人と、オペラと、芸術と ~ ホセ・クーラ情報を中心に by Ree2014

テノール・指揮者・作曲家・演出家として活動を広げるホセ・クーラの情報を収集中

2019年 ホセ・クーラ、仏ミュルーズでラフマニノフ交響曲第2番、ピアソラのタンガーソ、自作マニフィカトを指揮

2019-03-31 | ミュルーズ交響楽団とともに

  

今シーズン(2018/19)からホセ・クーラは、フランス東部の都市ミュルーズに拠点をおくミュルーズ交響楽団のアソシエート・アーティストに就任しました。今後3年間、協力関係を深めていくことになります。

昨年までは、ピエタリ・インキネンが首席指揮者を務めるチェコのプラハ交響楽団で、レジデント・アーティストとして活動してきました。そして今年からは、このミュルーズとの3年契約が始まります。さらに来季(2019/20~)からは、ハンガリー放送文化協会の首席客員アーティストとして活動することも決まっています。歌手としての活動や最近増えてきた演出の仕事に加えて、今後の3年間は、指揮者、作曲家として、もともとクーラの専攻であったこの分野の活動が、さらに発展していきそうです。

 → クーラとミュルーズ交響楽団との協力関係の開始について、以前の記事で紹介しています。

 → ハンガリー放送芸術協会の客員アーティストについては、こちらの記事をごらんください。

 

ミュルーズでは、クーラとの協力の第1弾として、2019年3月8、9日、クーラが指揮をするコンサートが行われました。

コンサートの題名は、「ホセ・クーラーーミュルーズ交響楽団の新しい友人」。リハや本番の様子がSNSなどにアップされている画像などから、コンサートの様子を紹介したいと思います。

 

●オケのFBに掲載された告知
 
 
Orchestre symphonique de Mulhouse – OSM.
"José Cura, a new friend of the OSM" - 8 & 9/03
 

Program
• José Cura - Magnificat
• Astor Piazzolla - Tangazo
• Sergei Rachmaninov - Symphony No. 2

With
• José Cura, Conductor, associate artist
• Chloé Chaume, soprano
• Strasbourg Philharmonic Choir, conducted by Catherine Bolzinger
• Choir of Haute-Alsace, direction Bernard Beck
• Master of Colmar, direction Luciano Bibiloni

プログラム
•ホセ・クーラ - マニフィカト
アストル・ピアソラ - タンガーソ
•セルゲイ・ラフマニノフ - 交響曲第2番

 



唱団のFBより

クーラ作曲のマニフィカトに出演する合唱団とオケの写真、またリハの様子などが掲載されています。 

 
 
≪リハーサル≫
 
オケのFBに何度か掲載されたリハーサルの様子です。
リハーサルはとてもハードに、親密に、熱心におこなわれたようです。1週間の共同作業を通じて明らかになったクーラのイメージは、”仕事の中でも、外でも、寛大さと一体感!″ だと。クーラの仕事仲間への姿勢をよく表していますね。写真からも、リラックス、かつ、集中している様子が伝わってきます。

合唱団など関係者の人たちのコメントにも、クーラとともに音楽をつくる喜びと楽しさが示されていました。
 
  
 
 
 
 
≪クーラのマニフィカト≫
 
今回演奏された、クーラが作曲した「マニフィカト」。
 → 作曲家としてこの曲に込めた思いや経過について、以前の記事で紹介しています。
 
聖母マリアの祈りをテーマにした曲で、ソプラノがソリストとして参加しています。そのChloe Chaumeさんが、コンサートの数か月前にインスタにアップした楽譜の写真です。マーカーでチェックしながら準備中。
 

#work #opera #josecura @josecuragram #magnificat #filaturemulhouse #pagliacci #newrole

Chloe Chaumeさん(@chloe_chaume)がシェアした投稿 -2019年 1月月18日午前7時57分PST

 
 
 
≪退任する団員とのエピソード≫ 
 
このコンサートでは、演奏終了後に、この日を最後に引退するクラリネット奏者の方が紹介され、長年の貢献がたたえられて観客、オケの仲間から、大きな拍手を受けたようです。その時の動画がオケのFBに掲載されています。動画の後半にクーラの姿も映っています。
 
 
 
●こちらは、クーラがオケのFBに投稿したコメント。

 
――ミュージシャンに引退はない。それは単なる「管理上の」変更だ。献身と責任を果たした良き一例して、おめでとう、アラン!そしてまた、OSMとの私の最初のコンサートであるこの日を選んで、このステップを踏み出してくれてありがとう。私にとって光栄だ!今夜お会いしましょう!
 
 
●またクーラは自分のFBにもその時の写真をアップして、コメントしました。 
 
 
ーー非常にエモーショナルで感動的に、クラリネット奏者のアランは、3月8日土曜日、OSMとの彼の最後のコンサートを行った。親愛なるアラン、2度目の青春を楽しんでほしい。
 
 
●そしてアランから、感謝のコメントも。
 
 
ーー親愛なるマエストロ、親愛なるホセ
あなたとともに私の最後のコンサートを演奏することは、大きな名誉と素晴らしい喜びでした。
あなたの才能、あなたのカリスマ性、あなたの寛大さとあなたのユーモアは、このコンサートを、まるで素晴らしいパーティーのようにしてくれました。そして私は心からあなたに感謝します。
またすぐにミュルーズでお会いしましょう!

 

 
 
プラハ響の3年間に続く、新たなオーケストラとの共同です。ハンガリー放送芸術協会との同時並行となりますが、いずれにしても長期の継続的な関係を築くことは、さまざまなチャレンジが可能になり、信頼関係のもとで芸術的な深まりも期待できて、クーラのような多面的な挑戦を続けるアーティストにとって、またオーケストラや観客の側にとっても、非常に有意義なことだと思います。
 
クラリネット奏者のアラン氏のエピソードにあるように、クーラは、カリスマ性とその才能によってイニシアティブを発揮することができると同時に、ユーモアや寛容さによって、喜びと楽しさを分かち合い、ともに音楽をつくる仲間としての愛と尊敬をもって、連帯感を深めあうことができる人なのだと思います。
 
またクーラは一貫して妥協のない努力の人でもあります。今回もマニフィカトのスコアに、最後まで手を入れて修正していたという目撃情報もありました。作曲家としても着実に実績を積みつつあります。今後、ハンガリーでの活動を通じて、CDやデジタル配信などでクーラの作曲した曲を聴くこともできそうです。とても楽しみです。
 
