人と、オペラと、芸術と ~ ホセ・クーラ情報を中心に by Ree2014

テノール・指揮者・作曲家・演出家として活動を広げるホセ・クーラの情報を収集中

(インタビュー編) 2022年 ホセ・クーラ、ヴェルディのエルナー二を指揮

2022-03-25 | オペラの指揮

 

 

ホセ・クーラは2022年3月、ブルガリアとルーマニアで、ヴェルディのオペラ「エルナー二」の指揮に取り組んでいます。主催はブルガリア南部の都市ルセのルセ国立歌劇場で、公演は、3月16日にルセで初日、18日にブルガリアの首都ソフィア、25日はルーマニアの首都ブカレストとなっています。また指揮の合間に1回だけ、ルセでアルゼンチン歌曲のリサイタルも行いました。

公演の様子を紹介する前に、クーラのインタビューが現地のマスコミに掲載されましたので、そこから抜粋して、インタビュー編として紹介したいと思います。

ルーマニアは北側がウクライナに接した国。ブルガリアも、国境は接していませんが同じ黒海沿岸です。今回のインタビューでは、ロシアのウクライナ侵略の問題についても質問され、クーラが答えています。

いつものように誤訳等あると思いますが、お許しください。リンク先の原文をご参照ください。

 

 


 

 

●インタビュー(2022.3.16)ーー「エルナー二」プレミア上演前に

 

 

 

≪ ホセ・クーラ "起きていることは超現実的であり、時代錯誤" ≫

 

 

今夜3月16日、ジュゼッペ・ヴェルディの初期の傑作の1つであるオペラ「エルナーニ」が、ブルガリア・ルセのドホドノ・ズダニエ劇場の大舞台で初めて上演される。このイベントは、第61回「ルセ3月音楽祭」の一環として行われるもの。

また、ルセ国立歌劇場の新しい大型プロジェクトである「エルナー二」は、3月18日に首都ソフィアの国立文化宮殿のホール1で上演される。演出はオルリン・アナスタソフ、指揮は世界的に有名なテノール歌手ホセ・クーラが担当した。

 

「 世界が困難な情勢にあり、緊張状態にあって、ここから遠くない場所で戦争が起こっている今、みんなが、最高の形で舞台を見せたいという強い思いをもっており、職場の雰囲気はとてもいい。人々が尊厳と欲求を持って良い音楽を作ることは非常に大切なことだ」

 アルゼンチンのマエストロ、ホセ・クーラは、オペラ「エルナーニ」の初演を前に、ルセ国立歌劇場のソリスト、合唱団、オーケストラとの共演について、このように語った。

「歌手や声について言えば、私は常々ブルガリアには偉大な声があると言っているので、驚くことはない」と、絶賛されたテノールであり指揮者は付け加えた。

「『エルナー二』には、例えば『ナブッコ』の「行け、我が想いよ」のような合唱はないが、人気のあるソプラノとバリトンのパートがある。愛好家にとっても魅力的だし、『このオペラは何だろう?』と思う非専門家にとっても好奇心をそそるものだ」とホセ・クーラは言う。彼は2003年にソフィアでシンフォニーコンサートを指揮して以来、ソフィアへの再訪を心待ちにしている。「私はあなたたちの首都に歌手として招かれたことがない」とマエストロは言う。

 

ホセ・クーラは、クラシック音楽界を代表するテノールとして国際的なキャリアをスタートさせた当初から、指揮台での仕事と卓越した声楽のパフォーマンスを見事に融合させてきた。生来の音楽的才能は、彼を指揮者としての独自の解釈を形づくるように導いた。そのため、世界的な歌手としてのキャリアの全盛期においても、指揮者としての仕事は止むことがなかった。ヴェルディのあまり上演されないオペラ「エルナー二」をホセ・クーラがルセ歌劇場で解釈することは、音楽史に残るだろう。オペラ歌手、指揮者でありながら、作曲家としても活躍している。宗教的音楽、オラトリオのジャンルでの「スターバト・マーテル」、「マニフィカト」、三部作「この人を見よ」、「テ・デウム」、「レクイエム」や、バロック時代の作曲家アントニオ・ヴィヴァルディに捧げたオペラ「モンテズマと赤毛の司祭」は、レコーディングやコンサートなどで聴衆の注目を浴びている。

 

今回、ホセ・クーラは、ルセの観客の前でだけ、歌手、作曲家として登場する。3月20日18時から、ルセのフィルハーモニーホールで行われる「From Bulgaria to Argentina」と題したリサイタルでは、ブルガリアのソプラノ歌手Tsvetelina Vassilevaとともに、アルゼンチンの作曲家の作品やクーラ自身のオリジナル曲を演奏する。ツヴェテリナ・ヴァシレヴァは、ブルガリアの作曲家による曲を歌う。ピアノ伴奏は、ハンガリーのピアニストKatalin Cilagとブルガリアのピアニスト兼指揮者Viliana Valchevaが担当する。

「”自国の文化大使 "であることが重要だ。パブロ・ネルーダやルイス・セルヌーダなど、詩的な歌詞が素晴らしい楽曲を紹介する。ブルガリアのいくつかの歌とともに、ブルガリアとアルゼンチンの兄弟愛を表現する」と語った。

 

ーーロシアによるウクライナ侵攻について

起きていることは超現実的であり、時代錯誤でもある。現代社会ではあり得ないと思っていたことが起きている。80~100年前はそうだったが、2022年の今、人類は過去を捨て、インターネットやその他のイノベーションによって現代に移行したと思っていた。決して「油断」することなく、そういう人間の思考が、我々の敵になるまで、常に警戒を怠ってはいけないようだ。

ウクライナへの侵攻だけでなく、私たちが生きているのは、すでに信じられないような困難な状況だ。人々の顔は苦痛に満ちている。経済的、地理的、文化的な違いを超えて、兄弟愛や私たちの間にある愛などの共通のもので結ばれる理想の社会には、まだまだ遠いということを改めて見せつけられた。私の60歳の年齢からするとナイーブに聞こえるかもしれないが、これが自然の教訓であり、そうあるべきなのだ。私たちが対立の中で生きていたら、私たちが住んでいると思う現代的な社会へ、この一歩を踏み出すことはできないだろう。そして突然、中世を思わせるような状況に置かれた。自分たちを現代人だと思っているのに、まるで洞窟の中で暮らしているかのように振る舞う。間違いは甚大だ。理想の世界への道のりはまだまだ長い。それは、人々が家の中でどこでもインターネットが使えるということだけではない。

 

ーーロシアの音楽家のプロ契約解除について

物事を別々に検討し、実際の事実と実際の相互関係を評価すべき微妙な問題だ。私はゲルギエフとプーチンの関係も知らないし、ネトレプコとプーチンの関係も、親しいのかそうでないのか、友人なのかそうでないのかも知らない。自分がよく知らないことは判断できないが、新聞で読んだり、ラジオで聞いたり、テレビで見たりした。新聞を読んで、起こってはならない重大なことについて意見を述べる責任がある。何が正しいか正しくないかを言うためには、メディアが発信している情報よりもう少し多くの情報を持っている必要がある。

 

classicfm.bg

 

 


 

 

 

≪ ルセ歌劇場で受けた素晴らしい人間としてのレッスンーーどのような状況下でも人は創造することができる ≫

 

彼は非常に熟練したミュージシャンであり、自分の才能に忠実で、妥協することなく懸命に働くことをいとわなければ、どのようなことも可能であることを実際に示している。スカラ座、コベントガーデン、ウィーンなど世界の舞台での成功に甘んじることはなかった。テノールとして、作曲家、指揮者として…。今回、彼はルセでヴェルディのオペラ「エルナー二」のブルガリア初演の3公演を指揮する。ルセでの3月音楽祭で大成功をおさめ、今夜ソフィアで、そして3月25日にルーマニアのブカレストで上演される。

クーラはルセでのドレスリハーサルの開始前に、特別にインタビューに答えた。リハーサルがどのように行われるのか、初日にむけて何が残されているのかまだわからないが、彼は1つのことを確信しているーー「聴衆に”エネルギーのブースター”を与えることができるだろう」。

 

 

Q、あなたに関して情報を調べると、「三大テノールに続く4番目のテノール」、「世界で最も傲慢なテノール」、さらには「世界で最もセクシーなテノール」などといわれていたが、あなたは自分をどう定義する?

