人と、オペラと、芸術と ~ ホセ・クーラ情報を中心に by Ree2014

テノール・指揮者・作曲家・演出家として活動を広げるホセ・クーラの情報を収集中

(名古屋クラシックフェスティバル告知編)2020年 ホセ・クーラ、来日してアイーダのラダメスを再び歌う?! バーリ歌劇場来日公演

2020-02-26 | バーリ歌劇場来日公演アイーダ

 

*6/1追加 残念ですが公演キャンセルとなったようです。 → (公演中止)編

*4/1追加情報 大阪堺市のフェニーチェ堺が、バーリ歌劇場のアイーダを告知しました。ラダメスにホセ・クーラの名前が!そしてアイーダは、チェドリンスです。チケットの一般発売は5月末からとのことです。これでクーラ出演は、名古屋(11/15)と堺(11/13)が明らかになりました。あとは、東京でしょうか。情報が待たれます。

→ 最新情報を加えたブログ記事

 

びわ湖ホールのプログラムから名前がなくなり、ぬか喜びだったかと、一転、暗雲が立ち込めたホセ・クーラの来日情報ですが、今度は、愛知の中京テレビによる名古屋クラシックフェスティバルで、バーリ歌劇場のアイーダ出演の情報が入ってきました。

ただし今も(2/25現在)、ホセ・クーラの公式HPは工事中で、カレンダーも更新されていません。そのため再び、どんでん返しがありうるかもしれませんが、現時点での情報について、取り急ぎ、ご報告します。

 

(*トップの写真は、1998年クーラの初来日、新国立劇場開場記念公演アイーダの舞台より)

 

 


 

 

今回、クーラの出演が告知されたのは、名古屋に本社をおく中京テレビが主催する、第38回名古屋クラシックフェスティバルです。2020年10月から2021年1月初旬まで、3カ月余にわたって繰り広げられ、多彩な公演プログラムが設定されています。

クーラが出演する予定なのは、当初告知されたびわ湖のプログラムと同じで、バーリ歌劇場とのヴェルディのオペラ、アイーダのラダメス役です。たぶんプロダクションや招聘元なども、同じなのではないかと思いますが、共演者はまだ発表されていません。

 →  これまでの投稿 (緊急告知編) (緊急告知編その2

 

以下、名古屋クラシックフェスティバルの公式の告知を紹介したいと思います。

 

 

 

≪第38回名古屋クラシックフェスティバル 公式ホームページ≫

 

 

 

画像にHPへのリンクが張ってあります。プログラム一覧、チケット購入についてなど、すでに重要な情報が掲載されています。

 

 

 

2020年11月15日(日)
17:00
バーリ歌劇場「アイーダ」
ラダメス:ホセ・クーラ(テノール)
愛知県芸術劇場大ホール

 

ーーチケット情報

「各公演チケットは中京テレビ事業・チケットぴあ・愛知芸術文化センタープレイガイド他 有名プレイガイドにて2020年5月29日(金)10:00より発売開始!」

 

 

 

 

≪中京テレビ事業classic フェイスブック≫

 

主催者の中京テレビの関連フェイスブックには、チラシもアップされていました。

 

 

 

 

 

 

ーーチケット先行予約について

各プログラムのチケットの先行予約について、チラシに情報がありました。

画像に元のページへのリンクがありますので、元の情報でご確認ください。

 

 

 

 

 

≪中京テレビの関連ツイッターより≫

 

ツイッターでもフェスティバルの情報発信がされています。

 

 

 

 


 

 

14年ぶりの思わぬ形でもたらされたクーラの来日情報、待望の来日ですが、この間、情報が二転三転して、そのたびに一喜一憂してきました。このブログを読んでいただいた方をも巻き込んでしまい、ご迷惑をおかけしました。

とはいえ、現在でも、前述したようにクーラの公式カレンダーは更新されていません。また新型感染症をめぐる状況が今後どうなるのか、それによっても今後の動向には不確定要素がありますし、そもそもオペラ公演では、出演者のキャンセルはありうることです。なので、私もできるだけ冷静になって(苦笑)見守りたいと思います。

また、名古屋が決定だとしたら、今後、クーラは名古屋だけなのか、その他の都市の公演、東京や大阪などでもクーラ出演はあるのか、共演者は誰なのか・・。まだまだ情報不足ですが、今後の発表を楽しみに待ちたいと思います。

 

最後に、1998年、クーラの初来日で新国立劇場の開場記念公演アイーダの舞台から、第4幕のラダメスとアムネリスの二重唱を。

 

 

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(追加あり・残念編)2020年 ホセ・クーラ、来日してアイーダのラダメスを再び歌う?! バーリ歌劇場来日公演

2020-02-24 | バーリ歌劇場来日公演アイーダ

*6/1追加 残念ですが公演キャンセルとなったようです。 → (公演中止)編

*4/1追加情報 大阪堺市のフェニーチェ堺が、バーリ歌劇場のアイーダを告知しました。ラダメスにホセ・クーラの名前が!そしてアイーダは、チェドリンスです。チケットの一般発売は5月末からとのことです。これでクーラ出演は、名古屋(11/15)と堺(11/13)が明らかになりました。あとは、東京でしょうか。情報が待たれます。

