人と、オペラと、芸術と ~ ホセ・クーラ情報を中心に by Ree2014

テノール・指揮者・作曲家・演出家として活動を広げるホセ・クーラの情報を収集中

ホセ・クーラ フェイスブックでファンの質問に答える(3) / Jose Cura answered the questions of his fans

2017-01-26 | ファンの質問に答えて



ホセ・クーラの、フォロワーからの質問に何でも答えてくれるコーナー「QUIZ ME ABOUT...」紹介、今回で3回目、これでとりあえず最後です。
これまでのは → (1)  (2)

今回は、若い歌手からの質問に対するアドバイス、ここには日本の学生さんからの質問もあったようです。
そして、クーラのつよい信念でもある、オペラ歌手における演技と歌唱の切り離せない関係性、などに関する回答を紹介したいと思います。

いろいろなインタビューでも繰り返し語られているテーマではありますが、ファンの質問にたいして、直接クーラが自身がフェイスブックに書き込んだ回答ですので、いっそうリアルで、率直な内容になっているのではないかと思います。

繰り返しますが、語学力不足のために、誤訳やニュアンスの違いがあるかと思います。非力ゆえご容赦いただくとともに、直接、クーラのフェイスブックの2016年6月頃のポストをご覧いただきますようお願いします。


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――若い人からの質問に対して

Q、高音を歌う前に、私は怖がってしまう。 あなたはその気持ちとどうやって戦う?また母音をうまく歌えないが、どのような訓練方法が良い?

A、このための近道はない。テクニック!


Q、優れた声と堅実なテクニックを持った若い才能ある人々が、オペラ歌手としてのキャリアをスタートさせるための助言は?

A、(すでに一定の準備ができた段階であることを確認したうえで)私は当たり前の助言をするつもりはない――エージェントを探す、オーディションを受ける、等々。それはあまりにも当然で、あなたはすでにそうしていなければならない。

私はあなたに、私が非常に若い時に先生が与えてくれたのと同じ、現実的なアドバイスだけをしたい――“すべてのお金を1頭の馬だけに賭けてはいけない..."。

この仕事は、以前のようではなくなっている。ある面では、人間的な質の要素における衰退のため、ある面では分配されるべきケーキの部分(予定されていたお金としてのスポンサー、公的助成)が以前より小さくなったために。そして、それに比例して、汚い貪欲さは増大している...。

最終的には、夢を追い求めるのを止めずに、あなたの夢のため、頑張り、激しくたたかえるように自分自身を準備しよう!

しかし、注意が必要だ――あなたは蜃気楼のうしろで人生すべてを浪費したくはない。
ある時点で、もしあなたが、正直なところ、自分を"そのもの"にすることができないと分かった時には、小規模な劇場、脇役、合唱団など、いつでも、芸術の業界の非常に優れたプロフェッショナルになることができる。

誰もがスターであることを「運命づけ」られているわけではない。..
同様に、すべてのいわゆる「スター」が、そうみなされるに値するというわけではない...。





――声のコンディション、年を重ねた将来のこと

Q、声の状態によって、あなたのパフォーマンスは左右される?


A、歌手は声だけではない。歌手の楽器は全身だ。
例えば、しばしば起こることだが、私には背中の痛みがあり、私のエネルギーは痛みによって消耗してしまう。
したがって全体としては、忘れられないほどの公演はごくわずかだ。経験とテクニックは、そうした悪い時に対処するためにある。
しかし、私が身体的にも精神的にも、最高の状態にある時には、花火だ。 あなたが知っているように。


Q、あなたはテナーからバリトンに変わる?そういう人をどう思う?

A、おかしな話だ!これまでも、時が来たら、ソプラノはメゾに変わってきた。また、いつも、そうするテノールはいた。
しかしドミンゴがそれをすると、誰もが、彼が最初にやったと思う...。
私は何度も言ってきたが、それぞれのアーティストは、彼/彼女が最高だと信じている方法で作品を発表する権利がある。
聴衆は、それに従うか、否かについて、同じ権利を有する。


Q、あなたは65歳や75歳でまだ主役をやっていると思う?