A(クーラ)、あなたは初めて私に会ったが、私をどのように認識する?

 

Q、あなたはすぐに相互の距離を縮め、氷を壊したいと思っている人だと思う。表現力豊かで、反応が早い。

A、「第4のテノール」や他の同様の定義は、一般のメディアの決まり文句。しかし90年代にはインターネットがなかったので、レコード会社のPR担当者にとってはそのような決まり文句が重要だった。25年前は今よりもメッセージを送るのがはるかに困難だった。そのような決まり文句を克服するのに私は何年もかかった。「第4のテノール」と言われるのは誇らしいことだと自分自身に言い聞かせたが、しかし他の3人が私の父の年齢と同じだとしたら、何の意味があるのだろう?

 

Q、1997年には「新しいオテロがうまれた」と書かれた?

A、そう、しかし彼らは「新しいオテロを見つけた」とは書かず、「生まれた」と書いた。それは全くの嘘だ。誰かが生まれた時、私たちは彼が成長するのを待ち、どうなるか見なければならない。私はオテロに生まれたが、その役柄を成熟させるのには少なくとも15年かかった。その点は真実だ。

 

Q、あなたは歌い、同時に指揮し、また管弦楽曲をつくり、歌うが、とても驚くべきことだ。そのような共存関係は何から導かれている?

A、それは違う。時系列でみると、私のキャリアはアルゼンチンの大学の音楽院での作曲家・指揮者として始まった。私がプロとして歌い始めたのはずっと後のことで、作曲家として生計をたてることが非常に困難だったためだ。そして今日でも、作曲した作品だけで生きていくことは非常に困難だ。作品を演奏したり、教師になったり、歌ったりする必要がある。200年前は可能だったが、しかし現代では、すべての作曲家がそうではないが、作曲とともに他に何かをやっている。

80年代と90年代において、アルゼンチンで作曲家や指揮者になることは非常に難しかった。軍事政権の後、経済、国が回復する途上で、私は若く、仕事がなかった。それで歌い始めて、ある日、自分が有名になっていたことに気が付いた。運命のいたずらであり、それに逆らうことができただろうか?

その後の25年間、私の歌手としてのキャリアは非常に重要で多忙だったために、指揮と作曲は、後景に押しやられた。私は常にそれらを維持し続けてきたが、しかし指揮に専念することはできなかったし、作曲は不可能になった。例えば5分時間があるから作曲しよう…というのは、モーツァルトだけができることで、普通の人間にはできない。私たちには時間が必要だ。

パンデミックは状況を大きく変えた。私は他の人々と同じように、ほぼ2年間、毎日24時間、家にいた。それで作曲に戻った。ギター協奏曲、テ・デウム、交響曲の組曲を書き、今年2022年5月にブダペストで初演されるレクイエムを完成させた。不満は言えない。もちろんコロナ禍は大惨事であり、多くの人が愛する人を失った。私は幸いにして家族の誰も失わなかったが、友人を失った。コロナ禍で、私は、優先順位を再編成することにした。

週に3回のコンサートを行い、1か月に5か所のホテルを移動する…こんな騒がしすぎる生活を送ってきた人間にとっては、すべてが止まった。突然、走り回ることのない自分自身を見つけた。そしてともに過ごし、周りを見渡し、いる場所の美しさに気づいた。もちろん、私はもう60歳間近で、この現実に40年近くいるので、こう言うことができる。トップに立ち、プロフェッショナルのトップパフォーマーでありたいという私のニーズは、長く満たされてきた。

 

Q、ルセでは、あなたは本当に歌劇場のチームにエネルギーを与え、彼らは非常に感謝している。ブルガリアのアーティストのチームは?

A、そう、私はソフィアとプロブディフで働いたことがある。

私はプロフェッショナルであり、この職業で生計を立てている。これが私の仕事だ。私は、請求書や子どもの学費の支払いのため、または子どもたちが孫を連れてくるにを助けるために生計を立てている。これが私たちの仕事であり、私たちはそれを忘れてはならない。なぜなら、人々は、文化について、楽しい仕事だとか、なんてロマンティックだ、と言う…。そう、それは正しい、しかし仕事だ。真面目な仕事であり、難しく、非常に緊張が強いられる仕事。ギターを手にパブで歌うのではない。これは産業だ。ショービジネスは産業であり、巨大で重要な産業だ。世界中の何百万人もの人々がこの業界に依存しているーー映画で、そして劇場、合唱団、オーケストラとオペラで。私たちはそれを忘れてはならない。

人々が文化とショービジネスを混同することを、私は非常に懸念している。これら2つは異なるものだ。ショービジネスは、文化が製品である産業だ。ショービジネスがなければ、例えば今回のオペラ「エルナー二」のような重要な仕事はなかっただろうから、これは良いことだ。「エルナー二」で300人を雇用している。ショービジネスがなければ、これは全く不可能だった。もちろん、ショービジネスがなくても、文化、芸術、音楽、その他すべてが存在し続けている。しかし運命論に陥ってはならない。経済的危機で、文化は苦しんでいる……いや、ショービジネスが苦しみ、文化も苦しむ。それは世界の文化の多くに起こったこと。ショービジネスは世界中の何百万もの人々が文化からお金を稼ぐようにする。

私たちには使命がある。私たちはプロフェッショナルだが、私たちの使命は、この業界の文化的製品である作品を人々に伝え、積極性をもたらし、基準を構築し、良いものを創造することだ。素晴らしい芸術と同じように。偉大なカラヴァッジョの絵を見れば、視覚的基準を育てることができる。そして、それほど良くないか、全く良くない何かを見た時に、あなたの頭の中で、偉大なものと偽物を区別する。これはアーティストとしての私たちの人生において、非常に重要な使命だ。人々が素晴らしい芸術作品に到達するのを助けるために、日々、コミュニケーションをとる特権を持っている。人間の基準が、崇高なものと無駄を区別できるように。

ルセで苦しんでいる素晴らしいチームと出会った。劇場は破壊されたが、彼らは素晴らしい。リハーサルはとても大変だった。しかし一方で、それは私にとって、素晴らしい人間的なレッスンだった。彼らが教えてくれたのは、どのような状況においても、創造することができるということだ。

 

Q、今住んでいるのは?

A、マドリード

Q、一番好きな場所は?

A、マドリードの家。マドリードだからではなくて自分の家だから。

Q、世界中で一番好きな場所は?

A、幸運にも、オーストラリアの珊瑚礁からシベリアまで見たことがあるが、ひとつを選ぶのは難しい。しかし私は、大都市の賑やかな雑踏よりも、自然の素晴らしい美しさの方が明らかに好きだ。何回問われても、ニューヨークやロンドンよりも、グレートバリアリーフやサンフランシスコ湾の方を選ぶ。フランスの田舎の牧歌的な風景が好きだが、パリは2日で無理だ。たぶん子どもの頃、アルゼンチンの田舎で、馬に乗ったりして育ったので、自然の無限の広がりを現在も愛している。

Q、もし一瞬で家をどこかに移動できるとしたら?

