はないが、互いを補完し、自分のキャリアをより完全にしている。チームでやるのが好きなので、監督でありたい。

●北京の印象
街で買い物をした時、北京の人々はとても友好的だった。私は背が高くて体が大きく、さらにひげ面なので、人々はまるで彫像を見るかのよう私に注目した。私はまた劇場でも、北京の観客に驚きを与えたい。
中国に来てショックを受けた。他の国では、オペラの観客の年齢はほとんどが60歳以上だ。しかし中国では、オペラに来るほとんどが若い人たちだ。私は彼らの反応を楽しみにしている。



●サムソンは現代社会への警告
サムソンとデリラのこの物語は、現代世界に警告している。神の名において悪を行うべきではないこと、そして人々は、神の名において憎しみ合うのではなく、ただ愛しあうべきだということを。

演出ウーゴ・デ・アナとは、同じアルゼンチン出身の20年来の友人。しかしサムソンの解釈で完全に同意しているわけではない。舞台では私は演出家のサムソンとして行動する。正確には私の考えるサムソンとは違う。

サムソンは自爆テロリストの歴史の1つといえる。最後のシーンで、彼によって神殿が崩壊し、多くの人びとが一緒に押しつぶされ、神に復元された。だから私の理解では、サムソンは負のヒーローだ。

この物語は、歴史的にも、近代的にも深遠な意味を持つ。神の名によってこのような悪事を行う、それは今日もたくさんある。オペラは私たちに、神の名の下、愛だけがあり、憎しみを持つべきでないことを伝えている。

ダリラはサムソンをテストするために利用されている。3500年前の人々は、性的に魅せられるのは大罪だと信じた。若者が美しさに魅了されないよう教育するために。今この物語はより説得力があるかもしれない。



●少年時代の夢は指揮者とラグビー選手 ゆっくりとオペラに恋におちた
1994年、ドミンゴの声楽コンクール、オペラリアに優勝した。これでキャリアを開いたといわれるが、実際は、人々が考えるような師弟関係というよりも、同僚としての協力関係だ。

少年時代の夢は、1つは指揮者、もう1つはラグビー選手だった。オペラへの興味は遅く、声楽は21歳から学びはじめた。テノールはラッキーヒットだった。

声楽を学び始めた時、よいトレーニング方法を見つけることができず、ほとんど声を台無しにしてしまった。一時断念したが、才能を認め、歌い続けるべきだというまわりの声におされ、26歳で、再び声楽を学びはじめた。
ゆっくりとオペラに恋におちた。人生は常に、前へ、私たちをおしすすめている。歌の教師、オラシオ・アマウリに感謝している。彼とともに、基本的なスキルを開発し、歌う楽しさを知った。

コンテストに勝利した後、「良い歌手」になることが焦点だ。ゲームは単に豪華な人工の花火。光が消え、全てが落ち着いた時、人々がまだあなたを認めるなら、あなたが重要で尊敬されるアーティストであることが証明される。



●ヴェルディのテノールとは (サムソンはヴェルディのオペラではありませんが、インタビューで質問が出たようです)
誰であれ、ヴェルディの描いたテノールの役割に完全に対処することはできない。同様に、ヴェルディのアリアが、すべて同じ声で歌われることを期待することはできない。

単にヴェルディのスコアに従うのでなく、常に、キャラクター間の解釈と精神を形づくる方法を見つけようとしてきた。そして、なぜヴェルディが「盲目でなく、知恵に依存して伝統に従う必要がある」と述べたのか、自問自答する。



●オペラと現代、商業主義、芸術と未来
オペラが過ぎ去った過去の遺産であると思ったことはない。その代わりに、オペラを現代に近づけよう。近代的な心理的、社会的な分析にもとづいて、劇的なキャラクターを創造することが不可欠だ。現代の観客の理解に沿って。
現代の背後にある物語を無視してはならない。現代的な意味でのオペラを探求しなければならない。これは、オペラの未来だ。

私は商業主義の製品になりたくない。必要なのは芸術と尊敬だ。10年前、オペラの演出を始めた。指揮、作曲に加え、フィールドの開発を続ける。舞台セット、振付、衣装デザイン、照明‥。声の維持のために、歌は年50日以内に限定している。



