人と、オペラと、芸術と ~ ホセ・クーラ情報を中心に by Ree2014

テノール・指揮者・作曲家・演出家として活動を広げるホセ・クーラの情報を収集中

(旅行編)2018年ホセ・クーラ、ボロディナとマリインスキーでサムソンとデリラ / Samson et Dalila /Jose Cura & Olga Borodina in Mariinsky

2018-06-22 | サンクトペテルブルクのサムソンとデリラ




ホセ・クーラが出演した、2018年5月5日のロシア・サンクトペテルブルク、マリインスキー劇場でのサムソンとデリラから、早くも2か月近くがたちました。
(鑑賞編)でもふれましたが、今回の公演を直接、現地で体験することができたことは、私にとって大きな喜びでした。

舞台の簡単な感想は(鑑賞編)に掲載しましたので、今回は、だいぶ遅くなりましたが、初めて訪問したロシア・サンクトペテルブルクの街について、あくまで旅行の個人的な記録ですが、若干の写真を紹介したいと思います。

とはいえ、3泊5日のオペラ公演メインの超短期旅行のため、旧市街全体が世界遺産という素晴らしいサンクトペテルブルクのごくごく一部を、さっと眺めてきたにすぎません。クーラのマリインスキー劇場オペラデビューというきっかけがなければ、私自身ロシアに行こうとは思わなかったでしょう。そのおかげで、ロシアの文化的な素晴らしさを、わずかとはいえ実感できたことは、とても得難い体験でした。






サムソンとデリラの公演は当日ライブ中継され、現在でも録画が視聴できます。



Samson et Dalila opera in three acts (concert performance)

Dalila: Olga Borodina
Samson: José Cura
High Priest of Dagon: Vladimir Moroz
Abimélech: Oleg Sychov
Old Hebrew: Yuri Vorobiev

The Mariinsky Orchestra
Conductor: Emmanuel Villaume





≪成田から、ヘルシンキを経て、サンクトペテルブルクのプルコヴォ空港へ≫

ホセ・クーラとボロディナのサムソンとデリラの鑑賞のため、初めてのロシアへ。

今回は幸いにして、日本のゴールデンウィーク中の5月5日に公演があったため、旅行の日程を確保することができました。
フルタイムの仕事、かつ、家庭・子育ての責任を抱える私にとっては、海外オペラ遠征はとても無理だとあきらめていました。しかもクーラはオペラ出演を大幅に減らしつつあり、来日も絶望的・・。クーラの生舞台を観たい、と切に願っていた私には、この公演予定がクーラの公式カレンダーに掲載されたとき、絶対に逃すわけにはいかない絶好のチャンスに思えました。

早々にネットで公演チケットを購入、その後、旅行社を通じて航空券とホテル、ロシア滞在のビザを手配しました。成田から、ヘルシンキ経由サンクトペテルブルク行き、フィンエアーで出発です。



約10時間の飛行の後、到着したヘルシンキ空港。新しくすっきりした美しい空港です。国際的なハブ空港としてのいっそうの発展をめざして、大規模な拡幅工事中でした。







ヘルシンキでサンクトペテルブルク行きに乗り継ぎです。
ヘルシンキ空港からは、フィンランド湾を越えれば、すぐそこはロシアです。陸続きでもあります。






ロシアとスウェーデンにはさまれ、両大国の侵略に長く苦しめられた歴史をもつフィンランド。一方、対岸のサンクトペテルブルクは、ロシアにとっては交易と軍事の要所であり、ロシア帝国の首都として発展しました。
飛行時間は1時間の予定ですが、実質30分ほど飛行するとすぐに着陸態勢に。本当に近いというのが実感です。


≪サンクトペテルブルク・プルコヴォ空港に到着、旧市街へ≫







目的地サンクトペテルブルク・プルコヴォ空港も新しい建物です。こちらもまだ拡張中とのこと。
日本のゴールデンウィークは新緑の季節ですが、ヘルシンキやサンクトペテルブルクはまだまだ早春。長い冬がようやく終わり、わずかに木の芽が出始めたという感じでした。

空港と旧市街は少し離れていて、バスと地下鉄の乗り継ぎが必要です。初めてで不安なため、行きは旅行社の迎えの車を利用しました。広大なロシアの大地の一端を感じながら、途中、韓国や日本の自動車メーカーの工場や、巨大なショッピングセンター、高層住宅群などを眺めながら、約1時間のドライブでした。








≪サンクトペテルブルク旧市街とネフスキー大通り≫

サンクトペテルブルク旧市街のメインストリートが、ネフスキー大通りです。通りのあちこちに歴史的建造物があり、またどの方向、どの横道を見ても、街並みが美しいのにはびっくりしました。










ネフスキー大通りは、5月9日の戦勝記念日に向けて装飾がされていました。ナチスドイツ軍によって900日近く包囲され、70万人ともいわれる市民が犠牲になった旧レニングラード。これに耐え抜き、爆撃で破壊された市街も戦後、再建したとのことです。


≪美しい書店、ドム・クニーギ≫

ネフスキー大通りに面したこの立派な建物が、有名な本屋さん。



1階にはいろんなグッズ、お土産品がたくさんあって楽しい売り場です。奥には文具。
2階には充実した絵本、幼児書コーナーもありました。充実した書架を見て回り、何か記念に一冊とも思いましたが、何しろロシア文字がまったく読めないため、断念しました。


≪血の上の救世主教会≫





ガイドブックで観る以上に素晴らしかった、血の上の救世主教会。外見も凄いですが、内部は本当に圧巻です。全面すべてが美しいモザイク画で装飾されています。高い天井までも黄金のモザイクで描かれた絵が。内部全体が金色に輝き、圧倒されました。



 


建築には20年以上の歳月がかかったこの教会、帝政ロシアの財力、支配が可能にした豪華建築です。そして「血の上」と称されるのは、圧政への抵抗勢力によって皇帝が暗殺された、その地の上に建てられており、故皇帝を弔う目的だったとのこと。ロシア激動の歴史の一端を物語る建造物のひとつです。


≪カザン聖堂、ロシア美術館≫

時間がなくて残念ながら前を通りかかっただけですが、ネフスキー大通りに面したカザン聖堂。




この黄色の巨大な建物はロシア美術館。収蔵品の量も巨大だそうですが、本館ミハイロフスキー宮殿、建物自体も世界遺産です。



ロシア美術館前の公園のカラス。ロシアのカラスはツートンカラーのようですね。ロシア美術館の横には、ミハイロフスキー劇場があり、ここでクーラがガラコンサートをやったことがあります。



この他にも、マリインスキー劇場まで歩いていく途中で、これも世界遺産の聖イサアク大聖堂、マリインスキー宮殿、ホテル・アストリアなどの前を通りましたが、眺めるだけで写真はとりませんでした。



≪運河の街≫

サンクトペテルブルクは、フィンランド湾に臨み、大河ネヴァ川と数々の運河に面した街です。川沿いの風景がまたとても美しい。







ネヴァ川の橋を渡って対岸に見えるペトロパヴロフスク要塞、高い尖塔は、ロシア皇帝を埋葬しているペトロパヴロフスキー大聖堂だそうです。ここも遠くから眺めるだけです。




旧市内の歴史地区が世界遺産に指定され、とにかく街中に世界遺産、歴史的建造物が連なっているサンクトペテルブルク。とても3泊5日、実質2日間の旅では、ほんの一部をのぞくしかきません。
この時期、サンクトペテルブルクの気候は、日本の3月くらいの印象でした。本格的な春から白夜の季節には、どれほど美しいだろうかと思うと、また訪問してみたくなります。




≪エルミタージュ美術館≫

クーラの公演と並ぶもう一つの目的は、エルミタージュ美術館です。事前にチケットをネットで購入できます。
とにかく圧巻です。建物だけ見ても本当に素晴らしいです。正直なところ、広くてとても見て回りきれません。



そのごく一部、美しい展示室の数々を。それぞれ意匠を凝らし、天井、シャンデリア、壁面・・豪華絢爛です。



















こちらは中庭


もともとあまり写真を撮るつもりではなく、携帯電話のカメラで撮った写真でアングルも適当で、たいへん恐縮です。
実物はもっともっと見事ですので、この画像で失望されないようお願いします。


≪交通機関≫

サンクトペテルブルクの地下鉄とバスを利用してみました。地下鉄、バス、トローリーバス、乗合タクシーなど、各種市民の足が縦横に走っているようで、もっといろいろ利用してみたかったです。