 
 
 *画像はミュルーズ交響楽団、合唱団のFBからお借りしました。 
 
 
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(初日編)2019年 ホセ・クーラ、オテロ、サムソン、カニオ、ピーター・グライムズを歌う

2019-03-29 | プラハ交響楽団と指揮・作曲・歌 2018~
 
 
 
 
ホセ・クーラは3月26、28日、プラハ交響楽団と、クーラが演じてきた主要なオペラのタイトルロールを歌うコンサートを行いました。
会場はいつものように、プラハ響の本拠地、スメタナホールです。
 
クーラは、2015年の秋から2018年春まで、プラハ響のレジデント・アーティストとなり、各シーズン3回、指揮、歌、クーラの作曲した曲の初演など、多彩なプログラムのコンサートを行ってきました。
 昨年春でレジデント契約は終わりましたが、その後も双方が引き続き関係を維持することを望み、今回のコンサートが企画されたそうです。
 
この記事では、告知記事やリハーサルの様子、初日の写真などを紹介したいと思います。
初日を終えた段階で、すでに素晴らしいレビューが出て、観客からもSNS上に感動の声がアップされています。レビューについては、のちほど紹介できればと思います。
 
 
→ これまでのプラハ響関係の記事まとめ  (2018年以降)    (2015~2017年)
 
 

 
JOSÉ CURA IN HIS FAMOUS ROLES 
                                                         
GIUSEPPE VERDI Otello
RUGGIERO LEONCAVALLO I Pagliacci
CAMILLE SAINT-SAËNS Samson et Dalila
BENJAMIN BRITTEN Peter Grimes

José CURA | tenor
PRAGUE PHILHARMONIC CHOIR
Jakub ZICHA | choirmaster
PRAGUE SYMPHONY ORCHESTRA
Jacques LACOMBE | conductor
 
 
 
 
≪プログラム≫
 
●ヴェルディ オテロ
●レオンカヴァッロ 道化師
●サン=サーンス サムソンとデリラ 
●ブリテン ピーター・グライムズ
 
 
ソリストはクーラ1人。単にオペラアリアを歌うというのでなく、プラハ響、約60人のプラハフィルハーモニー合唱団とともに、クーラが選んだオペラのいくつかのシーンを歌うというプログラムのようです。
非常にぜいたくなコンサートですね。
 
 
 
 
 
≪コンサートにむけたクーラのコメントより≫
 
このコンサートにむけたクーラのコメントが、メディアの告知やプラハ響のHPに掲載されていました。いくつか紹介します。
 
 
 ――ここでのすべての素晴らしい出来事はプラハ響とともに
 
プラハ響は私にとってたくさんのことを意味する。私がプラハとの強い関係を築いたのは、このオーケストラを通してであった。 私がここでやった素晴らしいことは、すべてこの彼らのおかげだ。
 昨年、私はプラハ国立歌劇場でナブッコの演出・舞台デザインを行ったが、それまでの何年もの間、プラハ響が私の後ろに立っていた。そして彼らが、私をチェコの聴衆に紹介してくれた。
 
――自分の家にゲストを迎えるみたいな
私達は長年、ジャック(指揮者のジャック・ラコンブ氏)と良い友達だ。 私たちがプラハで一緒に仕事をするのは今回が初めて。 私は、彼が私のオーケストラを指揮することを非常に誇りに思うし、この会場は私の家のようなものだから、自分の家にゲストを迎えるみたいなものだ。
 
(「Prahatv」)
 
 
――長すぎるリスト
 
私の最も重要なキャラクターから抜粋してコンサートプログラムを作成するよう依頼されたとき、私が最初にしたことは、最も愛する役柄をリストアップすることだった。そうすることで、それがいくつのキャラクターなのかを実感した。そのリストは、一晩で聞くには長すぎた...。
それで私は、キャリアの中で画期的な出来事を選んで、歴史の順に並べることにした。
 
(「Prazskypatriot」)


――4つのタイトルロール

コンサートのプログラムの中で、サムソンとデリラは、私が演出・舞台デザインをし、最初に非常に大きく成功した演目だった。
オテローーそれは、歌手、演出家、そして指揮者として、常に、私にとって重要な芸術的パフォーマンスを生み出す機会を与えてくれる素晴らしい作品だ。
ショービジネスの世界における栄光と悲惨の関連を明らかにする道化師のカニオ。
そしてついにピーター・グライムズ。長い間、私はこの苦悩する漁師を演じたかった。自分でパフォーマンスをしたとき、初めて、演技のパレットの上で、自分がこれまでやったことのない広い範囲のカラーを発見した。

(プラハ響FBより) 
 
 
 

 
 
  
 初日の様子を伝える写真(プラハ響FB)  
  
 
リンク先に、クーラのミニインタビュー、リハーサルの様子を伝えるニュース動画があります。
 
  
プラハ響FBより、コンサートのプログラムを紹介する指揮者のジャック・ラコンブ氏
 
 
ラコンブ氏がFBにアップした告知ポスター
 
 
 
プラハ響FBに掲載されたコンサート告知のミニ動画
 
 

 
 
3年間のレジデントアーティストとしての協力関係、様々なチャレンジを経て、今回は、歌手としてのクーラの真骨頂を発揮するオペラのコンサートでした。
この4つの役柄は、クーラも説明しているように、長年歌い続けてきた役柄であり、またグライムズのように長年歌いたいと願い続けてきてようやく実現した役柄です。最近では、クーラのオペラ出演は、主にこの4演目がメインになっているとも言えます。円熟の表現者、解釈者として、オケと合唱をバックに、クーラの到達点を示す舞台だったのではないでしょうか。
 
録音や動画はまだ見つかりませんが、レビューや観客の反応からも、クーラの存在感、歌唱と表現力、キャラクターのドラマ・・クーラがキャリアの画期となった役柄として選んだだけあって、それぞれが素晴らしい舞台だったようです。現地に行けないのは本当に残念です。
ぜひ、DVDや録画の配信などをお願いしたいです。
 
 
 
 
*画像はプラハ響のFBやHPなどからお借りしました。
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(告知編)2020年 ホセ・クーラ、ハンブルクでオテロを歌う

2019-03-27 | ハンブルクのオテロ2020
※3/12 新型ウィルス感染対策ため、ドイツ政府が屋内1000人以上のイベント中止を勧告したことを受けて、ハンブルク歌劇場は、3/13以降の公演をキャンセルすると発表しました。不幸中の幸いというべきか、12日のクーラのオテロは、劇場休止前の最後の公演として実施されることになりました。2回めの15日はキャンセルとなります。