→ 最新情報を加えたブログ記事

 

*またまた追加情報です。2/24

 

何と!今度は、同じバーリ歌劇場の来日公演で、名古屋でホセ・クーラがアイーダのラダメスに出演するという情報が、ツイッターで流れてきました。公演は11月15日とのことです。

とはいえ、前回のびわ湖の件がありますから、まだ半信半疑、振り回されっぱなしですが、希望はまったく消えたわけではなさそうです。このブログをご覧の方には、情報が二転三転して本当に申し訳ありません。

いずれにしても、まだ更新されないクーラの公式カレンダーを見てみないことには、何ともいえません。

 

以下に、情報を流してくださった方のツイートを埋め込ませていただきました。

引き続き、今後の情報を待ちたいと思います。

 

 

 

 


 

ホセ・クーラの14年ぶりの来日か、と期待していた、2020年11月のバーリ歌劇場のアイーダですが、残念な情報が入ってきました。

 
当初、クーラの出演を明記したプログラムを発表したびわ湖ホールのホームページで、あたらしくアップされた2020年の公演プログラムパンフには、ホセ・クーラの名前がなくなっているのです。
 
*以下の画像に、びわ湖ホールのHP掲載パンフレットへリンクをはっています。
 
 
 
 
 
 
 
 
バーリ歌劇場の来日公演アイーダのラダメスは、カルロ・ヴェントレとあります。当初の2020年のプログラム一覧には確かにクーラの名前がありましたが、パンフレット作成までの間に、何らかの理由から、キャストチェンジがあったようです。
 
まだチケットも発売されておらず、こういう事前のキャストチェンジはありうることでもあり、びわ湖のHPには理由などは何も書いてありません。またクーラのHPの公式カレンダーも、まだ2020年の予定を更新していません。HPの全面リニューアル中のようで、更新が遅れているようです。
 
最終的には、クーラのカレンダーで確認することになりますが、びわ湖ホールの立派なパンフレットから名前がなくなったということは、もはやクーラの来日は、なくなったと考えざるをえません。
 
このブログでクーラ来日の情報をご覧になられた方々には、たいへん申し訳ございません。今後、追加的な情報が出てきたら、またご報告したいと思います。
 
 
 
 
 
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(インタビュー)2020年 ホセ・クーラ 「移民に関する希望と懸念を共有する」--新作オペラについて、人種差別・移民問題について

2020-02-13 | 芸術・人生・社会について②

 

 

ホセ・クーラが脚本・作曲した新作オペラ「モンテズマと赤毛の司祭」は、2020年1月29日、ハンガリーのリスト音楽院大ホールで、クーラ指揮による世界初演が実現、大成功となりました。

→ 新作オペラについて記事まとめ

今回は、この新作オペラ初演にむけて、クーラがハンガリーで受けたインタビューから、興味深い内容について抜粋して紹介したいと思います。

この間、欧州諸国、ハンガリーでは、移民問題が政治的にも社会的にも大きな焦点となってきました。そうしたなかで、これまでもクーラは、インタビューなどの機会で、自身のルーツ、体験を語り、移民の尊厳と権利を守ることを訴えてきました。今回も、「モンテズマ」をめぐる話題とともに、こうした社会的な課題についても語っています。

 

 


 

 

 

 

 

 

私は移民に関する希望と懸念を共有する

 

作曲家、指揮者、テノールであるホセ・クーラの最初のオペラが、ブダペストのリスト・フェレンツ音楽アカデミーで上演される(2020年1月29日に終了)。

「モンテズマと赤毛の司祭 オペラブッファ マ・ノン・トロッポ(しかし、はなはだしくなく)」ーーそのタイトルが示すように、視聴者を笑わせるだけでなく、平等な機会のためのたたかいなどの深刻な問題も提起する。アルゼンチン生まれのアーティスト自身、ヨーロッパ市民になるための困難な道を歩んできた。

 

 

Q、なぜこの作品の世界初演の会場としてハンガリーを選んだ?

A(クーラ)、私は現在、ハンガリー放送芸術協会と一緒に働いている(2019-2020年シーズンから、クーラは3年間の常設ゲストアーティスト)。だから作品の初演をしようという時、最初に彼らにそれについてどう思うかを問いかけた。私のアイデアはすぐに賛同を得たので、一緒に「モンテスマ」を上演した。

 

Q、ハンガリー放送交響楽団と合唱団のミュージシャンとの協力は何ですか?

A、ハンガリー人との仕事は非常に興味深い。「危険」と「炎」という言葉で説明できる。彼らは非常に感情の起伏が激く、私はそれが本当に好きだ。オーケストラとは別に、彼らは教育など他の仕事も持っているので、非常に忙しく、時にはリハーサルに疲れてしまうので、それを頭の片隅においておかなければならない。

これは私たちによる2回目の仕事であり、彼らをもっと知るようになるーー私はすでに、誰が結婚し、誰が子どもを持ち、誰が問題を抱えているのか・・知っている。私は彼らに対して、マエストロとしてではなく、友人として向き合う。私はこのことがコミュニティにおいて不可欠だと考える。

 

Q、ショーをより生き生きとさせるために、キャラクターは母国語を話す。あなたはキャラクターの言葉を話す?

