人と、オペラと、芸術と ~ ホセ・クーラ情報を中心に by Ree2014

テノール・指揮者・作曲家・演出家として活動を広げるホセ・クーラの情報を収集中

(レビュー編) ホセ・クーラ プッチーニのトゥーランドットを演出・舞台デザイン・出演 / Jose Cura / Turandot in Liege / Puccini

2016-09-30 | 演出―トゥーランドット



2016年9月23日に初日を迎えた、ホセ・クーラ演出、ベルギーのワロン王立劇場のシーズン開幕公演のトゥーランドット。熱狂的だったという観客の反応や、レビューも好評のようです。

劇場のHPに投稿された観賞した方の感想もとても良いものでした。
「音楽、視覚的に、あらゆる面で傑出した、優れたパフォーマンス」、「私たちのオペラハウスの素晴らしいショーは、国境を越えて広くひろがる」、「良い作品、いつも素敵な夜!おすすめ!」、「コーラス、ステージング、風景...トータルで成功」、「優れたトゥーランドット。私はそれをとても楽んだ」、「すべてに最高なプロダクション、卓越したキャスト、豊かで面白い公演!」、「トゥーランドットは美しかった!エンドレスでたくさんの拍手に値する!」・・などなど。

以下では、レビューなどからいくつか抜粋して紹介するとともに、クーラのフェイスブックや、ファンサイトなどに掲載された、カーテンコールの画像などを紹介したいと思います。

またレビューのなかには、今回のクーラの演出の特徴、導入部分や、プッチーニの死後、弟子のアルファーノが補筆した部分をカットしてリューの死で終わるために、演出上、クーラが工夫したラストシーンなどを解説したものもあります。
以前の投稿、(告知編)(演出メモ編)の時点では、謎のまま残っていた興味深い部分が、ある程度、明らかにされています。
これからご覧になる予定の方にはネタばれになりますが、クーラの演出の魅力的な中身がわかりますので、紹介したいと思います。

**********************************************************************************************************************



●導入部分について
――オペラのフレームとして授業で学ぶ子どもたちを導入

「クーラは彼のプロダクションのために古典的なアプローチを選択した。実際のパフォーマンスの開始の前に、プッチーニのオペラに関するプロジェクトに取り組んでいる学校の授業が、フレームとして導入されている。
年少の子供たちは、クーラが設計したステージである、三段からなる塔を設計する。年上の女の子たちは、3人の大臣のための衣装を取り扱い、コメディア・デラルテ(仮面即興劇)から3人のキャラクターを舞台上の壁に描いた。これらは大臣のピン、パン、ポンを具現化する。・・・
教師が登場し、生徒の作品を調べ、その後、彼は東洋の衣装を着た中国人に変身し、"トゥーランドットは3つの謎を解決できた者と結婚する"というメッセージとともにオペラを開始する。」 
(「Online Musik Magazin」)










●ラストシーンについて
――プッチーニの死、彼が創造したキャラクターたちによる別れ


「すでに演出と歌手としての二重の役割で、カヴァレリア・ルスティカーナと道化師で4年前に私たちを感動させたホセ・クーラは、今回、プッチーニの未完のオペラを取りあげた。彼は、ラストシーンのための非常にユニークな解釈を見つけた。リューが自殺した後、最後に、プッチーニ自身が現れ、そして彼は、彼の口でティムールの最後の言葉を言う。」

「クーラのプロダクションでは、奴隷(リュー)が本当に剣にむけて身を投げ出したのか、または、トゥーランドットが後ろから彼女を刺したのか、それが本当に自殺であるのかどうか、議論の余地がある。
トゥーランドットは、必死に(架空の)血液から自分の手をきれいにしようとしていて、彼女が罪の意識にかられていることは明らかだ。
このシーンでプッチーニが現れると、突然、蝶々夫人、ミミ(ラ・ボエーム)、トスカ、西部の娘、修道女アンジェリカなど、彼が創りだした有名なキャラクターたちが舞台に登場し、落胆して、彼らの創作者への別れを告げる。
プッチーニは、ステージ上の赤と白の紙のランタンの間に身を横たえる。そうして作品は、疑わしいハッピーエンドなしの終り方を見出す。」
(「Online Musik Magazin」)




 (この写真は、ファンサイトBravo Curaより)

●公演の評価をレビューから抜粋

――クーラは衰えず、90年代の栄光の時代の何も失っていない

「アルゼンチンテノール、クーラのステージングは、かなりうまく動作する。むしろ古典的なスタイルで、それは、台本に忠実である。」

「ホセ・クーラは、この間(ほとんど)衰えることなく、90年代後半にサムソンと道化師に結び付けられ、ディスクに収録された栄光の時代の何も失っていない。声はまだ十分であり、すべての面で、物理的および技術的な基盤の上に確保されている。」

「バリトンのような色合い、それと同時に、声を変色させることなく、高音にいく能力をもつ」

「結論として、このトゥーランドットは、リエージュで鳴り物入りでオペラシーズンを開いた魅惑のショーである。バーは、シーズンの今後にとって、高く設定された。」
(「Forum opera」)

――今も大テノールの1人

「ホセ・クーラは、演出だけでなく、自分自身でカラフを歌った。ホセ・クーラはまだ、私たちの時代の大テノールの1人である。強力な輝きで、彼は役柄を歌う。」(「BRF)」







――クーラは歌手として輝いただけでなく、演出家としての多彩な才能を証明

「クーラは、演出家・舞台監督としてプッチーニの未完のオペラへの説得力あるアクセスを見つけることができたことを証明しているだけでなく、王子カラフの挑戦的な役柄で輝くことができる。テノールらしい旋律の美しさと、猛烈な『私は勝利する』(Vincerò)を歌いあげ、有名な『誰も寝てはならぬ』を形づくった。」

「クーラはまた、柔らかいテナーと華麗な高音で情熱的に第2幕のカラフの『泣くなリューよ』を歌った。最後には、すべての参加者による、長い、かつ熱狂的な拍手があった。」

「結論 ホセ・クーラは、プッチーニのトゥーランドットの歌手として輝いただけでなく、オペラのアルファーノの加筆のない説得力あるコンセプトによって、ディレクターとしての、彼の多才な才能を証明した。」
(「Online Musik Magazin」)


――聴いて、見て、価値あるプロダクションに、長く熱狂的な拍手


「何年か前に、カヴァレリア・ルスティカーナと道化師のプロダクションで成功した同じ場所で、全体的に、彼は非常に満足のいく仕事で成功した。」

「そして、音楽の質は、とにかく聞く価値がある。もちろん、クーラが、パワフルで輝かしい声で、素晴らしい物理的強度で、有名な『誰も寝てはならぬ』を歌う時だけでなく、その成功は保証されている。」

「観客は、優れたキャストによる、プッチーニの一見の価値のあるプロダクションにたいして、長く、熱狂的な拍手で感謝を表明した。」
(「Opernnetz」)





**********************************************************************************************************************

今回のクーラ演出のトゥーランドット。劇場側の要請で、プッチーニの死後、アルファーノが加筆したカラフと姫の対決シーンを削除して構想されたわけですが、クーラの演出メモを読んでも、どういうラストになるのか、謎でした。
実際に上演がはじまり、レビューや観賞した方の感想などを読んで、ようやくある程度、イメージがつかめてきました。

もともと、アルファーノ版のトゥーランドットに対するクーラの解釈は、失われた権力と富、美しい女性に対する欲望に駆られたカラフと、男性による自由と権利のはく奪と抑圧を恐れる王女、その男女の世界の対決構図でみるというものでした。その点では、ラストの「愛」による「ハッピーエンド」は、決して真の愛ではなく、男性による性的、権力的支配と、女性の屈服として分析されていました。
しかし今回は、その性的な屈服の比喩的なシーンがないために、かえって、本来のトゥーランドットの話の起源にたちもどり、リューの無償の愛の力を中心にすえた寓話として描き出したということのようです。

寓話としての性格を浮き彫りにするために、子どもたちがプッチーニのオペラを学ぶという授業をフレームにして、レゴや絵画、創作、仮面劇の世界から、トゥーランドットの世界が飛び出してくるという構造になっています。子どもたちの合唱が大きな役割を果たし、子ども合唱団も高い評価を受けたようでした。

そして注目のラスト。リューはカラフの名前を守るために、自らの体をトゥーランドットのもつ剣に向けて投げだすようにして自殺します。トゥーランドットは予期せぬリューの動きにひるみ、怖れ、血に濡れた自らの手をあわてて洗う動作をします。彼女が芯から邪悪な人間ではなく、身を守る鎧としての姿だったことが示唆されています。

