人と、オペラと、芸術と ~ ホセ・クーラ情報を中心に by Ree2014

テノール・指揮者・作曲家・演出家として活動を広げるホセ・クーラの情報を収集中

(インタビュー編)2022年 ホセ・クーラ、音楽監督としてペリェシャツ・フェスティバルをスタート

2022-12-03 | 音楽監督として

 

 

前々回の記事で、クーラが音楽監督を務め、クロアチアの美しいペリェシャツ半島の町オレビックで2022年の夏に行われたペリェシャツ・フェスティバルの様子を紹介しました。

今回は、フェスティバルに向けたクーラのインタビューから、抜粋して紹介したいと思います。

写真だけで、このペレシャッツ半島、開催地のオレビックの美しさ、海のきれいさは一目瞭然ですが、この地の魅力にクーラもかなり惹きつけられたようです。

 

 


 

 

 

≪ オレビックを初めて見たとき、言葉を失い、妻に言った ――ここで死にたい、と

 

 

「なぜオレビックなのかという質問には、こう答えよう。私はもうすぐ60歳(2022年12月5日で満60歳)になるし、キャリアは40年、地球上のあらゆる場所に行き、あらゆる観客の前で歌ってきた。私の仕事で上に行くのは難しいが、すべてをやり尽くした。振り返ってみると、そんな生き方は本当に異常だったと思う。全部合わせると何千回もの公演になる。ここにはたくさんのものがあるが、私にとって大事なのは目の前にあるものだ」

 

「私が40年間いたような過酷な環境では、ただペダルを踏むだけで、人生や世の中で他に何が起こっているかを気にすることなく、すべてがあまりにも速く過ぎていく。そして、コロナはすべてをストップさせた。暗黒の数ヶ月の後、私は少しずつ、ペダルを踏むのをやめ、外には全く普通の世界があることに気づいた。自然か、神か、いずれにせよ、私たちに警告を与えてくれたのだと、私はそれを受け入れた。そして、オレビックという場所での公演の招待を受けた。聞いたことはなかった。ドゥブロヴニクは誰もが知っているが、そこでとまっている」

 

「昨年(2021年)9月、私たちはドゥブロヴニクに降り立ち、それから何時間も車を走らせた。『いったいどこに行くのだろう。乗車時間はどれくらいか。架空の場所なのか、それとも本当にそこに行くのか......』と思っていた。そして、最後のカーブで衝撃的な光景が目の前に現れた。天国に着いたかと思った...。私は口を開いたまま、妻に『ここで死にたい!』と言った。彼女はちょっと困った顔をして、『OK、でもまだその時じゃない』と言った」

 

「その時、ドゥブロヴニク交響楽団と一緒に演奏した。素晴らしかった。でも、まだすべてがコロナ対策下で、マスクをして、人も少ない状態だった。私は2、3日残って、この地を探検した。人々は全くのびのびとしていて、私はすでにここでの将来を想像していた。ある晩、レアル対バルセロナの試合を見ていたら、夜11時に携帯電話が鳴った。ニコラ・ドブロスラビッチ知事からだった。彼は、フラン・マトゥシッチとそのチームがオレビックで何か企画しようとしていると聞いたと興奮気味に話してくれた。それから徐々に、フェスティバルを作るのは素晴らしいことだと判断し、まずはそこから始めて、後に半島の文化の中心地を作り、周辺の町も含めてやっていこうという決断をした。それが始まりだ」

 

――オープンでコミュニケーション能力の高いクーラは、推測の余地を与えない。その文章は、彼のパフォーマンスと同様、鋭く、明快である…

 

「私たちは(多くのフェスティバルがあるなかでの)最も遅くスタートしたので、オレビックからペレシャッツ半島における新しいイベントを開始し、認識してもらえるように、新しい何かを始め、最初からすべてをやり直さなければならない。今年はオレビックだけだが、ペレシャッツ半島の残りの部分とコールチュラ島を含めることを計画し、希望している。クラシック音楽だけでなく、ジャズ、ロックンロール、そして食事や美しい風景など、注目を集めるものがたくさんあるはずだ。そして、”毎年恒例の楽しいひとときだった”と、帰ってから言ってもらえるように」