ロシアっぽいトローリーバス。



私たちは普通のバスを利用しましたが、通常の車両が2台連結した大型のバスでした。乗ると係員がチケットを切ってくれて、1回40ルーブル。



地下鉄と構内の路線図。モスクワの地下鉄は有名ですが、サンクトペテルブルクも地下鉄が発達しています。利用するには専用コインを購入します。自動販売機もありましたが、お金の入れ口がよくわからず、窓口で買いました。
地下深く、そのエスカレーターの速さと長さにはびっくりです。また地下鉄車両の走行速度もびっくりする速さ!もっと地下鉄内を撮っておくんだったと後から思いました。






≪歴史的な街と現代社会≫

旧市街は歴史的な街並みで統一されていますが、その内部は現代的に改装され、日本の私たちにもおなじみのファーストフードもたくさんありました。看板は控えめで、街並みを大きく乱さないようにしているようです。

ネフスキー大通りをずっと東にすすみ、モスクワ行きの列車が発着するモスコーフスキー駅近くには、巨大なショッピングモールがありました。
モールの入口すぐには、ユニクロも。モールの中は若い人々、家族連れでいっぱいで、様々なファーストフードが集まるフードコートもあり、日本とも共通する風景でした。



ロシアのスーパーを見てまわるのも、とても楽しかったです。チーズ、ヨーグルトなどの乳製品が豊富で味は濃厚、巨大な精肉、ハム・ソーセージが並んでいました。パン、お菓子類も豊富、果物も洋ナシを買って食べましたが、安くて美味しかったです。写真は撮らなかったのですが、外国のスーパーというのは本当に魅力的ですね。
ロシアのチョコレートをお土産に購入しました。帰宅後の撮影です。



レトロで可愛い公衆電話、しかし使い方がよくわかりません。




≪マリインスキー劇場で大興奮の一夜≫



今回最大の目的地は、ホセ・クーラとボロディナのサムソンとデリラの舞台、マリインスキー劇場です。
すでに(鑑賞編)で紹介していますので繰り返しませんが、クーラの姿にくぎ付け、大興奮の一夜でした。
マリインスキー劇場も世界遺産に登録されています。古くなってはいますが、エメラルドグリーンを基調にした建物は美しく、内部も豪華です。




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今回、幸運にもクーラとボロディナのサムソンを鑑賞することができ、またサンクトペテルブルクの街をわずかながら見て回る機会を得ました。
かつて強大な権力を誇った帝政ロシア、そしてロシア革命の舞台の地、第二次世界大戦の壮絶なたたかいと破壊から復活した街。去年2017年にはロシア革命100年を迎えています。
歴史と文化、芸術の街、見どころがたくさん、そして食事も美味しく、魅力的な街でした。
スリや治安面の問題がガイドブック等で注意されていたので警戒しましたが、幸い、何事もなく良かったです。

またロシア語が話せない私たちでしたが、空港からホテルまで案内してくれたガイドの若い女性、ホテルのフロント、レストランやファーストフードの店員さん、劇場の職員の方たち、バスや地下鉄の係員さん・・観光の街だからでしょうか、それぞれ親切に対応してくれてとても有難かったです。
私にとっての最大の難点は、路上喫煙の多さ(笑) いずれ改善されることを願うばかりです。
できることなら、時間をとって、また文化、文学、歴史を学びなおしのうえ、再訪したいものです。





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(レビュー編)2018年ホセ・クーラ、ボロディナとマリインスキーでサムソンとデリラ / Samson et Dalila /Jose Cura & Olga Borodina in Mariinsky

2018-06-01 | サンクトペテルブルクのサムソンとデリラ




遅くなりましたが、2018年5月5日のマリインスキー劇場でのサムソンとデリラに関するレビューを紹介したいと思います。

もっとたくさん出ていると思うのですが、ロシア語がままならないために、5月8日付のspbvedomosti.ruに掲載された記事から抜粋して、その一部を訳してみました。
劇場内の熱狂ぶりを伝えてくれていると思いました。

いつものように、語学力がないため、誤訳などあるかと思います。ご了承ください。



Samson et Dalila
opera in three acts (concert performance)

PERFORMERS:
Dalila: Olga Borodina
Samson: José Cura
High Priest of Dagon: Vladimir Moroz
Abimélech: Oleg Sychov
Old Hebrew: Yuri Vorobiev

The Mariinsky Orchestra
Conductor: Emmanuel Villaume




08.05.2018 spbvedomosti.ru




マリインスキー劇場で、オリガ・ボロディナの記念日の「サムソンとデリラ」
 


マリインスキー劇場のソリストであるオルガ・ボロディナ(Olga Borodina)は、30周年を記念して、サン=サーンスによるオペラ「サムソンとデリラ」のコンサート演奏を行った。
彼女とそのシーンを共有するために、有名なアルゼンチン人テノールのホセ・クーラと、フランスのマエストロ、エマニュエル・ヴィヨームが招待された。


最後のシーンの後、観客からは、耳をつんざくような爆発的な拍手だけでなく、まるで待望のゴールを決めた時にサッカーファンが吠えるような轟音が鳴り響いた。
オーケストラ、合唱団、ソリストは、一体となって、その意味を根底まで知り尽くしているかのようにスコアを実行した。
この効果を達成するために、メゾソプラノとドラマチックなテノールの2人のスーパースターの存在に加えて、指揮者は、オーケストラ自身が熱心に語った集中的なリハーサルにも成功した。
細心の注意を払ったエマニュエル・ヴィヨームの手によるマリインスキー劇場のオーケストラは、矛盾する感情、味わい、リズム、エネルギーで満たされた、聖書の世界そのもののように見えた。







ボロディナの記念日にリリースされたパンフレットには、「弱い男性が好きではない」と書いてある。彼女は舞台上の弱いパートナーも好きではない。彼女は、同じパートのなかではるかに輝いているからだ。

彼女はダリラをコヴェント・ガーデンとメトロポリタン歌劇場でプラシド・ドミンゴと一緒に歌い、ホセ・クーラとこのオペラを録音した。
彼女は2003年にマリインスキー劇場でのオペラのプレミアでこの役を演奏した後、このオペラのコンサート式のパフォーマンスに定期的に登場してきた。
オリガは、この旧約聖書のダリラ(カミーユ・サン=サーンス作曲)が「彼女のために書かれた」と信じている。

観客は、彼女の声に完全に惹きつけられるだけでなく、ボロディナの芸術的な才能のスケールにも反応する。ボロディナは、人生、恋愛、権力のすべてを愛している、複雑で矛盾した性格を持つヒロインを崇拝している。







コンサート形式のパフォーマンスに勝るものがないと言うとき、その夜、マリインスキー劇場で起こったことが念頭に思い浮かぶだろう。
オリガ・ボロディナとホセ・クーラにとって、舞台装置は本当に不必要だった。

この2人のオペラのタイトルロールは、さまざまなスケールとカテゴリーで考えられた、その声、ジェスチャー、イントネーションによって、偉大なオペラの時代の精神をもたらした。彼らは完全に、現代の世紀を無慈悲に襲っている虚栄心とは無縁だった。








オルガ・ボロディナが誘惑的な舞台を演奏しただけでなく、招待されたゲストも巧みに演じた。
メゾソプラノが放出する誘惑の毒の蜜は、特に低コントラストのレジスタでは、ステージ上のパートナー、リスナーなどのすべての毛穴に浸透した。
 
ホセ・クーラは、ドラマティックなテノールの芸術を実証し、メロディー・ラインの規則のなかでは窮屈であるかのように、アクセントを劇的なものに大きくシフトさせた。歌手であり俳優であるクーラは、サムソンが既に敵に盲目にされたシーンで、非常に視覚的にそのオペラの一場面を演じた。 

彼のすすり泣く歌声は、サムソンが告白する「致命的な苦悩」を煽り、支えた。
寺院の破壊の場面では、クーラが非常な精度で急激に振り上げた手、その簡潔なジェスチャーによって、ダゴンの異教の寺院は破壊された。
そして耳をつんざくような拍手が爆発した。

(「spbvedomosti.ru」より抜粋)


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この舞台の録画がまだ視聴可能です。マリインスキー劇場の公式サイトがアップしたものです。以前の記事でも紹介しましたが再掲します。

Самсон и Далила



以前の記事でこの公演の感想を書きましたが、まさにこのレビューが書いているように、観客は爆発的な拍手と轟音のようなブラボーと歓声で、ソリスト、指揮者、オケ、合唱による素晴らしい舞台に喝さいを送りました。非常に熱狂的な夜でした。