A、私は、自分は出演をしていると思う。
ストップ。私が何を演じるのか、もしかすると、テナー、バリトン、バス、または歌を歌わずに演じる・・それはわからない。
それは私の体の年齢の重ね方しだいであり、またケアの仕方、遺伝にも左右される。これまでのところ、私は白髪ではあるが、残りの部分については不平を言うことはできない。私の顔にはしわはなく、声にも...。





Q、常にキャラクターの描写に全力をあげているが、オペラでの演技に対するあなたのアプローチは?

A、私のモットーは、ドラマの俳優は俳優であり、歌手は歌手、しかし、オペラのパフォーマーは(そう呼ばれる人ではなくて、本当の)は驚異的な存在である ―― オペラ歌手は、俳優のように良い演技者であり、偉大な歌手のように良い歌手にならなければならず、両方のものが組み合わさった時、比類のない驚きが生まれる。

問題は、今日において、誰かを俳優と呼ぶように(現代の映画の技術のおかげ)、同様に、オペラを歌う人はオペラ歌手だという事実だけにもとづいて、誰かをオペラ歌手と呼んでいること...(ため息!)。

ノー。
オペラを歌う人は、オペラ歌手、そうだ。しかし、たとえ彼が世界で最高の歌手であっても、オペラ・パフォーマーではない。
メロドラマ(音楽のドラマ)を専門とする、歌手・俳優として等しく優れているのが、オペラ・パフォーマーだ。
我々がこの定義を受け入れる時、我々はたぶん、前に進むだろう。

私の演技方法が嫌な人もいる。彼らは、私が歌と同じように演技を重要視していることが受け入れられないために...。
これへのコメントはない――気づいてくれてありがとう!

私は言うが、私たちが将来、オペラの公演をしようと望むのなら、私たちは考え方を変えるか、または私たちの芸術の形に別れを告げる。なぜなら、現在の世代の多くの人々、そして将来のほとんどすべての人々が、それを彼らの文化的ニーズのための選択肢とはみなさないだろうから。

イエス。オペラについていく少数派は常にいるだろうが、投資を正当化するのに十分な人ではなく、州政府は劇場への支援を撤回するだろう。また、オペラを愛するためではなく、商業的利益のためにそこにいる私的スポンサーも。

我々は、価格を下げることによって、古典芸術をみんなに届けることについて、たくさん(無駄に何度も)話しあっている。これは役にたたないデマゴギーだ。
オペラ座に行くチケットは、サッカーのチケットよりも安い。つまり、同じレベルの席では、2つの主要チームの試合を見るよりも、ウィーン国立歌劇場に行くほうがはるかに安い。
だから価格は、人々が劇場に行かない理由ではない。退屈、それが多くの場合だ。
楽しい時間を過ごすことができるとわかっているから、レアル・マドリード、バルセロナやバイエルン・ミュンヘンのチケットを喜んで買うのと同様に、ショーにカリスマ的なパフォーマンスが含まれていることを知っているなら、オペラに行くためにもお金を支払うだろう。





Q、あなたは経験したことのないような役柄をリアルに演じるが、役にどうやって接近する?