 

――この40年間、クーラは自分が何者であるかを証明してきた。だから、もう自分を証明する必要はない、と彼は言う。今こそ、彼の経験をレガシーとして残すべき時がきている

 

「肩ひじはらず、みんなで協力し合いたい。私はこの地域の一員になり、最低でも半年はここで暮らしたいと願っている。ライバルになってはいけない。世界には、十分過ぎる争いがある。理想主義者かもしれないが......」

 

 

 

 

 

 

 

――彼にはうわべだけの謙虚さはない。そして、注目を集め、舞台のスポットライトを愛するすべてのアーティストがそうであることを、彼は教えてくれる

 

「自分のことをスターと言えるかどうかはわからない。それは多くのことを意味するとともに、何も意味しない表現だ。それが自分の光の一部を分かち合うという意味なら、私は自分自身をそう特徴づけたいと思う」

 

――そう語るクーラは、これまでの彼のキャリアにおける数千回の公演で、あらゆることを見てきたし、やってきた、そして、その中には失敗も含まれているが、それは同様に重要であったと言う

 

「そんなふうに働き、生きてきたことに後悔はない。しかし今となっては、どうしてそんなことができたのだろうと思う。妻であり同僚であるシルビアも、何十年も一緒にいて、今では私を火星人のように思っている。しかし、コロナはすべてを変えた。"昔の私"はもういない。リズムを刻むのを止めて、ライトが顔を照らすのを止めたとき、見えてくるものがある。例えば、犬たちの散歩を始めたら、彼らが不思議そうな顔をした。“本当?こんなこと知ってるの!”といってるみたいに」

 

――実はオペラ歌手になりたかったわけではないと、懐かしそうに笑う

 

「歌手になりたいと思ったことはなかった。私は大学で作曲と指揮を学んだが、その科目のひとつに歌があった。それを学ばなければ、いい指揮者にもなれない。歌の教師と一緒にレッスンをしていた時、音楽院の学部長がホールを通りかかってそれを聞いた。彼はすぐに私をオフィスに招き、こう言った。『君は自分の声がどんなものかわかっている?稀なドラマチック・テノールを学校から失ってしまうことを自覚している?君は歌わなければならない!』と。 私はオペラが嫌いだと彼に言った。私はその時19歳で、冷静に理由を伝えた。『一生、マントを着て舞台に立っているのはいやだ』と。すると彼は、『わかった、歌手にならなくてもいいが、いい指揮者になるために、歌を勉強すべきだ』とアドバイスしてくれた。私はそれに同意し、歌を習い始め、そして今に至っている」

 

「キャリアに大きな影響を与えた1つの出来事といえるものはないが、40年間も濃密に生きていると、多くのいろんな瞬間があるし、失敗もある。間違いは人を成長させる。私はしばしば、間違った時に間違った場所にいて、間違った決断をした。しかし私はそれらを通じて学んだ。私は今でも理想主義者だが、若い頃はロマンチックな理想主義者で、動くものすべてを撃っていた。そして今は、どんなものにも弾丸を撃ち込む価値があるかどうか、慎重に考えるようになった。今はストイックになったが、ロマンチストであることに変わりはない。さらに、正しいことを指し示してくれる人に囲まれていることも重要だ。私のようなキャリアを積んでいると、誰もがうなずいて、頭を下げてくるが、それはあなたを慕っているから、ではなく、あなたがお金を持ってきてくれるから、なのだから」

 

「私の周りに信頼できる人が数人いるが、彼らへの私の指示はいつも同じで、『もし私が間違っていたら言ってほしい』だ。ここにいる妻シルビアには、いつも私は助けられているし、彼女は家でも正直に本当のことを言ってくれる。また私は彼らに、ステージ上で私が哀れにみえるようになったら、言ってほしいと頼んでいる。特に私のように、ステージの照明の前に立ち、注目の的であることが好きな人間にとって、エレガントに退くことは難しい」