A、たぶんパタゴニア。世界で最も素晴らしい場所の1つだから。

 

Q、ウクライナの戦争についてどう思う?

A、ひどい時代錯誤だ。21世紀において、人々が互いに殺し合うことなどあってはならない。そう、ロシアが侵略者だ。しかし、両方の側で人々が死につつある。そしてもう一つ、情報過多の時代に、誤った情報が多すぎるということも逆説的だ。明らかなのは、戦争は時代錯誤であり、人々の殺害を止めなければならないということだ。交渉がどのように可能かはわからないが、止めなければならない。

 

(「utroruse.com」)

 

 


 

 

●クーラのFBより リハーサルの様子について

 

 

「友人のイワン・キルクチエフが私に『エルナーニ』を指揮するよう私に誘ったとき、彼は、”ホセ、私の芸術チームの気分を高めるのを助けるために一緒に働いてほしい”と言った。実際、洪水や火事の後、劇場は大規模な再建の準備が整い、最終的に劇場を取り戻すことができるまで、全員が心ひとつに必死に耐えて働いている。暖房のない中でのリハーサルも、(外はマイナス気温だが)目標達成の妨げにはならない。「ジャケットと手袋をし、スカーフを巻いて、さあ、出発だ」というのが、暗黙の了解のようだ。誰も文句を言わない。この勇気と謙虚さを教えてくれたルセ歌劇場に感謝する。悲惨なウクライナにとても近く、それでも音楽をあきらめないことは、コミットメントの1つの大きな例であり、心を癒してくれるものだ。」

 

 

●テレビのインタビュー動画

クーラがインタビューに応える動画(英語だがブルガリア語通訳が重なります)やリハーサルの様子などが収録されています。

 

 

 


 

 

いつもリハーサルの時は半袖Tシャツ1枚のことが多いクーラですが、FBに投稿していたように、劇場が再建中で暖房もない中、さすがのクーラも厚手のパーカーのようなものを着ていました。非常に困難ななかで、リハーサルを乗り越え、公演は大きく成功したようです。本当に良かったです。

今回は、ロシアによるウクライナ侵略の最中で、ウクライナに近い国での公演でした。インタビューでもこの問題について問われ、クーラは「戦争は時代錯誤であり、人々の殺害を止めなければならない」と断言していました。

母国のアルゼンチンで軍事政権のもとでのフォークランド紛争(マルビナス戦争)を体験し、もう少し長引けば派兵させられるところだったクーラ。常に平和と社会的公正を求めて発言してきましたので、今回のような意思表明は当然だと思います。

「理想の世界への道のりはまだまだ長い」と言いつつ、しかし「理想の世界」、戦争の時代と決別した真の「現代」を目指すべきであり、それが自然の教訓であり、そうでなければならない、と断言しているのは、やはり理想主義者であり、熱い心のクーラらしい発言です。

ロシアのアーティストの契約解除については、個々の関係を見て判断すべきであり、また責任をもって発言するためには表面的な報道にとどまらない情報が不可欠だと、穏当な指摘をしています。この問題については音楽業界でも様々な見解・態度があり、個々の是非は別としても、アーティストの生き方、芸術と政治権力との関係、距離、権力と商業主義……いろいろ考えさせられます。戦争と言論弾圧、民主主義破壊は常に一体のものでもあります。侵略を止めさせ、一日も早く戦争が終わることを願わずにいられません。

 

 

*写真は劇場FBや報道などからお借りしました。

 

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2021年 ホセ・クーラ、マノン・レスコーを指揮 プロヴディフ国立歌劇場

2021-10-22 | オペラの指揮

 

 

ホセ・クーラは2021年4月17日、ブルガリア第2の都市プロヴディフで、プッチーニのオペラ、マノン・レスコーを指揮しました。

コンサート形式でしたが、クーラにとっては、コロナ禍で1年近く公演キャンセルが続いた後、はじめて観客の前に立って行うことができた公演でした。

*無観客では2月にスイスのヴィンタートゥールでアルゼンチン歌曲のコンサートをおこない、こちらが長いコロナ禍後の初出演。現在も録画を視聴できます!

 

実はこの公演は、ブルガリアのオペラ・テノールのカーメン・チャネフさんが2020年11月にコロナ禍のために56歳で亡くなったことをうけ、彼を偲んで開かれたものでした。

クーラは、その前年の2019年の7月、プロヴディフ野外劇場でオテロに出演していますが、その時のデズデモーナは、チャネフさんのパートナーであるソプラノのターニャ・イワノワさんでした。オテロのリハーサルにチャネフさんも来て、クーラに、「いつかオテロを歌いたい。いま勉強中だが、あなたを見ることができて2倍学んでいる」と語りかけたそうです。

夢をめざす途上で、パンデミックのため若くして亡くなったことは本当に残念ですし、痛ましいことです。このマノン・レスコーでは、彼の追悼のためにクーラが招かれ、そしてターニャさんはクーラの指揮で、マノンのロールデビューを果たしました。

今回の記事では、その公演の様子や現地でのクーラのインタビューなどを紹介したいと思います。

 

 


 

 

 

State opera - Plovdiv presents:
MANON LESCAUT - Puccini (concert performance)
In memory of Kamen Chanev

Conductor Jose Cura
Soloist Leonardo Caimi and Tanya Ivanova
Soloists and Orchestra of Opera Plovdiv

 

 

●プロヴディフ国立歌劇場の告知画像

 

 

 

 

≪ 当日の舞台写真ーー劇場のFBより ≫

 

 

 

 

≪ ニュース動画などから ≫

 

●カーメン・チャネフさんの生前の姿、クーラと出演者のインタビュー、本番の舞台の様子などを紹介したニュース動画(約30分)

 

02.05.2021 по БНТ

 

 

●観客がアップした動画よりーー第2幕「あなたなの、あなたなの、愛する人」

Tanya Ivanova & Leonardo Caimi | "Tu, tu, amore? Tu" | Manon Lescaut

 

 

●観客がアップした動画よりーー第4幕「捨てられて、ひとり寂しく」~最後

Tanya Ivanova | Manon Lescaut | "Sola, perduta, abbandonata" + final

 

 

 

 

≪ バックステージ、リハーサルの様子 ≫

 

●デ・グリュー役のレオナルド・カイミさんのFBより

 

 

●リハーサルで指揮をするクーラーー劇場FBより

 

 

 

 

 

●リハーサル中の表情豊かなクーラの様子、ソプラノ歌手ターニャ・イヴァノヴァと劇場のディレクターとの対談などのニュース動画

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

≪ クーラのインタビュー、会見での発言より ≫

 

●劇場の再建は挑戦。手助けが必要なら電話を

 

多くの都市、ヨーロッパの都市には素晴らしい劇場があるが、閉鎖されたり、ほとんどが使えなくなっている。また、プロブディフのように、独自の劇場を持ちたいという願望と資源を持っている都市もあるが、それもないところもある。イタリアには、閉鎖された、あるいは完全に放置された空の劇場を持つ町がどれほどあるか知らないだろう。

ここでは、プロジェクトがあれば、ヨーロッパの現代的な要件を満たす素晴らしい建物を作ることができる。しかし、現時点ではほとんど不可能であり、今あるもので満足するしかない。少なくとも、プロヴディフに古代劇場があるのは幸運なことで、それも夢見ることしかできない都市もある。

若い世代がやらなければならないし、それが人生における挑戦だ。私に電話を。手助けできるだろう。

(「mediacafe.bg」)

 

 

●彼らは私のクレイジーさを気に入ってくれた

 

マエストロ・ホセ・クーラは、アルゼンチンを代表するアーティストの1人。音楽に対する情熱と細部までへの眼力で世界的に有名。オペラ歌手、指揮者、舞台美術家、写真家として活躍している。フランス、イタリア、オランダ、スペイン、アルゼンチン、オーストリアなどで数十の賞を受賞している。

プロヴディフ国立歌劇場の招待で来訪し、テノール歌手カーメン・チャネフ氏の追悼公演「マノン・レスコー」を指揮する。

 

Q、プロヴディフでの印象は?