A、誰もが描写の技術で才能を持っているわけではない。だからこそ、ドラマの俳優は、この才能がないなら、どんなキャリアも築くことはできない。つまり、彼は、まず演劇学校に入ることさえ考えられないだろう。

意外にも、オペラにおいては、ここから問題が始まるのだが、このことは主な懸念ではない。きちんと歌うことができれば、彼らは、ある日、必要な演技のスキルをあなたの頭に入れることができるだろうと期待して、音楽学校に入学が認められるだろう。

間違っている。オペラのパフォーマーとして訓練される学校に入学するための試験は、歌と演技の両方で同じように厳しくなければならない。さもなければ、ふさわしいショーを創る時が来たときに、私たちが知っているあらゆる問題を引き起こし、キャリアの本質がその出発において崩壊する。
そして、オペラのパフォーマーが、まともなダンサー、そして、多くの役で必要な戦いの振り付けなどのために、適切なファイター(主に男性)でなければならないということは言うまでもない。

ここまでは、理想。さて、あなたは私がどうやってやるのかを聞いてきたわけだが?

奇跡はない。俳優の訓練。歌手としてのトレーニング。武道の訓練。基本的なダンストレーニング(たとえダンスが私の得意分野ではないとしても...)、武器(銃、ライフル、剣)の使用法、等々・・。
奇跡も、驚きもない。

そう、才能。才能はいつか木に成長する種。木、自体ではない。
したがって、あなたはそれを植え、水をやり、土壌を豊かにし、間違った枝を切り、葉を健康に保ち、害虫やその他の危険な動物を遠ざけるようにする必要がある(ビジネスにおいては、それが多い――私を信じてほしい)、等々。そして、多分、ある日、あなたはアーティストになるかもしれない。

人々は、なぜそれを、焦らずにすすまなければならないのか、私に尋ねる。なぜキャリアが長いことが重要なのか?
私は答える。「アーティストのプロジェクト」を「熟達したアーティスト」に変えるために、それだけの長さのキャリアが必要だからだ。
これを短くする方法はない。ウィキペディアの解決策もソフトウェアの助けもない。
時間。よく使用され、適切に資本にされた時間。


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若いアーティストに対して、夢をあきらめないための努力とともに、時には、スターになれないとしても、決断して他の場所で優れたプロフェッショナルになれると、きわめて現実的で、温かい激励をしているのは、またクーラらしいと思います。

指揮者、作曲家をめざしながら、アルゼンチンの軍政後の経済的混乱のなかでは思うようにならず、家族を守り、生きていくために、合唱団やいろんな仕事を経験したクーラ。そして、渡欧して、オペラ歌手として、国際的なキャリアが拓けていくなかで、夢を失わず、努力を続けるなかで、本来の志望であった指揮者、作曲家としての活動の場を得ることができ、そしてさらには演出、舞台デザインなど、多面的な活動を発展させています。

オペラ歌手に求められるのは、単なる歌手でも役者でもなく、歌と演技の両方で卓越したパフォーマーであるというのは、クーラの一貫した信念であり、彼のアーティストとしてのユニークな特質でもあります。長年のキャリアをへて、今まさに、彼自身、成熟したオペラのパフォーマーとして、アーティストとして、結実の時を迎えているように思います。

3回にわたってしつこく(笑)紹介してきましたが、この質問回答コーナーは、昨年の6~7月にクーラのフェイスブック上で取り組まれたものです。私が出した質問にも答えてもらえたということもあり、私には本当に楽しく、興味深い企画でした。クーラ自身も大いに楽しんで回答を書いてくれたようです。
また開設された時には、ぜひ、これを読んでくださった皆さんも、質問を寄せて、クーラとの対話を楽しんでみてはいかがでしょうか。







*写真は2016年ドブロブニク・サマーフェスティバルの報道などからお借りしました。
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ホセ・クーラ フェイスブックでファンの質問に答える(2) / Jose Cura answered the questions of his fans

2017-01-22 | ファンの質問に答えて



前回に続いて、ホセ・クーラが昨年6月にフェイスブックで開設した、フォロワーからの質問に、何でもクーラ自身が答えてくれるコーナー「QUIZ ME ABOUT...」から、いくつかの質問と回答を、抜粋して紹介したいと思います。
掲載順や質問者などは、まったくばらばら、順不同です。  → 前回の「質問に答える(1)」

まずは、細かい質問から・・。

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――あなたの好みは?

Q、ワインは赤?白?
A、赤

Q、犬か?猫か?
A、猫

Q、昼?夜?
A、昼

Q、暑い?寒い?
A、なし

Q、ヒーロー?悪者?
A、本当のヒーロー

Q、ケーキか?パイか?
A、パイ

Q、シェイクスピア?セルバンテス?
A、シェイクスピア


――オペラの作曲

Q、オペラを作曲することについて考えたことがある?


A、私はそれをしている...


――スケジュール管理

Q、各地を旅行しながらの公演、リハーサル、演出、作曲、指揮・・たくさんの活動をしながら日々のスケジュールをどうやって整理する?


A、イエス、時にはあまりにも多い。私はそれを受け入れる。
しかし私は、私の巨大な好奇心のリストを、箱の中に閉じ込めたままにする方法を知らない。
私には1つのルールがある――潜在的な結果が平凡でない限り、仕事から逃げない。そうであれば、ストップして、自分自身に対して正直であること。
これまでのところ、うまくいっている。

あなたたち、私が愛する聴衆は、私が創造的な道のりを終える時を誰よりも先に知るだろう......しかし、それは、まだ長い道のりだ!!!





(次に紹介するのは、実は私の質問です(*^_^*) 同じ質問を2回とりあげて回答してくれました。)




――役柄と演技について

Q、舞台で役を演じる時は、あなたは完全にその人になりきる?それとも、冷静に演技と歌をコントロールする?
誰かが、あなたはキャラクターを「歌う」のではなく、キャラクターを「生きる」といっていたが、それは本当?


A、有名な逸話がある。
ダスティン・ホフマンは、映画「マラソン マン」(1976)の撮影の時、シーンの前にスタッフに言った。
「5分待ってほしい。周りを2、3回走ってくれば、撮影のために、本当に疲れて赤くなる。」
そして彼のパートナー、ローレンス・オリヴィエは答えた。
「ダスティン、ふりをするだけで十分じゃないの?」
私は、ホフマンの「アクターズ・スタジオ」のトレーニングと、オリヴィエの「ロイヤルアカデミー」のトレーニングの間に、舞台上またはカメラの前で、あなたの必要とするものが何であるかを見つけ出す余地があると推測する。

しかし、一つの事は真実だ。映画の中では、目的に応じて、多かれ少なかれダメージを与えて自分自身を追い込むことができるが、オペラではできない。なぜなら、何をするにしても、その後まだ、ちゃんと歌を歌えなければならないからだ。

私は、何度か、深く、役に入り込んでいった経験がある。感情のために歌をおろそかにしたと後に批判されることはわかっていたが、私は言わなければならない。完全に感情移入している瞬間を体験する感覚は、他の何事にもかえられない。疲れ果てるが、達成感で満たされる。
とはいえ、それは健康的なことではないので、いつもそうすることはできない...。


(こちらは、同じ私の質問への2回目の回答)




Q、ポジティブなキャラクターを演じる時には、それは甘美な言葉だが、しかし、異常な精神状態におかれた役を演じるたび、あなたがその人物に“なりきる”と、最後を精神病院で迎える危険がある。もし正直であれば、そうだという俳優はいないだろう。

それと違うやり方は、リハーサルの期間や訓練中に、特定の態度や、特定の「極端な」感情を「試してみる」ことによって、パフォーマンスの中でそれらを再現するための正しい「カラ―」を見つけること。
演技は、ふりをすること。説得力があるかないかはあっても、ふりをすることだ。ここに芸術がある。成功を収めている俳優が、そうでない俳優との違いをつくるものがここにある。その逆のことは、演奏家にとって壊滅的だ。


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多くの仕事にチャレンジする忙しい日々の中で、このように、私を含む、ファンからのいろんな質問に、ひとつひとつ誠実に答えてくれたことに、またクーラ自身もそれを楽しんでいるようにみえることに、とても驚きました。