 

――クーラは指摘し、自身の目標を語る

 

「20代の役を60歳の私が演じ、歌うのは、非常に痛々しい。ステージの上で正直になり、自分の年齢の範囲外のキャラクターを演じずに引っ込むか、ばかげたことをして自分自身と観客をがっかりさせるのか、そのどちらかだ。どうやったら私のこの年齢で、10代のジレンマを演じられるのか。愚かだし不必要だ。時が来たら『もういい』と言わなければならない。私の夢のひとつは、『トゥーランドット』で私と同年代の皇帝を演じ、それによって私のキャリアを堂々と終わらせることだ。舞台アーティストにとって、舞台を去ることはとても難しいことだ。だからこそ、このフェスティバルのような他のプロジェクトで "リサイクル "される必要がある。一旦、このフェスティバルを軌道に乗せ、スタンダードを作れば、アーティストが主役になることを期待している。いつもポスターに描かれている自分を見ていたいというエゴは私にとってそれほど大きくない。私は裏方になり、それをとても楽しみにしている」

 

(「Dubrovački vjesnik」 2022年7月 より抜粋 )

 

 


 

 

息をのむほど美しい海に囲まれた場所でのフェスティバル、本当に、一年に一度、クーラを囲んで集まれればどんなに楽しいことかと思います。

一方、今回のインタビューは、クーラが自分自身の「引退」についても語るという、ちょっとファンとしては寂しい思いをしてしまう内容もありました。もちろん、この10年間ほどで、クーラはじょじょに、世界中を旅する多忙なオペラ歌手から、本来の指揮や作曲を中心の活動へ、またこのような音楽監督や演出などへと、軸足を移してきました。歌手として表舞台に出る回数はかなり減っています。これはもともとの将来展望であり、意図してきたものではありますが、もしかするとコロナ禍がそれに拍車をかけ、多くの出演がキャンセルになった結果、シフトの切り替えが前倒しになってしまったのではないかという残念な思いも少し残ります。

しかしまだまだ60歳。来年以降も、イタリアの歌劇場での椿姫の指揮、マルタでのトスカの演出、そしてライフワークとなっているアルゼンチン歌曲や自作曲のコンサートなど、すでに公表されている公演もあります。今後も、あらたなチャレンジや、さまざまな多面的な活動をすすめてくれるだろうと思います。できるかぎり見届けたいと願っています。

 

 

 

*画像は報道などからお借りしました。

 

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2022年 ホセ・クーラ、音楽監督としてペリェシャツ・フェスティバルをスタート

2022-09-24 | 音楽監督として

 

 

 

2022年6月20日、ホセ・クーラが総合芸術監督を務めるペリェシャツ・フェスティバル in オレビックが開幕しました。

3日間にわたるこのフェスティバル(プレ企画として18日にギター演奏会も開催)は、クロアチアのペリェシャツ半島にある町オレビックで開催されました。

クロアチアは、イタリアの東側に位置する、アドリア海に面した美しい国。オレビックはアドリア海に細長く伸びたペリェシャツ半島に位置する港町です。昨年9月にも1日だけコンサートが開催されましたが、今年からが、体制を新たに整えてのフェスティバル本格スタートのようです。今年は、とりわけ半島住民の念願であったクロアチア本土と半島をつなぐ橋が開通するということで、大きな盛り上がりをみせました。

クーラ自身が、地元自治体、関係する首長などとの交渉を重ねて開催の準備をすすめ、音楽監督として全体の企画を立案し、さらに出演者として、指揮し、歌も歌うという奮闘ぶりでした。音楽祭の様子をSNSなどから紹介したいと思います。

 

 


 

 

 

 

PROGRAM PELJEŠAC FESTIVAL OREBIĆ 2022

● 18, July 2022
Barbora Kubiková | Guitar Recital


 
● 20, July 2022 WEDNESDAY 21:00 h
José Cura & Friends

Bucharest Metropolitan Orchestra, the Children Choir of the Orebić Primary School, the Choir of artists of the Bucharest National Opera

Guest soloists =Teodora Tchoukourska (soprano), Ester Pavlu (mezzo-soprano), Boris Lukov (tenor), Emil Zhelev (bass), Barbora Kubiková (guitarist) 
conducted by Viliana Valtcheva and Daniel Jinga.