●すべてをするために唯一の方法はハードワーク
私の人生は、仕事、勉強、研究だ。すべてを行うための唯一の方法がハードワーク。誰もが眠っているときも働いている。休暇の時は、私は自宅で、新しいオペラのプロダクションのための準備をしている。

初めて指揮をしたのは15歳、中学生の時だった。毎朝5時に起きて、音楽を学んでから登校した。何かをしたい時には、それが可能なものだ。指揮と作曲を専攻、フルート、ドラム等、多くの楽器を学んだ。義務として声楽も学び、合唱団で歌った。

どれかひとつを選ぶなら、間違いなく、指揮者としてのアイデンティティを好む。子ども時代の夢は、指揮者か作曲家。しかし40年前、南米で若い指揮者がキャリアを開くのは困難だった。最終的にテノールとして世に知られるとは思わなかった。もちろん現代は、若い人たちにとって、指揮者への道に乗り出すには、さらに、非常に困難な時代だ。



●人生は短すぎる
(多面的な音楽活動に加えて)自分の家を建てることはできないが、家の内部は全て私自身の手でやった。子供の頃は、野球やラグビー選手になることも考えた。フィットネスを愛し、カンフーや空手を学んだ。25年前は、今より体重は25キロ少なかった。

人生は短すぎる。退屈する暇はない。表面的な事に人生を費やすのは無駄だ。中年の時間は非常に速いペースで走る。限られた時間、できるだけ知識やスキルを得て、人生をより豊かにしたいと願う。テレビの前で過ごす人生はありえない。

家ではオペラは聞かない。オペラは私の職業だ。家では沈黙を好む。カーペンターズは一番好きな歌手。音楽の話というより、カレンの声。彼女のピュアなサウンドと音色は、特に暖かく、ユニークだ。



●自分の声について
30年のキャリアを経た今、若く新鮮で美しい声を持っているとはいえない。劇場での私の歌は完璧ではない。しかし私のエネルギー、強さとカリスマを聞くことができる。年を経て、これはアーティストとして重要なことだ。

オペラにおいて、私の声は、様々な情報が統合されて含まれている。音は材料であり、その材料を利用して、私は、人々の心の中に別のものをつくりだすことができる。人々は、声にそうした様々な要素を含まない人の歌を聞いた時に、それが完璧だと感じる。しかし、それは私たちに必要な情報を伝えていないのだ。

時には、私たちは表面上において、完璧ではない。しかし、その人のキャラクターの個性や人格の特性は、あなたに深い影響を与えるだろう。そしてあなたは、この人が美しいことを知る。音も同じ理由だ。ある人がとても良い音だとしても、もし良いキャラクターと魅力的な個性をつくりだすことができないならば、意味がない。

専門家は私の公演を聞き、完璧でないと言うだろう。しかしあなたは、ステージで私のエネルギーを聞くことができる。強さとカリスマが公演の私の声にある。これがアーティストとしての私の最も重要なポイントだ。

●一番の栄光
私の栄誉は私の家族だ。15歳から知っている今の妻と、私たちは3人の子どもをもっている。それが私の最大の栄光だ。



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北京大劇院のサムソンは、SF風大スペクタクルのようでしたが、会見で本人も述べているように、クーラ自身のこのオペラの解釈は、社会的批判的視野をもつものです。石油利権、富と権力、愛と策略、対立と希望を描いた、クーラ演出のカールスルーエの作品はDVDにもなっています。
以前の投稿で紹介しています。動画もあります → 2010年 カールスルーエのサムソンとデリラ

初日の報道は、「世界的に有名なテノール歌手、ホセ・クーラのサムソンのパフォーマンスが特に目を引いた。彼の偉大な劇的緊張の完全な栄光の声...」「衝撃のデビュー、ヘラクレスの完璧な解釈」「クーラのサムソンは『神』だった」「北京デビューに観客熱狂」など、絶賛しているものが多かったようです。ネット上の観客の声に「なじみのないこの演目が、ホセ・クーラの解釈によって、観る価値あるものとなった」というのもありました。北京デビューは大成功といえるようです。次回は、クーラの希望では演出・監督として・・ということですが、できればまだまだ歌手としても出演して、さらにあと一歩、日本まで足をのばしてほしいと切に願います。