*3/9 デズデモーナは、ベテランのストヤノヴァから、アイリーン・ペレスに交代になったと告知されました。

まだホセ・クーラの公式カレンダーには掲載されていませんが、劇場の2019/20シーズン・プログラム発表で、クーラのオテロ出演が判明しました。
うれしいことに、ドイツのハンブルク歌劇場、来年2020年3月です。
現地在住の方に教えていただいて知ることができました。ありがとうございます!
このプロダクションの初演は2017年で、再演となる2019/20シーズンは、19年10月に4公演、20年3月に2公演が行われます。
クーラが出演する方の3月の2公演は、「イタリアオペラ週間」という位置づけのようです。
Director: Calixto Bieito
Set Designer: Susanne Gschwender
Costume Designer: Ingo Krügler
Lighting Designer: Michael Bauer
Dramaturgy: Ute Vollmar
Conductor: Paolo Carignani
Chor: Eberhard Friedrich
Otello: José Cura
Jago: Andrzej Dobber
Cassio: Dovlet Nurgeldiyev
Rodrigo: Peter Galliard
Lodovico: Tigran Martirossian
Montano: Ang Du
Desdemona: Krassimira Stoyanova Ailyn Perez
Emilia: Nadezhda Karyazina
Orchester: Philharmonisches Staatsorchester Hamburg
Chor: Chor der Hamburgischen Staatsoper
クーラの共演者は、デズデモーナがクラッシミラ・ストヤノヴァ、ブルガリア出身のベテランで、クーラとは、DVDにもなっているリセウや、METのオテロで共演しています。この記事のトップ画像は、2006年のリセウのオテロでのクーラとストヤノヴァです。
イアーゴは、これもベテランでポーランド出身のアンジェイ・ドッベル(アンドレイ・ドバーという表記もありました)です。クーラとは2010年にMETでヴェルディのスティッフェリオを一緒に歌っています。
指揮者のパオロ・カリニャーニ氏はイタリア出身、少し調べたら、クーラとは、ウィーンのトスカで共演した記録がありました。
秋の公演では、オテロがマルコ・ベルティ、イアーゴがマルコ・ヴラトーニャ、ダブル・マルコのイタリア人コンビです。クーラとベルティは、98年にスカラ座のマノンレスコーで共演、ベルティはクーラが演じるデ・グリューの友人役を歌っていました。またヴラトーニャとクーラは、オテロで何回か共演し、プッチーニのエドガールやトスカなどでも共演しています。それぞれベテランでメインを固めたキャストのようですね。
●ハンブルク歌劇場のシーズン発表
ハンブルク歌劇場が2月に発表した来シーズンのパンフレット
こちらはシーズンパンフレットより、オテロのプログラムのページ(パンフのPDFにリンクをはってあります)
●ハンブルクのオテロのプロダクション
2017年初演の比較的新しいこのプロダクション、舞台設定も現代のようで、出演者の服装や装置も現代的です。
オテロはダークスーツを着ているようです。主要キャストはパーティー帰りのようなドレスで、大量のシャンパンがありますが、群衆は粗末な服装、背景には巨大なクレーンや有刺鉄線なども見え、難民キャンプや強制収容所、または工場跡地のような印象があります。どんな演出、テーマなのでしょうか。
劇場サイトに掲載されている画像をいくつかお借りしました。画像や動画のオテロはベルティ、イアーゴはクラウディオ・スグーラ。
劇場サイトにアップされている紹介動画。オテロには動きが少ないような感じがしますが、これ以外に動画は見つからなかったので、実際のところはよくわかりません。
Staatsoper Hamburg - Otello
●ハンブルクとクーラ
ドイツ北部の港湾都市ハンブルクでクーラが初めて出演したのは、2000年のコンサートだったようです。
その翌年2001年にも歌と指揮のコンサートを行い、ハンブルク歌劇場でのオペラは、2003年でした。この時はとてもユニークな公演で、前半にクーラが指揮者として登場してカヴァレリア・ルスティカーナを振り、後半の道化師では、クーラがカニオを歌ったそうです。
そして2004年には、オテロで登場、バルバラ・フリットリと出演しています。
その次は、2016年の西部の娘でした。これは地元のオペラファンが絶賛する素晴らしい公演だったようです。
その時の動画、ジョンソンの「やがて来る自由の日」がアップされています。
 → この時の公演とクーラのインタビューを紹介したブログ記事
José Cura - La Fanciulla del West - Ch'ella mi creda libero
●ホセ・クーラとストヤノヴァ
クーラとストヤノヴァは何度も共演しているベテラン同士。特にオテロでは、前述したスペインのリセウ大劇場でのオテロがDVDになっているので、ご覧になられた方もいると思います。
2013年にクーラがニューヨークのMETでオテロに出演した時も、ストヤノヴァがデズデモーナでした。
何度も共演している2人ですから、2人の相性はばっちりでしょう。
リセウ大劇場の公式チャンネルから、オテロ第3幕の二重唱
OTELLO de Giuseppe Verdi (2005-06)
こちらは2013年METの公演から、第4幕、妻の殺害を決意したオテロ、ラストまでの緊迫の場面を。
Jose Cura , Krassimira Stoyanova "Chi è la?... Niun mi tema" Otello
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ホセ・クーラが一生を通じてそのキャラクターの真実とドラマを追求しつづけているのがオテロです。
円熟し、演技、存在感、解釈の深まりがどんなオテロを見せてくれるのでしょうか。
なんとか現地に行って鑑賞したいと、今から少しずつ準備をすすめてみたいと思っています。
来季からは、ハンガリーの放送文化協会と3年契約を結び、作曲、指揮、歌の新たな挑戦が始まるクーラ。とりわけクーラ自身が脚本から作曲まで手掛けた新作オペラも、来年1月にハンガリーで初演されることが決まっています。
ますます指揮者、作曲家、演出家としての活動の比重を高め、総合的なアーティストとしての充実期にあるクーラは、やむをえないことですが、オペラ出演の回数が大幅に減っています。あと何回、オテロを歌ってくれるのか・・。焦りさえ感じますが、可能なチャンスを生かしてクーラの生の舞台を見に行きたいものです。
多忙な活動のなかでしょうけれど、良いコンディションを維持してくれることを願っています。
ハンブルク歌劇場
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2009年 ホセ・クーラ 白血病克服支援のチャリティーコンサート ポルトガル・リスボン