A、多かれ少なかれ、イエス。私の母国語はスペイン語で、私は英語も話す。 私はイタリア・ヴェローナに4年間住んでいて、ナポリではなかったが、ヴェネツィア方言を学んだ。もちろん、公演中には字幕があるので、観客は登場人物のすべての言葉を理解することができる。

 

Q、あなたは、30年前に初めて読んだアレホ・カルペンティエールの小説「バロック協奏曲」にもとづいて「モンテズマ」を書いたが、なぜ作品が上演されるのにそんなに長く?

A、当時も、この本が素晴らしい文学作品であると考え、脚本化の可能性を見出していたが、私はまだ27歳で、どう始めたらよいのかわからなかった。それからずっと後になって、過去数十年の経験のおかげで、すべてが明らかになった。ストーリーの重要なキャラクターは作曲家なので、映画ではなくオペラに変えるのが論理的だった。

 

Q、コメディのジャンルであるにもかかわらず、モンテスマは悲劇から始まる。主人公の従者であるフランシスキーリョは伝染病で亡くなる。後の場面では、ヴィヴァルディ、ヘンデル、スカルラッティが墓地で語り合い、そこでワーグナーに別れを告げる。死とコミックをどのように組み合わせる?

A、人はユーモアで死ぬことができる(笑)。死をただ悲しい出来事と見なすなら、コミックオペラの中に探すべきものは何もない。しかし私はそれを、発展、変容と考えている。ロマンチックな要素の代わりに。

フランシスキーリョの死は、幼い子どものメタモルフォーゼ(転身)の象徴だ。この幕では、若い男の子で始まり、彼より年上の男フィロメーノで終わっる。そして従者は彼の魂の中で生まれ変わる。後に、フィロメーノは物語の道徳的な脈絡を変えるため、彼が登場する前に、フランチェスキーリョは死ななければならなかった。

 

Q、6番目のシーンでは、男爵が、ヴィヴァルディに対し、歴史的に信頼できないとして彼のオペラに疑問を投げかける。しかし作曲家は、事実を述べることよりも、詩的な幻想の優位性を宣言する。あなたは、芸術において、どちらをより重要だと思う?

A、私は「黄金の中庸」にいると信じている。私たちは、現実をゆがめることなく、ファンタジーの空間を確保しなければならない。

個人的に、舞台ではリアリズムを愛するが、このオペラでは状況が異なっていた。原作の小説が、ラテンアメリカ文学に典型的な魔術的リアリズムのジャンルで書かれていたためだ。原作者のカルペンティエールは、女性が多くの歌を歌うなど、バロック時代の流行をパロディ化して、ヴィヴァルディが現代に何を書くかというアイデアを思い付いた。

 

Q、脚本に他の資料を使用した?

A、カルペンティエールは、ボリュームの制限のため、モンテズマが誰であるかについて詳しく説明していない。そのため、ベルナルディアスデル・カスティリョやフランシスコ会の修道士アギラールなど、アステカの支配者の歴史的な文献や記録を読んだが、これらはひとつの見解であり、真実全体を明らかにするものではない。

私は最も劇的なアプローチをストーリーに取り入れた。ドラマを書くときは、ステージ上で異なるキャラクターが必要だ。論争のあるテキストの代わりに、私は絵と想像力に頼って登場人物のキャラクターを作成した。写真を見て、私は彼らが誰であるかを理解しようとした。これに基づいて、私はふっくらしたヘンデルはやさしく愛らしい人柄だと想像したが、一方で、ヴィヴァルディは、エレガントで洗練された外観が魅力的な性格を隠していると思った。

 

Q、好きなキャラクターは?

A、フランシスキーリョの死後、彼に代わって主人公の従者となったフィロメーノは、ピノキオの小さなカウンセラーのように(*映画ピノキオに登場するコオロギのジミニー・クリケットのことか。ピノキオに忠告、助け、励まし、ストーリーテラー役も)、すべてのことを見続け、コメントし続ける。 音楽的にではないが、しかし道徳的な観点から、彼は最も重要なキャラクターであり、物語の展開方法は彼の手にかかっている。

フィロメーノは有色人種なので、オペラでは人権の問題が何度も提起されている。これが、この作品のタイトルに「オペラブッファ マ・ノン・トロッポ(喜劇、しかし、それほどではない)」とつけた理由だ。

 

Q、物語は、主人公の男爵が、メキシコのへの帰国と、フランスで幸運を得ようとしているフィロメーノの解放を決断して終わる。彼は黒人の有名なトランペット奏者としてそこで活躍できる?