クーラのFBに掲載された、サムソンで共演した子役ユー君との写真。ユー君は自筆の書(達筆でビックリ!)をクーラにプレゼント。「芸、人間性共に優れる」の意。
「すべての愛と感謝の気持ちを、賢く強いリトル・ユーに!」とクーラはコメントを添えていました。


                                   

ポスターとHP用バナー
 





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2015/5 マーラーの交響曲第2番「復活」を指揮 Jose Cura / Mahler Symphony No.2 'Auferstehung'

2016-05-10 | 指揮者・作曲家として


2015年の5月9日、ちょうど1年前ですが、ホセ・クーラは、ポーランドのノヴィ・ソンチで、グスタフ・マーラーの交響曲第2番「復活」を指揮しました。
何度か投稿で紹介しましたが、クーラはもともと作曲家、指揮者志望で、大学でも作曲と指揮を専攻、さまざまなアクシデントと運命的な出会いにより、テノールとして国際的キャリアを築いてきました。そして近年また、指揮者として、また作曲家としての活動に、少しずつシフトしつつあります。
 → 詳しくは 「音楽への道」、または、「略歴」

今回は、ソプラノのアーダ・サーリの名を冠した国際声楽フェスティバルの開幕コンサートという位置づけでした。クーラはこの招待にたいし、「とても誇りに思う。特に文化と教育に影響を与える世界不況のもと、私に希望を与え、あきらめない努力のために、私たちの仕事がまだ価値あることを感じさせてくれる」と語っていました。



会場は、ポーランドのノヴィ・ソンチにある聖十字架教会。正面には巨大な十字架に磔になったキリストの像があり、ステンドグラスと彫刻に囲まれた美しい教会のようです。





オケはベートーヴェン・アカデミー・オーケストラ。ポーランドラジオ合唱団とグレツキ室内合唱団、ソリストが加わり、参加したアーティストは、最終的に186人になったとのことです。そして観客は、子どもを含めて1000人以上が参加したと報道されていました。
Orkiestra Akademii Beethovenowskiej
Chór Polskiego Radia , Górecki Chamber Choir
Małgorzata Walewska , Urška Arlič Gololičič
José Cura


クーラが2016/11/26に、ウィーン国立歌劇場デビュー20周年を記念してシェアするとしてアップした、当日の録画。1時間半以上の全曲の演奏の様子がビデオに収められています。 → クーラの動画ページ(ホセ・クーラTV)




クーラは直前のインタビューで、「今日のコンサートは素晴らしい音楽的経験になるだろう。とりわけ私にとって、特別な人間的体験だ。私のような理想主義者にとっての夢だ。ルーティンではなく、目に輝きをもつ人々とともに働く機会を得た」と意気込みを語っていました。

現地の報道によると、クーラは指揮者としてはかなり型破りのようで、観客と直接コンタクトをとっていたそうです。指揮台に立ってすぐに、満席で座る席のない観客には「長い曲だから床に座って」と声をかけ、子どもたちには前の席に来るように手招きしたとのこと。
そして、終了後、観客から大きな喝さいを受けると、スコアを高くかかげ、作曲家マーラー自身と第2番「復活」の楽曲そのものへの敬意を示しました。

終了後、ベートーヴェン・アカデミー・オーケストラはFBで、「感情の震えは巨大だった。観客は熱心に我々を歓迎してくれた」と報告しています。




現地のレビューでは、「‥豊かな質感のメロディーと楽器のダイナミクス。あるべき全てのものがあった。巨大なフォルテからピアニッシモ、轟くドラマから軽快さと喜び。最後の審判の劇的ラストは楽観性の中にあった」など、好意的な報道がされました。

終了後、コンサートの様子とインタビューを収めた動画。クーラの指揮するマーラーの一部が4分頃から。
Wywiad z Jose Curą ? argentyńskim dyrygentem i tenorem.