特に、私の質問への回答で、演技についての理論的な解説、彼の“演技論”に加えて、批判を承知で役柄に没入した体験、それには何物にも代えがたい魅力があることを、正直に語ってくれたことが、たいへん印象的でした。
リアルな演技と歌唱を統一的に追求してきた、クーラというアーティストの生きた精神、心のうち、彼の魅力の源泉にちょっと触れたような気がして、嬉しかったです(*^_^*)

日本語訳が不十分なために、誤訳やニュアンスの違いが少なくないのが残念ですが、興味がおありのかたは、ぜひ、クーラの公式フェイスブックの2016年6月頃の投稿をご覧ください。

この「質問に答える」シリーズ、次回は(まだ続く・・)、若いアーティストから寄せられた質問に対するアドバイスや、オペラ歌手としての歌唱と演技の関係に関する回答を紹介したいと思います。次回が最後の予定です(笑)




*写真は2016年7月のドブロヴニク・サマーフェスティバルの際の報道からお借りしました。
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ホセ・クーラ フェイスブックでファンの質問に答える(1) / Jose Cura answered the questions of his fans

2017-01-20 | ファンの質問に答えて



ホセ・クーラは、フェイスブック(FB)で様々な試みをしています。ファンとの交流を大事にして、双方向にしてゆくために、2016年の6月には、FBで以前から予告していた新セクション、質問コーナーを開始しました。
話題は私生活を除く仕事の面で、誰でもFBのコメント欄に書き込むことで質問ができ、それに対しては基本的に、直接クーラから回答がアップされるというもの。

約1カ月くらい続いたこの質問コーナーには、さまざまな問いかけが多くのファンから寄せられ、その多くに対して、結果的にはチーズの好み(笑)にまで、1つ1つ丁寧に答えてくれました。実は、私も拙い英語でいくつかチャレンジしてみたのです。それにも、しっかり回答してくれました!

ということで、今回は、質問回答コーナーでのファンとクーラとのやりとりから、いくつか抜粋して紹介したいと思います。
クーラの人柄、考え方がよくわかり、また一般のインタビューなどに比べても、編集が介在しない直接のクーラの声であり、いっそう率直に語っている様子で、とても興味深いです。
私の質問への回答についても、おって紹介したいと思います。テーマはアトランダム、日時も質問者もバラバラです。
いつもどおり、日本語訳は不十分であり、誤訳、ニュアンスの違い等、あるかと思いますが、大意をつかんでいただくということで、どうかご容赦ください。原文は、クーラのFBの6月4日以降のポストをご参照ください。





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――芸術のために死ねるか

Q、芸術のためには死をもいとわない?

A、私は自分の愛する仕事をする。自分自身が非常に多くの才能を受け、それにより生活の糧を稼ぐことができのは、特権であると考えている。
私は非常にロマンチックな人間だ。私の才能は、お互いを補完し、豊かにする。
しかし、それらのために死ねるかと問われるなら、私の答えはNOだ。
私は、家族のため、友人のため、正義を守り、よりよい社会のためになら、死ぬだろう。しかし、もし芸術を続けられなくなったとき、私は死ぬことはない。

もちろん非常に落ち込むだろうが、私は、私の人生を他の活動とともに歩むだろう。我々の、苦しんでいる地球のために、やるべきことは山ほどある。
私は理解する。あなたが人生のなかで、芸術を離れて何ももたないなら。もし友人も家族もなく、社会的な関係をもたない、など、あなたが芸術という唯一のものを失うなら、あなたは死ぬだろう。

(芸術のための死という)このロマンチックな芸術へのアプローチは、非常に「映画的」だが、何百万人もの人々が「現実の」理由で、時々刻々、死んでいる世界においては、未熟で不公平だ。


――演出家としての活動について

Q、ヴェルディの4幕イタリア語版ドン・カルロを計画している時に、演出家が5幕フランス語版に変更することはできる?

A、超強力な演出家が望むなら可能かもしれないが、私はそのようなことを見たことはない。

Q、演出家の自由度は?

A、劇場との契約に保護条項がある。
コンセプトが良くないと思うなら劇場は拒否権を持っている...ただ非常に悪いものも見かけるが、これがこれまで適用されたのかどうかわからない....。

Q、演出家として、必要とするリハーサル時間は?
A、自分が新プロダクションをつくる場合、ピアノとのステージングで4週間、オーケストラとステージングのリンクのために1週間。そして、ドレスリハーサル。
もちろんこれは、実際のリハーサルについての話だ。しかし準備期間には、事前に2年をついやしている。構想のために1年、構築するために1年。





――「ホセ・クーラの歌が嫌い」に対して

Q、クーラの歌い方が嫌いという人がいるが?

A、音楽、歌、絵画などは他者とコミュニケートする言葉だ。これは、誰もがあなたと同様の方法ですべきだということを意味しない。
ある者はそうするし、ある者はそうでない。間違いは、「過剰に嫌う」ことが「憎む」になること。人々は、何かを好きでないことは、それが間違っていることを意味するものではないことを忘れてしまう。

「過剰な愛」と同様に、人々を、彼らが好きな人を「世界で最高」であるふりをするように駆り立てる。どちらの行為も、ファナティシズム(狂信)に結びつく。そして、どこにも導かない・・。

ある者の行為、思考、そして歌、指揮などを、そうすべきものとして真似することは、自分たちだけが正しいと主張していることだ。
ノー。もしそれがエゴイズムでなければ、エゴイズムとは何だろうか。


――タンホイザーとピーター・グライムズについて

Q、2017年に、初のワーグナーに挑戦、ブリテンのピーター・グライムズにデビューするが?

A、タンホイザーの音楽、一般にワーグナーは、私のように、音楽と演技とのリアルな結びつきを求める者にとっては、理想的とはいえない。しかしこれはスタイルの問題であり、私が解決すべき問題だ。

それには関係なく、ワーグナーの音楽は、信じがたいほどの音のモニュメントだ。残念なことに、台本は愚かしいけれど...。
とにかく私は、タンホイザーをやってみたかった。
なぜなら、私は少なくとも一生に一度は、ワーグナーのオペラを演じたかったからだ。ドイツ語は私には手が出せないので、この「フランス語上演」のチャンスを手放すことはできなかった。

ピーター・グライムズについては、私の“深い思い”を伝えるにはまだ早すぎる。いま進行中だからだ。しかしそれは、私にとって、理想的なオペラだ。次のような理由によって。
ピーター・グライムズは、音楽とドラマの完全な結合だ。もし仮にそこから音楽を削除し、台詞だけを語ったとしても、それらは完璧に意味をなしているだろう・・。





――出演を決める基準について

Q、オファーを受けるか、拒否するか、何によって決める?

A、1番は演目、作品。 私が良い仕事を行うことができるかのかどうか、確認する必要がある。

2番目は、場所(プロダクションを含む)と、カンパニー(劇場や主催者のことか?)。

出演料については、市場における製品と同じように、我々の価格は固定され、独自に動く。だからアーティストに連絡を取る人は、あらかじめ彼の価格を自分の手のうちで知っている。


――伝統的演出と読替え

Q、オペラの物語の時代を変更する作品をどう思う?