Eternal flame – SUSANNA HOFFS , Como yo te amé – ARMANDO MANZANERO , Cavatina – STANLEY MEYERS , Chiquilín de Bachín – ASTOR PIAZZOLA
Overture of Guglielmo Tell – GIOACCHINO ROSSINI , La calunnia – GIOACCHINO ROSSINI , Don Giovanni, duet La ci darei la mano – WOLFGANG MOZART , O mio babbino caro – GIACOMO PUCCINI , E lucevan le stelle – GIACOMO PUCCINI , Prelude of Carmen –GEORGES BIZET , Habanera – GEORGES BIZET , Seguidilla – GEORGES BIZET
Somewhere – LEONARD BERNSTEIN , Yesterday – PAUL MCCARTNEY , Imagine – JOHN LENNON 
Nessun dorma – GIACOMO PUCCINI 

9th symphony, 4th movement – BEETHOVEN

 

● 21, July 2022  THURSDAY  21:00 h

Rockappella / beautiful combination of songs from the World repertoire.
The Choir of artists of the Bucharest National Opera, with their conductor, Daniel Jinga.

Bohemian Rhapsody – FREDDIE MERCURY, ARR. MARK BRYMER /  Mamma Mia – BENNY ANDRESSON, STIG ANDERSON, BJÖRN ULVAEUS /  Proud Mary – JOHN FOGERTY, ARR. KIRBY SHAW / Java Jive – BEN OAKLAND, MILTON DRAKE, ARR. KIRBY SHAW /  The lion sleeps tonight – HUGO PERETTI, L. CREATORE, G. WEISS, ARR. ROGER EMERSON / La Bamba – RITCHIE VALENS / Les Champs Elysées – MIKE WILSH, MIKE DEIGHAN, ARR. CLAUDE POLETTI / Elijah Rock – SPIRITUAL, ARR. JESTER HAIRSTON /  Joshua fit the battle – SPIRITUAL, ARR. ANDERS ÖHRWALL / Chae shukarie – GIPSY TRAD., ARR. DRAGAN ŠUPLEVSKI  / Estrella e lua nova – TRAD. FROM BRAZIL, ARR. HEITOR VILLA-LOBOS /  The way we were – MARVIN HAMLISCH, ARR. CHUCK CASSEY / Chindia – ALEXANDRU PAȘCANU

Antonin Dvořák's  Symphony No 9 "New World" 
Metropolitan Orchestra conducted by José Cura

 

● 22, July 2022  FRIDAY 21:00 h

Giuseppe Verdi | Messa da Requiem

Guest soloists, the Choir of artists of the Bucharest National Opera and the Bucharest Metropolitan Orchestra, conducted by José Cura, will perform for the first time ever in the Pelješac peninsula this monumental piece of the repertoire, as a special tribute from the City of Orebić to all of those who have died in these last two difficult years for the World.

 

 

 

 

3日間(プレ企画含めると4日間)のフェスティバル、プログラムを見ていただいてわかるように、クラシックの枠や特定のジャンルにしばられることなく、誰もが音楽を楽しめる選曲、構成を心掛けているようです。出演者も、ルーマニアのオーケストラ、各国からのソリスト、そして現地の小学生の合唱団と、国際色豊かです。

1日目は、「ホセ・クーラと友人たち」と銘打っての、アルゼンチンの歌、ポップス、オペラアリア、そしてベートーヴェン「第9交響曲」第四楽章という多彩なプログラム。

2日目は、ロック、ポップスの名曲、民族音楽など、世界で愛されてきた曲の数々とドヴォルザーク交響曲第9番「新世界より」。

最終日の3日目は、クーラが指揮するヴェルディのレクイエムで、この半島地域で演奏されるのは初めてとのことです。世界にとって困難なこの時期に亡くなったすべての人々に捧げられました。