A、従者は、「ニグロ」ではなく、「ムッシュ・フィロメーノ」と呼ばれることを期待してパリに行く。彼の願いを聞いた男爵は「いつかはそうなる」と言い、それに対してフィロメーノは「あなたがそう言うなら...」と答える。これは質問を未解決のまま残す。それに答えるのは私ではなく、聴衆が自分の結論を出さなければならない。

著者が結末を説明してしまうのは良い考えではない。それでは、視聴者は家に帰り、コーヒーを飲み、見たものを忘れてしまうだけ。自分自身で判断しなければならないと、それはより刺激的になる。この場合、それについて長く考え、みんながその舞台をどのように解釈したかについて会話を始める。

 

Q、人権問題をどう見ている?

A、人種差別は今日でも存在しており、移民の問題はハンガリーとヨーロッパ全体で多くの議論を引き起こしている。政治家たちは、社会を分断するために、すべてを白か黒かに塗り分けようとするが、これははるかに複雑な問題だ。

私はそれについて何も言うことはないが、私はコインの両面を知っているーー私の祖父母は、イタリア、スペイン、レバノンからの移民だった。彼らは前世紀の初めにアルゼンチンに移住し、私はそこで生まれた。30年前、私はヨーロッパに来た。大陸間の移住は自然なサイクルだ。私たちはある地点から別の地点へと出発し、それゆえ100年後に自分たちがどこにいるのかを言うことはできない。

私は、より良い生活をめざして道を歩む人々の状況に同情するとともに、自分の国にやって来る人々の集団を恐れているヨーロッパ人の懸念も理解している。移民の無制限の入国は、誰にも利益をもたらさない。彼らに将来と仕事を提供し、希望と尊厳を与える必要がある。路上で変化を懇願しなければならないのは尊厳を欠き、移民に対する公然の攻撃だ。私が容認できない唯一のことは、教育と思いやりの欠如だ。暴力では、どちらの側も目的を達成できない。

 

Q、ヨーロッパに来た時のことは?

A、1991年、私はたびたび、アフリカ人の一団と一緒に、警察で3か月間の居住許可を取得するのを待っていた。その後も3か月ごとに、新しいものを申請するために戻らなければならなかった。ヨーロッパのパスポートを取得することを含め、ここで私の人生の基礎を築くのに15年以上かかった。

これらの経験は、私のキャリアにも影響を与えた。シェンゲン協定が成立する前、イギリスに旅行したかったが、アルゼンチンのパスポートに問題があった。(当時住んでいた)イタリアに戻りたいと思ったとき、国境では、警察からかなり無礼な扱いを受けた。移民たちが食べるお金を持たず、仕事を見つけることができないとき、それがどのようなものかを私は知っている。ある時、すべてのアルゼンチン人を泥棒と思い込んでいた人によって、道端に置いてきぼりにされたことを私は忘れることができない。

私の人生の過去57年間、ドラマティックで美しい瞬間をたくさん経験してきた。そしてこれらの経験が、今の私をつくった。

 

Q、南米の文化はあなたの人生にとってどれほど重要?

A、良いアーティストになりたいのなら、すべての文化が重要だ。もちろん、すべてを自分自身のものにすることは不可能だが、少なくとも私たちを取り巻く文化、またはキャラクターによって表される文化を知るよう努めなければならない。私はそうしたバックグラウンドのため、スペイン語とイタリア語だけでなく、アラビア語、レバノン語も理解できる。

 

Q,、ハンガリー文化との関係は?

A、これまで20年間にわたり、ハンガリーを訪れてきたが、ここでの滞在時間は短く、観光する機会がなかった。今は、リスト音楽院とハンガリー放送芸術協会の間を行き来しているので、国立博物館はすぐ近くにあるが、私たちは1日10時間働いているので、終わる頃には閉まっている。しかし、数か月後には、質問に対して別の答えを出すことができるかもしれない。

ハンガリー放送芸術協会のゲストアーティストとして、初めて私はハンガリーと密接な関係を築いているので、ハンガリーの文化とライフスタイルを徐々に理解してきた。そのためもうゲストとは見なされなくなった。

(「kepmas.hu」)

 

 


 

 

常に率直で、社会的問題へのコミットメントもまたアーティストとしての責任だと考えるクーラ。つねに社会的正義とヒューマニズムの立場にたった発言をしています。

とりわけ移民問題、人種差別の問題については、現代の社会においても大きな課題であり、解決が迫られている問題です。クーラ自身の出自と移住の経験を語っていますが、これまでも、渡欧後の仕事を探す大変さ、家を借りられずガレージでの暮らし、生活のために皿洗いや路上で歌うなど、苦労した話は何度か読んだことがありましたが、3か月ごとに更新必要な滞在許可、国境での警察によるひどい扱い、泥棒扱いなどの、さらに辛い体験が数多くあったことは、初めて知ることでした。こうした体験が自分を作ったと語っていますが、困難な経験と苦労を経て、そして努力によって、アーティストとしての国際的な地位を得てからも、このようにヒューマニズムの立場で発言し続けている姿勢は、クーラの人柄と人間性をよく表しているように感じました。

 

 

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(オンデマンド録音編)2020年 ホセ・クーラ脚本・作曲のオペラ「モンテズマと赤毛の司祭」世界初演へ

2020-02-01 | クーラ脚本・作曲オペラ「モンテズマと赤毛の司祭」

 

 

2020年1月29日(日本時間は1月30日早朝)、ホセ・クーラの新作オペラ「モンテズマと赤毛の司祭」の世界初演が無事に終了しました。クーラが脚本・作曲・オーケストレーションを手がけ、演出(セミステージ形式)と当日の指揮も担いました。

緊急告知)でお知らせしたように、この公演はハンガリーのラジオ局バルトークラジオで生中継され、日本でも、とても良い音質で聞くことができました。生放送は終わりましたが、うれしいことに、1月30日からの30日間、オンデマンドで録音を聞くことができます。今回は、あらためてオンデマンド視聴先のリンクをご紹介します。

珍しい作品を聞くチャンスだと思いますが、しかし、全く知らない新しいオペラを音だけで楽しむのは、なかなか難しいことです。しかもクーラのオペラは、ハンガリー語、イタリア語、英語、スペイン語・・など多言語で歌い、演じられています。また今回は、セミステージ形式で舞台装置がなく、演技・動きも制限されていて、劇場の観客にとっても、字幕があるとはいえ、理解しにくさがあるだろうと思います。

こうした事情をふまえ、この公演では、話の流れをつかめるように特別にナレーターを登場させています。ナレーターが冒頭と各場面の前に登場し、大まかなあらすじを語る(現地のハンガリー語)形をとっていました。もちろんラジオ放送にも含まれています。

さらに、ラジオ放送を聞く視聴者のために、クーラが、ナレーター用の原稿をフェイスブックに英語にして掲載してくれました。これを不十分ではありますがざっくりと和訳して紹介したいと思います。誤訳やニュアンスの違いがあると思いますので、ぜひクーラの原文をご参照ください。

今回は、①クーラ掲載のナレーター原稿(あらすじ・元の英文)、②各場の初出登場人物一覧(リスト音楽院HP)、そして③ハンガリー放送協会が178枚もアップしてくれた舞台写真の一部、をお借りして、オペラの流れに沿って組み合わせてみました。オンデマンドで録音を聴くときに、不十分ではありますが、多少の参考になればうれしいです。

なお、クーラがこの脚本を書くにあたって、原作としたのは、カルペンティエールの小説「バロック協奏曲」です。

 

 

 


 

 

 

 

 

 

≪クーラのFBより≫

 

●初演の翌日に

”1枚の写真は、多くの言葉よりも優れている...…「モンテズマと赤毛の司祭」の昨日の初演は、非常に特別なものだった!”

 

 

後ろ姿がクーラ、抱き合っているのが、主役のモンテズマとヴィヴァルディを演じた2人。長いハードワークの結果、世界初演を成功させ、思いを分かち合っている姿がとても印象的です。

 

 

●ナレーション原稿(英文)をアップしたFB投稿

 

 

”ハンガリー人でなくて今夜の放送を聞く予定の人にとって、ハンガリー語で話すナレーターや対話を聞き、何も理解できないとしたら、がっかりするだろうと思う。なので、印刷してフォローできるように、ナレーターのテキストがここにある。・・・”

 

 

 

 

 

≪バルトークラジオの録音オンデマンド≫

 

以下の画像にリンク

 

*録音が流れ始めると、最初にアナウンサーの声、続いて男性のナレーターの声がしばらく続きます。

 

 

 


 

 

 

≪オペラの流れーークーラのナレーター原稿を中心に≫

 

クーラの「モンテズマ」は、6つの場から構成されているようです。それぞれの場に合わせて、上記の3種の材料を配置してみました。

*訳も不十分で誤りもあると思われますので、ぜひ上記のリンクから元ページをご確認ください。

 

 

 

JOSÉ CURA: MONTEZUMA AND THE RED PRIEST

ホセ・クーラ 「モンテズマと赤毛の司祭」 (原作・カルペンティエール「バロック協奏曲」)

 

 

◆プロローグ ~ 伝染病 /  Prologue ~ The Plague◆ (登場順にキャスト紹介)

Francisquillo – Alagi János (フランシスキーリョ・従者)
Az Uraság – Matias Tosi  (男爵)
A Szerető – Károlyi Katalin (恋人)
Hangok a háttérből:  (背景からの声)
Egy nő – Sallay Gabriella  
Egy férfi – Tóth Péter
Kvintett:  (クインテット)
1. Ducza Nóra (még: Donna 2)
2. Nagy Bernadett (még: Donna 4)
3. Bakos Kornélia (még: Donna)
4. Csapó József (még Uomo 1 és Pignatta)
5. Hámori Szabolcs (még Uomo 3)

 

年は1732年、メキシコ、より正確にはベラクルスの街にいる。銀鉱山ブームの間に一家の財産を築いたスペイン人移民の孫である男爵は、余暇のためにヨーロッパに旅行することにした。男爵はアマチュアのバリトンで、いつの日か偉大な歌手になることを願っている。男爵は、彼の若い従者のフランシスキーリョが、この先の長い旅行のために彼らの鞄の荷造りするのを眺めながら、少年が辛い虫歯に苦しんでいることにすぐに気が付いた。痛みを和らげるのに役立つと期待して、フランシスキーリョに飲み物を与える。

突然、男爵の恋人の1人が、男爵が古い大陸に向けて出航する前に、彼へのある種、早すぎる慕情に苦しむふりをして駆けつけてくる。彼女の本当の意図は、うまくいけば恋人から高価なプレゼントを受け取ること。その女性を落ち着かせるために、男爵は彼女に高価なネックレスを贈り、フランシスキーリョは彼女に伝統的なメキシコの子どもの歌を歌う。

 

 

ドアがにノックされ、予想外の2人の訪問者が男爵に、きれいに折りたたまれた文書を手渡す。男爵がそれを開くと、彼が外国から帰国する際のお土産物のリクエストの長いリストが明らかになる。「もしパリを通ったら、その素晴らしい香水を持ってきてくれないか?」、または、「カーニバル中にヴェネツィアにいるなら、どうか、私にマスクを買ってくるのを忘れずに!」……等々が、無限のリストのなかに。怒った男爵は使い走りになることを拒否し、怒りを抑えるために恋人と一緒に寝室に引き取る。…

一方、フランシスキーリョは状況を楽しむことに決め、モンテヴェルディの “Oh, dolente partita”(「ああ、悲しみの出発」)を歌う。この美しい音楽が流れる間ーー実際には、ゆったりとした旅ではなく、死者の出発に関するものだがーー主人公たちは、大西洋を越えてヨーロッパに向かう船に乗るために、キューバのハバナに到着する。そこでは街を破壊する疫病の流行の真っ只中だった。男爵と彼の従者は、船が到着するまで待たなければならない2週間を安全に過ごすことができる場所を探す。医師が病気に感染した多くの人々の世話をし、救われない人々の遺体が火葬のために戦車の上に投げ込まれていく間、コーラスは葬送曲を歌う。

運命は、若くて弱いフランシスキーリョを疫病に感染させようとする。地元のキューバ人男性が看病してくれるが、少年は悪化し、死んでしまう。ヨーロッパに向かう旅行中に突然、アシスタントが必要となった男爵は、たまたまフランシスキーリョの看護師だった “el negro Filomeno”(「黒人のフィロメーノ」)を雇い、彼は亡くなった従者の代わりになる。

 

 

 

◆カーニバル / The Carnival

Vivaldi – Varga Donát  (ヴィヴァルディ)
Vendéglős – Rezsnyák Róbert  (レストラン店主)
Filomeno – Megyesi Zoltán  (新しい従者・フィロメーノ)
Händel – Blazsó Domonkos  (ヘンデル)
Scarlatti –  Gál József  (スカルラッティ)

Donna 3 – Süveges Katalin
Uomo 2 – Pivarcsi Gábor

 

男爵と彼の新しい従者フィロメーノは、1733年、カーニバル中にヴェネツィアに到着する。そこで彼らは、シンバル、ラトル、ドラム、ヴェネツィアン・コルネットのくぐもった騒音は、カリブ海のパーティーの不協和音とあまり変わらないことを発見する。男爵は負けないようにドレスアップすることを決め、ヴェネツィア人が毎年の祭りの期間中にやらないようなことをするため、より良いアイデアがなければ、伝説のアステカ皇帝モンテズマの肖像を採用することに決めた。その反対に、フィロメーノは、手を加えずに誇らしげに彼のルックスを誇示することにした。

やがて通りの騒ぎに飽きてきた男爵とその従者は、補給のためにヴェネツィアのレストランに足を踏み入れた。運命は、神秘的に暗くエレガントな人物とテーブルを共有することを望んだ。バイオリニスト兼作曲家のアントニオ・ヴィヴァルディ、赤毛の司祭その人だ。そのヴェネツィア人は、伝説のアステカ皇帝の装いをしているメキシコの男爵に、その服装は誰のものかと質問する。その時、常連客たちを楽しませるために小さなオーケストラが到着する。

店主は、シェークスピアのロミオとジュリエットからの一節を引用して、ミュージシャンのためのエリアを設定するが、プレイヤーたちは、伝説のマエストロ・ヴィヴァルディの存在に気付き、彼に敬意を表して、彼らが演奏するためよう雇われた楽しいポピュラー音楽の代わりに、彼の曲を演奏することにした。店主は偉大な作曲家に謝罪し、ヴィヴァルディの美しく洗練された音楽が、街のレストランの世俗的な場所に合わない理由をかなり哀れに説明しようとする。気分を害したヴィヴァルディは、自分が望むなら、彼の芸術を、いつでもどこでも、いかに実際に適合させることができるのか、音楽の爆発で証明する。

 

 

ミュージシャンたちはイベントの転換を恥じ、シャイなメヌエットを演奏し始める。非常に怒っているゲオルク・フレデリック・ヘンデル、続いて軽快なチェンバロの名手であるドメニコ・スカルラッティが火を噴く。ヴィヴァルディは2人の男性にテーブルを共有するよう招待し、会話はサン・ジョヴァンニ・グリソストモ劇場で最近初演されたヘンデルのオペラ「アグリッピナ」に向けられる。