2019-03-23 | チャリティー活動




ホセ・クーラは多忙な中でも、アーティストの社会的責任として、可能な限りチャリティー活動に取り組んでいます。
2011年フランスのナンシーで行われた東日本大震災復興支援のコンサートへの出演や、プラハで行ったユニセフのためのコンサートなどのような単発の取り組みとともに、ハンガリーの障がい者の就労支援の財団との関係のように、継続的に支え、繰り返しコンサートに出演するなどの活動も行っています。
 → クーラのチャリティー活動に関する記事のまとめ

今回紹介するのは、クーラが住むスペインのお隣の国、ポルトガルの、白血病予防と治療、患者支援を目的とする協会(APCL)によるドナーバンクの創設等のための取り組みです。クーラは創設時からの理事となり、募金のためのコンサートに2002年から2009年までの間に4回参加しています。
そのなかから、TV放送され、動画がアップされている2009年のコンサートの様子を紹介します。

ポルトガルの首都、リスボンにある巨大なアトランティコ・パビリオンで開催されたこの支援コンサート。クーラをメインにして、その他にポルトガルの有名なアーテイストが多数、出演しました。3時間近いコンサートで、前後半に分けて、多彩なプログラムが披露される間に、受付センターで募金を受け付け、その総額が、リアルタイムで画面右上に表示されるようになっていました。

クーラが参加した4回のなかには、クーラがオペラアリアをメインを歌ったり、指揮をしたりする回もあったようです。そして毎回、クーラがポルトガルのアーティストと、その人の持ち歌を一緒に歌うというのが後半のクライマックスとなっているようです。

2009年のコンサートから、クーラが出演している部分の動画と画像を紹介したいと思います。





July 2, 2009
Charity Concert for APCL
José Cura
Mariza
Camané
Rui Veloso
Pedro Caldeira Cabral
Luís Represas
Orquestra Sinfónica Portuguesa
Coro Lisboa Cantat
Los Calchakis



≪募金を受け付けるセンター≫

募金方法は電話やネットの両方でしょうか。大勢の人が受付センターに待機し、募金を受け付け、集計しているようです。




≪巨大な会場アトランティコ・パビリオン≫

巨大な会場、たくさんの参加者でいっぱいです。コンサートの観客は、事前に募金をすることでチケットが受け取れる仕組みのようです。









≪コンサート前半の様子≫


●コンサートの始まり~クーラのアカペラから




コンサートは、クーラが登場しながらアカペラで歌う霊歌(スピリチュアル)で始まり、そこにオーケストラの伴奏が入ると、アルゼンチンのカルロス・グアスタビーノ作曲「アネーロ(切望)」に美しくつながっていきます。
Jose Cura "Espiritural"... Gustavino "Anhelo"




●進行役の女性とともに



●サントゥッツアの祈り

次は、珍しいことに、クーラがメゾソプラノの歌を歌いました。クーラが何度も歌ってきたオペラ「カヴァレリア・ルスティカーナ」から、サントゥッツァが歌う「賛えて歌おう」。
Jose Cura " inneggiamo, il signor non è morto" Cavalleria Rusticana




●アルゼンチンのクリスマス

ポルトガルのアーティストが何組か登場した後、前半の最後に、クーラとフォルクローレグループのロス・カルチャキスが登場し、ラミレス作曲「アルゼンチンのクリスマス」。もっと長い曲ですが、その一部分の動画です。
José Cura Los Calchakis Navidad Nuestra










≪コンサート後半から≫


後半も、ポルトガルのアーティストが登場した後、クーラが、それぞれのポルトガルアーティストと組んで、その人の持ち歌を歌いました。


●ファド歌手カマネと

ポルトガルの民族歌謡ファドの歌手カマネとクーラ。哀愁漂う独特のファドの曲調です。
José Cura and Camané "Danca de vokta"




●シンガーソングライター・ルイス・レプレサスと

ポルトガルのポピュラー音楽で大きな影響力をもち、国際的にも活動するルイス・レプレサスと。
José Cura and Luís Represas "Cuando me pierdo "




●ファドの女性歌手マリーザと

マリーザは、ポルトガルの国民的スターだそうです。独特の歌いまわし、迫力ある歌です。
José Cura and Mariza "Cavaleiro Monge"




●ルイ・ヴェロソと

ポルトガルの著名なロック、ブルースの歌手、ミュージシャンのルイ・ヴェロソと。

José Cura and Rui Veloso "Porto Côvo"




●“誰も寝てはならぬ”

クーラのコンサートではおなじみの、プッチーニのオペラ「トゥーランドット」から「誰も寝てはならぬ」。
アンコールの定番なので、これもアンコールとして歌われたのかもしれません。
José Cura "Nessun dorma" Turandot Puccini




●最後にイマジン

コンサートの最後は、全員が登場しての、イマジンの合唱。
José Cura and friends "Imagine"




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クーラがこのポルトガル白血病克服支援コンサートに出演するのは、2009年が4回目。それゆえ、ポルトガルのアーティストとも何回も共演しているらしく、とても親密な雰囲気のコンサートでした。

前半の冒頭からのクーラの歌は、コンサートの趣旨にふさわしく、病気の克服への祈りがこめられたような、しっとりとして、つよい願いと希望が感じられる曲、歌唱だったように思います。

後半のポルトガルのアーティストとの共演は、多彩な曲、歌唱スタイル、個性的な面々を相手に、ファド、ポップス、ブルースなど、相手の持ち歌を一緒に歌いあげました。オペラ歌手にとっては実はなかなか大変なことなのだと思います。

このように音楽のジャンルを超えて、多彩なアーティストと共演し、相手の土俵に入って一緒に音楽を楽しみ、観客も楽しませるというのは、とてもクーラらしいし、彼も大好きなのでしょう。
愛する音楽を通じて、友好と感動をひろげ、そのことで社会的に貢献する――クーラがアーティストとしての初心としてかかげていることでもあります。






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ホセ・クーラ、ラフマニノフの交響曲第2番を語る

2019-03-21 | CD・DVD・iTunes




ホセ・クーラは、少年時代から指揮者になりたかったそうで、なかでも、ラフマニノフの「交響曲第2番」をとても愛していて、若い頃から研究を重ねてきたそうです。
今回は、クーラのラフ2への思い、録音をめぐるエピソードなどを、インタビューなどから抜粋して紹介します。