またこの2人の舞台には舞台装置は必要がなかった、というのも、私の感じた通りです。
オペラ業界では若いスターに注目が集まりますが、またそうやって若い歌手を育てていくことはもちろん大切ですが、このボロディナとクーラのような、演目を知り尽くし、長年の経験と蓄積、深い声と解釈によって、何もなくても、役柄そのものを舞台の上で表現できる熟達したアーティストというのは、本当に格別な存在なのだと痛感しました。

ボロディナはもうあまり国外では演奏しないようですし、マリインスキーでもそうたびたび出演するわけでもなさそうです。クーラもまた、オペラ出演の回数を減らし、指揮や作曲、演出などの活動の比重を高めつつあります。この2人が共演する機会が、今後また再びあるのかどうか・・。

一期一会のその舞台を見ることができたことに、感謝の思いでいっぱいです。






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(インタビュー編)2018年ホセ・クーラ、ボロディナとマリインスキーでサムソンとデリラ /Samson et Dalila /Jose Cura &Olga Borodina in Mariinsky

2018-05-25 | サンクトペテルブルクのサムソンとデリラ




2018年5月5日にロシア・サンクトぺテルブルクのマリインスキー劇場で、サムソンとデリラに出演したホセ・クーラ。このクーラのサンクトペテルブルク訪問に合わせて、クーラのインタビュー記事が掲載されました。
このインタビューは、昨年、オネーギン賞授賞式のためにサンクトペテルブルクを訪問(2017年10月)した際に取材を受けたもののようです。

子どもの頃からの音楽への歩み、人生観、芸術観、アーティストとしての信念などがよく理解できる内容なので、抜粋して紹介したいと思います。ちょっと長めですが、お付き合いいただければうれしいです。
原語がロシア語なので、いつものように、誤訳直訳、不十分な点はお許しください。

→ 元のページはこちらをご覧ください。 operatime.ru







ホセ・クーラ――重要なのは、有名であることではなく、あなた自身の環境に有益であること


Q、今回の訪問(2017年10月)は非常に短いと聞いた。 サンクトペテルブルクへ、ロシアへ、もう少し長い間、来たいと思う?

A(クーラ)、もちろん! 今までロシアでは、オペラの公演で歌ったことがないので、ここに歌いに来るのは素晴らしいだろう。
オペラ歌手としての私の時間はいずれ終わることを知っているので、伝説のマリインスキー劇場で、オテロやピーター・グライムスなどの役柄のなかから歌うことができるなら、それは素晴らしい。


Q、あなたの子供時代について。あなたの家で音楽は? 両親は音楽と関係していた?

A、両親はプロのミュージシャンではなかったが、父はピアノを弾いた。毎晩、父は仕事から家に帰ると、ただ自分自身の楽しみのために、ベートーベン、リスト、ショパンを少し演奏した。1974年、父は自動車事故で腕を怪我し、その後再び弾くことはなかった。

私は1962年12月に生まれた。つまり、人生の最初の11年間、家でピアノの音楽を聞いていたが、その後、それは止んだ。しかし、私はいつも音楽とつながっていると感じていた。
両親はいつも音楽に興味を持っていた。その当時、CDはなく、インターネットはなく、音楽はビニール製のレコードの中にあった。母は、クラシック、良いポップミュージック、シナトラ、フィッツジェラルドのレコードの巨大なコレクションを持っていた。

母は音楽を区別しなかった。ある日、それはベートーベンで、また別の日はポール・マッカートニー、私はこのような雰囲気の中で育った。







Q、あなたに強い印象を与えた音楽作品について、子ども時代からの特別な記憶は?
 
A、いいえ、音楽的な体験を1つだけ区別することはできない。私は多くの音楽を聞いた。アルゼンチンのロサリオで育ち、普通の子ども時代を過ごした。

劇場に数回行ったことを覚えている。ギターのためのコンサートに耳を傾けた。おそらくこれは、この楽器に対する私の関心の始まりを示している。しかし、子どものころに消えない印象を与えた出来事というと、特に覚えていない。

しかしティーンエイジャーだった時、伝説のギタリスト、エルネスト・ビテッティ(Ernesto Bitetti)が音楽的なアイドルだったことは確信をもって言える。彼もロサリオ出身で、私の家族は彼の家族と親しく、私たちは語り合い、パーティーでお互いに訪問し合った。今は引退しているが、この世紀には世界で最も有名なギタリストの一人だった。



エルネスト・ビテッティと共演、同じくアルゼンチンの作曲家アルベルト・ヒナステラ作曲「忘却の木の歌」、 クーラのアルゼンチンソングのアルバム「アネーロ」に収録。
Canción del árbol del olvido - tenor José Cura (ARGENTINA)




Q、音楽があなたの職業になると決めた瞬間を覚えている?

A、7歳か8歳の時、父が私にピアノを習わせた。先生はとても素敵な高齢の女性だった。彼女は私にピアノの弾き方を教えようとしたが、私はまだ子どもで、とても活発で、気まぐれだった。そして、3、4回のレッスンの後、彼女は、私があまりにも幼く、音楽に興味がなかったと言って、私を家に返した。

ピアノの後、私は方向を根本的に変えて、ラグビーをプレイするようになった。これは、もちろん、音楽とは何の関係もなかった。かなり長い間ラグビーをしてきたが、ほぼセミプロのスポーツ選手だった。

しかし、12歳になった時、学校でギターを演奏する同級生に出会った。彼がギターを弾いて、歌を歌うと、まわりの女の子みんなが喜んだ。私もぜひこれを学ばなくてはと思った。独学でギターを学び、ビートルズの歌を歌った。

14歳の時、私は父に、ギターを弾くのが好きで、真剣にこれを学びたいと言った。本当の先生について勉強を始めた。そこからすべてが始まった。



今もコンサートのアンコール曲としてイエスタディを好んで弾き語りする。ギターを習うきっかけについても語っている。
José Cura in Prague - Yesterday 2003年








Q、ギターから作曲、歌、そして指揮への移行はどのように?

A、ギターは素晴らしい楽器。今日にいたるまで、私が本当に愛している唯一の楽器だ。
しかし、時間の経過とともに、ギターは私の情熱的な性質にとっては、あまりにも静かなツールであることを感じるようになった。
私にはもっと何かが必要だった。

ある日、私は父に、音楽院で学んで、作曲家や指揮者になりたいと言った。音楽院には他の多くのコースの中にボーカルのコースがあり、それで私が声を持っていることが判明した。20歳頃だった。それ以前も、いつも歌っていたが、それはまったくオペラのスタイルではなかった。

指揮者をめざして勉強したことで、私には声があると発見することを助けたが、私は歌手のキャリアについては考えなかった。
私は学びながら、合唱団で歌って、わずかなお金を稼ぎ、指揮と作曲を学び続けた。

22歳の時、長い年月の後、アルゼンチンで選挙が行われ、民主主義が国に戻った。
これは新しい時代の始まりだったが、非常に困難な時期でもあった。オーケストラや合唱団は資金調達に問題を抱えた。
生き残ることは難しく、指揮者として生活することは困難だった。そしてさらに作曲家としては、ほとんど不可能だった(今は、作曲家として稼ぐことは不可能だが、たぶん映画音楽を書く作曲家だけは何とか稼ぐことができるだろう)。

そして24歳の時に、私は考えた。歌うことができる。おそらく歌と関連して仕事を見つけることができるだろう――結婚式、パーティーまたはプロの合唱団...作曲の活動をサポートするために私は働く。合唱団で歌い始め、オーディションに行った。

今、オペラ歌手として認められていることは嬉しい。それに加えて、私は音楽を書き、指揮し、そしてまだ歌っている。







Q、今、あなたは、作曲家や指揮者、歌手であり演出家、そして振付師とカメラマン。将来の計画は?これらのすべての方向性を開発する予定?

A、すべてがどのように発展するかは誰も知らない。
まず第一に、将来、何が起こるかは誰にも分からない。それは健康についても、状況がどうなるのか。

今、私自身は、健康で若いと感じているが、年々、私はあまり集中して働くべきではないと感じるようになった。以前は、年100回の公演をこなした。そして今は、回復により多くの時間が必要だと感じている。

人生がもたらすあらゆる状況に反応して、適応できるように準備する必要がある。
これは1つの側面で、もう1つの側面は夢だ。もちろん、できる限り歌を続けることを夢見ているが、それは私の体にかかっている。

長い間歌うことができる人もいるし、できない人もいる。キャリアを通してどれだけ歌ったかにもよる。
例えば、キャリアの平均25年間で1000回の公演を行うとして、私はすでに2500公演をこなしている。
機械に例えるなら、すなわち1990年に製造された2台の自動車が、1台は50万キロ走り、別の1台は5万キロ走ったようなもの。2台の同一のマシン、そのうちの1台がより多く稼動した。だから、これから私の体がどう動くのかを見ていこう。

しかし夢は、もちろん、指揮をし、曲を作ること。そこからすべてが始まった。そして、そこに戻ることは、サイクルを完了させるすばらしい道だ。









Q、オペラでは、お気に入りのヒーロー、好きなオペラのパートがある?