無償の愛をうたう寓話としての物語、子どもたちの存在、そして作者プッチーニに捧げられる追悼と別れの感情。最後のシーンは、観賞した人によると、非常に感動的で、心揺さぶるものとなったようです。

演出と舞台デザインの仕事としても、またクーラ自身の歌唱と演技、全体のアンサンブルと音楽の質、全体として高い評価をえて、観客からも歓迎されたということで、本当に、クーラとしても、努力とハードワークが報われて、喜んでいるのではないでしょうか。
とはいえ、実際にみてみないことには、わかりません。ぜひぜひ、DVDの発売や、何らかの形での放送をお願いします。

最後は、ファンページのBravo Curaに掲載された画像から、終演後の充実した笑顔、すばらしい舞台をつくったことへの満足感が伝わる写真を。






*画像は、劇場のHP、クーラのフェイスブック、Bravo Cura Page からお借りしました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(演出メモ編) ホセ・クーラ プッチーニのトゥーランドットを演出・舞台デザイン・出演 / Jose Cura / Turandot in Liege / Puccini

2016-09-26 | 演出―トゥーランドット



ホセ・クーラが演出、舞台デザイン、そしてカラフを歌う、リエージュのワロン王立歌劇場のシーズンオープニング公演、プッチーニのトゥーランドット。
ついに9月23日から始まりました。
カーテンコールの画像やレビューなども出始めています。いまのところレビューも好評で、ネットにも観客からの感動の声がいくつかアップされています。いずれまた公演の模様や、放送予定などが公表されたら、まとめて投稿したいと思います。
*リハーサルなどを様子を紹介した「告知編」もあります。

今回は、初日に先立って、クーラがフェイスブックに公開したトゥーランドットの演出メモを紹介したいと思います。
ベルギーのリエージュの劇場用パンフレットに掲載するため、原文がフランス語です。しかもクーラは、この物語を、起源に遡るとともに、現代までの流れをたどって解明しています。そのため私自身の理解が追いつかない部分もあり、誤訳や事実誤認が多いかと思いますが、例によって、クーラの熱意と大意をくみとっていただければということで、どうか、ご容赦ください。

******************************************************************************************************

劇場のフェイスブックに掲載された予告編
Turandot (Puccini) - La Bande Annonce



≪ホセ・クーラの演出ノート≫

●起源

どれほど多くの作品が、構想から後世に伝わる最終的な形までのトゥーランドットの起源をふまえていただろうか。AD633年、トゥーランドット(Turandokht)は――ササン朝(224~651年)最後の皇帝ホスロー2世パルヴィーズの娘であり、アーザルミードゥクト(Azarmidokht)とボーラーン(Purandokht)の妹で、ササン朝王朝のこの歴史的な期間における3人のペルシャの王女のなかで最も美しい1人――彼女の系統の気高さと政治的地位の真の典型となっていた。トゥーランドット(Turandokht)の名前が意味するのは、文字通り、「トゥーラーンの娘」であり、 "Dokht"(ドゥクト)は ペルシャ語で"dokhtar"(ミス=Miss)の短縮形。トゥーラーン人の起源は、BC1700年まで遡り、『アヴェスタ』に登場する主にイラン系民族からなる人々である。東方の精神世界における『アヴェスタ』の重要性はきわめて大きく、 アヴェスター語で書かれたゾロアスター教の根本教典として、大きく貢献した。伝説の王女である歴史上の人物に触発され、13世紀のペルシャの叙事詩文学の最も偉大な詩人の1人、ニザーミーは、1200年頃の彼の本『七王妃物語』の中で、一連の謎を解いた者に自身を与えると約束する王女の変遷を伝えている。ほぼ5世紀後、1700年に、プリンセス・トゥーランドット(Turandokht)の物語は、東洋学者フランソワ・ペティ・ド・ラ・クロアによって、東方民族の民間伝承にもとづく物語集(『千一夜物語』)のなかに再構成された。

しかしフランソワ・ペティ・ド・ラ・クロワは、ペルシャのニザーミーの仕事に触発されたが、恐らく商業的目的によって(当時、中国の異国情緒が流行していた)、出来事を中国に置き換え、ここで、 「トゥーラーンの娘」は「プリンセス・トゥーランドット」となった。カルロ・ゴッツィが1762年に寓話トゥーランドットを書いたのは、この物語からであり、オリジナルのペルシャ語のテキストからではない。有名なベネチアの劇作家のバージョンは、1801年、当時、悲劇としてワイマールで上演され、フリードリヒ・フォン・シラーでさえ熱狂するほど非常に成功した...。




最終的に、ほとんど忘れられたペルシャの詩人の作品のうえに、4つの異なるペンを経た後、脚本家ジュゼッペ・アダミとレナート・シモーニは、観客の心を以前のバージョンよりもつかむ、今日、我々が知っているバージョンを作成した。こうしてジャコモ・プッチーニの同名作品の脚本(そして遺作)は誕生した。ルッカの天才は、1921年、トゥーランドットの音楽の作曲を始めた。しかし、1924年10月10日、彼が咽喉癌と診断されたとき、仕事は未完成だった。 なんという運命のいたずらだろう、永遠に世界を歌い、歌い続けるだろう人にとって!彼はブリュッセルの診療所で数週間後に死亡した。師匠の願いの実現のため、作品の草案(36ページ)が作業を完了するために作曲リッカルド・ザンドナーイに提出されたが、しかしジャコモの息子であるトニオ・プッチーニが反対し、父の仕事の後継者にフランコアルファーノを推した。アルファーノは多くの批判にさらされ、加えて、自分の方がより優れていると信じる人々によって、特有の皮肉とともに、その努力を嘲笑されさえした。 ザンドナーイがやれたかもしれないこと、プッチーニについてはいうまでもないが、それを我々は決して知ることができないのは明白だ。しかし、作品を完成させるために、巨大な歴史的責任を取らなければならなかった気の毒なアルファーノ、師匠の死にあたり目に涙をためた彼が何をしたのか、我々は知っている。

また 現代作曲家ルチアーノ・ベリオが、新たな部分を書き込むことによって、補作しようとしたことを思い出してほしい。最終的には、プッチーニだけが――自明の理だが!――私たちが願うように最後を書き上げることができたのかもしれない。たぶん...しかし彼はそれを行うことができなかったため、その議論を停止し、ジャコモ・プッチーニの執筆の途中において後戻りすることのない革命であったであろう、この未完成で達成不可能な作品を、深く掘ろうと試みる時が来た。 彼がどこまで飽くなき音楽的好奇心を進めたでだろうか、私たちは決して知ることはできない。
しかし、トゥーランドットにおいて、人は、来たるべきプッチーニの多くを推測することができる――とどまることのない作曲家、それが発展してきた方向にかかわらず、決してメロディーをあきらめなかっただろう。 最終的に今日、14世紀余り前に実在した "トゥーランの娘"、オリジナルの詩が書かれてから8世紀以上がたち、数多くの人の手を経たにもかかわらず、プリンセス・トゥーランドットの運命は、私たちを魅了し続けている。




●ステージング
――動機


このリリースにあたって、劇場の芸術監督は、トスカニーニが初演の際にやったように、リューの死とともに、描写を終了することを私に依頼した。
私は、国際的なキャリアの初めから、多くの感情を私に提供してくれたジャコモ・プッチーニに対する私の「別れ」を表明する舞台をつくる機会を与えてくれた決定である、という意味において、非常に喜んだ。私は、1995年、トッレ・デル・ラーゴでのトスカでのデビューの際に、「プッチーニの家」に個人的に旅行した時、彼の棺に触れて子どものように泣き出したことを昨日のように覚えている。

ラストのデュエットにおける性的で音楽的な混乱がない、「トスカニーニ風」トゥーランドットは、ニザーミーの詩的精神、そしてカルロ・ゴッツィの悲喜劇など、作品の「素晴らしい」起源をたどる機会を提供する。すなわち、物語、寓話、そしてリューの教訓を広げるモラルに立ち戻る。 「誰がお前の心にそれほどの力を?」、王女は尋ね、「愛!」と奴隷は答える。