すでにこのブログでも紹介ずみですが、ホセ・クーラは、かつてポーランドのオーケストラ、シンフォニア・ヴァルソヴィアを指揮してCDにしたラフマニノフ「交響曲第2番」(2002年録音)をリマスターし、ネット配信しました。
アマゾンのダウンロード(400円)でも、iTunes(450円)でも、全曲がたいへん安価で購入可能です。
 → ラフ2配信を紹介したブログ記事

さらに、その後のFBの記事によれば、今後、新録音のリリースも計画しているようで、今回のラフ2や以前のドヴォルザークの「愛の歌」の配信状況が、スポンサーの投資の判断材料ともなるようです。ぜひ、興味のある方は、お気軽にご購入いただければと思います。









Sergei Rachmaninoff: Symphony No.2 in e minor, Op.27
2002 - Cuibar Phono Video
Running time: 58 min.
Artists: José Cura
Conductor: José Cura
Members of Sinfonia Varsovia
1. Largo. Allegro Molto
2. Allegro Molto
3. Adagio
4. Allegro Vivace


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●この曲を日本の新国立劇場でアイーダを指揮したガルシア・ナバロに捧ぐ

Q、この作品の魅力は?

A(クーラ)、この作品で私がとても気に入っている部分は、序奏部の最初の動機から非常に強く感じられる情熱だ。私は、他の多くの人のような、ロマンチックな感情を表現したくはなかった。多くの指揮者がフランス風の優雅なアプローチを心に留めているようだが、私は、非常に情熱的なロシア人の作曲家として、ラフマニノフを演奏した。
私たちの録音を聞くことは、最初から最後まで、椅子の端に座ってリラックスできない緊張感を持ち続けるようなものだというコメントを聞いた。

Q、オケと一緒に演奏する数が増えると、演奏自体も変わる?
 
A、もちろん変わる。11月29日に、私たちは一緒に、ウィーンコンチェルトハウスでラフマニノフ交響曲第2番を演奏した。ご存じのとおり、これは伝統ある音楽ホールだ。
パフォーマンスの最後に、後ろから拍手が起こり、観客は私たちにスタンディングオベーションを与えた。それ以来、「ホセ・クーラは、時折歌う優れた指揮者だ」と書かれているが(笑)、ウィーンでそのような結果を得ることは非常に難しいと聞いている。いつもは「クーラは時折演奏する素晴らしいボーカリスト」と書かれる。今回はそれが逆に書かれていたことがとても嬉しい。
 
Q、ラフマニノフのCDには、「マエストロ・ルイス・ガルシア・ナバロに捧ぐ」と記されていた。ナバロ氏は、東京フィルを頻繁に指揮していたので、日本の音楽ファンにとっても親しみがあった。あなたとの関係は?

A、1995年にプッチーニのオペラ「トスカ」でデビューしたとき、ガルシア・ナバロが指揮をしていた。友情はこの頃から始まった。そして1998年に初めて東京の新国立劇場でヴェルディの「アイーダ」を歌ったとき、彼が指揮をした。

私たちは良い友達になり、3年前に私と家族がパリからマドリードに引っ越したとき、彼は家の手配などをしてくれた。私は彼を親友の1人と考え、このCDを彼に捧げたいとつよく願った。そして、私が首席客員指揮者になるよう依頼されたことを知らずに、彼がこの世を去ったことを読者に伝えたかった。彼の死から2週間後に、私は任命され、それからラフマニノフを演奏することを計画した。コンサートの2週間前、私は彼の家を訪れて哀悼の意を表した。私は彼の居間に座った。彼が持っていたすべてのスコアは正確に配置され一列に並んでいた。ラフマニノフの交響曲第2番のスコアだけが、あるべき場所とは別のところにあった。もちろん、彼は私が指揮をすることを知らなかったし、彼の夫人も知らなかったので、私は、彼が私に、不思議なメッセージを送っていると感じた。

(「レコード芸術」2003年)



●ラフマニノフから始めた理由

――シンフォニア・ヴァルソヴィアの首席客員指揮者に就任して

私はラフマニノフから始めることを選んだ。ワルシャワで演奏されたことのない作品から始めたかったが、それは同時に多くの聴衆にアピールしなければならなかったからだ。それがラフマニノフの交響曲第2番にした理由だ。私はこの録音をとても誇りに思っている。

ペースや他のあらゆることについて議論することはできるが、1つのことは明らかだ――音楽は続く、そして止まることはない。それは止められないエネルギーの流れを伴う流動的なパフォーマンスだ。たとえ決定的な解釈ではなくても。

(「Luister」2002)







●新鮮で新しいものを得るために

私もオーケストラもこれまでやったことがないシンフォニーだったことから、私はラフマニノフの交響曲第2番を選んだ。 この最初の共通の仕事で、このスコアによって、私たち全員が新鮮で新しいものを得られるようにしたかったからだ。

結果としては、よりエネルギッシュで、よりスラブ的なラフマニノフになったと私は思う。原則として私は、人々がどのように感じるか、それらを尊重する。

私にとって指揮は、1つの段階ではない。私は指揮を学んで音楽の世界に来た。15歳で指揮を始め、30歳でテノールになった..。ある批評家が、私は歌う方法を知らないと書く時、それはおそらく、私の経歴が、本来は指揮者になるべきものだったからだ。
私は、歌も自分にとって情熱になることを発見したが、当初は歌は、「市場」に入り込むための方法であり、音楽ビジネスでブレークスルーするための道だった。単刀直入に言うなら、ドラマティック・テノールになることは、商業的に言えば、世界で本当のステップアップになるからだ。

(「Anticipazioni」2003)



●ウィーン・コンツェルトハウスのコンサートでも好評を得る

Q、あなたのようなアーティストにとって、シンフォニア・ヴァルソヴィアとのように、指揮をするための道を持っていることは、非常に重要なことだと思うが?

A(クーラ)、とても重要だ。
2日前、ウィーンのコンツェルトハウスで私のオーケストラ(3年間、客員指揮者だったシンフォニア・ヴァルソヴィアのこと)とコンサートをしたのだが、ちょうど10分前に携帯電話のメッセージでとても驚かされたことを伝えたい。
私たちはレコーディングしたラフマニノフの交響曲第2番を紹介した。ウィーン交響楽団の本拠地の扉をたたくということがどれほど大胆で恐ろしいことか、あなたもわかるだろう。だからもちろん私も非常に心配していた。たとえ観客の反応が素晴らしかったとしても、挑戦的なことであり、どのように受け取られるのかが心配だった。
そして私が受け取ったばかりのメッセージは、レビューが素晴らしかったこと、そのうちの1つが“クーラは喜びのために歌う非常に才能のある指揮者のようだ”と書いたことを伝えてきた。

Q、それは素晴らしい・・

A、実はあまり期待はしていなかった。しかし、いずれにしても好評を得たことは、オーケストラにとってとてもうれしいことだった。シンフォニア・ヴァルソヴィアは、彼らの基準を高め、レベルと評価、あらゆるものを引き上げるために懸命に働いているし、ウィーンでの成功は非常に重要なことだ。

(Classic FM Interview、2002)



●いろいろな活動をどうやって調整している?

それぞれ、お互いに補完し合っている。人々は、それらが完全に異なるものだと思っているが、互いに非常に関係しているものだ。
指揮者のメンタリティをもって歌うことと、歌手のメンタリティをもって指揮することは、お互いを補完しあう。指揮者は、歌手が指揮者から得るよりも、より多くの利益を歌手から得る。
指揮者として、または楽器奏者として、歌手がもっているような敏感さ、自発性、自然な表現による音楽の再現に成功するなら、すべてが変わる。なぜなら歌手は自分自身が楽器なのだから。

(「BBC Mundo」2002)







●商業的目的ではなく、新しいオーケストラとの出会いの痕跡として

クーラの新しいレコードレーベルは、この種の「改革」のための手段を提供するために生まれた。
「私には、メジャーレーベルのひとつに、別のラフマニノフ交響曲第2番をレコーディングするよう説得することは不可能だっただろう」と彼は言う。

「商業的な意図はない。しかし私は、本当に新しいオーケストラとの出会いの痕跡を残したかった。そして唯一の方法が私たち自身の力でレコーディングをすることだった。
私は“フランス的”なアプローチよりも、スラブ版のラフマニノフをやりたかった。そう、ラフマニノフはロマンチックな作曲家だが、しかし彼は感傷的ではない。
メロディーは流れるようしなければならない。自身を過度に出すべきではなく、さもなければフレーズが鼻につくようになってしまう。
私は自分が歌でやろうとしていることを、指揮のなかで実行している――可能な限り現代的になろうとしている。
あなたはそれを受け入れることも受け入れないこともできるが、しかしそれが今、私がやろうとしていることのポイントだ。とても現代的にやろうとすると、時には、とてもドライになりかねない。それが私にとってのリスクだ。私は、物事を、1つの方向に進められる限り進めていき、それからバランスを見いだすために後戻りするやり方を好む。そうでなければ、自分の限界がどのようにしてわかるのだろう?」

クーラはそれ以外にも、将来、シンフォニア・ヴォルソビアとともに、主にロマン派後期および20世紀初頭のレパートリーをもとにして、交響曲とボーカルの音楽をミックスして、演奏し、レコーディングすることを希望している。

「私はショスタコーヴィッチ、ラフマニノフ、レスピーギ、コダーイ、マーラーの後期作品のファンであり、これらが私がやりたいと思う交響曲だ。もちろん、それらは規模が大きいために、演奏するには最も高価なものだ。」

クーラは、この録音が作品の決定的なバージョンになるという幻想を抱いてはいない。しかし彼は言う。「それらがつくるスピリットはユニークになるだろう」と。

「シンフォニア・ヴァルソヴィアが完璧なオーケストラになるまでには、まだ長い道のりがある。彼らは、室内楽サイズからシンフォニックへと拡張されたばかりだ。しかし彼らが演奏するとき、部屋のなかには、愛と相互尊重の雰囲気の中で一緒に音楽をつくっている人々から生まれるエネルギーがある。それらは良い面と悪い面を介してともに働く。

これはただの取引ではない。“あなたは私のために演奏し、私はあなたのために歌い、そして小切手を受け取って家に帰る”―― それで十分にフェアであり、今日の世界では、ミュージシャンとしてのビジネスの一部だ。しかし、あなたが時間をかけて協力関係を築き、激しく仕事をすることができるとき、それはレコーディングの全体像を変える。そして私は、私たちがそれを達成したことをとても誇りに思う。」

(「Opera Now」2002)



●自分自身のレーベルでレコーディング

アルゼンチンのテナー、ホセ・クーラは、ウィーンのコンチェルトハウスで非常に特別な種類のコンサートを開催している。コンサートの前半に、彼はポンキエッリ、ヴェルディ、ボーイト、ジョルダーノ、およびマイヤベーアのアリアを歌う。休憩の後、彼はシンフォニア・ヴァルソヴィアを指揮する。この1年間、彼はそこで首席客員指揮者を務めてきた。彼はラフマニノフの交響曲第2番でオーケストラをリードする予定だが、それは「初めてではない」「私はその作品をレコーディングもしている。そしてCDをウィーンでも発表するつもりだ」と彼は語る。

――彼自身のレーベル

クーラは彼自身のプロデューサーであり、自分のレコードレーベルのボスでもあるので、プレゼンテーションは彼にとってより簡単になるだろう。彼は11月にベートーヴェンの第9交響曲を録音する予定だ。
なぜ?どうして自分のレーベルを設立したのか?―― 「大きなレーベルでCDを制作して発売することはますます困難になっている。だから私は自分の古いレコードレーベルを去り、私自身の会社を設立した。」

――力と感情

現在、彼は、他のアーティストと契約するという選択肢を実際的には検討していない。そして彼は、彼の世代が前の世代と比較して不利な立場にあるという事実に関して、不平を言っていない。
「それはシステムの問題だ」と彼は率直に述べている。「LPが死んだとき、私たちの前の世代は、すべてを録音してCDをリリースした。このブームは終わった。私たちは今、危機のためにお金を払っている。私はこれまでに5つのリサイタルを録音した。そしてオペラは1つだけ。さらにライブ録音をいくつか。」

しかしクーラによれば、ライブレコーディングには独自の魅力と利点がある。パワーとエモーション―― スタジオ版では提供できないクオリティ。そして自分自身のレコードレーベルのボスとして、彼は付け加えた。「それ(ライブ録音)はまた安価でもある。」

指揮者として、彼はセカンドキャリアを考えているのか? 彼の答えは「いいえ」だ。
「私は20年前にアルゼンチンで中断した場所に戻ってきたばかりだ」――彼は1991年にイタリア人の祖母の親戚を探して、イタリアに移り住んだその時から、歌に集中するようになった。「私はすでにアルゼンチンで歌っていたが、プロの歌手ではなかった」と彼は言う。
「イタリアで私は、指揮者よりも、歌手としての方が成功できるだろうと気づいた。」

(「Bühne」2002)



●歌手は芸術と役柄だけに専念すべきとは思わない

Q、あなたの新アルバム「Aurora」はあなた自身の制作会社、Cuibar Phono Videoによって制作された。あなたは以前、ワーナーグループに属するEratoのレコーディング会社と独占契約を結んでいた。あなたはもう多国籍企業を信頼しない?

A、私はEratoで特別な状況を味わった。レコード製作の危機とこれまでで最も深刻な景気後退のために、他の有名なアーティストとの契約が取り消された時に、私のレコードはリリースされた。私たちは平和的に別れたが、この数年の体験は、すべてを自分の手の中に置いておくほうがいいと教えてくれた。私は、歌手はひとつのことだけ、芸術と役柄だけに集中するべきだという理論を信じない。・・私のレコードのうち2つがすでにリリースされている。1つは、ラフマニノフの交響曲第2番を指揮したもので、もう1つは前述のAuroraというアリアのアルバムだ。

(「Magyar Hirlap」2003)



●時間をかけて指揮者としての成功を

Q、オペラを指揮する契約を獲得するのは難しい?

A、私はそうは思わないが、いずれにせよ私はゆっくりそれに近づくつもりだ。
“指揮する歌手”によってではなく“真の指揮者”によって指揮されていることを、私自身とミュージシャンが分かりあうために、十分な時間をとりたい。
確かにオーケストラは、「ここに私たちを指揮するためにテノールがやってくる。それは彼が有名であるからこそだ」と想像するかもしれない。しばらく一緒に仕事をしてから、彼らが私と一緒に働きたいと思っていると感じられるのは、私にとって嬉しいことだ。

明日コンサートを開く予定のモスクワ交響楽団は、最初は私の能力に懐疑的だったが、初めてのリハーサルの後に私を認めてくれた。彼らはまた、自分たちの音楽であり、レパートリーであるラフマニノフのプログラムを、そのような強さで演奏することはめったにないと私に語った。これがよくあることだ。最初のリハーサルはあなたが「はったり」であるかどうかを証明する。 

私は時間をかけて指揮者としての成功を収めたい。絶対に歌手としての私のキャリアの初期のような、PRキャンペーンを体験したくない――「新たなテノール」「世紀のテノール」「オペラのセックスシンボル」――これはナンセンスで全く危険だった。まだ自分が知られていない土地に着いたのに、誰もが最も信じられないストーリーを読んでいる―― そのプレッシャーは耐え難い。

ミュンヘンでの最初の「オテロ」の後に書かれたレビューを私は決して忘れないだろう。...そのパフォーマンスまで私はただのサニー・ボーイであると思われていたが、彼らはようやく私が真面目な歌手であることを理解した。そしてこれはばかげたPRキャンペーンの8年後の2000年のことだった。私は、指揮者としてのキャリアにおいて、同じ過ちを犯すつもりはない。



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クーラが愛するラフマニノフ交響曲第2番について、そのレコーディングの年の2002年と翌年の発言を紹介しました。
この元のCDは、クーラがラダメスを歌い日本デビューとなった新国立劇場の開場記念公演ヴェルディ「アイーダ」の指揮者でもあった、クーラの友人の指揮者ガルシア・ナバロ氏に捧げられたものでした。日本にも縁があるアルバムだったのですね。

クーラの発言を読んで、作品への思いにとどまらず、やはり歌手として有名になったクーラにとって本来の志望である指揮者の活動に復帰するというのは、決して単純な道のりではなかったことを感じさせられました。意に反したプロモーションに苦しめられた過去の苦い経験、レコード・CD業界の不況と変容、自らのキャリアの展開、業界との関係など、いろいろな苦闘を経て、オケとの信頼関係を築く努力を着実に行い、指揮者としての実績も積んできました。

今回、リマスター版をデジタル配信しましたが、今後も、新しいレコーディングの計画があるようです。この秋からのハンガリー芸術文化協会との提携で、さまざまなプログラムも予定されているようです。指揮者として、そして作曲家として、また、まだまだ歌手としても、多面的な独自の道を歩み続けるクーラ。再開したレコーディング事業でもぜひ成功してほしいと思います。



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2019年 ホセ・クーラ "私は移民と移民の過去を知っている"――ハンガリーでのインタビュー

2019-03-09 | 芸術・人生・社会について②




今回は、直近のハンガリーでのホセ・クーラのインタビューを紹介したいと思います。

近年、ハンガリーとの文化的関係が非常に親密になっているクーラ。前回の記事で紹介した通り、来季(2019年秋~)からは、ハンガリー放送文化協会の客員アーティストとして3年間の契約を結びました。

そういう一連の交流の流れのひとつでもあると思いますが、今年2月24日には、ハンガリーでリストの再来と言われたピアニスト、ジョルジュ・シフラの名を冠したシフラ・フェスティバルに出演、最終日のガラコンサートで、このフェスティバルの創設者であるハンガリーの若手ピアニストのヤーノシュ・ボラージュと共演しています。

このコンサートの様子はいずれ紹介したいと思っていますが、今回は、そのフェスティバルにむけて掲載された、クーラのインタビューを抜粋して紹介します。

ハンガリー語のため、いつものように、誤訳直訳、ご容赦ください。ぜひ元のページをごらんください。



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Q、シフラ・フェスティバルに名を冠しているジョルジュ・シフラと、フェスティバルの創設者であるヤーノシュ・ボラージュ(ピアニスト)の名前は?

A(クーラ)、シフラ・フェスティバルでヤーノシュと知り合った。私は、彼がシフラの芸術的遺産の精神でフェスティバルを創設したことは素晴らしいイニシアチブだと思う。
シフラの比類のない美徳を超えて、さらに彼は、精神、信仰、そして力で、困難を克服できることを示した模範的な人格だった。彼は苦痛と恐怖に満ちた人生を過ごしが、それでも彼は、彼自身の苦しみを克服することができた。ジョルジュ・シフラは人類の好例だ。


Q、あなたが30年前に作曲したオラトリオ「この人を見よ」は、昨年プラハ交響楽団と世界初演された。なぜ作曲家としてのデビューまで、それほど長くかかった?

A、過去20年間、私は歌のキャリアにほとんど専念してきた。毎年、100を超える公演、コンサート、オペラ公演が私のエネルギーを奪った。ステージに出続けることに飽きることもある。

現在、かつてほどは歌っていないので、ようやく最初の決意、つまり私が実際にプロの音楽家になるために学んだ職業に戻ることができた。それが作曲と指揮に他ならない。私は指揮者、合唱指揮者、そして作曲家として大学を卒業しているのだから。






Q、かつて故郷のロサリオでビートルズの歌を歌っていた男は、依然としてお金のために歌っていた?

A、その通り。
当初私にとって歌は、慣習的な結婚のようだった。それからゆっくりと歌を好きになり、そして新鮮な愛のように感じるようになった。


Q、あなたは現在、よく知られている指揮者、パフォーマー、写真家に加えて、演出、セットデザイン、衣装デザインなどのすべてをやっている。ある人はルネッサンスの精神を持っていて、また、ある人はそういうやり方は難しいと信じている。これについての真実は?

A、1つのことを失った時、自分自身も多様性のなかにいることに気付くだろう。
確かに、それは創造性の問題。私がしていることは、実際には、同じ活動の異なる分岐、または別の側面だ。

私は基本的に、自分自身のことを、空想力を働かせることができる創造的な人間だと考えている。
歌手としてと同様に、演出家、指揮者として認められる日を密かに待っている。


Q、あなたのかつての教師で、アルゼンチンの歌手だったカルロス・カストロは、あなたのことを巨大な才能をもつ野生生物だと言った。年をとってそれは変わった?

A、むしろ、私は、いつ爪を立て、情熱を発揮すべきかを学び、そして一緒に働こうとするとき、自分自身を抑制することを学んだと言えるだろう。






Q、ヨーロッパ諸国の移民問題にどのように取り組むべき?

A、私は移民と移民の過去の両方を知っている。
私の祖父母は、戦前に、イタリアとスペインからアルゼンチンに渡った。90年代の前半、私は自分の運を試すためにヨーロッパに来て、逆方向に移住をした。

難民危機は、誰もが、見て見ぬふりをすることができない問題だ。何よりもまず、人々は好きで故郷を去っているわけではないことを知るべきだ。差別、迫害を受け、その出身や宗教、その他の理由で苦しんでいる人々の尊厳が尊重されなければならない。難民も欧州市民と同じ権利と義務を持つべきだ。統合を解決するために、主に、善意、社会的意志、組織、そして法的枠組みをつくることだ。


Q、あなたのオペラ演出の多くには、逃避と他者性による社会的剥奪というモチーフが繰り返し出てくる。テアトロコロンで、またボンとモンテカルロのブリテンのオペラ、ピーターグライムズなど。

A、何であろうとすべての仕事は、実際の人間の生活の状況についての個人的または集団的なドラマに関するものだ。それが今日において、社会的反映が避けられない理由だ。
例えば、非難されたピーターグライムズは、コミュニティによる排除とヘイトスピーチの犠牲者だ。


Q、今後オペラは?

A、私は最近、喜劇「モンテズマと赤毛の司祭」を完成させた。これはヴィヴァルディの音楽を題材にした面白い話だ。私はその脚本も書いた。現時点では、世界初演を受け入れるオペラハウスを見つけることに全力を注いでいる。


(*2020年1月29日、ハンガリーのリスト音楽院で、コンサート形式ですが初演されることが決まりました。)
 → それについての記事 


Q、この問題を抱えた世界で、あなたが楽観的な理由は?

A、気に入っている例え話の1つで答えたい。
フラワーショップの素晴らしい香りのよい花の間に糞を混ぜ入れた場合、入ったばかり人は、そこにどんな臭いがあるか気づく。私の楽観主義は、糞より花が多いという信念から来ている。

(「hvg.hu」)


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クーラが出演したシフラ・フェスティバルのジョルジュ・シフラは、リストの再来、天才といわれたピアニストでしたが、たいへんな苦難の人生を歩んだ人のようです。かつてジプシーといわれたロマの家系に生まれ、戦後、ソ連の軍事的な支配が続いた祖国から脱出しようとして投獄、その後、世界的な活動を許されましたが、火事による息子の死で大きなショックを受けるなど、時代に翻弄され、そして個人的な不幸にもみまわれた人生だったようです。

クーラがシフラを、困難に立ち向かい克服したという面から高く評価していることは、とても印象的です。
シフラの人生の背景には、旧ソ連の圧政とその支配を受け、抑圧社会となっていた東欧の国々の苦難の歴史、そのもとで自由とくらしの向上、社会進歩を求めた人々の苦闘と歩みがありました。

そしてクーラ自身も、軍政時代のアルゼンチンで少年から青年への多感な時期を過ごし、イギリスとのフォークランド戦争では徴兵で予備役となり、出兵の寸前に戦争が終結するという体験をしています。その後、母国の民主主義の再建と経済的混乱のなか、音楽家として生計をたてることができず、やむなく祖国を離れ、渡欧し、多くの困難を乗り越えて、現在にいたるキャリアをひらいてきました。

そういうクーラの人生をふまえての発言であり、今回のインタビューはとても説得力と重みがあります。
ハンガリーは、この間、欧州をめざす難民、移民の問題をめぐって、政治的にも社会的にも大きく揺れ動いています。そのハンガリーにおけるインタビューで、移民問題での見解を明確に発言し、差別と迫害を受けている人々の尊厳を尊重すること、難民に欧州市民と同じ権利と義務を与えるべきであり、そのための市民的社会的な条件整備、法的枠組みの必要性を主張しているのは、とても大事な点だと思います。

最後の花屋の例えばなしは、インタビューのまとめ方のためか、また訳の不十分さのためもあって、ちょっと分かりにくいですが、これまでのクーラの発言から推測すると、若い人たちへの期待と、人間と社会の進歩に対する大局的な信頼を語っているように思います。

アーティストの社会的責任として、平和と自由、社会的公正のための発言をいとわず、弱者の権利擁護の立場にたつクーラ、そして芸術は現代の社会と人間の生活を反映するものであり、そうでなければならないことを主張し、実践してきました。世界は多くの問題を抱え、困難は大きいですが、根本的には、前向きに、楽観的に、積極的に生きていくクーラの姿勢は、いつものことですが、今回はとりわけ印象的でした。



*写真は記事からお借りしました。


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