A(クーラ)、非常に快適だ。いつも劇場で仕事をしているので、この街のことは知らないが、次に来るときはもっと時間をかけたいと思っている。旧市街、古代遺跡、ネベト・テペ(岩の丘)......街全体を上から見て歩いたが、まだプロブディフをよくわかったとは言えない。

 

Q、ここで生活することは?

A、ここに住むことができれば幸せだが、深刻なコミュニケーションの問題を抱える。ここの言語はとても複雑だ。私は外向的なタイプで、常にコミュニケーションを求めているので、どこに行くにも通訳を連れ歩かなければならない。

 

Q、この劇場で働くうえで最も気に入っていることは?

A、残念ながら今回はコーラスと一緒に仕事ができなかったが、オペラハウスのコーラスは非常に重要な役割を担っている。オーケストラとは非常に気持ちよく仕事ができているし、コミュニケーションも非常に良好だ。彼らは私が完全に熱中していることを理解し、それを気に入ってくれたようだ。

 

Q、あなたの写真を拝見したが、とても美しい。プロブディフはどのように見える? 

A、残念ながら、これまでは観光客が来るような場所しか見ていない。私のレンズで、もっと身近なディテールを見てみたいが、そのためには街を知る人に案内してもらう必要がある。

 

Q、あなたは歌手であり、指揮者であり、演出家であり、写真家でもある。舞台デザイナーとして舞台に立つことになったきっかけは?

A、それはとても複雑で、すぐには答えられない。私がショーをするときは、まずストーリーを伝えるために何が必要かを考える。それから、キャラクター自身が必要とする生息地、生き生きと動くための空間を作る。だから、自分の頭の中にあるものはすべて作りたいと思う。また、協力者である建築家と一緒に仕事をしているので、基本的なことは私が行い、細部は彼女が担当する。私はスケッチをして、彼女が絵を描く。

 

Q、今でもギターを弾く?どんな曲を?

A、少しだけ。アコースティック・ギターには長い指の爪が必要で、ステージ上のアーティストにとってはきれいとはいえない。それでパンデミックの時には、それを利用して爪を長く伸ばし、再びギターを弾けるようになり、1年間、弾いていた。曲も書いている。長い間、本当は作りたかったが時間がなかったギター協奏曲を書くことができた。いつかここで発表できるようにしたいと思う。

 

Q、沢山の先生たちの教訓を次の世代に伝えていく?

A、もちろん、それは私たちの主な任務。言葉だけでなく、手本となるものを伝えないアーティストは、空虚だ。多くのアーティストが、「彼が最後だった」と言われるために、知識を伝えたくないと思っていることも知っている。私には、それは利己的なことに思える。 自分が教わったこと、学んだことを新しい世代に伝えていかなければならない。そして、若い世代がそれを経験として受け止め、真似するのではなく、自分なりの何かを加えて、それを伝えていくことで、すべてが成長していくことを願っている。それがなかったら、私たちはまだ先史時代の洞窟の中にいただろう。

 

Q、大事にしている教訓は?

A、アーティストにとって最も重要なことは何だと思う?オスカー・ワイルドは "Be yourself; everyone else is already taken."(「自分らしくあれ。他の人の席はすでにうまっているのだから」)と言った。それはアーティストにとって最も重要なことだ。私の人生で受けた最高の批判は、私を傷つけるために「彼は、人から期待されることではなく、自分がやりたいことをやるという執念を持っている」と書いたことだったが、私にとっては最大の賛辞だった。

 

Q、前回と比べると今回は?

A、2019年(野外劇場でオテロに出演)は、料理がすでに用意されているレストランに客として参加した。今回は、キッチンで自分自身で調理できるようになった。そこが違う。

 

(「mediacafe.bg」)

 

 

 

 

 

 

●来年「マノン・レスコー」のプロダクションも?

 

私は58歳で、すでにほぼ40年のキャリアを経て、今は、心のレベルと感情でコミュニケーションできる人たちとの仕事だけを選ぶ余裕がある。私がプロブディフに来るとき、純粋に利己的な動機のために、自分自身のためにそうしている。それが私にとってうまくいくからだ。

私は旧市街の家に泊まっている。昨日は初めてのオフで、街を知らないままに歩き回り、古代劇場に着いた。この場所がどれほど美しいか、そしてそれがどれほど魅力的であるかを実感した。下に大通りが見えた。

プロヴディフの湿気の高さで、故郷のアルゼンチン・ロザリオを思い出した。私の街は世界で最も雨の多い街のひとつ。夕方のプロヴディフでは、湿度が高くてきれいに髪を保つのが非常に難しいことがわかった。もちろんこれは冗談。プロヴディフはとても忙しい街。ロザリオは約120年の歴史をもつが、プロヴディフに比べてれば小さな子どものようだ。遺跡の丘で何歳なのかわからない遺骨を見て、この街が歴史に完全に寄りそってきたことが印象的だった。プロヴディフを掘り始めると、ローマ人がスパゲッティを食べているのがわかるだろう(笑)。 

ある朝、目覚めた時、私たちの仕事がリセットされたことに気づいた。これは全世界に起こった。コロナは私たちを無力にした。その結果、大も小もなく、みんな同じ人間だということがわった。ショービジネスの世界では、私たちに非常に重要なことを理解させてくれた。苦痛な方法で発見したーー我々は必要だが、かけがえのないものではない。この発見はショービジネスのエゴを押しつぶした。ショービジネスがこの教訓をどう生かし、どのように変革していくのか、私たちはみていかなければならない。

7月に再びここに戻り、「トスカ」のプロダクションに参加する。その時には、来年の「マノン・レスコー」のプロダクションについて話し合う。今はまず、カーメン・チャネフを偲んで、この「マノン・レスコー」をつくろう。それからさらに考えていくだろう。

 

(「podtepeto.com」)

 

 

●記者会見の動画(ブルガリア語とクーラはイタリア語)

 

 

 

 


 

 

同じテノール歌手の追悼という悲しいきっかけの公演でした。この2年近くの間、本当に沢山の人々、アーティストも含めた多くの方々がパンデミックの犠牲になり、芸術関係者を含めくらしの困難が様々にひろがりました。何より、最優先で命が守られる世界になることをつよく願います。

クーラからは、来年2022年にもプロヴディフに戻り、マノン・レスコーのプロダクションについて交渉中のような話も出されました。報道によると演出のようですが、うまく契約まですすんで、詳細が発表されるのが楽しみです。

今回は指揮者でしたが、クーラ自身のマノン・レスコーのデ・グリュー役では、1998年、ミラノ・スカラ座のリッカルド・ムーティ指揮の舞台に出演しています。DVDにもなっているのでご存知の方もいらっしゃると思います。若々しく一途で切ない青年役を美しく張りのある声、歌唱で表現していました。

最後に、この舞台ではないのですが、99年にコンサートで歌ったクーラのデ・グリューの「なんとすばらしい美人」を最後にご紹介します。音声だけです。

 

Jose Cura "Tra voi belle" Manon Lescaut

 