スペイン王立アカデミーの辞書には、寓話とは、「短い架空の物語であり、散文や詩において、教訓的な意図を持ち、多くの場合、最終的にはモラルを表わす」とされている。従って、寓話の大部分における心理的暴力にもかかわらず、罪のない性別や年齢の間の不可解な接続を作成し、幼児教育へ、この文学ジャンルが頻繁に関連付けられる。 これは、ステージングが寓話を表すことを意図されているためであり、そして私は、ステージ上の子どもの存在のための完璧な口実を見つけた。現代の子どもたちが、教師に伴われ、レゴの城を作って、クラスのなかで学んだことを実践すると、そこに隠れていた教授の衣装、中国の役人、またその他のアイディアが舞台上で実体化され、ファンタジーが現実の男たちになる。この点で、「語り手」としての中国人の教師、コメディア・デラルテ(仮面即興劇)における寓話で大事なピン、パン、ポンの役割を強調することが重要だ。ゴッツィが残した扉、そして子どもたちとの遊びの風景の前で、3人の仮面は、仮面即興劇の3つの象徴的なキャラクター、パンタローネ(老人)、アレッキーノ(従者・道化)、ドットーレ(知識人)の役割を物語るために教師に雇われた俳優であり、彼らは空想のなかで、伝統的な衣装を、中国の衣装へ変え、難問の儀式に参加する。




この近代の教育寓話について、トゥーランドットのそれは、最も冷厳な現代性を持っている。――王女は、肉体的な愛を恐れていた― それを表す、すべてのことを―その結果、男性の官能的な衝動におびえ震える。それは、彼女の祖先の1人が受けたレイプのせいである―千年以上前の‥!男性を嫌ういいわけとして。これは彼女の求婚者を、このような潜在的な「レイプ犯」として、生きた存在につなげる。「一体誰が、女性を守る偽の治安部隊を突破するのか?」、プッチーニと彼の脚本家たちは、近代的で敏感な男性であり、そのコンセプトを完全に理解し、女性が独立性を失い、男性に降伏して生きることを余儀なくされた時、女性が被る傷として、彼らの仕事の中において表示した。このように、自分の空想のために男性の候補者を殺すことに躊躇しなかった王女は、皮肉にも、別の「女性らしさ」の犠牲を必要する。リューは、彼女が拒否する両方の部分を受け入れて実現するために。この部分で、カラフは、トゥーランドットと恋に落ちたのではないが、しかし彼女に「大いに喜んで」、彼の全ての官能的、性的な魅力を交渉のために使う――彼の欲望=彼の王子としての地位を復活させる王国=のために。この意味において、アリア「誰も寝てはならぬ」"Nessun dorma,"は、愛の歌ではなく、戦闘で敗北して誇りを傷つけられ、奪還計画により、夜明けに勝利の到来を待つ、戦士の叫びである、「私は勝つ!」――。






私には、トゥーランドットは、フロイトの豊かなピッチとともに――知識の道具として、現代的な精神分析が現れた20世紀において、その物語は決定的な力を持ったということを無視できない――常に女性の世界に対して非常に敏感だったプッチーニにとっての、「ラクダの背中を壊す一本のわら」(1本のわらでも、たくさん集まればラクダをつぶしてしまうというフランスの格言)だった。なぜ彼が最後まで完了できなかったのか、理由は彼の病気以上に、男女関係の清算にあたっての、非常に個人的な不安の感覚のためであり、それがトゥーランドットの結末を示している、ということは可能だろうか。それを知ることはできない。
私たちはまた、プッチーニが住んでいた「現実の街」トッレ・デル・ラーゴの人々と、「幻想的な北京」の住人、トゥーランドットの関連が、どのくらい本当に真実なのか、知りえない。1909年、プッチーニ家の使用人、ドーリア・マンフレーディが人生を終える。人々の想像力は、夫と若い娘の不倫を非難していた作曲家の妻、エルヴィーラ・プッチーニの迫害とこの悲しい結末を関連づける。伝承によれば、ジャコモは、この不必要な死の不公平さによる苦痛から回復することができず、このことが、彼の人生における大きな幻滅の始まりとなった。それは彼の手紙で明らかだ。これらの事実に基づき、多くの人は、リューをドーリア・マンフレーディの犠牲へのオマージュを見ている。
この曖昧な歴史をふまえ、私は、最終的に、第3幕に、シンボリックな形で、リューのハイライトを上演した。「私を縛って、私を切り裂いて」と小さく叫び、「何でもない。私の愛は純粋だから、彼が私に、あなたに立ち向かう力をくれる」――その言葉は、もし歴史が本当にそうであれば、ドーリア・マンフレーディの心の中にあるべきものだろう。とにかく、ゴシップは別として、パオロ・ベンヴェヌーティの長編映画「プッチーニの愛人」の実現につながった最近の研究に照らすならば、誰も決定的な真実を確立することはできない。





 
個人的には、私は、年老いたティムールの最後の曲のなかの、「ピッコラ(かわいい子)」リューへの悲しい別れを、カラフの父の声を借りた作曲家自身の告訴として、彼の創造した者たち(そして私たちに対しても)への別れを込めたものと考えたい。「明けることのない夜に、お前の横に立って行こう」、年老いた男は言う。そして、私のロマンチックな想像力は、私にこう信じさせる。喪失の痛みによって破壊されたバスの声は、恐らく、死につつあるプッチーニの唇からの声、喉頭がんによるしわがれ声に最も近いだろう。もし、彼が、彼の驚くべき人生の最後の時間に、音を発することができたならば。この理由から、ジャコモは、ステージの上でティムールに置き換わり、彼の創造した者たちに別れを告げたのち、彼のすべてのキャラクターが動き出し、彼を称えるために一緒に来る間に、安らかに亡くなる。




――装飾について

ステージ装置は、子どもたちの想像力によって支配されている。これは、北京の紫禁城の南門をレゴ・レゴバージョンで自由に再現している。経験の「温かさ」を奪われた、非常にきれいな作図線を使うことによって、有名なゲームの冷たいプラスティックな部品のなかにそれらを巻き込む。別の楽しいステージアクションは、子どもの想像力によって、それぞれの課題に合わせた色のランタンの使用――希望のための緑、血のための赤、ロイヤリティ/トゥーランドットのための金――そして難問が解かれると重さを失って飛ぶ、または色についた球をボールプールのように使い、それは貴重な石、宮殿の壁からの滝を示す。






登場人物と子どもたちとの間の相互作用は、仮想の線をめぐって構築され、前景とを分離する境界線となる。自由に往復できる3人の仮面の人物を除き、子どもたちだけが持つ権限と関わることはできない。彼らは、実際には物語の一部ではなく、演技のために雇われた俳優だ。同様に、トゥーランドットは、子どもたちとランタンの助けを借りて、境界線を通過させる道を管理する。最後に、教授と子どもたちは、カラフの勝利の熱意に気を取られ、またこの魔法のラインを通過し、学校に戻ることができる。
このアイディアは、フェルナンド・ルイスがデザインした、コーラスを含めたキャラクターの衣装に影響を与え、きれいなライン、シノワズリ(中国趣味)を最小限に抑える。






――合唱団の役割

3人の仮面が、死刑執行の閣僚として彼らの職務を訴え、中国についての予言をする彼らの個人的な話を私たちに語る親密なシーンを除いて、トゥーランドットは大規模なオープンシーンがあり人口密度の高い「叙事詩」的なオペラである。プッチーニは、トゥーランドットを、多くのグループに分けた合唱のために設計しており、彼らは一緒に歌わず、個々の人格であるかのように、彼ら自身の介在する独自のポイントをもっている。マエストロの手紙による指示に従うならば、それは150人のアーティストが必要だろう、最小でも...。これは、トゥーランドットが、巨大な野外公演を好む曲の一つであるためではない。確かに、循環させるたくさんのスペースを必要とする。私はこのリエージュのプロダクションにおいて、宮殿の中心の周りのギャラリーにコーラスを配置することによって、「ギリシャ悲劇」の合唱隊のスタイルを用いることにした。この壮大なオペラにおいてプッチーニが夢見た、大規模かつ壮大なサウンドを得るために、下方のセットは巨大なサウンドボックスを作成するように設計された。





・・・・・・・・・・

私がこれを書いている時、20年以上にわたって友人であり同僚であったダニエラ・デッシーの死を知った。ダニー、友人はそう呼ぶが、彼女は私のリューではなかったけれど、コンサートや貴重な録音のパートナーであった以上に、私の最も偉大なデズデモーナであり、トスカ、マッダレーナ、マノン、イリスの1人だった。
私は彼女の思い出にこのプロダクションを捧げる。

   ホセ・クーラ 2016年8月21日 マドリードにて

***************************************************************************************************************

今回の演出は、トスカニーニが指揮をしたオペラ初演の際と同様に、リューの死で、物語を終わるということです。クーラは、これまでの自分の解釈をふまえるとともに、最後の、トゥーランドットとカラフの直接対決、キスや性的な行為を象徴するシーンがないことによって、よりこのドラマの本質的な部分を強調できると考えたようです。

最後のシーンには、クーラの工夫で作者のプッチーニも登場するらしいですね。実際に見てみたいし、見てみないと、どんな舞台に仕上がったのか、わかりませんね。放送されるという話をクーラがFBでしていたので、それを楽しみに待ちたいです。 