〈インタビューや記者会見での、マーラーについてのクーラ語録〉

●マーラーの第2番を指揮することは、バッハのミサ曲やベートーベンの交響曲第9番の指揮に匹敵する、知的、精神的な経験だ。その後、我々はそれまでと同じではいられない。

●そのような名曲を指揮するときには、非常に重要な態度がある。それは「シンプルかつ控え目」 にすることだ。かつて、私の友人で偉大なイタリアの指揮者、ダニエレ·ガッティが語っていたように。

●私はマーラーを愛する。なぜなら彼は暴君ではないから。すべての人が、10の違う方法で、彼の交響曲を理解することができる。指揮者のパーソナリティだけでなく、その瞬間、瞬間に。

●私はオペラ、演劇、ドラマの人間。そしてマーラーは最もドラマティックなアーティストの一人だ。この作品への私のアプローチはとても演劇的になる。リスナーの感情に働きかける意味で。



●音楽を創ることは、愛し合うこと(メイキング・ラブ)と同じ。だからマーラー交響曲第2番の私の解釈がどうなるかはわからない。まだ恋人であるオーケストラと会っていないのだから。

●私ははじめてマーラーの交響曲第2番「復活」を指揮した。その夜、それは文字通り、私の魂と心をハイジャックした。その状態は数日間続いた。

●今年一番嬉しかったことは初めてマーラーの交響曲第2番「復活」を指揮したことだ。私は、もう一度、すぐにこのような「地球外の経験」をくり返すことが待ちきれない。

●誰か他の作曲家の音楽を指揮する時には、大きな責任を持つ。作曲家自身が何を言いたかったのか、懸命に理解しようと試みなければならない。自分が作曲した音楽を指揮する場合には、この問題(解釈すること)は生じない。しかし別の問題がある。ここで小さな変更をしないようにすべきかどうか?――それは無限のプロセスだ。
そうするとマーラーのように働く必要がある。マーラーは彼の交響曲を指揮する時、多くの変更を行った。最終的に10バージョンになった。

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初めてのマーラーの第2番は、クーラ自身にとっても忘れられない体験となったようです。少年時代から合唱の指揮を始め、指揮者をめざして勉強してきたクーラ。指揮台に立つ時、本当に嬉しそうで、オケや出演者と共に音楽をともにつくりあげることを真に楽しんでいる様子が伝わってきます。テノールとしてクーラの声を聴く機会が減りつつあるのはとても残念ではありますが、指揮者としての活動がさらに広がり、来日や録音などで聴けるようになるよう願っています。

リハーサルなどの様子の動画。主催者のFBに掲載されています。 →リンク


公演前の記者会見の様子。全体で1時間以上の動画。クーラは英語で話し、ポーランド語に通訳
Konferencja prasowa w Krakowie przed Festiwalem im. Ady Sari 2015


                            





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1999年 ムーティ指揮 スカラ座の運命の力 / Jose Cura / Muti / La forza del destino

2016-05-08 | オペラの舞台―ヴェルディ


ホセ・クーラは当初、この5月、2016ヴィースバーデン5月祭でヴェルディ「運命の力」のドン・アルヴァーロを17年ぶりに歌うことになっていました。しかし残念ながら、5月4日にフェイスブックでキャンセルすることが告知されました。芸術的な問題や契約上のトラブルではないということです。


50代になったクーラが、どのようにアルヴァーロを歌うのかとても興味がありました。ぜひまた、次の機会にチャレンジしてほしいです。
ということで、この機会に、あらためてクーラの「運命の力」の舞台、1999年のミラノ・スカラ座での録画を、YouTubeから紹介したいと思います。

指揮はリッカルド・ムーティ、演出・舞台はクーラと同郷のウーゴ・デ・アナ。とても凝った美しい舞台のようです。しかし残念ながら正規の映像がなく、YouTubeも画質が良くありません。また、もともと照明も暗めの舞台です。放映時に、アップと引いた画像を二重写しにするなど、映画風の編集がされているようです。音声はそれほど悪くありません。

この「運命の力」、とにかくこれでもかと悲劇的アクシデントの連続で、運命によって追い立てられるように悲劇へとつきすすむお話です。でもヴェルディの音楽は、ドラマを描き出して本当に聴きごたえあり、美しく迫力あるメロディにあふれ、美しい2重唱やアリアがあります。序曲もとても有名です。例によってテノールの出演場面を主に紹介しました。