*画像などは劇場と関係者のFB、報道からお借りしました。

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(告知編)2019年 ホセ・クーラ指揮、プッチーニのオペラ「修道女アンジェリカ」

2019-04-18 | オペラの指揮

 

 

 

ホセ・クーラの次の公演は、指揮者としてのコンサート。2019年4月27日、ポーランドでプッチーニのオペラ「修道女アンジェリカ」と、ポーランドの作曲家ルドミル・ルジツキの交響詩「アンヘリ」を指揮します。

このコンサートは、ポーランドのソプラノ、アーダ・サーリの名を冠した国際声楽フェスティバルの開幕を飾る特別コンサートで、翌日から14か国、81人がエントリーする声楽コンクールが開始されます。2年に1回開催されるこのフェスティバル、クーラは2015年にも同じ開幕公演に出演して、グスタフ・マーラーの交響曲第2番「復活」を指揮しています。

 →2015年 クーラによるマーラー「復活」の指揮を紹介した記事

「修道女アンジェルカ」はプッチーニの3部作(「外套」、「修道女アンジェリカ」、「ジャンニ・スキッキ」)のひとつですが、今回は「アンジェリカ」単独で、コンサート形式の上演のようです。出演者は、前回のコンクールで最終選考に残った若い歌手ということです。

会場は、ポーランドのルスワビツェにあるペンデレツキ音楽センター。ペンデレツキとクーラの関係については少し前の記事で紹介しましたのでご覧いただければ幸いです。

今回は、公演の概要とあわせて、事前の報道記事にクーラの短いインタビューが掲載されていましたので、そこから抜粋して紹介したいと思います。

 

 


 

●フェスティバルのポスター

  

●クーラの公演概要

April 27, 2019  Saturday hours 19:00

The European Center for Music Krzysztof Penderecki

Sister Angelica - Adriana Ferfecka (soprano) 
Aunt Księżna - Małgorzata Walewska (mezzo-soprano) 
Priors - Anna Lubańska (mezzo-soprano) 
Sitter Novice - Kinga Borowska (mezzo-soprano) 
Superior Novice - Agata Schmidt (mezzo-soprano) 
Sister Genowefa - Sylwia Olszyńska (soprano) 
sister Osmina - Monika Buczkowska (soprano) 
Sister Dolcin - Hanna Okońska (soprano) 
Sister Nurse - Jadwiga Postrożna (mezzo-soprano) 
Sisters Żebracze - Magdalena Czarnecka ,Barbara Grzybek (sopranos) 
Sisters Novice - Magdalena Pikuła , Dobromiła Lebiecka (soprano, mezzo-soprano) 
Sisters Świecie - Aleksandra Krzywdzińska , Ewa Kalwasińska (soprano, mezzo-soprano) 

Beethoven Academy Orchestra 
Polish Radio Choir 
Katowice Singers' Ensemble CAMERATA SILESIA 
Maria Piotrowska-Bogalecka  - choir preparation 
Anna Szostak  - band preparation 
JOSÉ CURA  - conductor

 

 

  


 

 

 ≪ホセ・クーラ、再びアーダ・サーリ・フェスティバルに≫

 

彼のキャリアの中で初めて、ホセ・クーラは、アーダ・サーリ・フェスティバルでオペラ「修道女アンジェリカ」のコンサートバージョンを指揮する。イベントはアーダ・サーリ国際声楽アートフェスティバルを開幕する。インタビューのなかで有名なテノールは、プッチーニの作品の官能性、親密さと血について話す。

 

Q、まもなく国際声楽アートフェスティバルで2度目の指揮をとる。ポーランドについて、どんな思い出が?

A(クーラ)、 前回、2015年12月にベートーヴェン・アカデミー・オーケストラを指揮した。
私は風邪をひいていて発熱のまま公演を行ったため、苦しかった記憶があるが、それは素晴らしいパフォーマンスだった。幸い、ミュージシャンは素晴らしく、病気の指揮者でさえもサポートする用意ができていた。
しかし、この優れたオーケストラとの最初のコラボレーション、マーラーの「交響曲第2番」の演奏は、私の指揮者のキャリアの中でも、今でも、最も満足できた瞬間のままだ。

 

Q、あなたの人生は歌うことと指揮に分けられる。 あなたをより喜ばせるものは?

A、私は自分の人生を分野で分けることについて話すのではなくて、その継続的な充実について話したいと思う。
今、30年以上たった後に再び作曲を始めたが、私は今、自分のルーツに戻ったと感じている。
オペラスターの生活は、特に素晴しい場合、おそらく非常にエキサイティングだが、同時に知的な意味では貧弱になることもありうる...他の分野に興味を持って、それらに対しても積極的でなければ。

 

Q、あなたはプッチーニのオペラを指揮した経験があるが、オペラ「修道女アンジェリカ」は初めて?

A、「蝶々夫人」( "Madama Buttefly")、「トスカ」( "Tosca")、「西部の娘」( "Fanciulla del West")のオペラを指揮し、「ラ・ボエーム」("La Bohème")、「トゥーランドット」( "Turandot")、「西部の娘」を演出した。しかし「修道女アンジェリカ」("Suor Angelica")は今回が最初だ。

 

Q、この作曲家(プッチーニ)との出会い、どう感じるのかを指揮者として説明すると?

A、プッチーニをうまく指揮することを許さないのは、主に官能性を強調することによって、彼の音楽の内部にある哀愁を伝えることに集中できないということだ。
指揮者は、親密で個人的な状況を示すことを恐れてはならない。強い感情に対処する能力がなければ、プッチーニを指揮するのは不可能だ。血、汗、恐怖、ヒロイズム、感受性、エロチシズム、泥くささ・・関連する、これらすべての感情は、基本的な意味においてだけでなく、心理的に深い言葉で表現されている。

 

Q、今後2019/2020シーズンでは、あなたはウィーン国立歌劇場の舞台で 「サムソンとデリラ」でサムソンの役に戻る。それはあなたの最大の創造物だと信じられている。再びこの役に直面することを嬉しく思う?

A、私はいつもサムソンの皮膚の中に入りこむ準備ができている。時の経過と、若い頃には理解していなかった人生のさまざまな側面の理解によって、私はサムソン、オテロ(ヴェルディ「オテロ」)、カニオ(レオンカヴァッロ「道化師」)、グライムズ(ブリテン「ピーター・グライムズ」)などのキャラクターの本質を捉えることができた。それが非常に深くなったので、それらを演奏することは、もはや単なる喜びではなくなり、真の努力を要することにもなっている。

「operalovers.pl」

 


 

「修道女アンジェリカ」は登場人物がすべて女声のオペラ。もちろんクーラはこれまで出演したことはなく(テノールの出番はないので当然)、指揮も今回が初めての挑戦だそうです。出演者は前回のコンクールの最終選考に残った人ということですから、若くて実力のある歌手がそろっていることでしょう。クーラは、オペラのドラマを大切にし、コンサート形式でも常に演技をつけて歌い演じています。なので、今回、指揮をするにあたっても、音楽面とともにドラマと感情をいかに表現するかを重視して行うのではないでしょうか。そういう面では、若手歌手にとって、とても重要で貴重な成長の機会になるのではなかいと思います。

会場となるペンデレツキ音楽センターは、単なる音楽ホールではなく、総合的な音楽教育のための機関のようです。CDなどの録音でも使われるようで、素晴らしい環境、素晴らしい設備が整っています。そのなかにある大ホールがコンサート会場です。