ワロン王立劇場での公演は、来月まで続きます。







*画像は、ホセ・クーラのFB,リエージュのワロン王立劇場のFB,HPよりお借りしました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2015年 ピエタリ・インキネンとホセ・クーラ プラハ響とクーラ作曲作品を初演 / Jose Cura & Pietari Inkinen /

2016-09-17 | プラハ交響楽団と指揮・作曲・歌 ~2017



9月に日本フィルハーモニー交響楽団の首席指揮者に就任したピエタリ・インキネン。インキネン氏は、2015年秋から、チェコのプラハ交響楽団の首席指揮者も務めています。
ホセ・クーラは、2015/16年シーズンから3年間、インキネン氏率いるプラハ響のレジデント・アーティストとなりました。歌、指揮、マスター・クラスとともに、毎年、クーラ自身が作曲した作品の世界初演に取り組むということが契約に盛り込まれているそうです。

すでに2015年10月、2016年2月の2回のコンサートを実施し、次回は、今年10月にオペラアリアコンサート(プラハ響HP)の予定です。

*2016年2月のコンサートとマスター・クラスの様子は → 「2016年2月プラハ交響楽団を指揮 スメタナ・ホール」
*今季2016/17年シーズンの予定は → 「2016/17 プラハ交響楽団で指揮、作曲家、歌手として」

この投稿では、2015年10月7、8日、インキネン氏の指揮で、クーラが共演したコンサートの様子を紹介したいと思います。

JOSÉ CURA
Smetana Hall, Municipal House 7.10.2015 19:30 , 8.10.2015 19:30
MAURICE RAVEL /Pavane for a Dead Princess
JOSÉ CURA / If I die, Survive me! (world premiere of the orchestral version)
JEAN SIBELIUS / Symphony No. 1 in E minor op. 39
José CURA = voice of Pablo Neruda
Zlata ADAMOVSKÁ = voice of Matilde Neruda
SYMFONICKÝ ORCHESTR HL. M. PRAHY FOK / PRAGUE SYMPHONY ORCHESTRA
Pietari INKINEN = conductor

  


●インキネン指揮によるクーラの「もし私が死んだら」世界初演
コンサートのプログラムには、インキネン指揮のラヴェルの亡き王女のパヴァーヌ、シベリウス交響曲第1番とともに、クーラが作曲した、"If I die, Survive me!"(「もし私が死んだら」)のオーケストラ・ヴァージョンによる世界初演が盛り込まれました。

この曲は、詩人パブロ・ネルーダが妻マチルダとの愛と死を歌った、詩集「愛と死のソネット」92番をもとに、クーラがネルーダの人生を再構成し、作曲したものです。
最初の曲は1995年に書かれました。クーラの1997年発表のCDアルバム「アネーロ」に収録されています。少年時代から指揮者、作曲家志望だったクーラの思い入れがたっぷりつまったCDです。アルゼンチンの音楽家とも共演していました。
さらに2002年に他の4つの詩に作曲し、2006年に全体が完成しました。今回さらにオーケストラ版にし、世界初演を迎えました。



こちらがCDに収録された原曲です。クーラが歌っています。
José Cura - Sonetos de Amor y Muerte


パブロ・ネルーダは、チリの民主化のためにたたかった国民的詩人であり、ノーベル賞受賞者です。クーラの出身アルゼンチンと同じ南米出身、そして平和と愛のためにたたかう思いは、クーラとも根底でつながっています。
クーラはCD「アネーロ」のなかで、こういう言葉をかかげていました。
「人々の心に平和の種をまき、それが育つことができたら、自分のアーティストとしての存在意味がある」
この初心は、今も変わっていないように思います。

***********************************************************************************************************************************

●ネルーダへの思い、作曲にあたって――インタビューにこたえて
――色彩、透明でクリスタルなサウンドを心がけた
曲は、もともと歌手、女優とピアノのために書いた。オーケストラ・バージョンは大きな課題だった。非常に親密な音楽なので、主に色彩と、透明でクリスタルなサウンドを心がけ、仕事をした。
パブロ・ネルーダの詩は非常にエモーショナルであり、ステージ上であまりにそれに入り込みすぎないよう、注意深くする必要があった。詩の言葉が、本当に観客の胸を打つように、私は音楽に妥協点を見つけたと思う。



――私の心と魂にふれてほしい
ネルーダの詩に曲をつける時、きわめて注意深くなればいけない。クリスタルガラスの間を歩くようなもの。彼の言葉、詩はとても豊かで、完璧だから、すべての音が聴衆の注意をそらすリスクを負う。
作曲のきっかけは1995年、パレルモでフランチェスカ·ダ·リミニに出演していた時。幕間に楽屋に差し入れられた一冊の詩集が、ネルーダのものだった。感動し、すぐに作曲した。

私の曲で、私の心と魂にふれてほしい。ネルーダのドラマの中で、親密な愛の物語を描きたかった。
この作品は音楽だけでなくドラマ。パブロと妻との会話だ。人間が書くことができる最もロマンチックで官能的な言葉。

――プラハ響との記者会見で
観客を驚かせたい。通常のコンサートだけでなく、特別なイベントを準備する。10月には、詩人パブロ·ネルーダと彼の妻についての音楽ドラマを初演する。

常任指揮者インキネンとの連携を楽しみにしている。
フィンランドからアルゼンチン、事実上、地球全体をまわる。年をとった自分と若い専門性の高い指揮者との興味深い体験だ。





************************************************************************************************************************************

コンサートの街頭ポスター


●大きな成功
コンサートの様子。インキネンが指揮し、クーラとソプラノが、ネルーダと妻役で歌った。







コンサートは大きく成功、ホセ・クーラも歌で出演して、喝采を受けました。「歌手クーラ構成のドラマは大成功」とレビューも。
観客から拍手を受ける首席常任指揮者のピエタリ・インキネンとホセ・クーラ。







コンサート後のレセプションで談笑するホセ・クーラ。


フィンランドの関係団体主催のレセプションの動画
Concert José Cura and Pietari Inkinen 8.10.2015


 

終了後のサイン会




リハーサル中のインキネン氏とクーラの様子、クーラのインタビューを伝えたニュース動画。
José Cura , Pietari Inkinen 2015 concert


 



インキネン氏がいよいよ日本フィルの常任指揮者に就任しました。インキネン氏との縁とつながりで、日本でも、このようなコンサートが実現しないものでしょうか。
それはともかく、クーラは、歌、指揮、作曲、演出・舞台デザインと、多面的な活動がますます発展しつつあります。この間、同年代のオペラ歌手の急逝のニュースが相次いだこともあり、くれぐれも、身体に負担をかけすぎることなく、元気で、長く、このユニークな活躍をつづけてほしいと心から願っています。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ホセ・クーラのドン・カルロ ヴェルディ / Jose Cura / Don Carlo / Verdi

2016-09-16 | オペラの舞台―ヴェルディ



ヴェルディの傑作のひとつ、オペラ、ドン・カルロ。ホセ・クーラは、2001年にチューリッヒ歌劇場で、タイトルロールでデビューしました。

実はクーラは、アルゼンチンからイタリアに移住した翌年の1992年、ヴェローナのアレーナのドン・カルロで、カバー(代役)として採用されていましたが、結局、出番はなかったようです。また、1998年に日本で、このドン・カルロを歌う予定だったようですが、事前にキャンセルしています(理由は不明)。
ということで、2001年からチューリッヒで、同じプロダクションを何シーズンか歌い、ウィーン国立歌劇場で2006年に出演しましたが、それ以降は歌っておらず、クーラとしてはあまり出演回数は多くありません。

ドン・カルロは、主に、フランス語上演の5幕版(1867年)と、イタリア語上演の4幕版(1884年)がありますが、クーラが出演しているのはイタリア語4幕版です。
このオペラは、主要な役それぞれに、素晴らしいアリアがあり、デュエットがあり、そして複雑な心理、葛藤、苦悩を表現することが求められています。もちろん音楽は本当に素晴らしく、魅力たっぷりです。

クーラは、このスペインの王子ドン・カルロ役について、「カルロは、本当のヒーローだ。彼は夢想家、そして理想主義者であり、異端審問に異議を申し立てる」と語っています。そして、理想を抱き、そのために行動する熱い心をもち、同時に、許されない恋を断ち切れず、苦悩し、逡巡する、悩み深き、複雑な人物像、ナーバスで過敏な青年として描きだそうとしているようです。

このドン・カルロでも、オペラ舞台の正規のDVDやCDなどがありません。つくづく残念でなりません。美しく、切ない、繊細なドン・カルロの内面を描き出すのにぴったりな、若い時のホセ・クーラのドン・カルロの舞台を映像化して欲しかったと思います。

ということで、画質や音質が良くないものも多いのですが、アップされているいくつかの映像や録音、インタビューやレビューなどから、クーラのドン・カルロを紹介します。

**********************************************************************************************************************************





●ロンドンでの2001年コンサートより
DVDも出されている、ロンドンで開かれたコンサート"A Passion for Verdi"より、ドン・カルロの第1幕、カルロと、カルロが愛するエリザベッタ(父の妻)とのデュエットを。義母にあたるエリザベッタ役は、ダニエラ・デッシー。

Io vengo a domandar (Don Carlos) - Jose Cura, Daniela Dessi


ダニエラ・デッシーは、大変に残念なことに、今年2016年の8月、亡くなりました。クーラは、このコンサートの他にも、1996年のマスカーニのイリスをはじめ、トスカ、アンドレア・シェニエ、マノン・レスコー、オテロなどで共演も多く、フェイスブックに追悼のメッセージを掲載しました。







*******************************************************************************************************************************************

〈クーラのインタビューより〉
●2006年――掘り下げが可能な役 ドン・カルロ、カニオ・・・
Q、役を演じる時、関連資料を読む?

