人と、オペラと、芸術と ~ ホセ・クーラ情報を中心に by Ree2014

テノール・指揮者・作曲家・演出家として活動を広げるホセ・クーラの情報を収集中

(インタビュー編)ホセ・クーラ 21年目のオテロ ワロン王立歌劇場 / Jose Cura's Otello at Opéra Royal de Wallonie-Liège

2017-07-12 | ワロン王立歌劇場のオテロ2017




ワロン王立歌劇場のオテロの初日(6/17)の後、ホセ・クーラのインタビューがイタリア語のサイトに掲載されました。
すでにオテロの公演は終了してしまいましたが、ざっと訳して紹介したいと思います。 
 → このオテロについてのこれまでの記事はこちら
いつものことながら語学力が不十分なため、誤訳、直訳、お許しください。


それとは別のものですが、劇場が作成したフランス語のインタビューの動画がありますのでそれも掲載しておきます。
ライブ中継の休憩時間に放映され、録画にもそのままアップされているのでご覧になった方はご存知だと思います。
申し訳ありませんが、フランス語でペラペラで字幕もないため、何を言っているのか全くわかりません・・(T_T)
とはいえ、鬼気迫るオテロの舞台上のクーラと、普段のクーラとは全く違って、素顔はフランクで柔和、ユーモアのある人であることがわかると思います。

Otello - Entretien avec José Cura



何度も紹介して恐縮ですが、ワロン王立歌劇場のオテロの動画をCultureboxのYouTube公式チャンネルから
まだご覧でない方には、ぜひおすすめです!
“Otello” de Verdi - Opéra Royal de Wallonie


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≪ リエージュ、アルゼンチンテノール、ホセ・クーラとオテロ――“私に最高の満足を与えてくれる役柄” ≫


――昨夜のリエージュのオペラ座での素晴らしいイベント――アルベルト2世とパオラ妃もヴェルディのオテロの初日に出席し、Stefano Mazzonisの印象的な舞台とマエストロPaolo Arrivabeniの素晴らしい指揮を賞賛した。

優れたアーティストたちは、素晴らしいオテロを聴衆に示した。主人公のホセ・クーラ、チンツィア・フォルテ(強烈なデスデモーナ)、Pierre-Yves Pruvot(彼のイアーゴはキャラクターのニュアンスを完成させた)、Giulio Pelligra、Alexise Yerna、Papuna Tchuradze、Patrick Delcour、Roger Joakim、Marc Tissonsも含まれている。

ヴェネツィアのムーアの衣装をまとうために戻ってきたアルゼンチンのテノール、ホセ・クーラにインタビューした。
彼の歌唱と素晴らしい表現力は、聴衆を感動させ、文字通り拍手で彼を覆った。


Q、あなたにとってオテロを演じるということは何を意味する?

A(クーラ)、プロフェッショナルとしての視点からは、それは私に多くの満足感をもたらした役割であり、同時に、私は最高と最悪の批評を受けた。

これは、新しいものを創り、誰もがキャラクターに関連付ける共通の解釈とは異なる読み方を提供する時に起こること―― 一方には、新鮮な空気の息吹を好む人々がいて、もう一方には、 あまりに多くの酸素がもたらされると、めまいを引き起こすとして新鮮な空気を恐れる人々がいる。







Q、声楽的な観点でのオテロの主な特徴は?

A、声について神話がある。
歌を勉強するとき、導くために学生の分類を提供する必要があることは事実だ。しかし一度プロフェッショナルになれば、自分の傾向にしたがって、それぞれのアーティストが自分自身で意思決定を下すことになる。21世紀においては、ラベリングを止めるべきだ。

これは、誰もが何でもできることを意味するのではないが、もし誰かが普通と違うことをやるとしたら、またもし他と異なっているけれど、うまくやれるとしたら、そのアーティストを捕まえて、私たちがそうあるべきだと望むケージに入れるべきではない。

さらに悪いのは、それがケージに入らない場合に、完全に消してしまう――「異なるもの」を排除して、問題を解決しようとする。
それはもう始まっている? 順応的な社会は、排除と衰退を強要される社会だ。


Q、オテロと人間としての共通点は?

A、オテロは背教者(ヴェネツィアでは自らのキャリアのためにイスラム教を捨てた)、裏切り者(かつてのイスラム教徒の兄弟を排除するためにヴェネツィアと契約した)、傭兵...。
ノー、私には、彼との共通点はない。







Q、あなたのキャリアのハイライトを紹介すると?

A、リストアップするにはあまりに多い。自分の視点からみると不完全な軌跡になるかもしれないが・・。

私は1991年に幸運を求めてヨーロッパに来た。
最初のライブレコーディングは妖精ヴィッリ "The Villi"(プッチーニ)、1994年7月。ロンドンでのデビューはスティッフェリオ "Stiffelio"(ヴェルディ)で、Warner(ワーナー、レコード会社)と1995年に契約した。最初のオテロはトリノで1997年だった。

何年かの間に、歌手としての自分を確立した後、1998年にオーケストラの指揮へ復帰した。クロアチアで最初の演出をしたのが2007年。2010年にカールスルーエでプロデューサー&演出家として、サムソンとダリラの私の最初のDVD、そして2012年カヴァレリア・ルスティカーナと道化師で、演出家として決定的な評価を得た。2013年には、オテロの演出家・主演として、(母国アルゼンチンの)テアトロコロンに戻った。

私の若い時の作曲作品、1988年と1989年にそれぞれ書かれた「Magnificat」(「マニフィカト」)と「Ecce Homo」(「この人を見よ」)が、2015年と2017年に初公開された。これはオーケストラの指揮とともに、私のもともとの音楽キャリアを構成してきた作曲への最終的な復帰となった。

私は現在、私にとって最初のミュージカル劇の作曲に取り組んでいる。私はそれを「オペラ」とは呼ばない。それだけではないので。その後、それを初上演する劇場を見つけるという問題があるだろう。









Q、あなたには、困難と危機の時もあった?