前回のマーラーの指揮の時には、全編の動画をクーラがホセ・クーラTVにアップしてくれました。その後、クーラはそのサイトを閉鎖してしまい、とても残念です。勝手にコピーしてアップするなどの行為が横行したためのようです。現在、クーラはiTunesなどを通じた音楽配信事業を始めていますが、今後、何らかの形で(CDや有料配信など含め)こうしたコンサートの様子も視聴できるようにしてほしいと思います。前回の記事でも紹介しましたが、音楽配信、とりわけストリーミングは、ほとんどアーティストの収入にはならないとクーラが指摘していました。何らかの形でアーティストの苦労に報いるシステム、遠くてコンサートには行けないけれど、視聴して応援できる仕組みが欲しいと切に思います。

 

*ペンデレツキ音楽センターのHPより


 

 

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(本番編) 2016 オテロを指揮 ジュールフィル Jose Cura / Otello / Gyor Philharmonic Orchestra

2016-04-27 | オペラの指揮


シェークスピア没後400年の記念日、2016年4月23日、ホセ・クーラは、ハンガリーのジュールで、ジュールフィルハーモニー管弦楽団を指揮して、ヴェルディのオテロをコンサート形式で上演しました。ジュールフィルはこのコンサートの直後に、日本ツアーに出発しました。ツアーの成功、そして今後も、クーラとジュールフィル、日本との縁がさらに深まることを願っています。

当日の様子やリハーサル、直前に受けたインタビューなどを紹介します。
 *合唱団とのリハーサルの様子やヴェルディやオテロの魅力と解釈などについてのインタビューはこちらの投稿をごらんください。→(告知編)

会場は、アウディ・ジュールアリーナ、4000人、5000人規模で収容可能な多目的の巨大なアリーナです。クーラは指揮者であるとともに、演出と舞台のデザインを行いました。コンサート形式ですが、階段や簡単なセットを使い、演技もつけた半演奏会形式のようでした。白と黒を基調にしたシックな舞台で、大スクリーンも使用しています。









クーラは直前に受けたインタビューで、「オテロを指揮することは巨大な挑戦だ」と語りました。その内容について、ハンガリー語から訳してみました。誤訳、直訳、ご容赦ください。

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●称賛すべきハンガリー国立合唱団
ハンガリー国立合唱団とのリハーサルは非常に良い雰囲気だった。リハーサル中に合唱団がこんなに笑っていたのは、それほど頻繁にあることではない。合唱団がリハーサルの数時間の間、リラックスしていた。

コーラスの仕事に非常に満足できた。ハンガリー国立合唱団の成果を賞賛する。オーケストラに所属する合唱団として、彼らは、オペラ座の合唱団よりも、より柔らかいトーンを歌う上で大きな利点を持っていた。

テナーのセクションは特別に賞賛されるべき。いくつかの合唱団の場合、
他の声がテナーの声を「隠す」ほうが良いことがある。しかし、これはハンガリー国立合唱団にとっては不要だ。





●オテロの指揮は巨大な挑戦、並はずれたプレッシャー

20年間オテロを歌い続け、3年前にはブエノスアイレスのテアトロコロンでオテロの演出をした。この作品とともに長い年月を過ごした後、オテロを指揮することは、巨大な挑戦だ。新しい未知の音楽を扱うようには、簡単には近づけない。並外れたプレッシャーがある。

しかし数え切れないほど様々な状況で、多くの指揮者の下でオテロを歌ってきたことは、大きな利点でもある。この非常に複雑で長い作品の演奏において、何がよく働いて、何がうまく動作しないのか、よく知っている。

●リハーサルは登山のようなもの
一週間のリハーサル期間、我々はスーパーチームを待っていた。リハーサルの期間は、山を登るようなもの。国際的なソリスト、ハンガリーの合唱団、オーケストラ、そして観客と、一緒に頂上に到達したい。

私は、成功に非常に自信を持っている。何千人もの人々にクラシック音楽を伝えることは小さくはないタスクだ。しかし彼らのプロの仕事と、シェイクスピアとヴェルディの素晴らしい作品の質に助けられる。





●オテロの現代的テーマ
この傑作は、今日と非常に関連し、現代的だ。なぜなら、人種差別、外国人嫌悪および難民の問題は、現代のヨーロッパの最も重要な問題だからだ。

これは裏切り、搾取、残酷さ、家庭内暴力や虐待などの重要なテーマについても同様だ。この500年間で何ら変わっていないことを考えさせられる。オテロは今日の人々に、私たちの時代について語っている?

●オテロへの愛
このオペラとの愛は20年間続いている。毎回そのたびに、より多くの発見をする。これは、“真実の愛”というべきものだ。そして決して終わることのない、ネバー・エンディング・ストーリーだ。





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巨大なアリーナで行われたクーラの初めてのオテロ。いろいろ困難もあったと思うが、それを越えて大きく成功しました。オケ、合唱団、子ども合唱団、スタッフ、観客、大勢の人びととの共同をつくるうえで、クーラの経験と蓄積とともに、ユーモア、カリスマ性が大きな力を発揮したようです。
合唱団の方も、リハーサル後、ツイッターで、「ホセ・クーラの指揮とヴェルディがオテロの人生の奇跡を創り出した」「ぜひこの雰囲気を感じてほしい」と発信していました。

公演の様子を報道したニュース動画。クーラの指揮や舞台の様子が分かりますが、音楽にアナウンスが被って聴きとれないのが残念です。
Kulturális főváros lehet Győr


会場で開催された公開リハーサルの様子。アリーナの防災訓練もかねて(笑)、会場いっぱいの子どもたちを集めて行われた模様です。
Kritikus tömeg 2016


                          



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(告知編) 2016 オテロを指揮 ジュールフィル Jose Cura / Otello / Gyor Philharmonic Orchestra

2016-04-18 | オペラの指揮


ホセ・クーラは昨年、ハンガリーのジュールフィルハーモニー管弦楽団と客演指揮者として契約したことを記者会見で発表しました。
そしてシェークスピア没後400年記念日の2016年4月23日、シェークスピアを原作とするオペラ、ヴェルディのオテロを指揮者として振ることが決まっています。
 → ジュールフィルのHP

クーラ自身は歌いません。会見では、「我々は若い歌手を育てる必要がある」と語っていました。
 →直近のクーラが歌ったザルツブルクのオテロについては、これまでの投稿をご覧いただけるとうれしいです。

すでに今週土曜日に迫った本番にむけて、リハーサルがはじまっています。リハーサルの様子や、事前に受けたインタビューからクーラの思い、公演の概要、オテロの解釈などを紹介したいと思います。

*5/26追加 すでに終了した公演の様子、画像、クーラの発言などについては →(本番編) 2016オテロを指揮 ジュールフィル
 
*4/19追加 クーラのFBに合唱団とのリハーサル中の様子がアップされました。 →クーラのFBページ
歌い、踊り、芝居する指揮者(笑) 後半、爆笑、爆笑でとても楽しそうなリハーサルです。


ジュールフィルハーモニー管弦楽団の客員指揮者には、これまでギルバート・ヴァルガ、ゾルタン・コチシュとともに、日本の小林研一郎らの名前があり、日本にもなじみのあるオケのようです。
場所は、ハンガリーのジュールにあるアウディ・アリーナという4000人規模の大会場です。コンサート形式で、若い人たちに来てもらいたいと企画したようです。現在のところ、ネットラジオ中継などの情報は入っていません。最近のハンガリーでのコンサートは2回とも録音・録画が放送されたので、今回も楽しみに待ちたいと思います。

ジュールの街に貼られた巨大ポスター

Saturday, 23 April, 2016 - 19:00 Audi Arena, Gyor
Program: Verdi Otello
The stage version of the opera is performed on the 400th anniversary of playwright William Shakespeare’s death.
Győr Philharmonic Orchestra, conducted by José Cura
Featuring / Christian Juslin / Gabrielle Philiponet/ Piero Terranova / Zsófia Kálnay / Gergely Boncsér / Marcell Bakonyi
Hungarian National Choir



公演に向けてクーラが受けたいくつかのインタビュー(2016年3月頃)から、抜粋しました。ハンガリー語からなので、誤訳やニュアンスの違いが多いかもしれません。あらかじめお断りしておきます。

●ヴェルディの音楽のくみ尽くせない魅力
Q、ヴェルディの音楽の何が特別か?
A、ヴェルディは天才であり、彼の音楽に私は感嘆する。主に彼の成熟期の作品だが、私はこれらの専門家でもある。
しかしヴェルディは、私の一番好きな作曲家というわけではない。

私の好きな作曲家はヨハン・セバスチャン・バッハ。そしてヴェルディの成熟した音楽には、バッハのような特徴がある。
それは彼が、彼の作品を演奏する方法について、スコアの中であまり多くの説明をしていないことだ。ヴェルディはこう言っているかのようだ。「もし君が優れているのなら、君は私が言いたいことを理解するだろう。しかし君が私の音楽を理解するために多くの説明が必要というなら、まだ君は十分に良いとはいえない」と。

ヴェルディの音楽における、決して尽きないパフォーマンスの可能性へ「開かれた扉」は、とても魅力的だ。ヴェルディの解釈の秘密を所有する唯一のものだと自ら主張する学校の存在など、私には決して理解できない。ヴェルディは、ヴェルディ音楽の「自称」司祭たちが彼の音楽に課している制限に対して、真っ先に怒っただろう。

Q、数多くオテロを演じてきたが、毎回、新しい側面にこだわっているのか?
A、オテロの中核の概念は、シェイクスピア以来、またはさらにその原作者から変わっていない。しかしこの「中核」に埋め込まれている数多くの詳細を発見することは、私にとって最も刺激的なことだ。この決して止まらないプロセス!



●ジュールの公演 指揮と舞台デザインを担当
Q、コンサート形式で実施されるがそれについては?
A、パフォーマンスが良ければ、それは良いということだ。形式は重要ではない。フルステージの舞台であっても、同様に、指揮、場所、雰囲気、観客と出演者、天候・・多くの要素に依存する。
私は多くの理由から、このコンサートが非常に特別なものになると期待している。しかし、また、非常に異なる面がある。普通の劇場ではなく、アリーナで演奏することだ。

Q、指揮と舞台デザインを?
A、この場合、舞台デザイナーは通常の状況とは違い、演奏するための「空間」をデザインする。アリーナでおこなう限界のなかで、観客の助けになるように、パフォーマンスに焦点を当てた照明をデザインする。

●オテロの解釈と現代
Q、あなたのオテロの解釈は?
A、(オテロをめぐっては)これにはヴェルディ自身の永遠のたたかいがあった。彼はいつも不満を表明してきた。「私はベルカントを書いていない。ドラマを書いたのだ」と。真のヴェルディ演奏者は、これを解釈規則にすべきだ。
オテロにおいて、言葉とその意味は、音楽自体と同様に重要だ。言葉が音楽の媒介物で、時折、ドラマのメッセージを伝えるベルカントとは違う。ベルカントの優先順位は、そのつくりだす音の美しさ。しかしオテロのような音楽ドラマは、盟友として音楽を用いて、言葉の意味を伝える。

Q、今回の舞台に現在の世界を反映させる?
A、我々の生きる世界は、もうこれ以上の衝撃を与えるものを必要としていない。世界的な混乱は、控え目に言っても、混乱を例示するどんな強調でも、レトリックになってしまうようなものだ。
しかしオテロのような作品は、500年間、何も変わらないことを考えさせ、非常に「現実的」であるということは真実だ。議論の尽きない宗教についてだけでなく、ドメスティックバイオレンス(DV)、あるいは裏切り、人種差別、外国人嫌悪、人間の使用と乱用など。



●オテロとシェイクスピア
Q、シェークスピアがユーモラスだというのは?
A、真剣であることと深刻ぶることは違う。後者は傲慢と退屈の根源だ。偉大なアーティストは熱心に自分の仕事をするが、決して深刻ぶることはない。モーツァルトとシェイクスピアがその良い例だ。良いユーモアのセンスを持っているのは健康な事だが、これは生活をおもしろおかしく過ごすことだけを意味するものではない。良いユーモアをもつことと、表面的であることは混同すべきでない。

Q、オテロの原作については?
A、ヴェルディのオテロの脚本家であるボイトは見事な仕事をしており、原作を尊重している。またオペラのオリジナルソースが、シェイクスピアのテキストではないことはとても興味深い。
原典はイタリアの小説家・詩人のツィンツィオだ。彼はシェークスピアがオセローを書く1世紀前に生まれた。シェークスピアのドラマは、ツィンツィオの「百物語」と題した作品集に基づいている。



●人生と芸術、読書について

Q、好きなオペラは?
A、それは、劇場で私が働いているところをあなたが見ることができる作品だ。私の年齢で、これまでのキャリアを経て、自分が好きではないようなオペラには出ない。

Q、あなたにとって芸術の魅力は?
A、何か言いたいことがあり、公然と叫びたいことを持つ時、何も彼を止めることはできない。もちろん多くの勇気が必要で、たたかい、ラフな道を行かなければならない。我々の願いは決して不可能なミッションではないという認識、それが我々をつよくしてくれる。

Q、困難の時、文学から慰めを得た?
A、文学は常に私の人生の一部だ。哲学者ホセ・インヘニェーロスブックの著書「平凡な男」は常にベッドサイドにある。他者の妬みと戦わなければならない時、私を癒してくれる。

Q、多忙ななかで本を読む時間は?
A、私たちの脳が多くの物事を処理し知覚することは驚くほどだ。現代的な技術のデバイスによって私たちの能力の発達を妨げることはできない。いつでも可能な限り読む。

Q、今何を読んでいる?
A、いつも同時にいくつかの本を読む。さまざまなトピック、職業に関連して、また短編小説、他の好きなジャンル、楽しみのためのコミックなど。ちょうど、Reverteの「善良な人々」を読み終えた。いまは現代美術家サルバドール・ダリの本を読んでいる。またクリストファー・コロンブスについて驚くような内容の面白い日記も読み始めたところだ。



●人生哲学は「今を楽しめ」
Q、あなたはこれまで「第4のテノール」などのレッテル張りを拒否してきたが「ルネッサンスマン」というレッテルは?
A、私は説明を求めて物事をするわけではない。ただ行う。例えば、私は自分が写真家だと主張したことはない。写真は趣味だ。世界を観察したいという私の欲求を大いに助けてくれる。
結局のところ、私はいつも言うのだが、人生は「ほんの少し」のことをするためだけでも余りにも短い。「今を楽しめ」が私のモットー、そして、私の人生哲学だ。

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2016年4月15日に公開された記者会見の動画。残念ながらハンガリー語で字幕もないため、内容は聞き取れません。左側の女性は、デズデモナで出演するGabrielle Philiponet
José Cura Győrben rendezi az Otellot

同じく会見の動画、後半にクーラのインタビューと昨年のロスト・アンドレアとのコンサートの様子が少し見られます。
Újra Győrben vezényel José Cura


Gabrielle Philiponetとホセ・クーラがコンサートで歌ったオテロとデズデモーナの二重唱「もう夜もふけた」 2013年トルコ
G. VERDI / OTELLO "Già nella notte densa" José CURA & Gabrielle PHILIPONET, conductor Vladimir LUNGU