La Forza del Destino (Verdi)
Jose Cura (Don Alvaro)
Georgina Lukacs (Leonora)
Leo Nucci(Don Carlo)
1999 La Scala
Hugo de Ana , Riccardo Muti

第1幕


スペインの由緒ある侯爵の家に生まれたレオノーラ、一方、スペインに滅ぼされたインカの王族の子孫であるドン・アルヴァーロ。愛し合う2人だが、結婚を侯爵に反対され、駆け落ちを計画する。迎えに来たアルヴァーロとためらうレオノーラ、アルヴァーロは熱い愛の告白を、レオノーラは父への思いと恋人への愛とのあいだで悩み苦しみ、最後はかけおちを決断する。
Jose Cura La forza del Destino Act 1 duo




2人で家を出ようとしたところを父侯爵に見つかり、自衛のため持っていたピストルを、無抵抗であることを示すために投げ出した。ところがそれが運悪く暴発、侯爵に当たり、亡くなってしまう。
Verdi:La forza del destino: "Vil Seduttor!.."- José Cura, Georgina Lukacs, Eldar Aliev


第3幕


侯爵の家を逃げだしたものの、途中ではぐれた2人。アルヴァーロは、レオノーラがすでに亡くなったと思い込み、イタリアの戦場で偽名で士官となっていた。戦場で、自らのインカの血統、侵略者に処刑された父母、不幸をふりかえりながら、愛するレオノーラを回想する「天使のようなレオノーラ」
Jose Cura, " La forza del destino " -- 1999


敵とたたかう同僚の声を聞きつけ救出。実はそれが、復讐のためアルヴァーロを探し続けていたレオノーラの兄、ドン・カルロだった。しかし互いに偽名を名乗ったため、まだお互いに気付いていない。変わらぬ友情を誓うテノールとバリトンの二重唱が、とてもりりしく、美しい。
Jose Cura La forza del Destino Act 3 scene 2 duo


戦闘で負傷したアルヴァーロ、カルロに「秘密が入っている。自分が死んだら焼き捨ててほしい」と箱を渡す。その中には、恋人レオノーラの肖像画が入っていた。
Forza del Destino Act 3 scene 4 duo


負傷から生還したアルヴァーロに、すでに箱を開けて秘密を知ってしまったドン・カルロが、レオノーラの無事と自らの復讐の思いを告げる。レオノーラへの愛と自らの無実を語るアルヴァーロ、しかしやむなく剣を抜き、応戦。運命の恐ろしさから、修道院に行くことを決意する。
Jose Cura La forza del Destino Act 3 scene 7,8,9


第4幕




それから5年後、執念で修道院にいるアルヴァーロを探し出したカルロ。罪を贖い、慈悲を請い、運命の前にひざまずくと歌うアルヴァーロ。しかしアルヴァーロを許さず、侮辱の言葉をなげかけるカルロに、ついにアルヴァーロも剣をとる。
Verdi:La forza del destino:"Le minacce, i fieri accenti"- José Cura, Leo Nucci




さらなる悲劇が襲う。カルロを刺した直後に再会したレオノーラとアルヴァーロ。兄を殺したと告白するものの、そこにまだ生きていた瀕死のカルロが現れ、父を裏切ったレオノーラを刺す。静かに息を引き取るレオノーラ、運命のあまりの過酷さを嘆き、絶望するアルヴァーロ。終
Jose Cura La forza del Destino last


主なシーンのあらすじだけ追うと、あまりに暗い、過酷な運命に翻弄される物語に、ちょっとどうも・・と思われると思いますが、ヴェルディの音楽は素晴らしく、感動的です。クーラの若々しいインカの末裔の青年、軍服姿のりりしい歌、そしてラストシーンの、絶望にうちひしがれたアルヴァーロの、祈りのような歌はとても印象的です。

まとめてオペラ全体を見たい方には、以下の動画がおすすめです。画質もこれまで紹介したものよりだいぶ良く、出演者の表情やセットの細部もわかります。前後半に分かれています。
Verdi - La forza del destino (1) - 1999


Verdi - La forza del destino (2) - 1999




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妖精ヴィッリ 美しいプッチーニのオペラ第1作 / Jose Cura / Le Villi / Puccini