A、いつものやり方で答えよう―― 私の好きな役柄は、私が今歌っているもの。言い換えれば、あらゆることをやった後、数多くの役柄と多くの公演の後に、今、舞台に立つとき、自分が本当に演じることのできる役割を演じ、それを本当に楽しんでやっている。金儲けのためにステージに出ることはない。

若いときは、生計を立てなければならず、職業につかなければならない。その後、こう言える時がくる―― この役柄では私は非常によく歌うことができる。そしてこの役で私はあまり良くはないので、それでない方がいい。


Q、あなたが一緒に歌って非常に快適な同僚の名前をあげることはできる?

A、もちろん名前は言えない。
私にとって、ステージの上で誰かと共に立って、一緒に働くことは、カップルでダンスをしたり、愛し合うことのようなもの。それはとても快適でなければならない。リードし、その後パートナーがリードする瞬間、相互作用がなければならない。これがステージで私にとっての完璧なパートナーだ。

時には、"リードする方法を知らない"または "あなたの足を踏む"パートナーがいる。これは私には、ほとんど起きなかった。
相手に足を踏まれるほど、ダンスでひどいことはない。それは苦痛だ。
そして、あなたには2つの選択肢がある――踊りを止めるか、あなたがリードするか。そうすればすべてうまくいく。
状況に応じて、進める方法を決定する必要がある。私は幸運だった。これまでの仕事の中で、"ダンスを止めた"ことは一度もなかった。







Q、あなたがアンナ・ネトレブコと歌ったことを知っている。他のロシアの歌手と一緒に仕事をした?

A、イエス、もちろん。2人のロシア人歌手、オルガ・ボロディナとマリア・グレギーナと数多く歌った。1995年にマリアと会った。つまり、すでに22年も一緒に歌っている。

オルガとは1996年に出会い、彼女は最初のカルメンを私と一緒に歌った。それ以来、私たちは一緒に歌い、CDを録音し、一緒に年を重ねてきた。私たちの子どもも一緒に育った。私は彼女の娘を知っている。小さな女の子だったが、今は若い女性だ。

もちろん、私はディミトリ―・ホロストフスキーと親しかった。彼の家族を知っている。彼の子どもたちもその誕生から知っている。


Q、オテロを歌った時、あなたと一緒に歌うパートナーはそのほとんどが、初めてこの役を演じる若い歌手たちだったと聞いたが?

A、そう。デズデモーナの役で少なくとも20人の歌手、初めてイアーゴを演じる多くの歌手に、「洗礼を施した」と言うことができる。
ホロストフスキーも私と一緒に最初のイアーゴを歌った。







Q、一般的に言って、オペラ歌手の国籍や学校が、歌い方において歌手に大きな影響を与えていると考える?

A、歌うことは文化的な現象であり、絵画や文学、ダンスなどと同様だ。これは、単にボタンを押せば歌い始めるというものではない。この意味で、アルゼンチン人はイタリア人のようには歌わないだろうし、イタリア人はフランス人のように歌わず、フランス人はロシア人のようには歌わない。

私たちは、それぞれ自分の頭の中、またしばしば心の中において、自分が背負ってきた文化的な荷物を通して、芸術で自分自身を表現する。もちろん、トレーニングは助けになるが、しかしすべての人が、イタリアオペラでイタリア人のように歌い、ドイツ語のオペラでドイツ人のように歌うことができるなら完璧だが、それは非常に難しい。

たとえば私は、ロシア語のオペラを歌っていない。私は自分自身をロシア人として感じることができる基礎を持っていない。私はただ、海賊のようにコピーするだけだ。もし私がヘルマン(プーシキン原作、チャイコフスキー作曲「スペードの女王」)を歌うオファーがあったとしても、それは私のヘルマンを歌うのではなく、ヘルマンを歌った人の受け売りになってしまうだろう。私にはロシア語、ロシア文化のいずれの知識もないからだ。同じ理由で、ドイツ語のオペラを歌わない。

私はイタリア語、フランス語、英語、スペイン語のオペラを歌う。これらの言語を知っているし、文化を理解しているからだ。
私はこの点について、アーティストが正直であることが非常に重要だと考えている。この誠実さの中には、アーティストとパフォーマーとの違いが明示されている。すべてのアーティストはパフォーマーですが、すべてのパフォーマーはアーティストではない。







Q、ロシアでは、40のオペラハウスのうち、4~5か所だけが広く知られている。アルゼンチンの状況は?テアトロコロンのほかに有名な劇場は?興味深いものは?

A、これは簡単な質問ではない。なぜ名声が生まれるか?
まず第一に、その場所、この場合は劇場だが、例えば、著名な作品の初演が行われるなど、歴史の一部であることだ。
それはまた、経済的な力、すなわちお金の問題だ。劇場は「メディア・マシン」を立ち上げ、人々にそれを広げることができる。
つまり、これは私たちが好きかどうかの問題ではなく、ビジネスを動かすことの問題。私たちは美しいものに関連するビジネスに従事しているが、それもまたビジネスだ。

マリインスキーは多くの初演で知られている。過去においても、現在においても。ボリショイ劇場、ミラノ・スカラ座・・についても同じことが言える。これにはプラスとマイナスの点があり、それは観点によって異なる。

劇場がうまくいく場合、独自の聴衆とスポンサーを持ち、その都市で重要な社会的役割を果たしている。そして、有名な劇場であるかどうかは、あまり重要ではない。名声は非常に一時的なもので、今日はそうでも、明日はそうではない。知られていることが重要なのではなく、あなたがいる環境に役立つことが重要だ。

多くの有名な劇場のなかには、過去のためだけに今日も知られているが、現在のものを提供しておらず、現在知られるべきことを何もしていないものもある。もちろん、その名前には言及しない。前任者の栄光の後ろにあるものの1つだが、それは現在の栄光とは別もの。

したがって、あなたの質問に答えるのは簡単ではない。







Q、それでは少し違う聞き方を。私がアルゼンチンに行ったら、テアトロコロンの他にどの劇場を訪れるべき?

A、あなたがアルゼンチンに行って、テアトロコロンや他のいくつかの劇場を訪れるとしたら、私は「残念だ」とだけ言う。
もちろんテアトロコロンは非常に素晴らしいし、テアトロコロンのアーティストは世界でも最高のものだ。しかしヨーロッパの有名な劇場で同じようなものを見つけることができるので、そのためだけにアルゼンチンにやってくることはないだろう。

アルゼンチンに到着したら、あなたはテアトロコロンを含めて訪問する必要がある。アルゼンチンは信じられないほど美しい国だ。
おそらく、地球上で最も美しいところの1つ、しかし、しばしばあることだが、人々はその国に来て、最も有名な大都市のうちの1つか2つを訪れる。ロシアのモスクワとサンクトペテルブルク、アメリカ合衆国でワシントンとニューヨーク、イタリアではローマとミラノ。しかし、国の本当の美しさは、しばしば首都にはない。









Q、一般的な質問を。あなたは稀なタイプの声の持ち主であるドラマティックテノールだ。ドラマティックなテノールは少ないので、他のテノールが、ドラマティックな役柄を演じることを強いられる。自分の声の種類のためではないものを歌うのは本当に危険?

A、抽象的な例で答えよう。専門用語を使って答えるとあまりはっきりしないから。
50kgの体重のボクサーを想像してみてほしい。彼が別の50kgのボクサーと競うなら、すべては順調にいく。体重が50〜60kgの場合、これも正常の範囲だ。しかし、彼が100kgの対戦相手との戦いに入るなら、明らかに彼は死ぬことになる。

オペラも同じ。オテロは重い役柄、カニオ(道化師)は重い役柄、グライムズも100kgの役柄だ。あなたが100kgのボクサーなら、それらに対処することができる。誰でもそれは簡単だとは言わないが、それは物理的に可能だ。

そしてもしあなたが50kgで、マイク・タイソンと戦うつもりなら、確実に、あなたは負けると言うことができる。







Q、ピーター・グライムズについて。あなたは歌い、同時に演出をした。自身のプロダクションで歌うのはどんな感じ?

A、それは私にとって、信じられないほどの喜びだったと言わなければならない。これも、専門的な用語では話したくない。理解できない人が残らないように、別の例で説明したい。

あなた自身で本を書くことを想像してみてほしい。
あなたはそのページを開いて、そこに入り込むことができる。そのキャラクターの1つになり、絵を描き、魔法によって自分自身の創造物に入ることができる。これが、自分のプロダクションに参加するときに感じる気持ちだ。夢に足を踏み入れたみたい。これがロマンチックな側面。

ロマンティックではない側面は、それは非常に困難をともなうということ。
あなたが歌手の場合は、3時間のリハーサル、または2回分のリハーサル6時間があり、家に帰ることができる。
プロデューサーの場合は、技術者、エンジニア、照明とのミーティングを行い、それから歌手とのリハーサル、オーケストラやピアニストとのリハーサル、そしてそれから新しく起こるすべてのことについて。

私が自分のプロダクションを行うとき、毎日朝8:30から23:00まで劇場にいる。







Q、あなたは、注目に値する「自分の夢へのステップ」を主導してきた...

A、イエス。
しばしば人々は、否定的な側面についてのみ考えて、肯定的には考えたくないようだ。
想像してみてほしい。あなたはあなたの夢を生きることができる。夢見ている世界を創り、そこに入り、そこで生きることができる。

一部の人々は私を批判する。そこで私は、「あなたならどうした」と聞く。すると彼らは「そうだね、私も同じことをやっていただろう」と言う。もちろんだ。もし彼らがチャンスを持っていたら、彼らもそれをしただろう。

私が一度にいくつかのことをしているという事実に同意できない人もいるが、私にとっては、歌手とオーケストラが良いかどうか、プロダクションが面白いかどうか、私がどのようにしてそれをやるかが重要だ。もしその答えが、「イエス、それはうまくいっている。プロフェッショナルに行われている」だとしたら、それで、何か問題が?私にとってはそれだけが重要だ。

また、いっしょに働く人たちがうまく働くことも重要だ。現実にいる人々、劇場のモーターであり、劇場の心臓部である人々といっしょに仕事をする。

劇場の心臓部は、支配人ではなく、経営陣ではなく、ソリストでもなく、音楽監督でもない。それらは変わることができる。劇場の中心は、技術者、電気技師、コーラス、オーケストラだ。これらの人びとはいつもそこにいて、彼らは劇場の血だ。
これらの人々が、もしあなたと一緒に働くのが楽しいなら、もしあなたと働くことを誇りに思うなら、そして最も重要なことは、あなたと安心して仕事ができると感じたのなら、あなたは正しいことをやっている。

その後、人々は、あなたが行ったことを、好きになることも、嫌うこともできる。しかし誰も、それをプロフェッショナルでないとは言わないだろう。これが私の譲れない境界線だ。私が何かをするようオファーを受け、私がそれをプロフェッショナルに行うことができないと分かったら、私はノーを言う。しかし、もし私がプロフェッショナルなレベルでやることができるなら、それが非常に難しい場合でも、私はそれをやるだろう。

批判されるかもしれないことを知っていても、私はそれを行う。人生は短いのだから。
もしあなたが人生においていつも、周りを見渡し、他の人が何を言うか考えているのであれば、あなたはつまらない人生を送ることになる。私たちは短い人生を変えることはでない。しかし、つまらない人生を、私たちはおそらく変えることができる。そして、これは私たち自身の決定だ。









Q、キャリア開発のために若いパフォーマーに何を勧める? 故郷で地元の劇場でキャリアを作ってから世界のオペラシーンを征服するか、それともプロフェッショナルなキャリアの初めからそこに行き小役からスタートする方が良い?

A、この質問に対する答えはない。

現在の視点に立つ必要がある。今私たちがどんな世界に住んでいるかを見なければならない。
オペラと古典芸術は、そのどちらも、この世界の外にあるのではない。その一部だ。それらは巨大な機構の一部だが、社会の一部。

私たちは非常に時代に生きている。テロリズム、移民、環境汚染、北朝鮮の狂気の核実験(2017年10月時点)等々。
さらに、若い人たちの大失業は、現実に、大きな社会的問題だ。

この現実のなかでは、古典芸術の未来についてだけ心配するのは、非現実的だ。
このことは、これをしてはならないという意味ではない。これは、私たちが主張しなければならないことを意味している。美しさは――私たちが行っているのは美である――それは常に魂の糧であり、それを止めてはならない。そして私は、止めてはならないと最初に主張するだろう。

社会がそうしない場合、人々は、自分自身で美しさを探し求め、それを必要とする。美しさを探して、それを自然のなかに見いだすだろう。もし神を信じるならば、神のなかに。また音楽、バレエ、絵、どこでも美しさを見つけることができる。

しかし、ほとんどの人が、月末までどうやって暮らしを持ちこたえさせるか考えている時に、社会にオペラへの支援を頼むのは意味がない。

若者に何をアドバイスできるだろうか?私にはわからない。
私が30年前にスタートした時の世界と、今の世界とは非常に異なっている。アドバイスは難しい。90%のケースで良い助言であることがわかっているようなアドバイスをするのは困難だ。

若いアーティストが、テレビで、ただ「兄」がいるだけで人気のアーティストになるのを見ている時、「熱心に仕事をして、たくさん学ぶこと、そうすれば何かを達成できる」ということを、どのようにしたら伝えることができるだろうか。
努力をせずに成功し、有名になった人がいることを知っている子どもたちに、どうやって説明を?どのようにして彼らに、たくさん勉強をして、仕事をし、 "まともな人間"になる方法を伝える?

私の息子は映画俳優で、今、勉強中だ。私たちは時々、そういうことについて話しあう。何人ものモデルやサッカー選手、ロックミュージシャンが俳優になり、ただ単に、彼らが有名だからという理由で役を得ているときに、どうやって、アカデミーで10年間勉強を続ける理由を説明するのか?

しかし、私は、若者が希望を失い、努力する欲求を失ってほしくない。彼らに、「もしそうなら、もうそれをやることはない」と思ってほしくない。それは真実ではないから。それは起こる。本当にトライしてみるなら、たぶん、それは起こるだろう。そして、過去にも、成功のための公式は決してなかった。そして今、これはさらに困難になっている。真の成功のための公式はない。

ただ有名になるための公式ならばある。何らかの形でニュースに登場すれば自動的に有名になる。
私はカメラの前でインタビューをすることができるが、誰かが私を怒らせたり侮辱したりすれば、それはニュースに表示され、すぐに有名になるだろう。メディアを使えばこれは非常に簡単だ。

だから、今日の真に大きな課題は、有名になることではなく、自らの仕事において卓越したものになることだ。
したがって、若者、若手アーティストへのアドバイスは――名声を求めないで。名声は短く、短命なのだから。仕事と人生における偉大さを求めて努力しよう。







いつにもまして、読み応えのあるインタビューでした。
相変わらず、インタビュアーが期待するような、社交辞令的な返答はいっさいぬきで、クーラらしい率直な発言が満載です。

またクーラ自身が、テノールとしてのキャリアの終わりを見通しつつ、「人生は短いのだから」やりたいことを大いにやろう、それは自分自身の決断だと語るのは、とても説得力があります。社会と芸術との関係、若いアーティストへのアドバイスなど、これまでも繰り返し語っていますが、クーラ自身が、商業主義的な成功を求めるのではなく、アーティストの社会的役割を大切にして、自分の芸術的な発展を一貫してめざしてきただけに、とても大事な問題提起だと思います。

そして劇場のスタッフ、技術者、合唱、オーケストラなど、ともに働く人々を大切に思い、一緒に誇りをもてるステージを創造していく真摯な姿勢には、いつも胸が熱くなります。今後、演出、舞台監督、プロデューサーなどの分野で、さらに活躍していくことでしょう。何といっても、人を惹きつける魅力、個性、そしてパワーと才能、強力な意志をもつ人物であることがよくわかるインタビューでした。

最後に、この5月、クーラのアルゼンチンのお母さまが亡くなられたそうです。このインタビューの前半でも語っていますが、活発で、好奇心と力をあふれていた子ども時代のホセを、温かく見守り、育ててくれた優しく、寛容なご両親だったと思われます。
クーラがSNSにアップした、素敵なご両親の写真のリンクを掲載しておきます。ホセの長男、ベンがインスタにアップしたものだそうです。
ご冥福をお祈りいたします。








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(鑑賞編)2018年 ホセ・クーラ、ボロディナとマリインスキーでサムソンとデリラ / Samson et Dalila / Jose Cura & Olga Borodina in Mariinsky

2018-05-12 | サンクトペテルブルクのサムソンとデリラ




ホセ・クーラのロシアでの初オペラ全幕出演となる、マリインスキー劇場のサムソンとデリラ。2018年5月5日、無事に開幕し、大喝采、熱狂のうちに幕を下ろしました。
インターネットのライブ放映もトラブルなく終了、日本でも視聴できたようです。

地元サンクトペテルブルク出身のメゾソプラノ、オリガ・ボロディナの音楽活動30年記念の特別公演であるこの舞台。ボロディナと長年、サムソンやカルメンなどで共演してきたホセ・クーラが、この1つの公演のために招聘され、サムソンを演じました。

ボロディナ1963年生まれ、クーラ1962年生まれ、ともに50代半ばとなりました。1998年にこの2人で、サムソンとデリラのスタジオ録音してからちょうど20年でもあります。

経験を積み、息の合った円熟カップルによって歌われたこのサムソンとデリラ。舞台装置や衣装なしのコンサート形式でしたが、主役2人の熱の入った演技と歌唱、醸し出されるケミストリーによって、コンサート形式とは思えないほど、ドラマに入り込むことが可能でした。

録画が現在、マリインスキー劇場のライブ中継サイト(マリインスキーTV)で見ることができます。またYouTube上からも直接、視聴することができます。いつまで視聴可能なのかはわかりません。以下にリンクを貼っていますので、ぜひ、お早めにどうぞ。

→ (告知編)などこれまでの記事


マリインスキーTV


In memory of Dmitry Yefimov
Marking thirty years of the stage career of Olga Borodina, People’s Artist of Russia

Samson et Dalila opera in three acts (concert performance)

Dalila: Olga Borodina
Samson: José Cura
High Priest of Dagon: Vladimir Moroz
Abimélech: Oleg Sychov
Old Hebrew: Yuri Vorobiev

The Mariinsky Orchestra
Conductor: Emmanuel Villaume


YouTube上でも直接視聴できます。
Самсон и Далила




≪クーラの公演をめざして初めて海外の劇場へ≫

今回、幸いにして、現地・サンクトペテルブルクでこの舞台を鑑賞することができました。


●チケットとロシア旅行の手配

クーラの公式カレンダーにマリインスキー劇場への出演が早い時期から明記されたために、この公演の存在を知っていましたが、劇場サイトの公演一覧にはなかなか掲載されずにいました。ある日、突然、演目だけがアップされ、出演者は後ほど告知すると出た段階で、急いで席を確保しました。

その後、航空券とホテルを手配、ロシアはビザが必要なため、旅行会社に依頼しました。最低でも1か月半前くらいから準備しないときびしいかもしれません。でも今、電子ビザが導入されつつあるようなので、近い将来、もっと手続きが簡略になりそうです。

結局、公演のページにクーラの名前が明記されたのは、かなり後になってからで、しかも10日ほど前には突然、演目がカルメンからサムソンに変更。びっくりしましたが、劇場からお詫びのメールもちゃんと届いて、チケットが有効だと説明されていたのでほっとしました。





●ロシア・サンクトペテルブルクへ

成田から中継地のフィンランド・ヘルシンキ空港まで約10時間、ヘルシンキからサンクトペテルブルクまでは思った以上に近く、1時間程度で到着します。フィンランド湾を超えればもうロシア、サンクトペテルブルクです。

ヘルシンキ空港もサンクトペテルブルク空港も、どちらも新しく、広々として、待ち時間も快適でした。Wi-Fiも問題なくつながります。入国・出国審査はちょっと緊張しましたが、笑顔とハロー&サンキュー&スパシーバだけで特別なトラブルなく通過でき、ひと安心でした。

空港から旧市内までちょっと遠い(約1時間ほど)のが不安でしたが、行きは、旅行会社が手配した日本語の話せるガイド付きの迎えの車でホテルまで。車中、日本語勉強中の若い女性が熱心に名所の説明をしてくれて、その彼女に日本からのお土産を用意してなかったのが心残りです。
帰りは頑張って、地下鉄と路線バスを乗り継いで空港に向かいました。





●伝統あるマリインスキー劇場へ

サンクトペテルブルク旧市街の西側に位置するマリインスキー劇場(写真下)。
運河を挟んですぐ裏手には、新しく建設された現代的な新館があります。反対側の旧館正面には、サンクトペテルブルク音楽院もあります。
ホテルから路線バスで行く予定でしたが、なぜかなかなかバスが来なかったため、30分ほどかけて歩いていきました。

帰りは再度、路線バスに挑戦。今は、グーグルの地図で何でも調べられるので、バス停の位置や時間、路線もすべてわかります。とはいえ不安いっぱいでしたが、バスに路線ナンバーが電光掲示されているので、それに乗り込むと、車内で係員が料金を徴収します。1人40ルーブル。小さな紙片のチケットをくれました。気さくな中年の女性で、ロシア語がまったくわからない私たちに、親切に降りる停留所を教えてくれました。






話が前後してすみませんが、休憩の時にとった劇場内(写真下)。
正面の貴賓席も販売されています。今回の公演の場合、1階平土間の正面周辺で5000ルーブル。日本円で約1万円でした。しかも、ロシア在住者はこの半額ですから、約5000円くらい。
少し左右や1階後方で8千円ほど。上方の席は、確か1000~2000円くらいからあったと思います。
インターネットの劇場サイトで、好きな公演の好きな席を選択し、簡単な登録をして決済すると、すぐにメールが送られてきました。そこにチケットが添付され、それを印刷、またはスマートフォンなどに保存しておけば、劇場のなかのゲートにかざすだけでOKです。
クロークにコートを預け、ゲートに行くと、係員がいて一瞬とまどった私を助けてくれました。また手荷物は中が見えるように開けて簡単なチェックを受け、金属探知機を通ります。

以前の記事で紹介しましたが、今回初めて、この劇場サイトを見て大変驚きました。
マリインスキー劇場だけで旧館、新館、コンサートホールをもち、さらに小規模ホールがいくつもあって、シーズン中は毎日、オペラ、バレエ、クラシックコンサートをはじめ、ジャズなど多彩なジャンルの公演が、1日に昼夕あわせ2、3公演から9公演も行われています。この規模と体制には本当にびっくりです。しかもサンクトペテルブルクには、ほかにもたくさんの劇場、コンサートホールがあります。ロシアの文化的な厚み、歴史と伝統を思わされました。






≪サムソンとデリラの舞台――巨大なエネルギーとカリスマに圧倒≫

●一瞬で舞台を掌握するクーラ


今回のサムソンとデリラは、コンサート形式でした。オケピットをふさいでその上でやるのかと思っていたら、そうではなく、オーケストラは通常のピットの中。舞台上には、後方にコーラス用の階段状の壇が設置され、前方に、中継用の集音マイクらしきものが数本立っているだけのちょっと殺風景な装置でした。

しかしコーラスが入り、オケが入って開演し、クーラのサムソンが右手からゆっくりと姿を現した途端、舞台上の雰囲気が一変したように感じました。クーラはすでにサムソンそのもの。顔つきも、歩き方も、仕草も、完璧にサムソンでした。クーラが舞台を一瞬で掌握し、緊張感とドラマの雰囲気をつくりあげたようでした。







コンサート形式なのに、マイクの前に立って歌うのではなくて、クーラは舞台上をゆったりと歩き回り、コーラスに向かって、民族の苦悩を嘆く人々を励ますような表情を見せます。そしてサムソンの第一声、「止めよ、兄弟たちよ」から以降は、クーラが、迫力ある歌唱と表情、しぐさで、サムソンが群衆を立ち上がらせていくように、コーラスを煽り、気分を盛りたてていき、ピットでは、指揮者もオケを煽り、クーラと指揮者が一体となって、ぐいぐいと盛り上がりをつくっていきました。








●指揮者との相性も抜群

今回の指揮者は、フランス出身のエマニュエル・ヴィヨームさん。
クーラよりさらに大柄で、まるでボクシングのヘビー級チャンピオンのような容貌。指揮棒なし、体をいっぱいにつかってエネルギッシュにパワフルに振ります。後方の私たちにも、指揮者の息遣いが聞こえ、香水が香り、汗が飛び散ってくる(さすがにそれはないですが)かのような臨場感あふれる指揮ぶりでした。テンポもよく、メリハリもきいて、打楽器の音が粒だって聞こえ、ドラマを盛り上げるスタイルは、クーラともぴったりでした。







それもそのはず、このヴィヨームさんは、クーラとボロディナが2002年に、シカゴでこのサムソンとデリラで共演した際にも、指揮をした方でした。
ボロディナの30年を祝うために、クーラとヴィヨームさん、そこまで考えて演目とキャストを準備していたことを知って、地元のスター、ボロディナへのつよい尊敬と愛が伝わりました。


●熟年のアーティストの2人、圧倒的なオーラと存在感、パワー


長年、共演を重ねてきたクーラとボロディナ。
ともに長いキャリアと経験をもつアーティストです。もちろん50代半ばですから、98年のCDに比べると、2人とも声がかなり重くなっています。若い頃に比べれば、きっと体力的な衰えが声のコンディションに影響していることと思います。

クーラは2015年に北京の国家大劇院でサムソンを歌った時に、インタビューで以下のように語っていました。


――2015年クーラのインタビューより

30年のキャリアを経た今、若く新鮮で美しい声を持っているとはいえない。劇場での私の歌は完璧ではない。しかし私のエネルギー、強さとカリスマを聞くことができる。年を経て、これはアーティストとして重要なことだ。

オペラにおいて、私の声は、様々な情報が統合されて含まれている。音は材料であり、その材料を利用して、私は、人々の心の中に別のものをつくりだすことができる。人々は、声にそうした様々な要素を含まない人の歌を聞いた時に、それが完璧だと感じる。しかし、それは私たちに必要な情報を伝えていないのだ。

時には、私たちは表面上において、完璧ではない。しかし、その人のキャラクターの個性や人格の特性は、あなたに深い影響を与えるだろう。そしてあなたは、この人が美しいことを知る。音も同じ理由だ。ある人がとても良い音だとしても、もし良いキャラクターと魅力的な個性をつくりだすことができないならば、意味がない。

専門家は私の公演を聞き、完璧でないと言うだろう。しかしあなたは、ステージで私のエネルギーを聞くことができる。強さとカリスマが公演の私の声にある。これがアーティストとしての私の最も重要なポイントだ。

(2015年北京での報道)


まさにクーラの発言どおりの舞台でした。
避けがたい加齢による影響を補って余りある、劇場内を興奮させるパワーと表現力、存在感がありました。

また、この数年の間に放送されて視聴した他の役、トスカのカヴァラドッシや西部の娘のジョンソン、アンドレア・シェニエなどの歌唱と比べても、かなり違う印象を受けました。やはり、作品とキャラクターの分析、解釈を深め、演技や声、歌唱を変えているクーラだからなのだと思います。

➡ クーラのサムソンの解釈を紹介した記事






●ボロディナをたて、支えるクーラ

ボロディナの声の迫力、低く、独特のまったりした響きの素晴らしさは言うまでもありません。
特に、2幕の2人のデュエット、「あなたの声に私の心は開く」から、後半の2人の感情的なぶつかり合いの場面は、大変な強い声、迫力で2人が歌い切りました。

そしてクーラは、この公演の主役であるボロディナを、いっかんしてリスペクトし、たてて、支えることに徹していたように思います。もちろんサムソンは主役ですから1人の時はクーラのパワー全開ですが、ボロディナが舞台に上がっている時には、一歩引いて、ドラマの流れに沿ってボロディナに焦点があたるように気遣っていたような印象でした。

2人の場面は、温かさと色っぽさ、そして一転しての怒りのエネルギーにあふれていました。

何よりも、サムソンとデリラのスコアと台本を熟知した2人、歌唱でも演技でも、落ち着きとゆとり、余裕たっぷりです。
クーラは、デリラに惹かれる思い、心の葛藤をへて、物理的にも心理的にもデリラとの距離を縮めていく様子、そっとデリラの髪を撫でる様子などを、控え目な演技で、ボロディナを支え、たてながら、官能的に絶妙に表現していました。







●劇場内と録画の違い


帰宅してから、オンデマンドの録画で、記憶を反芻、復習しました。

聞き比べてみて、私が感じたのは、録画では、マイクで声を近くで直接集音し、さらにまた生中継という条件のために、やはり声と音楽のバランスが違うように思われることです。
またクーラの声と高音が、サムソンという声を張り上げる場面が多い役柄のせいもあり、録画では少し荒く聞こえる部分が見受けられましたが、劇場内ではほとんど気にならず、オケと一体となって大迫力で迫ってきたことです。

そして何よりも、劇場内が観客も一緒になって舞台を作り上げているという実感、この1度きりの公演に立ち会っているという臨場感はかけがえのないものでした。一期一会の場への感謝が、心に深く刻まれました。
思い切って行ってよかったと思いました。

ラストのサムソンの絶叫は、本当に天井が落ちてくるかのような大迫力で、劇場中がビリビリと震えました。





●大喝采、大熱狂のカーテンコール


各幕間、終演後のカーテンコールの拍手とブラボ―はとてもすごかったです。
30年を迎えたボロディナへの大喝采、そしてクーラもそれに劣らないほどの大喝采を受けました。
地元サンクトペテルブルクの人々のボロディナへの愛と尊敬、そして劇場デビューしたクーラへの熱狂的な歓迎ぶりに、私も胸が熱くなりました。

さらにオケと指揮者へも、勝るとも劣らない大喝さいが。出演者、コーラス、観客、一体となって、大熱狂の一夜でした。







幕間にはクーラのインタビューも。


終演後には、ボロディナ、クーラ、指揮者そろってのサイン会も開催されました。

Весна появилась и сердце забилось Надеждой святой. Ее появление приносит забвение Тревоге людской... #ольгабородина #хосекура #самсонидалила

Elvina Ziatdinovaさん(@elbatroz)がシェアした投稿 - <time style=" font-family:Arial,sans-serif; font-size:14px; line-height:17px;" datetime="2018-05-06T00:51:50+00:00">2018年 5月月5日午後5時51分PDT</time>





素晴らしい公演に巡り合えて、マリインスキー劇場とサンクトペテルブルク、出演者、そしてクーラに、心からの感謝の気持ちでいっぱいです。

クーラは2006年以降、来日がなく、日本ではほとんど忘れ去られているように思います。しかし現在でも、豊かな声、経験、表現力、パワーを兼ね備え、さらに指揮や作曲、演出の活動を総合的に発展させてきたクーラは、他とは比べられない、個性と存在感に輝いています。

同行した家族は、クーラが、「一貫した演技で一瞬たりとも気を抜かない。音をただ伸ばすようなことがなく、すべての音に意味がある。音楽性がすごい」と感想を述べていました。
私も同感です。そして、とにかく、カリスマ性、オーラに圧倒されました。

つぎも、できるだけ早く、今度は別の役で見たい、聞きたい・・。その思いで胸が痛いほどです。その機会ができるだけ早くめぐってくることを願っています。

興奮気味の文章となったことをお許しください。またあまりに興奮して全力で拍手していたために、カーテンコールでも写真を撮りそこね、クーラの写った写真は何もありません。舞台の様子は録画からです。ご了解ください。






コメント (2)
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(放送告知)2018年ホセ・クーラ、ボロディナとマリインスキーでサムソンとデリラ / Samson et Dalila / Jose Cura & Olga Borodina, Mariinsky

2018-05-05 | サンクトペテルブルクのサムソンとデリラ



朗報です!

緊急ですが、今晩のホセ・クーラが出演予定のマリインスキー劇場のサムソンとデリラ、インターネットでのライブ放送が決まったようです。ただしセット、衣装のないコンサート形式です。

突然劇場サイトに告知されました。この公演の告知も、カルメンからサムソンへの演目変更も、いつも突然で、なかなか目が離せない劇場です(^_^;)

ただ考えかたを変えれば、多数の劇場をもつ芸術の都ペテルブルグ、オペラやバレエが人びとの日常生活に溶け込んでいるので、特定の演目、特別のキャストを見る、聴く、ということより、日常的に劇場に通い、いつでもいろんな演目がかかっていて、それを楽しむ、という感じなのかもしれませんね。好意的に解釈しておきましょう。

あとは「急な」キャストチェンジがないことを祈るばかりです。




Timetable of broadcasts
5 May Saturday19: 30-22: 00

In memory of Dmitry Efimov 
On the 30th anniversary of the creative activity of the People's Artist of Russia Olga Borodina

Samson and Delilah
opera in three acts (concert performance) 

ARTISTS: 
Dalila - Olga Borodina 
Samson - José Kura 
High priest of Dagon - Roman Burdenko 
Abimelekh - Mikhail Petrenko 
Old Jew - Yuri Vorobyov 

Symphony Orchestra and Mariinsky Theater Choir 
Conductor - Emmanuel Viyom

サムソンとデリラ コンサート形式

ライブ放送はマリインスキーTVにて

現地時間2018年5月5日19時30分~22時
日本時間2018年5月6日深夜01時30分~


日本との時差は6時間なので、日本では翌日の夜中。連休最終日の明け方までなので厳しいですが、マリインスキーTVサイトをみると、しばらくオンデマンドでみることもできそうな感じです。ただし確認はできていません。