イエス、もちろん、役割に応じて。
本当に、心理的に、内面を掘り下げることが可能な、いくつかの役柄がある。ドン・カルロ、カニオ、サムソンやオテロなどだ。
例えばトゥーランドットのカラフなどの役割は、魅力的な存在感をもって、上手に歌うならば、それですでに十分だ。多分、2、3のカラーを見出すことができるけれど、それは心理的な背景の面では、豊かなキャラクターではない。 

●2005年インタビューより――「海賊」にふくまれる、ドン・カルロのフレーズ
ヴェルディのオペラ「海賊」(Il Corsaro)についてどう評価する?

これは傑作ではないことは明らかだ。しかし非常に興味深い作品。そして、オペラが好きならば誰もがそれを一度聞くべきだ。
ヴェルディは、彼が後の作品で使用することの多くを、「海賊」の中でテストした。
そこには椿姫のバー・ラインがあり、ドン・カルロからフレーズ、そしてオテロからカラー。これは、テノールのための簡単な役ではない。緻密なオーケストレーションと限定的なインストゥルメンテーションの輝きによるシリアスな瞬間がある。

〈舞台のレビューより〉
●2001年チューリッヒ
クーラは、誕生から運命に愛されていない子ども、内省的で神経質なカルロを描きだした。彼は磨かれた輝かしい声で、最初の言葉から魂をむき出しにした。クーラは陰気な性格を強調したが、彼の歌唱の推進力に抵抗するのは難しい。

●2003年チューリッヒ
チューリッヒのプロダクションで、1つのオリジナルな点、それは、英雄的な行動を通じてエリザベートへの情熱を忘れようする、理想的な英雄としてスペインの王子を提示していないことだ。
むしろ弱い人として、過敏さと動揺、失われた愛の悲しみによって取り乱し、人生の方向を模索する、歴史的真実に近いドン・カルロ。
ホセ・クーラは、舞台上の存在と驚異的なコミットメントが素晴らしい。疑いによって苛まれ、エボリまたは彼の父親が彼に非難を浴びせるとき、しばしば地面にうずくまり、痙攣に苦しむカルロを演じる。
声において、華麗なフォームを示し、特に明確な、明るい高音が開始から終了まで火花を放つ。




〈チューリッヒの舞台の動画――YouTubeより〉
幸いにして、YouTubeに、チューリッヒでの舞台の動画がアップされています。残念ながら遠くからの映像で、画質、音質もあまりよくありません。でもクーラの歌唱、演技の雰囲気だけでもつかめるので、ありがたいです。悲しい運命に翻弄されるカルロ、許されない恋に苦悩するカルロの姿が、本当に切なく、美しい。

チューリッヒ歌劇場2001年、ドン・カルロ 第1幕第1場
互いに愛し合っていた恋人で、自分の父、王の妻になったエリザベッタへの思いが断ち切れないドン・カルロ。かつての日を思い歌う。
Jose Cura 2001 "Io l'ho perduta" Don Carlo (Verdi )


第1幕第1場 親友のロドリーゴが、思いを断ち切り、迫害に苦しむフランドルの人々のために立ち上がるように諭す。カルロも決意し、ロドリーゴとの永遠の友情を誓う、有名な二重唱。
Jose Cura 2001 Don Carlo & Rodrigo duet


第1幕2場 カルロは、自分をフランドルに派遣するように父、王を説得してほしいと、エリザベッタに頼む。しかしエリザベッタへの想いがこみ上げ、愛を求めるカルロ。しかし動揺しつつ、理性を保ったエリザベッタは、カルロを拒絶する。
Giuseppe Verdi, Don Carlo 2001 "Io vengo a domandar"


第2幕1場 カルロは受け取った手紙をエリザベッタからのものと思い込み、夜、庭園で彼女を待つ。現れた女性をエリザベッタと思い、愛を告白するが、実は、ヴェールの下にはエボリが。驚くカルロに、エボリは激怒し復讐を誓う。
Giuseppe Verdi, Don Carlo & Eboli duet


第3幕 異端尋問に抗議し、捉えられたカルロ。その牢獄にロドリーゴが訪ねて来る。美しいロドリーゴのアリアと二重唱。
Giuseppe Verdi, Don Carlo 2001 Don Carlo & Rodrigo Act3 duet


第4幕 
生きている世界での愛を諦め、二人は永遠の別れを告げる。ラストシーンへ。
Giuseppe Verdi, Don Carlo 2001 Don Carlo & Elisabetta Act 4 duet



●音声のみ コンサートの録音

1999年パリでのコンサートより。
Jose Cura 1999 "Io l'ho perduta" Don Carlo (Verdi )


2001年 ベルリンでのコンサートより
Jose Cura 2001 "Lo vengo a domandar" Don Carlo


***********************************************************************************************************************************

ドラマと心理的リアリズムを大切にするクーラは、たぶん、もうドン・カルロを歌うことはないと思います。すでにカヴァレリアのトゥリッドウも歌わないことを宣言しています。でも今後、演出や指揮で、とりあげることがあるかもしれません。ぜひその際には、ネット中継や映像のホセ・クーラTVへのアップなどを期待しています。

(おまけ)
クーラがマスタークラスを実施した、フランス、ナンシー国立歌劇場の受講生とのコンサートで、指揮をしながら一緒にドン・カルロの二重唱を歌う。
José Cura & Ricardo Velasquez - E lui! desso l´infante - Don Carlo




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(告知編) ホセ・クーラ プッチーニのトゥーランドットを演出・舞台デザイン・出演 / Jose Cura / Turandot in Liege / Puccini

2016-09-13 | 演出―トゥーランドット


ホセ・クーラは現在、ベルギーのリエージュにある、ワロン王立歌劇場(Opéra Royal de Wallonie)で、プッチーニの最後のオペラ、トゥーランドットの演出・舞台デザイン、そしてカラフの主演のために、準備中です。

クーラは、2003年にイタリアのヴェローナのアレーナで、カラフにデビューして以来、毎年のように、このオペラに出演してきました。そして独自の解釈を深めるとともに、「誰を寝てはならぬ」などのスリリングな歌唱で、聴衆を魅了してきました。
これまでクーラの解釈やヴェローナの舞台などについて紹介した投稿は以下です。
 → 「ホセ・クーラ トゥーランドットの解釈」  
 → 「2003年 ヴェローナのアレーナでトゥーランドットのカラフ・デビュー

クーラはこのオペラの解釈について、「トゥーランドットは愛の物語ではない」と語ってきました。
「トゥーランドットは愛の物語ではない。貪欲な人々が、権力と利権を奪取しようとする話だ。カラフは彼自身の王国を失い、別の王国を世界中で探して旅していた。彼は望むものを手に入れるために愛する人を危険にさらす。プッチーニのオペラ、トゥーランドットの核心は、トゥーランドットの世界(女性の世界)とカラフの世界(男性の)との間の対決だ。それは偉大な謎。フロイトの理論。カラフのエゴイズムが王国の征服に乗り出す。」 (2006年インタビュー)

今回の演出によって、どのような舞台になるのでしょうか。まだその全体像は、明らかにされていません。
これまでクーラのフェイスブックや、ワロン王立歌劇場によって公表された画像、動画などを紹介します。