2016-05-03 | オペラの舞台―プッチーニ


妖精ヴィッリ(Le Villi)は、プッチーニの第1作目のオペラです。2幕上演時間約1時間強の短いオペラで、あまり上演されることの多くない作品です。

でも、ホセ・クーラは、このオペラになかなか縁があります。クーラのキャリアのなかで、初めてのCDがこのヴィッリのライブ録音でした(1994年)。
2006年には、ウィーン国立歌劇場に同じプッチーニの蝶々夫人で指揮者として出演した際に、交互にこのヴィッリのロベルトで歌手として出演するということもありました。またウィーン国立歌劇場におけるクーラ唯一のプルミエ作品(2005/06)がこのヴィッリということです。





その2006年のウィーン国立歌劇場出演の時のインタビューで、ヴィッリについてつぎのように語っていました。

Q、プッチーニの最初のオペラ妖精ヴィッリから蝶々夫人への発展は?
A、途方もないものだ。ヴィッリのオーケストレーションは単純で、ハーモニーはナイーブだ。他の作曲家が30年間必要とした開発を、彼は短期間でやった。

プッチーニが26歳の時に初演された第1作目のオペラであり、それ以降の数々の作品と比べるなら、まだまだシンプルな作品ということでしょうか。
一方でクーラは、ヴィッリについて、「とても情熱的な内容で、発想の豊かさがうかがえる。初期の作品でありながら、成熟した作品。1つおいてマノン・レスコーを作曲した。質の高さは明らかだ」(1997年BBC作成グレートコンポーザーシリーズ)と高く評価しています。

   

短いけれど、あまり上演されないけれど、クーラの言葉どおり、情熱的で、発想が豊か、本当に美しく、情感豊かなメロディがたくさんです。第1作からして、プッチーニらしさあふれる作品といえるのではないでしょうか。

クーラとチェドリンスがコンサート形式で歌った、2007年ジェノヴァの舞台から、主な場面(音声のみ)を紹介します。
美しい声が響きあう、魅力的な録音です。
オテロなどの作品では、あえて暗く重く、くぐもった声で歌っているクーラですが、ここでは、のびやかに美しい歌声を味わえるのではないでしょうか。

第1幕 遺産をもらうために旅立つロベルトが、アンナにすぐ戻ると慰めるシーン。
Jose Cura Le Villi 2007 Duo


第1幕 ロベルトの旅たちを見送るシーン。アンナと父グリエルモ、ロベルトの3重唱と合唱
Jose Cura 2007 "Padre mio, benediteci!" Le Villi


第2幕 都会で誘惑され暮らしていた女性に捨てられ、帰ってきたロベルトが、アンナとの幸せな暮らしを思って歌う。有名なアリア
Jose Cura 2007 "Torna ai felici dì" Le Villi


第2幕 自分を待ちこがれて死んだアンナのことを知り、罪を悔い、許しをこうロベルト
Jose Cura 2007 "O sommo Iddio" Le Villi


第2幕 最後のアンナとロベルトの二重唱
Jose Cura 2007 Le Villi last duet


ウィーン国立歌劇場でのヴィッリの紹介動画
Jose Cura 2005 Le Villi


最後に、ウィーンでのクーラの"Torna ai felici dì"を。
Jose Cura "Torna ai felici dì" Le Villi


                  
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トスカ ホセ・クーラの“ヴィットリア!”と通行証の謎 Jose Cura / Tosca /Puccini

2016-05-02 | オペラ・音楽の解釈


プッチーニのトスカも、ホセ・クーラが1995年以来、60回近く、長く出演し続けているオペラです。
前の投稿でも紹介しましたが、クーラは「人格的な意味で共感できる役柄は、アンドレア・シェニエとマリオ・カヴァラドッシ。両者は類似している。自ら信ずるものを守るために立ち上がり、そしてそのために死ぬ」と述べています。数多いオペラで自分が演じるキャラクターのなかで、カヴァラドッシは数少ない、共感し感情移入できるテノールの役柄の1つのようです。

ちなみに一番多く演じているオテロは、複雑で深い心理をもつ役柄として、取り組むたびに新たな発見があり、一生をかけて分析、解釈し、歌い演じ続けているが、個人的には自分とは似ていないし、感情移入もできる人物ではないと、インタビューなどで語っています。