A、たくさん。 あなたが想像できる以上に多くのことがあった。
しかし、私は生き延びることができた。その証拠は、1978年に初めてステージに上がって以来、26年間の国際的なキャリアと39年間のステージ活動を経て、まだ、私がここにいることだ。

Q、誰が最もあなたの仕事と芸術の考え方に影響を与えた?

A、1人だけの名前を言うのは不公平であり、おろかしいだろう。
私は常に、人間とその過去と現在の成果に対する熱心な観察者であり、分析者だった。芸術にとどまらず、「偉大」なもののリストはきわめて長い。

それらを見て、それらを読み、最後にそれらに耳を傾け、こうした結果を創りあげるうえでの成功と失敗の痛みの両方において、それらを徹底的に研究することは、今日のすべての人にとって不可欠だ。アーティストにとってだけではなく。







Q、あなたの好きな作品のキャラクターは?

A、私の好きなキャラクターは、いつでも、ある日、あなたが私の舞台の1つを見に来た時、その時、私が演じているものだ...。

「Fattitaliani.it」





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いつも率直に自分の考えを述べてくれるので、クーラのインタビューはとても刺激的で面白いです。
少し前に、オペラの脚本を書いていると言っていましたが、このインタビューの話では、すでに作曲の作業にかかっているようですね。「オペラとは呼ばない、それだけではないから」とクーラは述べていますが、どんなものになるのでしょうか。とても楽しみです。ぜひ、初演の場を提供してくれる劇場が見つかることを願っています。

クーラも自分のキャリアについて述べていましたが、作曲、指揮を学び、その後、歌手として成功したのち、近年、念願の作曲、指揮の活動に復帰してきました。現在では、オペラの演出と舞台デザイン、衣装などにも活動の場をひろげ、さらに今、オペラまたは音楽劇の脚本・作曲まで。まさに多面的で総合的な活動を展開していますが、興味深いことは、それらが歌手としてのクーラの活動に、妨げになるどころか、相乗的な豊かさ、深化をもたらしていると思われることです。

タンホイザーやピーター・グライムズなど、歌手として新たな役柄への挑戦とともに、20年以上歌ってきた今回のオテロのような役柄においても、解釈と演技、歌唱において、いっそうの充実ぶりが実感できました。54歳、まだまだ歌手として、アーティストとして進化を続けています。












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(レビュー編)ホセ・クーラ 21年目のオテロ ワロン王立歌劇場 / Jose Cura's Otello at Opéra Royal de Wallonie-Liège

2017-07-02 | ワロン王立歌劇場のオテロ2017




ホセ・クーラが出演したワロン王立歌劇場のオテロ、今回は、レビューから主にクーラに関する部分を紹介したいと思います。
観客の反応も素晴らしく、全体として非常に好評な公演、クーラも絶好調、指揮、オケを含む、アンサンブル全体も高く評価されています。

また新たに劇場がフェイスブックにバックステージの画像をアップしてくれたので、いくつかお借りして掲載しています。

その前に、再度、YouTubeにアップされている全幕録画のリンクを。


“Otello” de Verdi - Opéra Royal de Wallonie



Otello - Live Web 
SEASON : 2016-2017
LENGTH : 2:50
SONG LANGUAGE : Italian
CONDUCTOR : Paolo Arrivabeni
DIRECTOR : Stefano Mazzonis di Pralafera
CHOIRMASTER : Pierre Iodice

Otello: José CURA
Desdemona: Cinzia FORTE
Iago: Pierre-Yves PRUVOT
Cassio: Giulio PELLIGRA  Emilia: Alexise YERNA  Lodovico: Roger JOAKIM
Roderigo: Papuna TCHURADZE  Montano: Patrick DELCOUR  An Araldo: Marc TISSONS

Opéra Royal de Wallonie-Liège





●あらゆる点で成熟した軍指導者

「・・彼が20年間歌い続けてきた最も要求の厳しいヴェルディの役柄で、ホセ・クーラをもう一度聞くことは、依然として啓示だった。
彼は慣れ親しんだ安全な演目に頼ることに決して満足しない歌手であり、今年だけで、彼はフランス語でワーグナーのタンホイザーを歌い、ピーター・グライムズの演出、舞台設計、主役を引き受けた。
彼が“Già la pleiade ardente in mar discende”(「すでに燃えるプレアデス星は海に沈んだ」第1幕デズデモーナとの二重唱) を歌った時、ピーター・グライムズが心理的および声楽的に求めるものが想起された。
 
シェイクスピアのオリジナルでは、オテロは「私は老境に傾いている」と言っている。そして白髪のライオンのようなたてがみと灰色のあごひげのクーラは、あらゆる点で成熟した軍指導者、才能と経歴をもつ指揮官に見えた。