ワロン王立劇場のHP


(日程) 2016年9月23、25、27、29日、10月1、4日 ―― 23日は、ワロン王立歌劇場の2016/17シーズンのオープニングです。

Conductor: Paolo ARRIVABENI , Direction and set designs: José CURA
Costume designs: Fernand RUIZ , Lighting designs: Olivier WÉRY , Choirmaster: Pierre IODICE , Mastery supervisor: Véronique TOLLET
Turandot: Tiziana CARUSO , Calaf: José CURA
Liù: Heather ENGEBRETSON , Timur: Luca DALL’AMICO , Emperor Altoum: Gianni MONGIARDINO
Ping: Patrick DELCOUR , Pong: Papuna TCHURADZE , Prince of Persia: Papuna TCHURADZE , Pang: Xavier ROUILLON


●舞台の様子
これが、一番初めに公表された、舞台のイメージ図(模型のよう)です。トゥーランドットの宮殿がライトに照らし出されています。


搬入から、舞台の立ち上げる作業の様子。












そしてたちあがった舞台の全景。ライトアップされ、手前に、ピン、ポン、パンと子どもたちの姿が見えます。
3人と子どもたちについては、また後ほど、クーラの動画があります。



●リハーサル
初日に向けて、リハーサルにも熱が入ります。
演出でありつつ、カラフを歌うクーラ。指揮者とも、歌手・演出の両方の面で調整するのでしょうか。




立ちあがった舞台でのリハーサル。


ロープで首を絞められ、倒れ掛かっているのはリューでしょうか?いったい何が!?


足場の悪いところでダンスのような、アクロバティックな動きをしているのは、誰なのでしょう。


演出のクーラを囲んで。




揃いのトランクをもって登場するピン、ポン、パン・・中に入っているものは?


舞台を後方から見おろした角度での写真ですが、これをみると、舞台上にせり上がりか階段のようなものが多数設置され、立体的な構造になっているようです。




出演する子どもたちとリハーサルをすすめるクーラ。







●子どもとのリハーサルを映した動画
クーラが自分の動画サイト「ホセ・クーラTV」にアップした動画です。 → 動画のページへのリンク
演出家として初めての子どもたちとリハーサルの様子。ベルギーなので、フランス語でぺらぺら。

(クーラの解説)
「私のトゥーランドットのプロダクションの最初のシーンの間、3人の仮面の人物、ピン、パンとポンは、子どもたちと対話する。建物の提灯、レゴなどで遊びながら(残りは、あなたがショーの間に発見するだろう)。昨日、私は、子どもたちが、彼らの大人のパートナーとリラックスできるように、しばらく時間を費やし、そして、子どもたちがステージの小道具に親しむようにした。」


子どもたちの緊張をほぐし、リラックスさせ、仲良くなるさせるために、笑わせたり、踊ったり、指揮者のように、子どもたちの拍手をあおったり止めたり・・。




再掲・舞台の全景、子どもたちとピン、ポン、パンの様子


 
 

(クーラのFBでの解説)
「以前の記事で(上記の動画のこと)、トゥーランドットの私のプロダクションで、子どもたちとピン、ポン、パンの間に、信頼と親しみを確立するために行われた作業を見ただろう。そして、この絵で、アクションでそれらを見ることができる。アニメの映像かレゴのように外観がみえる方法で照らし出された宮殿に囲まれて。右端にあるレゴでつくられた宮殿のモデル。子どもたちはショーの間、作業している...」

舞台右端におかれた、レゴでつくった王宮。どうやら子どもたちが遊びながらつくりあげているようです。物語は、遊びとおもちゃから生まれるファンタジーということなのでしょうか?

劇場関係者がツイッターで紹介した画像。レゴでつくった首切り役人?


物語の1つのカギになりそうな、レゴブロックの王宮。劇場のFBにも、組み立てている動画がアップされていました。


**************************************************************************************************************************************

さて、まだまだ謎だらけな、クーラのトゥーランドット。間もなく9/23初日です。
たぶん録画放送されるだろうと、クーラがフェイスブックで述べていたので、何らかの形で日本でも見られることを楽しみにしています。

おまけ 2000年ブダペストでの「誰も寝てはならぬ」
Jose Cura Nessun dorma


2014年、フランスのコンサートでの「誰も寝てはならぬ」
Jose Cura 2014 "Nessun dorma" Turandot


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ホセ・クーラ、年を重ね演じ続ける―ヴェルディ中期のオペラ・スティッフェリオ / Jose Cura / Stiffelio / Verdi

2016-09-10 | オペラの舞台―ヴェルディ



ヴェルディの37歳の時の作品、スティッフェリオは、上演されることも多くなく、あまりなじみのないオペラかもしれません。牧師の妻の不倫をテーマにした心理劇で、発表当時は検閲による介入があったり、ストーリー展開にも分かりにくさがあり、その後、長い間、忘れられていたりした、波乱の経緯をたどった作品のようです。

ヴェルディは、このスティッフェリオの翌年にはリゴレット(1851)、3年後にイル・トロヴァトーレ(1853)、椿姫(1853)を発表しており、スティッフェリオは、これら有名な傑作群の直前に書かれました。物語が地味で、有名なアリアもありませんが、数多くの重唱が美しく、一度なじむと、何度も聞きたくなる魅力のあるオペラだと思います。

クーラは、1995年に、ホセ・カレーラスのキャンセルをうけて、この作品で、ロンドンのロイヤルオペラにデビューしました。このことが、後のオテロ出演とその後の世界的な活躍のきっかけのひとつにもなったようです。クーラはそれ以降も、各地で、スティッフェリオを歌い続けています。
このページのトップの写真は、左から、1995年のロンドン(ロールデビュー)、2007年ロンドン、2010年ニューヨークMET、2013年モナコ・モンテカルロ歌劇場での舞台写真です。この間、20年近い年月がたっているのですね。

2007年、ロンドンでスティッフェリオの再演にあたってのインタビューから、このオペラの魅力、クーラの思いを紹介するとともに、舞台の録音や録画、画像などを掲載したいと思います。

******************************************************************************************************************************

<1995年から、2007年へ>
まずは、1995年のロールデビューの時と、2007年の舞台の録音聞き比べを。
まだ若い歌声、舞台姿の95年から、10年以上の年月、経験をへて、クーラの声と表現の成熟がわかります。

●1995年ロンドンの舞台より(音声のみ)
1995年、ロンドンでのスティッフェリオのデビューの舞台より、第1幕、スティッフェリオと妻のリーナとの二重唱。布教の旅から戻り、久しぶりに再会した妻と2人になるが、その不審な様子に心配するスティッフェリオ。そして妻の指に結婚指輪がないことに気づく。
Jose Cura 1995 Stiffelio Act1 duet


●2007年ロンドンの舞台より(音声のみ)
つづいて、12年後の2007年、同じロンドンでのスティッフェリオの舞台、第1幕のスティッフェリオの帰還から、95年と同様にリーナとのシーンを。上の録音とは場面が前後少しずれています。
Jose Cura 2007 Stiffelio Act 1


******************************************************************************************************************************

<2007年ロンドンでのインタビューより>
●成熟とともに変わるスティッフェリオへのアプローチ

Q、1995年にコヴェント・ガーデンで、スティッフェリオとしてデビューしたが?

当時、私は髪と髭を白くメイクして出演した。しかし今は、私自身、十分白くなったので、その必要はない。このスティッフェリオの役柄に最適な人間としての、経験と成熟度―― それは私が、人生のうえで、当時とは、異なるアプローチを持っていることを意味する。
 
これは、スティッフェリオにおいては完全に別の意味を持つ。多くの役柄では、ミュージシャンとしての成熟度を必要とするが、人間として成熟するにつれて、多くを変えていく必要はない。しかしスティッフェリオは、オテロと同様に、そうした役柄の1つだ。人生における年齢や経験が、あなたの役柄へのアプローチを変え、言葉の意味やキャラクターの心理へのアプローチを変える。

Q、スティッフェリオは、椿姫やイルトロヴァトーレのように、傑作とよばれるに値するか?

それはもちろん、あなたの視点に依存する。私にとって、解釈する者、アーティストとして、そう、私は、それが傑作であると考えている。しかし、あなたが、オペラを傑作と判断するために、有名な15分の曲を持っている必要があるというのなら、もちろん、これは、そのような作品ではない。スティッフェリオには、'Di quella pira'(ヴェルディのイル・トロヴァトーレの有名なアリア「見よあの恐ろしい火を」)や、'Nessun dorma'(プッチーニのトゥーランドット「誰も寝てはならぬ」)はない。
音楽スタイルの面では、それはもっと、ピーター・グライムズのように考案された作品だ。音楽がつぎつぎと背後にあるアクションを導き、第3幕でバリトンが大きなアリアを歌ったあと、一瞬の絵のために立ち止まり、そしてその後、駆け抜ける。それは最初から最後まで、疾走する音楽。イプセンの演劇のようなもの。それは生のドラマだ。


写真=ロンドン2007年

Q、スティッフェリオのキャラクターをどうつくる?