リハーサルに熱中するあまりか、いつにないユニークな表情の写真(笑)

妙に短い指揮棒を使っていると思ったら、鉛筆のようですね(笑)


1996年のオテロロールデビュー以来、20年間オテロを歌い演じ続け、2013年には故郷アルゼンチンのテアトロコロンでオテロを演出・舞台デザインしました。そして今回が、はじめての指揮者としてのオテロです。巨大な会場で特有の困難はあると思いますが、大勢の人々が楽しめるコンサートにしたいというクーラの情熱あふれる指揮で、オテロが大きく成功することを願っています。


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2006年 プッチーニの蝶々夫人 ウィーン国立歌劇場で指揮 Jose Cura / Madama Butterfly / Conductor

2016-04-07 | オペラの指揮


ホセ・クーラは、テノールとして国際的に名が知られましたが、これまでの投稿でも紹介してきたように、もともと指揮者・作曲家志望でした。12歳から指揮を学び始め、15歳から指揮者として活動を開始、大学も指揮、作曲を専攻しています。2006年にはプッチーニの蝶々夫人を振って、ウィーン国立歌劇場に指揮者としてデビューしました。

その際のインタビューから抜粋して、クーラの指揮者としてウィーンデビューの思い、作品論、解釈などについて紹介したいと思います。

 

●マーラーも立ったホットな指揮台に
Q、ウィーン国立劇場で初めて指揮をする。それはあなたにとってどのような?
A、私はこれまで、「バタフライ」をかなり頻繁に指揮してきた。しかし、ウィーンで指揮するのは初めて。感情的には、非常にデリケートな状況がある。なぜなら、ウィーンのピットの指揮台は非常にホットな場所だから。すべての偉大な指揮者は、マーラーから現在まで、ここに立っている。これは大きな責任だ。

芸術関係の予算の制約のため、リハーサルの適切な時間を確保することが、より困難になってきている。あまりにリハーサルが少なすぎて、実際には常にギリギリの状態だ。私には1・5回のリハーサルがあった。つまり、2時間半のオペラのために、3時間のリハーサルだけ。しかもそこには25分間の休憩が含まれている。これは、実際にはリハーサルではない。何かを修正するための可能性もなく、迅速に駆け抜けるだけだ。そして、これは当然、非常にストレスを増加させる。



●指揮者としての準備
Q、ウィーンでの指揮者デビューをどう準備する?
A、歌手としての準備と同様に、慎重に学ぶことによって。違いは責任にある。歌手としては自分のためだけの責任を負うが、指揮者は全体のアンサンブルに責任を負う。

Q、他の人によるオペラの異なる録音を聞くか?
A、通常、私はそれを避ける。しかし、過ちから学ぶために自分の録音を聞く。プッチーニはすべてがスコアに存在する。だからスコアに従うならば何も問題はない。

●歌手と指揮者
Q、なぜ遅く歌手になった?
A、私の教師が、良い指揮者になるために歌を学ぶよう助言した。私はフレージングや歌手の呼吸を理解したかった。何も計画はなく、最初の1つがつながり、ある日、私はフルタイムの歌手だった。

Q、最終的に歌手になったのは?
A、それは社会的決断だった。ヨーロッパに来て、単純に歌手としての仕事を見つける方が簡単だったからだ。指揮者としての契約は少なく、歌手のオファーが多い。それが理由だ。

Q、指揮が少ないことを後悔する?
A、幸運にも成功できれば何も後悔はない。歌手のキャリアは指揮者よりはるかに短い。私にはまだ、成長するにつれ歌手から指揮者にゆっくりと転換するための十分な時間がある。



Q、ウィーンでは歌手としてプッチーニの「妖精ヴィッリ」を歌い、次の夜は指揮者となるが?
A、非常に難しいことだが、「妖精ヴィッリ」は短いオペラなので可能だ。例えばオテロでは、これは不可能だろう。

Q、歌手としての仕事は指揮者に影響する?
A、私はオーケストラの長いフレージングと大きな曲線を愛する。オケが歌手と共に呼吸する時が好きだ。歌手の影響は大きい。逆に舞台に立つ時は音楽の偉大な旋律に従う。
指揮者としての私は、歌手が望んでいるようなやり方で歌手を扱う。良いブレスのために十分なスペースを与えること、良い掌の中にいるような感覚を与えること。同時に、彼らがアンサンブルの一部であることを明確にする。

●オペラと現代
Q、オペラはもはや必要とされず、時代遅れになっている?
A、過去のものは存在する権利がないというのは真実ではない。過去を消せば、私たちは立つ土台をもたず、落下する。土台のない建物のようなもので全体の構造は崩壊する。
SF映画を見るようにしてオペラを見ることはできない。また、それぞれの芸術作品を、そうあるべきものとして楽しまなければならず、違うやり方で試してはいけないというならば、それは間違っている。



●プッチーニとヴェルディ
Q、プッチーニの最初のオペラである妖精ヴィッリから蝶々夫人への発展とは?
A、途方もないものだ。ヴィッリのオーケストレーションはシンプルで、ハーモニーはナイーブだ。プッチーニは他の作曲家が30年間を必要とする発展を短期間でやりとげた。
ヴェルディはさらに長く必要として、ゆっくりと良いワインのように成熟した。もしプッチーニが、ヴェルディの年齢まで生きたなら、シュトックハウゼンやペンデレツキに出会っただろう。そのプッチーニは、決して我われが知らない何者かになっていただろう。

●甘くはない蝶々夫人の物語
Q、蝶々夫人も初演では成功できなかったが? (1904年2月17日ミラノスカラ座で初演)
A、椿姫も最初はブーイングされたが、今では、ヴェルディの最もよく知られたオペラだ。トスカニーニはプッチーニに、「親愛なジャコモ、このオペラには砂糖が多すぎる」と手紙を書いた。
しかし私はそう(甘い物語)は思わない。私は感情的な人間で、“砂糖”が好きだ。しかしこれは非常に残酷な物語で、残念ながら予言だ。ピンカートンは長崎で、我われが今、「売春ツアー」と呼んでいることをやっていた。

Q、演出家に何を期待する?
A、指揮者と同じだ。すなわち、私よりもオペラをより知っている誰かと働くこと。私に何かを教えてくれる人と。準備していない人と作業するのは、重すぎる荷を引っ張るようなものだ。

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歌手としてのクーラの歌もいくつか紹介します。
クーラの解釈では、蝶々夫人の「夫」ピンカートンは、「小児性愛者、15歳を誘惑して痛みを感じない」最低の男です。だから愛のデュエットも、ただロマンティックなだけでない、ピンカートンの傲慢さ、情欲をにじませています。

蝶々夫人とピンカートンの美しい二重唱を、2010年チェスキークルムロフのコンサートより(音声のみ)。
Jose Cura "Viene la sera" Madama Butterfly (Puccini)


2011年9月、フランス・ロレーヌ国立歌劇場での東日本大震災チャリティーコンサートに出演した、ホセ・クーラと大村博美さんの二重唱。収益は全額日本赤十字に寄付されたそうです。
Puccini Madame Butterfly duo final acte I :"Bimba dagli occhi ... " José Cura Hiromi Omura




こちらは2000年のブダペストのコンサートから、ピンカートンのアリア 「さらば愛の巣よ」を。
José Cura Addio fiorito asil / Madama Butterfly/ Budapest


最後に、1996年、シドニーでのプッチーニの名場面を抜粋したコンサートから、蝶々夫人の部分の写真を。回転する舞台、提灯がでてきて幻想的な雰囲気。
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