数杯飲み、みんなリラックスして、オーケストラがそれまで演奏していた気まぐれなメヌエットから楽しそうなガボットへ引き継がれると、本当のパーティーが始まる。パーティーは、誰が最も粋な戯れ歌を思い付くことができるかを決定しようとする、男性と女性の間の突然のコンテストで終了する。 2編の悪戯っぽい14世紀の詩に基づくストルネッロ(男女の戯れ歌)は、4番目のシーンにつながっていく。

 

 

 

 

◆救貧院 / The Hospice◆

Apáca – László Borbála (修道女)
Az Árvák zenekara: (孤児のオーケストラ)
Bianca Maria – Varga Fruzsina (fuvola)
Claudia – Kozár Melinda (oboa)
Cattarina – Yoshie Toyonaga (klarinét)
Lucietta – Béres Dóra (trombita)
Pierina – Fazekas Ildikó (hegedű)
Bettina – Madák Katalin (brácsa)
Margherita – Keresztes Rita (gordonka)
Giuseppina – Kocsis Gerda (bőgő)

 

まだ冷めないパーティの興奮をほぐそうとして、ヴィヴァルディは友人たちを誘い、ピエタ院を訪問する。孤児の女の子のための歴史的な救貧院で、楽器を演奏する方法を教えることで彼女たちに人生のスタートを教えている。救貧院の教師であるヴィヴァルディは、厳格な修道女によって歓迎される。彼は生徒たちを温かく友達に紹介する。

スカルラッティはチェンバロに座って彼の最新作を演奏し、ヴィヴァルディはヴァイオリンを手に加わる。誰もが参加して、忘れられない音楽の瞬間が形になる。ヘンデルまでがヴィヴァルディの挑発に応えるまで参加し、彼の有名な「ハレルヤ」のものすごい演出で爆発し、圧倒的な音の流れで全員を覆い尽くす。自分の能力に合った楽器を探しに出かけていたフィロメーノは、急いで戻り、いくつかの鍋を大きな音で叩き始め、皆を驚かせる。作曲家たちは、音楽スタイルの突然の転換に喜び、ヘンデルの「ハレルヤ」による予想外のジャムセッションで団結するが、しばらくすると、バイオリンの凄まじいアクロバット演奏に常に飢えているヴィヴァルディは、彼の「四季」の夏の嵐のモチーフで即興演奏を止める。すぐに誰もが再び参加し、その有名な作品の即興の抜粋は、疲れ果てた笑いの爆発で終わる。

誰もが楽しんで、飲んで、ますます親密になった時、突然、フィロメーノが、エデンの園で蛇に誘惑されるイブの絵を見つめながら、不気味なメロディーを歌い始める。思いがけない気分の変化により、みんながゆっくりと互いの仲間で夜を楽しむ。貞操の誓いのためにグループに参加することができない修道女を除く誰もが...。彼女はその代わりに、ペルーのカホン(打楽器)を必死に打ち鳴らすことに慰めを見つける...。

 

 
Gondolás/Szerzetes – Rezsnyák Róbert (修道士)
 
 
救貧院で夜を過ごし、午前中、寝ていたヴィヴァルディの一行は、頭をはっきりさせるために町を散策することにした。サン・ミケーレ島の墓地にある庭にゴンドラに乗っていく。そこでは、墓石が、広い空っぽのカフェの固定されていないテーブルのように見える。彼らは、修道女によって与えれた食べ物を穏かに消化できることを望んでいる。
 
モンテズマの物語が再び会話の話題になり、ヴィヴァルディの熱意が再び現れる。当時のオペラのベースになったテーマを近代化することを決意した革命的なヴェネツィア人は、より保守的なヘンデルに向かう。彼を怒らせる恐れがあるにもかかわらず。
 
多くの作品について話が飛ぶ間に、ヴィヴァルディはストラヴィンスキーの墓を発見する。ヘンデルはこの機会を利用して、友人にリベンジするために、偉大なロシアの作曲家が彼の音楽を公然と嘲笑ったことを思い出させた。ヴィヴァルディは、少なくとも、ストラヴィンスキーが「サーカス・ポルカ」(バーナム・サーカスに委嘱されて作曲)で書いたような、ゾウを踊らせる音楽を書いてはいない、と言って反論する。
 
フィロメーノ(従者)は、フランスの海賊と戦って死んだ奴隷である祖父サルバドール・ゴロモンのオペラを書くべきだと無邪気に提案するが、ヘンデルは、黒人が何かの主役になることは不可能だと主張して拒否する。フィロメーノは、ヴェネツィアとトルコの戦争中における黒人の冒険についての戯曲が、ロンドンで絶対的な成功が収めていることを指摘して、ヘンデルの誤りを指摘し、召使としての地位から推測される以上に博識であることを証明した。男爵は、高位の身分の人物を公然と正して、自らの分際を越えた従者を猶予し、後者はグループから距離を置き、バッグから、ホスピスの孤児の一人であるルシエッタからの贈り物のトランペットを取り出す。
 