この公演はサンクトペテルブルク出身のメゾソプラノ、オリガ・ボロディナのキャリア30年を記念したイベントです。

相手役に、長年サムソンやカルメンで共演してきたクーラの出演が決まっています。

クーラはとっくにサンクトペテルブルク入りしているはずですが、いまのところ、SNSでは何も発信していません。が、クーラの公式カレンダーには、かなり前からマリインスキー劇場の公演は明記されていたので、大丈夫だと思います・・。

クーラは最近、歌う公演をかなり減らし、演出、作曲、指揮の仕事の比重をかなり高めています。

一方で、歌手としても円熟期を迎え、表現力、解釈とドラマの描写の深まり、声の魅力もともに兼ね備え、私としては黄金期にあるのではないかと考えています。

しかも歌を厳選しているので、コンディションが良く、ここ数年、ライブ放送された、ウィーンの西部の娘やリエージュのオテロ、テアトロコロンのアンドレア・シェニエなど、いずれの公演も絶好調でした。初挑戦したワーグナーのタンホイザーも風邪をひいていたそうですが、多くのレビューが絶賛の魅力的な解釈、歌唱を聞かせてくれています。

無事にキャンセルやトラブルなく、ロシアでのクーラのオペラ初出演が成功することを祈っています。


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(再告知)2018年 ホセ・クーラ、ボロディナとマリインスキーでサムソンとデリラ / Samson et Dalila / Jose Cura & Olga Borodina in Mariinsky

2018-04-26 | サンクトペテルブルクのサムソンとデリラ




先日告知した、5月5日、マリインスキー劇場でのクーラとボロディナのカルメンですが、なんと、昨夜、劇場HPを見たところ、演目がサン=サーンスのサムソンとデリラになっていました!

公演10日前の急な変更で、しかも何の理由も説明もHPにはありません。こういう演目変更はよくあることなのか、どうか、そのあたりの事情もわかりません。びっくりしました。

ただ、クーラとボロディナは、カルメンの告知記事にも紹介した通り、サムソンでは何度も共演しており、またCDも録音しています。その点では息もぴったりで、変わらず素晴らしいコンサートになるだろうと思います。クーラの久しぶりのカルメンのドン・ジョゼを期待していた私としては、少々、複雑な思いはありますが・・。








主役サムソンがクーラ、デリラは、ロシアのベテランのメゾソプラノ、オルガ・ボロディナ。
今回の公演は、サンクトペテルブルク出身でもあるボロディナのデビュー30年記念をうたっています。
指揮は、フランス出身のエマニュエル・ヴィヨームです。

1日だけの公演で、セミ・ステージ形式というのは変わりません。
チケットはだいぶ少なくなりましたが、まだ平土間席の後方やボックス席2列目以降に残席があります。
1階席で日本円で約8千~1万円、上階の席では4千~6千円、最上階が千円です。

 → チケット購入

日本からロシアに行く場合は、ビザの手配が必要なため、残念ながらこれから行くのは難しいですが、連休にサンクトペテルブルク旅行をご予定の方には、ぜひおすすめです!



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2004年、シカゴでサムソンとデリラに出演したクーラとボロディナ


以下、カルメンとして発表された時の公演告知を若干組み替えて再掲します。


≪ボロディナとクーラのサムソンとデリラ≫


ボロディナとクーラは、それぞれの長いキャリアのなかで、何度か共演しています。サムソンとデリラは共演が多い作品で、全曲盤CDもリリースしています。
C・デイヴィスが指揮、ロンドン交響楽団による1998年収録。とても評価の高い録音です。






こちらはこのCD↑の録音風景の動画。2人の声がとても艶めかしく美しいです。

Saint-Saëns: Samson et Dalila (Olga Borodina with José Cura)





≪ボロディナとクーラ、96年に一緒にカルメンデビュー≫

ボロディナとクーラは、1996年にサンフランシスコオペラで2人そろってカルメンでロールデビューをしているようです。
(それ以前にクーラは、ダイジェスト版をコンサート形式で歌ったことや、初期の頃に脇役でオペラ出演したことはあるようですが、本格的なオペラでドン・ジョゼは初)

その1996年のサンフランシスコオペラのプレス資料から写真をお借りしました。
若いです!22年前で、クーラは34歳になる少し前、ボロディナも33歳、声も舞台姿もフレッシュで、さぞ魅力的なパフォーマンスだっただろうと思います。残念ながら録音や録画は見当たりません。

本当にういういしいクーラのドン・ジョゼ、現在のマッチョな演技、解釈とはだいぶ違う印象です。









≪ホセ・クーラとサンクトぺテルブルク≫


実はクーラは、今回が、念願のロシアでのオペラデビューです。
これまで、モスクワのクレムリン宮殿やボリショイ劇場、サンクトペテルブルクなど、ロシアで何度もコンサートには出演してきたのですが、オペラ公演は一度も機会がありませんでした。

昨年、サンクトペテルブルクでオネーギン賞特別賞を受け、同じサンクトペテルブルクにあるアレクサンドリンスキー劇場で授与式に出席したのですが、その時のインタビューで、ぜひここでオペラを歌いたいと語っていました。それで急きょ、話がまとまったのかもしれません。


2017年10月、サンクトペテルブルクのアレクサンドリンスキー劇場でオネーギン賞の授与式に出席




マリインスキー劇場は、今さら私が説明することもなく、バレエとオペラで世界的に有名な、長い歴史と伝統を持つ劇場で、現在はヴァレリー・ゲルギエフが総裁を務めています。





劇場サイトを見て驚いたのですが、シーズン中はほぼ毎日、3、4公演、多い日では9公演もの、バレエ、オペラ、クラシックとそれ以外のジャンルのコンサート、リサイタル、その他各種イベントが開かれているのです。

歴史的建造物のマリインスキー劇場に加え、2007年オープンのコンサートホール、さらに2013年には最新設備の新館マリインスキーⅡもオープン。この新館は複合施設で、ムソログスキー、ストラヴィンスキー、プロコフィエフ、シチェドリンというロシアが誇る大作曲家の名前がついた小規模なホールも整備されています。圧倒される規模と内容です。そしてマリインスキー劇場管弦楽団があり、専属の研修所であるマリインスキー劇場アカデミーが付属しています。

しかもサンクトペテルブルクにある劇場はこのマリインスキーだけではありません。エルミタージュ劇場、ミハイロフスキー劇場、前述のアレクサンドリンスキー劇場などなど、多くの劇場があります。もちろん首都モスクワにもボリショイ劇場をはじめとする数々の劇場があり、さすがバレエ、クラシック大国、なるほど芸術大国ロシアですね。

またサンクトペテルブルクは、世界史的にも何度も激動の舞台となった地です。帝政ロシアの首都として栄え、その後、ロシア革命の中心地となり、第2次世界大戦ではナチスドイツ軍によって900日間包囲されて70万人とも100万人ともいわれる犠牲者を出しながら耐え抜いたといいます。爆撃・砲撃により壊滅的になった市街は、戦後、復旧されて現在では美しい歴史的な街並みが残されているということです。ぜひ私も訪れてみたいと思います。


こちらは劇場サイトに掲載されている内部の様子。画像をクリックするとリンク先で360°劇場内を見ることができます。



同じく劇場サイト掲載の外観。





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昨年のインタビューでも、サンクトペテルブルクの印象を問われて、「すべてにおいて、文化、演劇、音楽が息づいている」と答えたクーラ。
この歴史と芸術の街での念願のクーラの初オペラ。ロシアでの初のオペラ出演でもあります。
コンサート形式だそうですが、ベテランの主役2人が、息の合った円熟の歌唱、演技もたっぷりつけて歌ってくれることと思います。
ロシアとEUは、このところ厳しい外交関係にあることが報道されています。懸念材料もありますが、舞台が無事に幕を開け、成功し、そして次のロシアでのオペラ出演につながることを願っています。



クーラのうたう「花の歌」を。2009年ウィーンの舞台から、カルメンはカサロヴァ。

Vesselina Kasarova, Jose Cura Carmen Act 2 Duo & "La fleur que tu m'avais jetée"



クーラのサムソンの動画を、クーラ演出・主演の2010年カールスルーエの舞台より

Samson et Dalila, con José Cura. Fragmento 11


Samson et Dalila, con José Cura. Fragmento 12



1996年サンフランシスコのカルメンより、クーラとボロディナ





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