 

 

 

●コンサートの写真ーーオレビック観光局のFBより

 

≪初日≫

 

≪2日目≫

 

≪3日目≫

 

 

 

●初日の舞台の動画ダイジェスト

フェスティバル1日目の「ホセ・クーラと友人たち」の舞台よりのダイジェスト動画です。アカペラで歌いながらクーラが登場し、地元小学校の子どもたちの合唱、オケと一緒になって演奏が開始され、その後、クーラの故郷アルゼンチンの歌、ゲストアーティストとクーラによるオペラアリアやデュエット、ポップスのメドレー、クーラの「誰も寝てはならぬ」、最後はベートーヴェン「第9交響曲」第4楽章と、それぞれの場面を抜粋して収録しています。コンサートのリラックスして楽しい雰囲気が伝わる動画です。

 

PELJESAC FESTIVAL OREBIC 2022, José Cura & Friends (Opening Night, July 20th, 2022)

 

 

●初日の舞台より抜粋ーービゼーのカルメン、カルメンとドン・ホセ

 

 

 

●ホセ・クーラのFBよりーーリハーサルで弾き語り中

 

 

 

 

 


 

 

クーラにとって、ひとつの念願でもあった音楽総監督としての仕事が、クロアチアの風光明媚な半島で本格スタートしました。

プログラムや動画を見ると、日頃からクーラが語ってきた、音楽には垣根がない、ジャンル分けに意味はない、ということをそのまま実現したような内容だったと思います。誰もが知っているポップスやロックの曲があり、これも多くの人に親しまれているベートーヴェンの第九やドヴォルザークの新世界があり、有名なオペラアリアやデュエットもありと、年齢を問わず、誰でも気軽に音楽を楽しめるフェスティバルとして、第一歩をふみだしました。さらに最後は、コロナ禍と紛争、侵略戦争、貧困など、世界のさまざまな困難に苦しみ、犠牲になった人々への祈りとして、ヴェルディのレクイエムが演奏されています。

この多彩でユニーク、理想主義者で、音楽で世界の人々の架け橋をつくりたいと願うクーラらしさでいっぱいのこのフェスティバルが、今後もさまざまな困難はあるでしょうが、来年以降も続いて発展していくことを、そして私もペリェシャツ半島を訪れることができ、毎年クーラと世界のクーラファンと再会できる場となってくれることを心から願っています。

 

 

 

*画像等はクーラや観光局のFB、報道などからお借りしました。

 

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2021年 ホセ・クーラ、クロアチアの新音楽フェスティバルの音楽監督に就任

2021-09-23 | 音楽監督として

 

 

2021年9月11日、ホセ・クーラは、クロアチアのオレビックで、新規サマーフェスティバルの発足記念コンサートに出演しました。

キャプテンズタウン・サマーフェスティバルと名付けられたこのフェスティバルは、来年2022年から正式に発足の予定で、クーラが音楽監督を務めることになっています。

今回のコンサートの様子、今後のフェスティバルに関する情報などを、クーラのインタビューや関係者のSNSなどから紹介したいと思います。

 

 

 

 

 

Captain's Town Summer Festibal Inaugural Concert

Dubrovnik Symphony Orchestra
conductor:Marija Ramljak
soprano:Kristina Kolar
soprano:Marija Jelić
guitar soloist:Barbora Kubíková
founder and director:Sandra Milankov
tenor,conductor, artistic director:José Cura

 

 

 

 

オレビックは、イタリアの東側、アドリア海に面したクロアチアのペリェシャツ半島にあります。ワインが名産の、美しい海岸と自然に恵まれたリゾート地で、古くからの港町のようです。

地域の文化振興、観光資源としても期待されているのでしょう、今回の発足記念コンサートは、クロアチアの文化省やドゥブロヴニク・ネレトヴァ郡、オレビックの自治体、観光局などによって支援されているそうです。クロアチア国営放送がテレビ放送し、またラジオでも生放送されました。残念ながら日本からはテレビを見ることはできなかったようですが、ラジオ放送は良い音質で聞くことができました。