遠くで葬儀の鐘が鳴り、行列を導く僧が説明するように、前日にヴェネツィアで亡くなった有名なドイツの作曲家の遺物を運ぶ行列で歌われたレクイエムが遠くから聞こえてくる。スカルラッティは、これは、馬が飛び、ドラゴンが火を吐き、水の下で話すことのできる女性まで出てくる、幻想的に長いオペラを書いた男だと説明する。驚いたフィロメーノは、ウォルト・ディズニーのことかと聞き返す…。リヒャルト・ワーグナーに敬意を表して合唱団に加わるまえに、みんなは爆発的な笑い声をあげる。
 
 
 
 
 
 
◆リハーサル / The Rehearsal◆
 
Montezuma – Matias Tosi (モンテズマ・男爵)
Teutile – Ducza Nóra   
Ramiro – Bakos Kornélia
Fernando – Nagy Bernadett
Mitrena – Károlyi Katalin
Színpadi rendező – Könyves Pál Kálmán (舞台監督)
Egy néző – Tóth Péter  (観客)
 
 
数週間が経ち、ヴィヴァルディは、Nをとったスペルで命名したオペラ「モテズマ ”Motezuma”」(「モンテズマ」でなく「モテズマ」もしくは「モテスマ」)の最初の草稿を書き終え、レチタティーヴォの一部をリハーサルしている。ヘンデルとスカルラッティは、同僚の仕事の様子をバルコニーから眺め、フィロメーノは反対側のボックスから眺めている。
 
男爵は、歌う夢を現実に変え、彼自身が同名の皇帝の役を担当している。リハーサルが進むと、ヴィヴァルディのますます斬新になる発言と、男爵の抗議が繰り広げられる。男爵は、作家による、不当な歴史的不正確さに不満を抱いている。最終的に、男爵とヴィヴァルディの間で議論が巻き起こる。前者・男爵は歴史的事実の重要性を擁護し、後者・ヴィヴァルディは詩的幻想の重要性を擁護する。スカルラッティとヘンデルは、味方になりたくないので、劇場を出て散歩に出かける。議論はますます激しくなり、ヴィヴァルディは、メキシコ人(男爵)の感性の欠如の疑いに腹を立てて出ていく。
 
 
 
 
男爵はこうした傲慢さと愚かさにうんざりして、メキシコに戻り、彼の本来の習慣と愛情に帰ることに決め、その間、従者をしばらく仕事から免除することにした。フィロメーノはパリに行くことを決めた。そこで彼は、いつものような、ただの「黒人」ではなく、ムッシューと呼ばれるだろう。
 
最後に、舞台には「ムッシュー・フィロメーノ」だけがいて、トランペットを演奏し、その背景には、ルイ・アームストロングのパリでの伝説的なコンサートを宣伝するポスターが映し出される。
 
 
(終)

*この文は、脚本作者のホセ・クーラがFBに掲載したナレーター用原稿を簡易的に和訳したものです。ぜひ原文をごらんください。

 

 

 


 

 

 ≪ハンガリー放送芸術協会のFBより≫

 

●公演当日の舞台写真

178枚もアップしてくれています。時系列になっているので、これを見ながらだと、舞台の様子がイメージできて楽しいです。これを見ると、舞台装置こそありませんが、ちょっとした小道具あり、簡単な衣装あり。演技も表情もしっかりとつけて、演じられているようです。

写真はここからお借りしました。


 

 

≪ハンガリーのTVニュースよりーーリハーサルとインタビュー≫

 

 

 

 


 

 

クーラの初の新作オペラの世界初演、大成功といってよいようで、本当に素晴らしいことでした。またラジオ放送によって、私もその目撃者(?)の1人になれて、とてもうれしいです。

初めに聞いた印象では、とにかくカラフルで多彩、時空を超えた様々な音楽、バロック音楽から、ロマン主義、現代音楽、ジャズ風、ラテン・カリブ風、イタリア民謡風・・等々、数多くの楽曲が、さまざまにアレンジされてちりばめられています。また従者の死の場面では、クーラ自身が以前に作曲したレクイエムも引用されているそうで、ドラマティックで印象的なシーンとなっています。一言ではいえないけれど、とにかくユニーク、楽しく、いわゆるオペラという型にはまらない、観客、キャスト、オケ、一体となって音楽を楽しむ公演となったことは間違いないと思います。

クーラが脚本の原作とした「バロック協奏曲」の作者カルペンティエールは、小説家・評論家であるとともに、学位をもつ音楽学者であり、音楽に対する造詣が非常に深かったのだそうです。そのことが小説のストーリー、さらにクーラのオペラにも反映していて、たくさんの歴史的な音楽作品引用の根拠となっています。さらにクーラが古典文学から引用したりと、知的な遊びにあふれた作品となっているようです。どこに誰の、どの曲が出てくるか、探してみるのも楽しいのではないでしょうか。

またクーラは、原作者が作品に込めたテーマの一つでもある、モンテズマとアステカ文明への侵略と征服という歴史への認識、人種差別の問題など、現代に通じる課題についても、オペラに位置付けています。このあたりについて、インタビューで語ったこともありますので、またいずれ紹介したいと思っています。

いつか舞台セット、映像なども含めた公演が実現することを願っています。

 

 

*写真はハンガリー芸術放送協会のFBよりお借りしました。

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