A、問題は時間の枠ではなく、コンセプト。最初から最後まで関心を保持できる良いコンセプトこそ、舞台を成功させる唯一の方法だ。

演出コンセプトが、作品をリアルタイムに置くかどうかは、二次的なこと。私たちが「伝統的」とよんでいるものでも、いくつかの公演は、実にひどいものがあり、その逆も同様だ。

芸術を保護するために箱の中にしまい込むなら、空気の不足によって、それを殺してしまいかねない。
私たちは一度、理解する必要がある。アーティストに対して、同意したり反対したりする必要はないことを。

好きか嫌いかがあるだけだ。もしそれが好きなら、私たちはそれを求める。そうでなければ無視する。
しかしアーティストにとって、聴衆が求めるものを行うふりをすることは、芸術の本質を殺すことだ。

時の経過は、誰が正しいか、誰がそうでなかったか、教えてくれる。それは常にそうだった。いま我々が巨匠とみなす芸術家たちに対する、当時のレビューを読んでみればわかる・・。





――ストレスについて

Q、キャリアの中で最もストレスフルなステージ状況とは何?

A、あなたはステージ上の事故などを想定するかもしれないが、それはストレスではない。
舞台上の事故は、人々が思っているよりも、実ははるかに多い。時には、観客はまったく気づいていない。
それは多かれ少なかれ危険だが、しかし抜本的な何かが起こる場合を除いて、それは面白いエピソードとしてとどまる。

ステージの上で常に観察される存在であること、それは、生きる糧を稼ぐためのストレスの多い道だ。バランスのとれた虚栄心(それがなければ苦しむ)と言うべき信念を必要とする。そうでなければ、なぜ、そこにいるのか?

パフォーマーは物語を伝える人だ。伝えるべき物語を何も持たなければ、そして本当の人生がどのようなものかを知ることができないならば、舞台で生き残る方法はない。
もしくは、生き残ることができても、あなたは、誰の心にも触れることはできない。もし多くの人の心に触れることを望まないのなら、それも悪くないだろう。だが、とにかく、それは私のスタイルではない。

先日、私の友人から、他の誰かと言い争いになったと聞いた。その人は、「私はクーラが好きじゃない。演技が見たければオペラではなく演劇に行く。オペラに行くとき、私はただ歌を聞きたいのだ...」と言ったと。
私は賛辞として受け取ったが、それはオペラで何が起こっているかを多く語っている。演劇、映画は1960年代に大きな革命を行った。しかしオペラはいまだ、多くが1900年代のままだ。

同僚や私は、「手法」のアップデートのためたたかっているが、「象」は動かない。もし今日、エロール・フリンのように演じるなら笑われる。しかし今も多くは、過去のレジェンドたちのやり方を、歌の唯一の方法とする。
過去の伝説的な歌手たちは、素晴らしかった。そして我々は、彼らに多くを負っている。しかし、もし我々が生き残るために彼らをコピーするなら、彼らは私たちと一緒に、真っ先に怒っただろう。

結局、伝説的な歌手たちを模倣することは、彼らの仕事への侮辱になる。当時、彼らは、彼ら自身の革命を導くためにリスクをとった。その結果、オペラが前進することができた。
我々が彼らを模倣することは、彼らが始めた前進を阻止する。彼らの努力とリスクが無価値となってしまう。
Now, that's stress ―― 今、それがストレスだ。


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オペラ歌手として、演出家として、歌唱と演技のスタイルなど、芸術活動の中身に関する質問に加えて、公演を選ぶ優先順位や、出演料決定の仕組み、演出にかける準備期間など、ちょっと興味深い、内輪話的な回答もあり、どれもおもしろいやりとりです。

「芸術のために死ねるか」についても答えも、いかにもクーラらしいと思いました。いつも、社会の現実と離れた芸術至上主義を戒め、常に社会との関係で芸術と自らの活動を考える視点をもっています。正義と、より良い世界を守るためなら死ねると断言するのは、シェニエかカヴァラドッシか・・(*^_^*)

まだまだ、クーラが答えた質問はたくさんあります。興味のある方は、ぜひクーラのフェイスブック(2016年6月頃)を直接のぞいていただきたいと思います。
ひきつづき、私の質問への回答を含め、また紹介したいと思っています。
問題は、日本語訳がなかなか追いついていかないこと・・(苦笑)



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