キャラクターは非常に複雑であり、そして、心理的に、ステージ上の他のすべてのキャラクターとリンクしている。例えば、トゥーランドットのカラフとは違う。彼は、徹底してずっと同じだ。

だから、私というより、むしろ、私たちがキャラクターをつくっている。私たちがスティッフェリオとともにやっていることは、私の同僚たちが彼ら自身の役をつくっていることを読み取った結果であり、非常につよいものをつくりあげていると私は思っている。今日私たちは、6時間を、このオペラの厳しい精神的な瞬間についやしたが、何度も、互いに泣いているのを見た。そのように非常に深く取り組んでいる。キャストの誰もが、ただ歌を歌うだけでなく、彼、彼女の役を生きている。純粋な意味で、驚くようなものになると思う。いま起きているのは、非常に重要なことだ。

私たちはステージ上で、必要な時のみ、ごくわずかしか動かない。すべては、テキストを通して、私たちの内面的な気持ちや感情に入り込む。それは1レベル上の大きなリスクだ。なぜなら劇場が大きいので、簡単に失われる可能性があるからだ。しかし現時点では、そのオペラをつくりあげるうえで、良い方法だと思う。恐らくステージにあがる時は、離れても誰からも理解できるように、動作をより大きくするだろうから。


写真=ロンドン2007年

●普段は沈黙を愛する
Q、あなたにとって音楽とは?

このような質問には、非常に俗に答えることができるし、非常に哲学的になることもできる。そして非常に現実的に、音楽は私の生活の糧を得る方法であると言うこともできる。これは本当だ。それは、非常に感謝すべき、生計を立てる素晴らしい方法だ。 私は本当に、謙虚に、そのための才能があり、それを実行できることをうれしく思っている。

しかしそれと同時に、私は、多くのミュージシャンのように、沈黙を愛している。私の人生において、音楽のほとんどはプロフェッショナルな活動と結びついている。プロとして音楽をやっている時以外、私は普通に沈黙のなかにいる。だから、音楽は私の人生のエッセンスだとか、シャワーの時もベッドでも音楽を聞いている、などとは言えない。音楽は美しいビジネスだ。そして音楽で素晴らしいことができるのは幸運だ。そかし私は本当に沈黙の価値を認める。

●イギリスでピーター・グライムズを!
Q、すでにイタリアオペラのレパートリーの主要なものはほとんどを歌っているが、新しいものは?

それは良い視点だが、新しいレパートリーをするために、オペラハウスを説得するのは非常に難しい。主に劇的な役割に特化され、フリーな期間があると、オペラハウスは、サムソンやオテロをやりたがる。やれる人がとても少ないので、ステージにあげるのが困難な作品だからだ。そのため、「私は1か月、フリーだから、ル・シッドをやれないだろうか?」と言うのは難しい。

しかし、私の夢の一つは、ピーター・グライムズをやること、そして私はここ、ロンドンでそれをやってみたい。ここロンドンよりも、それを学び、演じるのに良い場所があるだろうか。一方で、それは非常に危険なことだ。もしあなたがイギリス人やドイツ人でなくて、英語やドイツ語のオペラをやるとき、正確なアクセントを身につけていないと、死ぬほど批判される。しかしあなたがイギリス人で、イタリアオペラを完璧なアクセントでなく歌っても、誰も何も言わない。なぜそうなるのか、私にはわからない。私は、イタリア的なアプローチが最も健康的だと思う。なぜなら、外国語で完璧なアクセントを持つのは不可能だから。重要なことは、キャラクターをつくるために最適なアプローチをすることだ。私はピーターグライムズをやれると思う。しかし私がイギリスでそれを提案するたびに、彼らは「イエス、でも他のどこかで最初にやって、それからここに持ってきて」という。なぜだろうか。私は最初からそれをよく学びたい。再びやるときに、ゼロからスタートしなければならないよりも。誰かがこれを読んで、私がそれを行うことができるようになることを願う。



●若い人たちはオペラの将来、子どもたちは人類の未来
Q、イギリスでは若い歌手を助けるために忙しい時間を過ごしているが?

私にとっては、これが最も重要なものの一つ。それは私が子どもの頃、持っていなかったもの。年上の人々から、彼らが経験したすべての事を聞くことと同様に、若い人たちと、学んだすべてのものを共有することが不可欠だ。それは一緒に育つこと。素晴らしいことだ。2時間のマスタークラスに出席し、彼らと一緒に10時間を過ごしたら、何が起こるかわからない。よく準備され、互いに尊敬があるならば、素晴らしいことだ。私はいつも言うのだが、私は、そこで、どう歌うかを教えるつもりはない。私は、誰かに歌い方を教える技術的な権限を持っていない。しかし、私自身の経験から知ったいくつかのことを彼らに伝えたいと思う。

彼らのような若い人たちは、オペラの将来のすべてだ。私は44歳(当時・1962年生まれ)で、まだ過去の人間ではない。しかし、もし私に今後20年間の将来があるとしたら、彼らは次の40年間の未来だ。そして、あなたの後の人たちは、次の60年間の未来になるだろう。もし世界にすべてにおいて希望があるならば、それは過去にはない。未来に希望はある。

かつて読んだ言葉はこう言っていた。「子どもたちは、あなたが見ることのできない、将来からの生きたメッセージ」――それは絶対的な真実、それは人類の未来だ。



****************************************************************************************************************************

<2006年チューリッヒの舞台の動画>

クーラのスティッフェリオは、残念なことに正規の録音もDVDもないのですが、2006年のチューリッヒ歌劇場での舞台のいくつかの場面がアップされています。人間関係も入り組んだ物語なのに、字幕がなく、わかりにくいかもしれませんが、クーラと他の出演者の重唱の魅力を味わえるのではないでしょうか。

2006年チューリッヒ、第1幕第1場 重唱~スティッフェリオとリーナの二重唱
Jose Cura Stiffelio "Di qua varcando sul primo albore"


2006年チューリッヒ、第1幕第2場、みんなが集まった場で、リーナが不倫相手との通信道具としてきた本が差し出され、大混乱の場。
Jose Cura 2006 Stiffelio "Cugino, pensate al sermone?.."


2006年チューリッヒ、第3幕第1場、妻の不倫相手のラッファエーレに、離婚したら結婚の意思があるかと問うスティッフェリオ。その後、現れたリーナに、静かに離婚を切り出す。リーナは騙されて関係ができたと許しを請う。リーナの父スタンカー伯爵が現れ、娘の不倫相手ラッファエーレを殺したことを告げる。
Jose Cura Stiffelio Act3 : Stiffelio, Lina duo


*****************************************************************************************************************************

出演者が互いに涙を流しあうほど、心理的に深く入り込んで、リハーサルに打ち込んだという、ロンドンのスティッフェリオの舞台。断片的な録音では、その魅力が十分味わえないのがなんとも残念です。

このインタビューによると、かなり前から、ブリテンのオペラ、ピーター・グライムズをやりたい、それもブリテンの母国イギリスで、と願ってきたようですね。残念ながらその願いは長くかなえられませんでしたが、ついに来年2017年7月、ドイツのボン劇場で実現することになりました。しかも主演に加えて、舞台デザイン、演出もクーラが担当します。これをもって、イギリスに行けるかどうかは、まだまだ先の話ですね(笑)

またインタビューの最後は、クーラからの、若い人たち、子どもたちへの熱いメッセージ。機会あるごとに熱心にマスタークラスにとりくんでいます。また子ども好きで、オペラの演出のなかでも、子どもたちに希望を託すメッセージを発信しています。「子どもたちは、あなたが見ることのできない、将来からの生きたメッセージ」――これは、音楽分野にかかわらず、自らの経験を過信しがちな大人の1人として、印象に残る言葉となりました。


写真=2010年、メト
 

 

 

 



2013年、モンテカルロ


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2001年 ホセ・クーラ パリでオテロ / Jose Cura Otello in Paris

2016-09-07 | オペラの舞台―オテロ



1997年にアバド指揮のベルリンフィルでオテロにロール・デビューしたホセ・クーラ。その後の数年間で、マドリード、ロンドン、ブエノスアイレス、ミュンヘン、チューリッヒ、ウィーンと、世界の主要劇場に、オテロでの出演を果たしました。
そうしたなかでの1つ、2001年にパリのシャトレ座で、コンサート形式で上演されたオテロを紹介したいと思います。

Otello (Giuseppe Verdi) in concert
José Cura , Karita Mattila , Anthony Michaels-Moore
Conductor=Myung-Whun Chung

March 26, 29, April 1, 2001
Théâtre du Châtelet paris

現在の円熟したクーラのオテロの魅力とはまた違って、声も若々しくのびやかで、同時に、一定の経験を重ねた安定感もある歌唱です。
残念ながら、動画はなく、録音のみですが、音質はまずまずです。
あわせて、その年のクーラのインタビューも紹介したいと思います。パリのオテロのこと、オテロデビューの経過や、オテロの音楽、解釈などについても語っています。

***********************************************************************************************************************




<イギリスでの対談より――BBC Forum 18 April 2001>
Q、パリのオテロを聞き、歌による感情表現と強さに驚いたが、この「感情的な進化」の源泉は?