前半は、アルゼンチンの歌曲を数曲クーラが歌い、その後、クーラ作曲の「ギター協奏曲 ”復活”」の1つの楽章が演奏されました。後半はオペラアリアのコンサート。途中、オペラの間奏曲などをはさみながら、ソプラノ2人の方の歌と、クーラは指揮とともに、トスカ「星は光りぬ」、トゥーランドット「誰も寝て張らなぬ」を歌い、最後に全員で椿姫の「乾杯の歌」で終演でした。

 

 


 

 

 

≪ コンサート当日の様子 FBより ≫

 

 

●リハーサルと本番のステージなど、カメラマンによる150枚以上の画像投稿

 

沢山の写真が掲載されています。アルバム名をクリックしてぜひご覧になってみてください。表にはリハーサル時の様子が写っていますが、中には本番の舞台写真が沢山あります。

海岸のヨットハーバー?の横にあるスペースにコンサート会場をつくり、感染防止対策の上で入場無料ということで開催されたようです。席に座り切れず、周りを囲むようにして、大勢の地元の人や観光客らしき人々がコンサートを楽しみ、最後は沢山の花火も打ち上げられ、お祭り気分を盛りあげていました。

 

 

●現地のドゥブロヴニク=ネレトヴァ郡長官のFBより

 

” 昨夜、世界最高のテノール、ホセ・クーラによって素晴らしいコンサートがオレビックで開催された。 またオレビックとペリェシャツ全体での新しい文化イベントの発表でもあった。アンチッチ市長と他のペリェシャツの市長、そしてサンドラミラノコフ氏、この特別なイベントの企画を手伝ってくれた他の人々に称賛を送りたい。ソプラノスのクリスティーナ・コラーとマリヤ・ジェリッチ、ギタリストのバルボラ・クビコワ、指揮者のマリヤ・ラムジャク、ドゥブロヴニク交響楽団がコンサートに大きく貢献した。 ペリェシャツにブラボー!”

 

 


 

 

≪ 新しいフェスティバルにむけて ーー クーラのFBより ≫

 

●クーラのよびかけ

 

” コンサートの告知というだけでなく、ビジネスパートナーのサンドラ・ミランコフと一緒につくろうとしている新しいフェスティバルのキックオフを発表したいーーキャプテンズタウン・サマーフェスティバル!!!  来年9月にすぐには会えないかもしれないが、この場所が毎年夏の再会の場となり、質の高い、心のこもったパフォーマンスの組み合わせを愛するすべての人にとっての旅の街になることを願っている。そこでの再会を!!! ”

 

 

●美しいクロアチアのオレビックの海 ホテルの窓から ーー現地に到着したクーラのFBより

” 私の新しいお気に入りの場所、キャプテンズタウンの窓からの眺め。伝説によると、背景にある島はマルコポーロが生まれた場所… 詳しくは後ほど。現在、私たちの将来のフェスティバルの土台になるものを調査中。 乞うご期待! ”

 

 

●現地クロアチアのマスコミから取材を受けるクーラ

 

 

●会場の視察後にオレビックの市長と

 

 

●来年のフェスティバル正式発足にむけ、現地の有力者たちと視察中 クーラの感謝のコメント

 

 

 

●宿泊したホテルの従業員の方たちと。感謝の思いを込めて

 

 

 

 


 

 

≪ クーラの現地でのインタビュー記事より ーー 抜粋して紹介  ≫

 

 

●地域にとって重要なフェスティバルに

「私はペリェシャツ半島に行ったことがなかった。この半島への初めての訪問だが、きっと去りがたいだろうことはすでにわかっている。このフェスティバルの芸術監督に就任したとき、すぐに素晴らしいアイデアだと思ったが、ここに来て、将来一緒に仕事をする協力者やパートナーに会うことを強く希望していた。 ここで3日間を過ごした後、クロアチアのこの地域にとって大きくて重要なフェスティバルになると確信しており、特別でユニークなものを作ることができると思う。」

(クロアチアHRTニュースより)

 

 

 

 

 

 

●有名なアルゼンチンのテノール・指揮者のホセ・クーラが、オレビックのフェスティバルの芸術監督を引き受けた。彼が計画について語ったが、彼には恐れもある

 

最初に9月11日土曜日にオレビッチの人々、次に日曜日にクロアチアのテレビ番組でクロアチア中の視聴者が、有名なアルゼンチンのテノール、指揮者、作曲家のホセ・クーラを見る機会がある。今回のオレビッチでのパフォーマンスは、クーラの手に芸術的リーダーシップを委ねたフェスティバルの創設者兼ディレクターのサンドラ・ミランコフのアイデアによると、最初のキャプテンズシティ・サマーフェスティバルの発足記念コンサートだ。 ホセ・クーラは作曲と指揮の分野で学術的な音楽教育を開始したが、暗いバリトンの色合いを持つ彼の大胆で明るいテノールは、彼を国際的な名声に導いた。つまり、彼は舞台へのきっかけを得るために歌うことに専念したが、「人生は、他の計画を立てている間に起こることである」(ジョン・レノン)。

クーラは1999年に指揮者としてのキャリアに戻り、世界中のトップオーケストラと協力し、2014年から作曲に積極的に取り組んでいる。

 

Q、あなたはブカレストからクロアチアに到着した。ブカレストではエネスク・フェスティバルの25周年の一環として、あなたの曲「テ・デウム」の初演が行われたが、作曲家兼指揮者として、パフォーマンスに満足した?

A(クーラ)、2つの優れたルーマニアの合唱団、傑出したソプラノのポリーナ・パスティルサクと卓越したロンドン・フィルハーモニー管弦楽団によって初演されるというのは、夢のようだった。

 

Q、オレビックのコンサートのプログラムには、9月19日にザールブリュッケンで初演される「復活のための協奏曲」の最初の楽章の初演も含まれる。名前の意味は?

A、パンデミックで課せられた大きな「膠着状態」により、私は再び作曲に完全に集中することができた。このギターとオーケストラのための協奏曲だけでなく、「テ・デウム」と「シンフォニー組曲」も。 ”Resurgir(Awakening)”(目覚め、覚醒などの意)という名前は、それにふさわしい瞬間に応じてつけられた。

とても軽快で楽観的な音楽を書いた。最初の楽章はブラジルのリズムに基づいており、「アルボラダ」(夜明け "Alborada" )の2番目の楽章は新しい一日がもたらす光を呼び起こし、「ロンド」の3番目の楽章では ロンド型の構造を使用している。そこには、「我々は社会の多くのことを再編成するのか、それとも失うのか」というメッセージが込められている。

 

Q、多忙なスケジュールの中、作曲するのに十分な時間は?

A、コロナウイルスのパンデミックの前の30年間、私はノンストップで「自転車」に乗り続けた。それはバッテリーのように充電しながら多くの人々に光を当てたが、私自身を盲目にした。その「自転車」も含めて世界が止まったとき、突然何も見えなくなった。 少しずつ暗闇が意味をなし、影から形が浮かび上がり、私が気にも留めていなかったことがたくさん浮かび上がってきた。

このことは、作曲も含めて、時間がないために私が長い間無視していたことを行う機会を私に与えた。

 

Q、サンドラ・ミランコフとのコラボレーションは?なぜクロアチアでフェスティバルの芸術監督を?

A、共通の友人である素晴らしいソプラノのクリスティーナ・コラーに紹介されたとき、私たちのチームは結成された。サンドラが彼女の夢について語り、私はすぐにコラボレーションを受け入れた。

すべてをゼロから作り出す必要がある。これは、「穴」だらけの「船」を引き継ぐよりもはるかに面白いことだ。必要な支援がなければ、そのような新造船の「船長」の役割を引き受けることはできない。

パンデミック後の新しい世界には、これ以上の悪夢ではなく、「夢」が必要だ。

 

 

 

 

 

Q、アルゼンチンの歌曲はクロアチアの聴衆にはあまり親しみがないが?