ワロン王立歌劇場では、クーラの強力なスピントなテノールが、オープニングの "Esultate!"ですぐに感銘を与えた。そして第1幕、酔っ払いの暴動を鎮圧した時の“Abbasso le spade!”(「剣を下ろせ」) の見事な歌いぶりにおいて、彼の権威に疑問の余地はなかった。彼の長年の経験とともに、少なかったものが多くなった。以前のピッチやリズムの気まぐれがなくなり、彼の黒く暗い、よく響く低い声は、愛のデュエットにエキゾチックな異質さと情熱の両方をもたらした。

イアーゴの毒が盛られたとき、目の中の激しい怒りの閃光とともに、クーラの傲慢な尊厳と冷静さは粉々に砕かれた。ダイナミックなボーカルの極限を取り入れ、 "Ora e per semip addio"からの繊細な内向性と深いソット・ヴォーチェ、ほとんどくぐもった“Dio! mi potevi scagliar” から気高くも哀れな“Niun mi tema”まで、これは、シェイクスピアのスケールでの、欠陥を抱えた英雄の悲劇的な転落だった。

・・・

演出のいくつかのぎこちなさにもかかわらず、クーラとアンサンブルの魅力的な強さは、・・より感動的な夜をつくった。」

(「Bachtrack.com」)





●ホセ・クーラ、巨大なオテロ

「・・私たちが(ベルギー・リエージュまで)旅行したのは演出のためではなく、今シーズンの初めにここでトゥーランドットを聞いた有名なアルゼンチンのテノール、ホセ・クーラのタイトルロールのためだった。

私たちはすぐには忘れることができないだろう。幕が降りる少し前に、最高のニュアンスでつぶやかれた死を。

そして、不思議に通り抜けた"Exultate!"を例外として、その栄光の時以来(我々が2000年代初め、バルセロナのリセウ大劇場で同じ役で聞いたときのことを言っている)、知られていなかったヴォーカル・フォームを表示する。そして、したがって、今日この役の最もふさわしい解釈者の一人であり、端的に言えばそれは、巨大なオテロだ。・・」

(「Opera-Online.com」)





●成功はほとんどクーラ1人の肩に

「公演の成功が証明されたが、それはほとんど1人の男の肩に頼っている。

身体と魂を一体にして、すべてのテノールによって恐れられているこの役柄に勇敢に直面することが可能なホセ・クーラは、大きなスケールと確信の強い力を持ってオテロを形づくる。

歌唱は高度な洗練はないものの、声は非常に激しく、強力に投影されながら、その音色は美しい一貫性を示している。」


(「ConcertoNet.com」)





●優しさがあふれるデズデモーナとの二重唱「もう夜も更けた」

「アルゼンチンのテノール、ホセ・クーラは、燃える活力と彩りの豊かさでオテロのスコアを探求する。彼の "Abbasso the spade!" は、第一幕を閉じるデモデモーナとのデュエットとは完全に対照的で、完全に彼の権威を宣言している。

また、彼が抱擁のエクスタシーのなかで死にたいと歌うとき、彼は、幸せの不安定性についての認識を完全に広める。"Giànella notte densa"は優しさがあふれている。」
 
(「Arts et Lettres」)







●模範的なシーズンの最終公演


「第3幕は、ホセ・クーラのオテロの勝利をみた。ステージ上の本当の野獣、そしてワロン王立オペラでのレギュラー出演者。
激怒した彼とイアーゴとの対話、そして彼の有名な独白“Dio ! mi potevi scagliar”は素晴らしいドラマチックなアーティストだった。

・・・

傷ついた、野生の獣のようなクーラのオテロは、同様に感動的な"Niun mi tema"を歌った。

・・・

結論として、ワロン王立オペラの純粋な伝統のオテロ――有名な歌手、ハウスのオーケストラ、そして古典的なステージング。 模範的なシーズンの終わり。」

(「Crescendo-magazine.be」)





●議論の余地のない主人公

爆発した場面、その瞬間から、彼は議論の余地のない主人公である。中年の成熟とともに、ヴェルディによるオテロの役割に戻ってきたホセ・クーラ。パワーと、繊細な内部の葛藤の表現を交互にもちいて、強烈で苦痛を伴う解釈を与える。

(「Giornaledellamusica」)





感動の面持ちでカーテンコールの喝さいを受けるクーラ。大歓声とブラボーの声、大量の足踏みで称賛された。







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これまで何回か、クーラのオテロ解釈を紹介してきましたが、この巨大で複雑なキャラクター、テノール最難関の役柄を、ここまで自らのものにして、自由自在に歌い、演じ、ドラマをつくりだす――クーラの到達したオペラパフォーマーとしての境地には、ひとりのファンとしてつよい感動を受けました。

そしてレビューの評価が、そういう私の思いとほとんど一致したというのもまた、驚きであり、喜びでした。

この先2017/18のスケジュールには、演出、指揮、作曲作品の発表がメインとなり、オペラ出演はまだわずかしか発表されていません。もちろん指揮はもともとのクーラの念願であり、また演出も楽しみですが、歌手として、声も演技も、新たな絶頂期、黄金期を迎えていると思われるクーラのオペラを、もっとたくさん見せてほしい、新しい録画やDVD、そしてできれば実演でみたい・・こうつよく思わざるをえません。

来年2月に、モンテカルロ歌劇場で再演されるクーラのピーター・グライムズが、またこのCultureboxでネット放送されることを心から願っています。




*画像はワロン王立歌劇場のFBなどよりお借りしました。
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(録画編)ホセ・クーラ 21年目のオテロ ワロン王立歌劇場 / Jose Cura's Otello at Opéra Royal de Wallonie-Liège

2017-06-30 | ワロン王立歌劇場のオテロ2017



ホセ・クーラが出演したワロン王立歌劇場のオテロ、予定通り、6月27日の公演(日本時間28日朝3時~)がCultureboxでライブ放送されました。

今回のクーラのオテロ、一言で感想をいうと、「鬼気迫る」オテロ、大変な迫力の舞台でした。
とはいえ、決して単に叫んだり、わめいたりというものではなく、その逆に、凄まじいパワーとエネルギーを秘めて、抑えた表現、時にはソフトに、やさしく歌う。非常にメリハリのある歌唱で、フルパワーを発揮するところとそうでないところとのギャップがまた、オテロの恐ろしさを倍増させています。しかも、抑えた時も激しい表現の時も、クーラの声が非常に美しく響き、凛とした迫力が最後まで維持されました。

とにかく、あれこれ私の感想などを伝える前に、実際の録画をご覧いただければと思います。

Cultureboxのサイトで6か月間、オンデマンドで視聴可能のうえ、YouTubeの公式チャンネルにもアップされています。 → 終了 別のリンクを紹介します。

“Otello” de Verdi - Opéra Royal de Wallonie


Otello - Live Web
SEASON : 2016-2017
LENGTH : 2:50
SONG LANGUAGE : Italian
CONDUCTOR : Paolo Arrivabeni
DIRECTOR : Stefano Mazzonis di Pralafera
CHOIRMASTER : Pierre Iodice

Otello: José CURA
Desdemona: Cinzia FORTE
Iago: Pierre-Yves PRUVOT
Cassio: Giulio PELLIGRA  Emilia: Alexise YERNA  Lodovico: Roger JOAKIM
Roderigo: Papuna TCHURADZE  Montano: Patrick DELCOUR  An Araldo: Marc TISSONS

Opéra Royal de Wallonie-Liège






録画から、主な場面を抜粋して少し紹介したいと思います。

≪第1幕≫




冒頭のオテロの凱旋場面、"Esultate"。血まみれの服で登場、いつもより声が伸びやで余裕がある印象。






酒盛りの騒動で、怒りのオテロ。




オテロとデズデモーナの愛の二重唱。クーラの声がやさしく、とても美しくて驚きました。









こんな態勢でも、美しいピアニッシモを響かせるのには、またもやびっくりです。




≪第2幕≫




イアーゴの策略により、徐々にデスデモーナへの疑念を深めていくオテロ。




カッシオへの許しを請うデスデモーナ、これにより疑いをさらに深めるオテロ。


デズデモーナに問うこともできず、疑念に凝り固まっていく。一方で、妻からハンカチーフを奪い、さらに罠を練るイアーゴ。2組の夫婦それぞれの行き違う思いを歌う四重唱。




ついに妻の「裏切り」に対する復讐を決意するオテロ。






自らを陥れたイアーゴへの怒りを爆発させるオテロ。


逃げるイアーゴを追い詰め・・


巧みに足掛けでイアーゴを引き倒し・・




組み伏せるオテロ。




これはもう、秒殺かと・・。イアーゴ役の方、芝居と分かっていてもさぞ恐ろしかったことでしょう。


少年時代からラグビーやサッカーで鍛え、カンフー黒帯、ボディビルでセミプロのアスリートだったという、クーラの身体能力あってこその演技と身のこなしです。


疑念と怒り、復讐の念の恐ろしい形相。




オテロとイアーゴの二重唱、大迫力の "Sì, pel ciel"へ。








≪第3章≫




オテロとデスデモーナの二重唱。もはや愛はなく、とりつくろった笑顔と、その下の深い絶望、怒りが表情に時折うかぶ。










デズデモーナを追い詰めたことで自らも追い詰められ、泣き崩れながら歌う、 "Dio! mi potevi scagliar"






本国からの伝令を読むオテロ。カッシオに提督を譲り、自らは本国に帰還を命じられる。


地位、任務、誇りとプライド、そして妻の愛、すべてを失ったと思い込み、崩壊するオテロ。本国からの使者らの面前で妻を殴打する。


恐ろしい形相でカッシオを睨みつけるオテロ。戸惑うカッシオ。




ついに倒れ、痙攣するオテロ。



≪第4幕≫


デズデモーナの眠る寝室に入るオテロ。


一気にナイフで殺害するつもりが思いとどまる。


最後までかみ合わない、オテロとデズデモーナ。一方的に自滅にすすむオテロ。








ようやく自らの過ちに気づくオテロ、しかし最愛の唯一の理解者である妻はもう・・。




自らも死を選び、ひん死のオテロ、くちづけを求めて妻の体に手をのばすが力尽きる。




オテロの死。終幕



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圧倒的な存在感、登場しただけで、クーラのオテロの威厳、パワーに圧倒されるような舞台でした。
しかも、リアルで無駄な動きのない演技に加えて、歌唱の表現力においても、声の響きにおいても、さらに深化し、進化しているように感じました。これらがさらにドラマ性を強め、深めています。

今年2月にワーグナーのタンホイザーに初挑戦し、さらに5月にはブリテンのピーターグライムズの初演出と初主演。こうした新しい地平を開く挑戦を成功させ、あらたな次元に至った段階のオテロといっても過言ではないと思います。

録画を見てまだ興奮が冷めず、言葉が冷静さを欠いていて恐縮ですが、クーラの存在、力量があまりに頭抜けていて、そのため、カッシオやイアーゴが好演しているにもかかわらず、格が違いすぎて、なぜオテロがあんなカッシオに嫉妬し、絞め殺そうと思えば軽々とできる(笑)格下のイアーゴに騙されてしまうのか・・。こういう疑問がよぎります。

同時に、だからこそ、オテロが、ただの策略と嫉妬のためではなく、自らの根源的な理由によって自滅していく姿が浮き彫りになっています。ムーア人であることのへ差別と偏見、オテロ自身が抱える深いコンプレックス、改宗と背教、裏切りへの過敏な反応、軍人であり戦場での大量殺人者であることによる心的外傷後ストレス障害(PTSD=クーラが繰り返しその症状に苦しむ姿を表現している)など、オテロ自滅への道とその背景がリアルになった舞台、クーラのオテロ解釈が際立った舞台だったと思います。そういう意味では、いろいろ議論のある黒塗りのメイクのその意味が裏付けをもっていると感じられました。

よろしければ、ご鑑賞された皆様には、ご感想など、コメントいただければ幸いです。





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(放送編)ホセ・クーラ 21年目のオテロ ワロン王立歌劇場 / Jose Cura's Otello at Opéra Royal de Wallonie-Liège

2017-06-26 | ワロン王立歌劇場のオテロ2017




ホセ・クーラが出演中の、ベルギー・リエージュ、ワロン王立歌劇場のヴェルディのオテロ。ネットライブ放送が予定されていましたが、ようやくCultureboxのHPでライブ放送の告知が出されました。

クーラのオテロの正規の映像は、長い間2006年のリセウ大劇場のDVDしかありませんでしたが、昨年ザルツブルク復活祭音楽祭2016のオテロがライブ放送され、さらに今年DVD、ブルーレイでも発売されました。
今回はそれに続いてのライブ放送、1997年にアバド指揮でオテロにデビューして以来、20周年の今年、21年めに足をふみいれた円熟のオテロがまた、ライブで見られるというのは本当にうれしいことです。


放送されるのは6月27日(火)午後8時からの公演(現地時間)です。日本時間では、28日(水)午前3時からです。

以下のCultureboxでライブ中継されます。画像をクリックしてください。Cultureboxのオテロのページにリンクを張っています。

また、見たいけれど夜中に起きてみるほどは・・という方も大丈夫です。半年間はオンデマンドで視聴可能なようです。

ワロン王立歌劇場はベルギーの劇場ですが、収録・放送してくれるのはフランス公共放送の傘下にあるフランスTVとCultureboxです。文化・芸術を通じての諸国民の理解と融合をうたい、文化政策としてオペラをはじめとする文化芸術プログラムを積極的に無料ネット配信してくれているフランス政府とフランスTVに心から感謝です!




Otello - Live Web
SEASON : 2016-2017
LENGTH : 2:50
SONG LANGUAGE : Italian
CONDUCTOR : Paolo Arrivabeni
DIRECTOR : Stefano Mazzonis di Pralafera
CHOIRMASTER : Pierre Iodice

Otello: José CURA
Desdemona: Cinzia FORTE
Iago: Pierre-Yves PRUVOT
Cassio: Giulio PELLIGRA  Emilia: Alexise YERNA  Lodovico: Roger JOAKIM
Roderigo: Papuna TCHURADZE  Montano: Patrick DELCOUR  An Araldo: Marc TISSONS

Opéra Royal de Wallonie-Liège

DATES : Tue, 27/06/2017 20:00~
 
フランス 中央ヨーロッパ夏時間 (CEST UTC+2)
日本との時差は、マイナス7時間ですので、日本では28日(水)早朝3時からとなります。


Cultureboxのページを開いて、下側にあるタブをクリックすると、クーラや指揮者、演出家などのインタビュー動画(フランス語)のリンクもあります。
また関連動画として、同じくタブを開くと、今年2月にクーラが初挑戦したワーグナーのタンホイザーパリ版フランス語上演の録画のリンクがあり、まだ視聴できます。





これまで見たいくつかのレビューは、全体として非常に高評価です。
演出・舞台は、クラシックでわかりやすく、衣装がたいへん美しく豪華だということです。
またクーラをはじめとする出演者、指揮者、オーケストラ、そして合唱団を含むアンサンブル全体が大変に高く評価されていました。
 → 初日の写真を紹介しています (初日編)

とりわけクーラのオテロは、好みが分かれるところではありますが、長年のスコアと脚本の分析、経験にもとづいて、ヴェルディが求めるドラマを全身全霊で描き出そうとします。
美しい歌唱、美しい声の「ベルカント」ではなく、オテロは「ドラマ」だという確固とした信念にもとづいて、時にはあえて声を醜く歪ませることもいとわず、オテロの苦悩と複雑な人間性の表現をめざしています。見る者をドラマに引き込み、心をざわざわさせるオテロです。

ザルツブルク復活祭2016のオテロは、ティーレマンという指揮者とクーラの方向性とは、違う面があり、本来の激しくドラマティックで燃えるようなクーラのオテロとは少し違う舞台だったようにも思います。そういう点では、今回のライブ放送こそ、20年の経験を経た、円熟のオテロの集大成となるのではないかと期待しています。

キャンセルなく、万全な体調で良い舞台、納得のパフォーマンスとなることを心から期待しています。



初日の6月16日の舞台は、ベルギー王室の方々も鑑賞され、終演後、出演者らと交流があったようです。劇場のフェイスブックに掲載されました。






フェイスブックに掲載された、ファンとの写真
、真ん中の2人が、クーラとデズデモーナ役の チンツィア・フォルテ。
クーラは短パン姿でリラックスしているようです。チーム全体がうまくいっている様子がうかがえます。




こちらは現地で鑑賞した若い女性がインスタに投稿したクーラとの写真
「私とオペラとの最高の出会いだった!ホセ・クーラ、偉大なアーティスト、素晴らしい歌手!」とメッセージがつけられていました。
クーラの描くドラマがこの女性にストレートに届いたのですね。それにしてもこの髪型は・・(笑) ライブ放送の日には、髪を少し切り、髭を剃って、顔がよく見えるようにしてほしいと思うのですが・・。






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(初日編)ホセ・クーラ 21年目のオテロ ワロン王立歌劇場 / Jose Cura's Otello at Opéra Royal de Wallonie-Liège

2017-06-17 | ワロン王立歌劇場のオテロ2017



2017年6月16日、ベルギーのリエージュにあるワロン王立歌劇場で、ホセ・クーラ主演のヴェルディのオテロ、初日の舞台が開きました。今回は、劇場のFBに掲載された写真を中心に紹介したいと思います。

何度も繰り返して恐縮ですが、クーラは1997年にトリノでアバド指揮、ベルリンフィルによるオテロでデビューして以来、20年、約300回、オテロを歌い、演じてきました。クーラは現在54歳、長年の経験を積み、円熟期のオテロです。

こちらの写真はクーラのFBに掲載された、初日の舞台の直前、メイク室での様子の自撮り。今回は、顔を黒く塗っていますので、台本通り、肌の黒いムーア人としての演出のようです。
この写真を見ると、やはり髪と髭はかなり白いものの、顔はもともと目が大きくて童顔っぽく、肌の張りもまだまだ若々しいように思えます。
"Getting ready for Otello premier in 15'!"とコメントが添えられて、初日の舞台にむけ、気合十分ですね。





クーラが主演した昨年のザルツブルク復活祭音楽祭2016でもそうでしたが、近年ではオテロを黒く塗らないという演出の傾向があるそうです。これに対してクーラ自身は、オテロのテーマの重要な1つである人種差別を見えなくするものだという懸念をもっているようです。

以前の投稿「オテロに必要なのは“肌の色”だけではない」などで紹介しています。

今回は、これまで紹介したクーラのインタビューなどから、オテロ論、また解釈について抜粋・再掲しながら、初日の舞台の写真を紹介したいと思います。


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Conductor : Paolo Arrivabeni
Director : Stefano Mazzonis di Pralafera
Choirmaster : Pierre Iodice

Otello: José CURA
Desdemona: Cinzia FORTE
Iago: Pierre-Yves PRUVOT
Cassio: Giulio PELLIGRA  Emilia: Alexise YERNA  Lodovico: Roger JOAKIM
Roderigo: Papuna TCHURADZE  Montano: Patrick DELCOUR  An Araldo: Marc TISSONS

Opéra Royal de Wallonie-Liège
2017/6/16,20,22,25,27,29




第1幕、敵に勝ち、嵐を乗り越え帰還したオテロ、第一声「Eslutate」の直前でしょうか?




――2016年ザルツブルクでのインタビューより

Q、メトロポリタン・オペラが歌手の黒塗りを停止して以来、最近オテロについてかなり活発な議論が行われているが・・?


A(クーラ)、オテロは肌の色だけでなく、役柄と一致した声を必要とする。したがって、オペラで白人のキャスティングを回避することは非常に困難だ。
私は良い意図を理解するが、また、その中に「隠れた罠」を見る。
もし黒人だけが黒人の役を演じることができるのなら、白人だけが白人の役を演じられることになる。それでは、黒人俳優は決してハムレットを演じられないのか?リチャードⅢ世は?また…?
この新しい「政治的に正しい流行」は、黒人のプロフェッショナルを従事させない最高の口実を提供している。私に言わせれば、それは、顔を黒くメイクする以上に、人種差別の悪臭を放つ。私の黒人の友人の何人かは、実際にこうした考え方を懸念している。





オテロとデズデモーナの愛の二重唱の場面のようです。




――2012年スロバキアでのインタビューより

Q、オテロに対するアプローチは?


A、まず第一に、私たちは「英雄」について語っているわけでないということへの同意が重要だ。そうではなく、背教者(彼はヴェネツィアでの政治的将来のために、キリスト教を受け入れ、イスラム教徒の信仰を捨てた)であり、内通者(イスラム教徒と戦い、殺すことを受け入れた)であり、臆病者(彼は暴力的に妻を虐待し、殺す)、そしてお金目当ての傭兵、プロの殺人者だ。

私自身はオテロのいずれの側面にも似ていないので、自分をオテロに結びつけることはできない。しかしキャラクターの心理を伝えるために、自分の人生で経験したことのない感情を観察し、研究し、再現する能力を使う必要がある。

Q、オペラの冒頭でオテロは英雄として描かれているが?

「喜べ、私はイスラム教徒を殺した!」と叫ぶ、キリスト教徒に転向したイスラム教徒、私にはあまり英雄的には聞こえないが‥。




クラシックで、色彩豊かな、エキゾチックな雰囲気の舞台。



イアーゴの策略により妻への疑念を深め、復讐を誓う。第2幕の「大理石のような空にかけて誓う」の場面か。


――2013年インタビューより

●オテロを陥れたもの


オテロを陥れたのは、”ハンカチーフ”ではない。
こうした状況下で、オテロにとって、自らが黒人であることの受け入れがたさ。オペラにはないが、シェークスピアの原作で描かれている、オテロがデズデーモナの父親に受け入れられないことによるコンプレックス。デズデモーナの父が娘について言い捨てた言葉、「父親を謀りおおせた女だ、やがては亭主もな」の言葉がきいている。

近年の世界情勢を考慮してか、オペラハウスの字幕で「傲慢な回教徒どもは海中に葬り去った (第1幕冒頭のEsultate )」の部分を訳さない傾向があるが、これはナンセンス。ここの関係にこそ、オテロの性格を理解する鍵がある。

デズデーモナ殺害に至るオテロの崩壊の直接のきっかけは3幕にある。
彼の中では、イスラム教徒を殺すという任務はまだ全て完了していないという理解なのに、ベネチアから召還命令が入り、キプロスの統治をカッシオに譲ることになる。メトの公演を見た人は、私がこの場面で、召還命令の紙をロドヴィーコから受け取ったかと思うと、床にポトンと落として、落ちた紙を蹴り飛ばしたりするのを見ただろう。この時、オテロは、ロドヴィーコというベネチア=クリスチャンを代表する人間に挑戦を突きつけ、無礼を働く。

これが変えようのない決定だと気付いた時、彼の心の中に、“自分は役立たずのニグロに戻ってしまった”という思い込みが生じる。
彼に残ったのは、妻デズデーモナだけだが、その彼女も殺さねばならない。





――2012年インタビューより

Q、オテロの愛情深さと強さの不統一をどうみる?


誰が、強さと威厳は、情熱や感受性と両立しえないというのだろうか?それどころか、この複雑な個性がキャラクターをとても面白くする。
例えば、偉大な指揮官であるオテロが、妻と2人きりの時、戦闘を思い出して恐怖に崩れ落ちる(心的外傷後ストレス障害/PTSDのエピソード)。


Q、なぜオテロはデズデモーナを殺した?

それは長い分析であり、ここはそのための場所ではない。
簡潔にいうならば、一方には、自分が関与してきた残忍性を自身に説明する弁解としての儀式を必要とするオテロがあり、そしてもう一方には、抵抗なしに暴力を受け入れるデズデモナの心理的依存性がある。





――2001年インタビュー

●オテロはハンカチーフの物語ではない


オテロを失われたハンカチーフに関する愛の物語とするならば、それは死ぬ。シェイクスピア、それからヴェルディとボーイトは、はるかに大きな問題を扱っており、物語は彼らの媒体にすぎない。
それは愛、名誉、人種、政治、階級についてだ。





――2016年インタビュー

●オテロの現代的テーマ


この傑作は、今日と非常に関連し、現代的だ。なぜなら、人種差別、外国人嫌悪および難民の問題は、現代のヨーロッパの最も重要な問題だからだ。
これは裏切り、搾取、残酷さ、家庭内暴力や虐待などの重要なテーマについても同様だ。この500年間で何ら変わっていないことを考えさせられる。オテロは今日の人々に、私たちの時代について語っている?


●オテロへの愛

このオペラとの愛は20年間続いている。毎回そのたびに、より多くの発見をする。これは、“真実の愛”というべきものだ。そして決して終わることのない、ネバー・エンディング・ストーリーだ。





Q、真のオテロとは?

●ヴェルディの手紙に学ぶ、「オテロはベルカントではない、メロドラマだ」


オテロが複雑な心理をもつ巨大なキャラクターであることは事実であり、パフォーマーにとっては、オテロは、それを演じる器であるか否かのフィルターとして働く。すなわち、ひとつは、オテロを「ただ」歌うこと(もちろんそれ自体がすでに挑戦)であり、もうひとつは、オテロを「描き出す」ことだ。キャラクターに「なる」(to be)こと――ただ歌うだけではなく――それは現代のオペラがあるべき姿であり、現代オペラのふりをしているある種のスノビズムに陥るべきではない。

ヴェルディに立ち返れば、オテロは「ベルカント」ではない。ヴェルディは「私のオペラはメロドラマだ」“My operas are melodramma”(メロドラマ=人間ドラマというような意味か?)と繰り返し世界に向かって叫んだ。また手紙をつうじて訴えた。
しかし100年以上の後、ヴェルディに関する誤ったドグマの崩壊を恐れる多くの人々は、彼の声を聞こうとしない。今日、ヴェルディに関する多くのことに光があたっている下で、いわゆる音楽学者を自称する者によって50年以上前に作られた誤った教義が、今でも通用しているのは信じられないことだ。

Q、ヴェルディの音楽を正しく解釈するためには?

テキストとフレージング、アクセントに執着すること、そしてドラマを伝えるために声を変形させることを恐れてはならない。私の主張では十分ではない。ヴェルディの手紙を読んでほしい!
そして、ヴェルディの時代から取り巻いてきた「偽ヴェルディ司祭」に耳を傾けることをやめることだ。ヴェルディ自身が、決して彼らに対するたたかいをやめることはなかった。





●2016年――オテロの指揮にあたって

私は、このオテロの私のパートだけではなく、オペラ全体を熟知している。全てのキャストの音符、全ての歌詞と楽器のパートをほとんど暗譜している。少し努力すればデズデモーナのパートも歌うことができる...それは、毎回毎回、より詳細な多くのことを発見しつづけるための作業工程の一部だ。ネバーエンディング・ストーリーだ。

ヴェルディの音楽と手紙を土台においた役柄の解釈、ヴェルディのスコアに対する革命的読解の旅はまだ終わっていない。


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今回の演出は、2011年が初演のようですが、かなり正統派の古典的な舞台のように思われます。その点では、アーティストの歌唱と演技に違和感なく集中できるのではないかと思います。
20年の探求を経てのクーラのオテロ、今回はどのような舞台を見せてくれるのでしょうか。良いコンディションで最後まで無事に出演できることを願っています。
ネットでのライブ放送は6月27日午後8時から(現地時間)の予定です。詳細が発表されたらまた報告します。



*写真はワロン王立歌劇場のFB、クーラのFBからお借りしました。
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(リハーサル編)ホセ・クーラ 21年目のオテロ ワロン王立歌劇場 / Jose Cura's Otello at Opéra Royal de Wallonie-Liège

2017-06-10 | ワロン王立歌劇場のオテロ2017



少し前にも紹介しましたが、ホセ・クーラは1997年にヴェルディの傑作オペラ、オテロのタイトルロールにデビューして、今年でちょうど20周年を迎えました。
  → 「オテロのデビューから20年」
そして21年目に踏み出した円熟のオテロ、現在、ベルギーのリエージュのワロン王立歌劇場でリハーサル中です。

劇場のフェイスブックにリハーサルの写真がいくつか掲載されましたので紹介したいと思います。

6月16日に初日、全部で6公演です。
幸い、今回もライブ放送の予定がありますので、それについても紹介しています。


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<劇場FBの告知>



<劇場の公演概要紹介ページ>


Conductor : Paolo Arrivabeni
Director : Stefano Mazzonis di Pralafera
Choirmaster : Pierre Iodice

Otello: José CURA
Desdemona: Cinzia FORTE
Iago: Pierre-Yves PRUVOT
Cassio: Giulio PELLIGRA  Emilia: Alexise YERNA  Lodovico: Roger JOAKIM
Roderigo: Papuna TCHURADZE  Montano: Patrick DELCOUR  An Araldo: Marc TISSONS

Opéra Royal de Wallonie-Liège
2017/6/16,20,22,25,27,29



<リエージュの街の告知ポスター>




<オテロの紹介動画>

劇場がアップしているものですが、どうやら前回の公演(2011年)の舞台映像のようです。

Otello de Verdi - Opéra Royal de Wallonie-Liège - Teaser




<リハーサルの画像>

クーラのオテロと、イアーゴ役のPierre-Yves Pruvot。
何だか2人、よく似ていますね? ボサボサの髪に髭面、体形も、服装まで・・(笑)
これはたまたまなのか、それとも、イアーゴはオテロの光と闇、表と裏の一方の側という解釈から? ちょっと、うがちすぎですよね(笑) クーラは、ピーター・グライムズの時からの髪と髭を伸ばしたままで、このオテロもやるのでしょうか?



リラックスした雰囲気、クーラが話しているのは演出家?



大勢の子どもたちに囲まれたデズデモーナと。第2幕の第3場、オテロは左側に置かれた一段高い椅子に座っているようです。





舞台となった地中海に浮かぶ島、キプロスの南国風の雰囲気を出すためか、ヤシの木が植えられた舞台セット。



舞台セットは、かなりクラシカルな、オーソドックスなものに思われますが、演出はどうでしょうか。







指揮者のパオロ・アリヴァベーニとオーケストラのリハーサルの様子








<ライブ放送の予定>



インターネットによるライブ中継があるのは、2017年6月27日、現地時間20:00~です。
日本時間では、6月28日の午前3時から。

2月にモンテカルロのクーラ主演のタンホイザー仏語上演を放送してくれたCultureboxで放送されるようです。
詳細がわかりましたら、また紹介したいと思います。


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このプロダクションは再演で、2011年の初演の時は、昨年亡くなったダニエラ・デッシーとファビオ・アルミリアート夫妻が出演していたようです。当時の舞台写真が劇場のHPにありましたので、舞台の様子を知る材料として、いくつか紹介します。





        


最後に、今は亡きデッシーの美しい舞台姿を。



*画像はワロン王立歌劇場のHP、FBなどからお借りしました。
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