トスカのカヴァラドッシは、圧政のもとで共和主義者を匿い、拷問にかけられながら、黙秘をつらぬく志ある人物として描かれています。
実は、クーラが青少年期を過ごしたアルゼンチンも、クーデターでつくられた軍事独裁政権の時代(1976年~1982年)でした。
独裁政権に反対する多くの人々を投獄、拷問、殺害、子どもや青年を拉致しました。「行方不明」となった人が数万人ともいわれます。今も、奪われた子どもや孫を探し求める母親たちのたたかいは続いています。「オフィシャル・ストーリー」という映画でも描かれました。

軍事政権がイギリスとの間に起こしたフォークランド戦争の際は、クーラは学生でしたが、徴兵制のもとで予備隊にいたそうです。戦争が長ければ前線に送られた可能性もありました。「戦争が短かったことを神に感謝した」と述べたことがあります。その後、クーラは、フォークランド戦争を追悼するレクイエムを作曲しています。
 詳しくは以前の投稿をお読みください→ 「ホセ・クーラ 平和への思い、公正な社会への発言」

●ホセ・クーラの“Vittoria”
こうした背景をもつクーラは、紛争と平和の問題でも積極的に発言し、平和へのつよい思いをもっています。彼が演じるカヴァラドッシの“Vittoria”には、私は、演技を超えたものを感じます。

ホセ・クーラ、自由への魂の叫び。プッチーニのトスカからカヴァラドッシの"Vittoria"(2000年)
J.cura-Tosca-Vittoria


2010年ウィーン、前の人の影で歌う姿が見えないが、スカルピアにつかみかかり憲兵に取り押さえられそうになっても振りほどき、なおもつかみかかろうとする、執念の、たたかうカヴァラドッシ。
TOSCA Wiener Staatsoper 17.02.2010




 

●通行証の謎とホセ・クーラの解釈

トスカのオペラでは、トスカがスカルピアと取引した後、スカルピアを殺害し、得た自由への通行証をもって喜びを歌います。しかし結局、それはスカルピアの巧妙な罠だったのでした。
それではカヴァラドッシは、このスカルピアの罠に気づいていたのでしょうか、いなかったのでしょうか?
セリフと音楽だけを聴くと、2人で喜びの歌を歌っているように、気付かないままに悲劇の結末に向かっているようにも思います。ネット上の動画をみてみると、あいまいなものもあり、演出や歌手によっていろいろのようです。

これに対し、ホセ・クーラの解釈は明快です。彼は見抜いていたのです。クーラは、カヴァラドッシは共和主義者であり、圧政に抵抗し続けている人物であり、そのような人物が簡単にスカルピアを信じ、だまされるはずがないという解釈です。

DVDが発売されている2000年バーリでの舞台のクーラの演技は、通行証を確認した後、スカルピアの罠に気付き、浮かれるトスカの陰で、通行証を丸めて投げ捨て、大きくため息をつきます。その後、死を覚悟し、残り少ないトスカとの時間を惜しんで、愛と失われつつある人生を哀切に歌います。そして刑場へ連行する警吏を冷たく鋭く一瞥します。













2014年ハノーファーの舞台でのクーラのカヴァラドッシも、「気付いていた」。
通行証を見て理解したカヴァラドッシは、一瞬絶望の表情を浮かべるが、大きくため息をつき、トスカの思いを尊重して、別れを惜しみます。










「偽の」処刑の解釈で、最後の二重唱の解釈も変わってきます。
ホセ・クーラは、永遠の愛の喜びとともに、トスカと自らの人生への哀惜、諦観を表現します。
2014年ハノーファーでのラストシーンの動画を。
Jose Cura "O Dolci Mani" Tosca


José Cura Last duo from NDR Klassik Open Air "Tosca" 2014 HANNOVER


最後に、やはりカヴァラドッシといえば名曲「星は光りぬ」を。
2000年バーリでの舞台。終わって拍手がやまず、“ブーブー”と聞こえるかと思いましたが、“ビスビス”とアンコール求める声でした。
Jose Cura, " E lucevan le stelle " - Tosca, 2000


2014年ハノーファーの野外舞台から。
Jose Cura "E lucevan le stelle"
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