A、アルゼンチンの室内楽曲は親密で、ほとんどがノスタルジックなものだ。この分野の第一人者であるカルロス・グアスタヴィーノは、南米のシューベルトと見なされている。

 

Q、ドブロブニク交響楽団や他のミュージシャンとのコラボレーションに満足?


A、私たちの目標は、フェスティバルが成長し続ければ、地元のミュージシャンに場所を提供することだ。私の芸術的なガイダンスの下で、観客がフェスティバルに期待するレベルの品質を確立できるように、彼らの専門的な努力に最善を期待している。

 

Q、オペラ「道化師」や「サムソンとデリラ」の演出や舞台美術の経験は、あなたの芸術的リーダーシップにも影響を与える?

A、すべての知識を、最高の結果をもたらすために投入する。

 

Q、キャプテンズシティ・サマーフェスティバルのビジョンは?観客は将来何を期待する?

A、私のビジョンはこれ以上ないくらい明確だ。しかしショービジネスでの長年の経験で、私はあらゆることを見てきた。サンドラ・ミランコフのような情熱的な起業家や私のような経験豊富な専門家であっても、何かを「やりたい」というだけでは十分ではない。

地域社会全体の支援が必要であり、それはフェスティバルが誇りにすべきことで、また成長していく活動の中で通常より多くの障害に遭遇しないように、政治家によってプロジェクトがサポートされる必要がある。私たちが愛情を込めて創造したものを破壊しかねない態度と戦わなければならないのでは「ばかげている」だろう。また大都市と文化メディア省からの支援が必要であり、これはオレビックで成熟していることを誇りに思ってもらうことだ。

最後に大事なことは、この冒険をすべての関係者にとって可能で実りあるものにするためには、スポンサーの経済的支援が必要であるということだ。ご覧のとおり、私たちの計画は大きい。これらの計画がこの地域の中心部でも成長するかどうかを見極める必要がある。時が教えてくれるだろう。

(「slobodnadalmacija.hr」)

 

 

 

 

 


 

 

≪ 放送と録画 ≫

 

●こちらはクロアチア国営放送の放送画面 残念ながらクロアチア国内だけ?で視聴可能だったようです。

 

 

 

 

ーーコンサート全体の録画はありませんが、いくつかアップされた動画を

 

 

●とてもリラックスして親密な雰囲気でアルゼンチン歌曲を歌う

 

●アンコール曲?「誰も寝てはならぬ」 最後の音を長ーく伸ばし、さらに花火でお祭りモード最高潮に

 

 

 

 

 


 

 

パンデミックによる長いステイホームを経て、クーラの新しい挑戦がまたひとつ始まりました。

1つのフェスティバルを新たに立ち上げ、軌道に乗せていくというのは、かなり大変なことだと思います。とりわけ長引くパンデミックのもと、今後どうなるのかの先行きの不安もまだまだあります。クーラもふれていたように、経済的な支援が得られなければ続けていくことは困難になってしまいます。

しかし、「パンデミック後の新しい世界には ”夢” が必要だ」とクーラも述べていましたが、本当に、そう思います。クーラが長年、蓄積してきた芸術的経験を生かして、充実した良質のフェスティバルが新たに誕生するとしたら、こんなに嬉しいことはありません。とりわけこれまでも何度か紹介してきたように、クーラ自身は、大手のレコードレーベルやエージェントに所属することなく、自分自身が信じる芸術の道をひとりで歩んできた人物です。そのクーラのビジョンを実現できる夏のフェスティバルが実現し、若いアーティストたちを育て、また世界からファンや音楽を愛する人々が毎年集える場ができるとしたら、本当に夢のようです。いつか、近いうちに、私もぜひ夏のクロアチア・オレビックにクーラに会いに行きたいものです。

 

 

 

*画像は報道や関係者のSNSなどからお借りしました。

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