A、ありがとう。この言葉は心を癒してくれる。パリのオテロの公演の後、「オテロとして歓迎できないオテロを見るのは残念だった」というコメントがあったので、あなたのような言葉に感謝する。
より多くの経験を得ようとすることによって、感情を伝える方法を学ぶ。それは人生におけるあらゆることと同じ。若い時には、叫ぶことによって、強烈で力強くなると思うが、その後、強さは、つくりだすノイズの量ではなく、あなたがまわりに伝えるエネルギーの量によることを学ぶ。おそらくこれが「感情的な進化」の秘密だ。


パリのオテロより、第1幕、オテロの登場場面
Jose Cura 2001 "Esultate" Otello



Q、観客の対応は国によって異なる?

A、観客への敬意を込めて言うのだが、通常の状況では、観客は、彼らが受けるに値するパフォーマンスを、アーティストから得る。判断されるのは、アーティストがその夜、何ができるかということだけではない。その方程式の反対側は観客だ。
あなたがステージ上にいる場合、観客があなたに愛を与えてくれなければ、あなたは観客に愛を返すことはできない。これは私が、観客が彼らにふさわしいパフォーマンスを得るということの理由。もしアーティストが、エネルギーと愛と観客との結びつきを感じているならば、アーティストは聴衆のために、彼の血を捧げる用意ができている。


第1幕、オテロとデズデモーナの二重唱「もう夜も更けた」
Jose Cura 2001 "Già nella notte densa" Otello



Q、あなたが選ぶドリームキャストは?

A、私が彼らに求めるのは、私が彼、彼女におくるエネルギーと愛に、同等に応えてくれる人たちであることだ。
それができるなら、名前や有名かどうかは重要ではない。私たちが話し合っている重要な点、感情的な側面、それは私が芸術を見る観点におけるキーポイントだ。


オテロの第2幕、デズデモーナとオテロの二重唱、そしてイアーゴの言葉で疑念をつよめていくオテロ。
Jose Cura 2001 Otello "D'un uom che geme sotto il tuo..Tu, indietro, fuggi!"



<2001年ロンドンでのインタビュー About the House>
●スティッフェリオでのロンドンデビューが最初のオテロにつながった


1995年にロンドンのロイヤルオペラにデビュー、ヴェルディのスティッフェリオでタイトルロールを歌った。それが最初のオテロにつながった。
デビューした後、複数のレビューアが書いた。「ここに潜在的なオテロがいる」と。その後、私はオテロのオファーをもらうようになった。しかしそれは、自己分析と準備なしにやるべきことではない。私はスコアを買い、学び始めた。
そして最終的に私は、1999年にバービカンで、サー・コリン・デイヴィスとともに、オテロを歌う申し出を受け入れた。それが私の最初のオテロになるはずだった。


第2幕、オテロとイアーゴの二重唱「大理石のような空にかけて誓う」
José Cura "Si, pel ciel marmoreo giuro!" Otello



●ドミンゴのキャンセルを受けて、トリノでのオテロデビューへ

しかし運命は、1997年に一歩、踏み出した。プラシド・ドミンゴがトリノで、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団とクラウディオ・アバドによるオテロに取り組んでいた時のこと。
理由は知らないが、プラシドは、キャンセルしなければならなかった。しかし、これは非常に大きなイベントであり、ベルリンフィルが初めてトリノに来ることになっていた。
彼らは私に「もしできるならば」と尋ねてきた。おそらく彼らは、私のデビューが、話題性を追加すると考えたのだろう。
私は、自分が準備ができていたとは思わなかった。34歳だった。どうすればいいか、自問自答した。
リスクを取る。ご存知のように、それは報われた。そして再びファックスは、オテロのパートを歌うようにオファーを送り届け始めた。


第3章、オテロとデズデモーナの二重唱~オテロの独白
一方的に疑念を確信し、苦悩し、運命を呪い、復讐を誓うオテロ。
Jose Cura 2001 "Dio ti giocondi, o sposo... Dio! mi potevi scaglia" Otello



●自分のオテロ、過去の歌手の真似はしたくない

私は自分のオテロを持ちつつある。私は特に、過去の歌手がおこなった、あれこれのやり方を真似したくなかった。
私が、オテロのパートで、大きな声をたくさん出さないことに関して、失望する人々がいる。しかしそれは、オテロがあるべきものではない。
スコアを見るべきだ。ヴェルディの指示は非常に正確だ。叫ぶことは正しくない。あなたも知っているように、私は、必要であるなら大きな音をつくることができるが、しかしそれは、ここではない。
第2幕の「そして永遠にさらば,神聖な思い出よ」を、ヴェルディは1か所、ピアノ・ピアニッシモを指示している。この時点では、オテロは、人々にむけて歌っているのではない。これは強烈な、内面的な瞬間だ。
私は、その場面と、サムソンとデリラの最後の幕の冒頭、石臼に結び付けられたサムソンのアリアと比較する。ここでサムソンは、誰のためでもなく、ただ自分自身と神のために歌う。第2幕のオテロも同じだ。
そして歌手は、自分自身を焼きつくしてしまいたくないなら、そのシーンにおいて慎重でなければならない。

第1幕の終り、チェロのソロ、その後、愛のデュエットの前にチェロのカルテットがある。
ヴェルディは歌手に、この一瞬の休息を与える。オテロが、その前の怒りから、デズデモーナへの優しさに移行するために。
しかし理解する必要がある。オテロは、まわりの人々をコントロールするために、怒った表情を用いている。あたかも、子どもをしかる父親のように。しかし、その後、すぐに、彼の妻に笑顔をむける。彼は、戦士であり、自然な司令官だ。


第4幕、 ラストシーン オテロとデズデモーナの最後、オテロの死
Jose Cura 2001 "Chi è la... Niun mi tema" Otello



●オテロとワーグナー

第2幕の冒頭、イアーゴーの「クレド」のオーケストラの導入部分で、ヴェルディがワーグナーから引用していることが指摘されている。
おそ​​らく、そうなのだろう。しかし私は、オテロが、ドン・カルロ以上にワーグナー的だとは思わない。ヴェルディが、すべての偉大な芸術家のように、当然、音楽だけなく、彼の周りに起こっていたことを強く認識していたということを除いては。





●オテロはハンカチーフの物語ではない


オテロを失われたハンカチーフに関する愛の物語とするならば、それは死ぬ。シェイクスピア、それからヴェルディとボーイトは、はるかに大きな問題を扱っており、物語は彼らの媒体にすぎない。それは愛、名誉、人種、政治、階級についてだ。
もちろん、シェイクスピアがストーリーを創ったわけでなく、イタリアの原作に基づいていることは知っている。そこではオテロも黒人ではなかった。シェイクスピアがそうした。それは彼の天才だ。当時のヴェネツィアでは、一般には黒人は考えられなかっただろう。

************************************************************************************************************************

クーラが質問に答えて語っていますが、この時点でもやはり、クーラのオテロが、「自分のたちの期待するオテロではない」ということで、失望し批判する人がいたようです。これに対してクーラ自身は、「過去の歌手の真似はしない」「自分のオテロをつくる」というつよい意志をいっかんして持ちつづけてきました。

「どの役割においても、クーラは、深くキャラクターを見つめ、オペラを超えていこうとする」--この記事のなかで、インタビュアーがクーラを評価して言った言葉です。クーラのこうした姿勢は、現在に至るまで、一貫しているように思います。これまでこのブログで、つたない和訳ですが、クーラのインタビュー、とりわけオペラとキャラクターの解釈についての発言をまとめてきて、私自身が実感していることです。

今現在、クーラは、ベルギーのワロニー王立歌劇場で、プッチーニのトゥーランドットの演出とカラフの出演に取り組んでいます。この演出に際しても、こうしたキャラクターと物語の解釈の深い掘り下げが試みられていることと思います。いずれインタビューなどが公表されたら、ぜひ、演出意図や構想などを紹介したいと思っています。








コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする