人と、オペラと、芸術と ~ ホセ・クーラ情報を中心に by Ree2014

テノール・指揮者・作曲家・演出家として活動を広げるホセ・クーラの情報を収集中

2016年 ホセ・クーラ スペイン・リェイダでドヴォルザーク「新世界より」を指揮 / Jose Cura conducts Dvorak Symphony No.9 in Lleida

2016-12-31 | 指揮者・作曲家として



ホセ・クーラの2016年最後の公演は、スペインの東部カタルーニャ州のリェイダ(リエダ)でのコンサート。
地元のオーケストラ、フリア・カボネル・デ・レス・テレス・デ・リエダ交響楽団=Orquestra Simfònica Julià Carbonell de les Terres de Lleida (OJC)を指揮して、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」などを演奏しました。

実は指揮者としてクーラは、このドヴォルザークの第9番を頻繁に演奏していて、CDも出しています。 → クーラのHPのCD紹介ページ
このCDは、マタフ・ハンガリー交響楽団との演奏ですが、「新世界より」の他に、ドヴォルザークのチェコ語の歌曲、愛の歌をクーラが歌ったものもはいっている、ユニークなものです。





さて今回のコンサート。無事に成功し、良いレビューも出されました。

「クーラはリハーサルで驚異的な仕事をした。(オケの編成が通常の『新世界より』を演奏するより小さい)これらの条件で管理し、ミュージシャンたちは感動を覚えた。彼らは互いにすべてに耳を傾けあった。」「ピアソラの美しいタンゴとバーバーのアダージョ・・あなたは一目で恋に落ちる。何という素晴らしいコンサート!」(SEGRE.COM)

録音や録画などはありませんが、オーケストラや現地のプレスが画像をアップしてくれましたので、それを紹介したいと思います。
また、コンサートに向けたインタビューもありましたので、抜粋して紹介しました。

オケHPの告知とプログラムのページ



2016/12/17
フリア・カボネル・デ・レス・テレス・デ・リエダ交響楽団
指揮 ホセ・クーラ

≪プログラム≫
●サミュエル・バーバー(アメリカ) 「弦楽のためのアダージョ」
●アストル・ピアソラ(アルゼンチン) タンガーソ
●アントニン・ドヴォルザーク(チェコ) 交響曲第9番「新世界より」

Saturday 17 December 2016
Orquestra Simfònica Julià Carbonell de les Terres de Lleida (OJC)
Director: José Cura

PROGRAMME
Samuel Barber  Adagio for Strings
Astor Piazzolla   Tangazo
Antonin DvorakSymphony  no. 9, Op. 95 in E minor, "From the New World"

12月の真冬に、半そでオケとリハーサル中のクーラ。



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――2016年12月、リェイダでのインタビューより

Q、自分を定義するのは?

A、あなたが自分自身を定義するとき、それがすべてになる。アーティストの死がその定義だ。アーティストであることをやめる。
ミュージシャンは、公的に規制された活動ではない。私はあらゆる面で快適に感じる。
しかし、仕事でチームをリードするとき、チームが安心感をもてるように、十分に良く、権限を持っていることに本当に感謝している。

Q、あなたは世界の舞台、特権的な場所で39年以上の国際的経験を持つが、「テノール」の役柄は、最も重視され続けている?

A、それはテノールの役柄ではなく、歌手のことだ。
もっと技術的には、純粋に生理学的レベルにおいて恵まれていれば、声は個人の心理学に密接に関連しているもの。
ヴァイオリニストは、心理的に問題があれば効果的に演奏できないけれど、機器は引き続き機能している。しかし歌手は楽器を演奏することができないだけでなく、それはもはや機能しない。なぜなら、あなた自身が楽器であるから。不安は歌唱に影響を与える。





Q、歌手として、賞賛と拒絶反応を同時に呼び起こすのは?

A、それは私の名前についての個人的なものだとは思わない。
提案しなければ意見が分かれることはない。1つのことを創る目的のための相違であり、結果が判明するのを確認することだ。

間違いを避ける唯一の方法は何もしないこと。リスクは依然として存在する。
加えて言うならば、私たちのラテン社会は非常に困難だ。(サッカーの)メッシを賞賛したかと思うと、別のものを試してみて、それを終わらせようとする。
誰もがあなたを好きなら、新しいことをしていないということ。しかし、皆に不快感を与えるならば、それは間違っているということだ。





Q、演出をしながら、同時に歌うのは?

A、私は歌と演出を同時に行った。それは可能だが、しかしとても疲れる。最終的に、エネルギーとリスクのコストは評価されない。
それはコーチであるサッカー選手のようなもの。頼んだことができることを知っていて、彼らの反対側にいるという利点がある。あなたはできないとは言えない。
同様に、あなたが歌手として、そのフレージングを、ディレクターとしてうまく管理することができれば、大きな利益がある。

Q、あなたは1999年からマドリッドに住んでいる。スペインのオーケストラを指揮したことは?

A、スペインのオーケストラを私が指揮したのは初めて。
私は作曲家と指揮者としてキャリアをスタートした。しかし当時、軍政下のアルゼンチンではすべて非常に困難だった。作曲家や演出家として成功することは難しかった。
私はいつも歌っていたが、オペラ歌手になるつもりはまったくなかった。
音楽学校では、歌は補完的なものであり、ある日、教授が私に言った――「歌を学びなさい。歌手になるためではなく、最高の指揮者になりたいならば」と。





Q、ここのオーケストラ(OJC)についてどう考える?どのように協力を?

A、オーケストラは非凡で、ミュージシャンは非常に良いプロフェッショナルだ。
彼らは本当に音楽をつくりたいと思っている。
練習には長所と短所があるが、私たちは共通のプロジェクトを達成するため、楽しもうとする姿勢がある。
私たちは一緒に演奏し、共通のプロジェクトをもっている。コンサートのエネルギーは素晴らしいものになるだろう。私も楽しんだし、すべてのリハーサルを楽しみにしていた。

Q、オーケストラはちょうど創立15年を迎えた。支援と成長への助けをどう考える?

A、ますます人間性を無視している世界において、私たちの文化機関を支援することは不可欠だ。
純粋なクラシック音楽、バレエやスポーツは、きわめて稀な人間的な活動である。それは、共通言語としての音楽による通訳で、出演者と聴衆との間のコンピュータを介さないネットワークだ。
人々と社会が必要とするように、実行されなければならない。人々の守護者として政治家が責任を負うべきだ。
そして、私たちが今週、オーケストラと一緒につくっているような喜びやポジティブな姿勢が、成長を続ける力になる。





Q、この劇場ではオペラの訓練も行っている。こうした機会に参加したい?

A、私は大好きだ。私が貢献できるものはすべて歓迎する。
しかし、そうするためには強い有機的な構造が必要だ。
劇場は素晴らしい...そして、それは作動しなければならない。それはスペインで最初の劇場の一つになる可能性がある。

Q、最後に、土曜日のコンサートでは何が待っている?

A、素晴らしいプログラムだ。
ピアソラのタンガーソはリェイダでは初めてだと思うが、自信を持って素晴らしいものだと言える。
バーバーのアダージョは非常に感情的であり、ドヴォルザークの交響曲「新世界より」は、あらゆる人によって演奏され、おそらく最もよく知られている。
私たちは、人々が快適に感じ、楽しめて、オーケストラを観ることができるコンサートをめざしてきた。なぜならステージ上での練習は、街の延長だからだ。聴衆とオーケストラとの間につよい交友関係があることを私は確信している。

(「REVISTA MUSICAL CATALANA」)





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リェイダのマスコミにも出演しました。
コンサートの前日には、ラジオ番組に出演して、インタビューを受けたようです。




こちらはリハーサルの様子とインタビューを報道した現地の新聞。






今回のコンサートの録音はありませんが、2003年にクーラがプラハで指揮したドヴォルザーク「新世界より」の録画が、クーラの動画チャンネルにあります。
リンクを。 → クーラ指揮「新世界より」(Vimeo)




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2016年内のブログの更新はこの記事が最後です。たまたまですが、今年2月にスタートして、この記事がちょうど、100ページ目となりました。

クーラは2006年以来、10年間来日がなく、日本ではほとんど情報がありません。しかしアーティストとして多面的にますます充実しているクーラ。そのユニークな最近の活動を、できるだけ客観的に伝えたいという思いから、毎回インタビューもできるだけ紹介するようにしてきました。ただ、熱意と意気込みだけはあるのですが(笑)、語学力がついていかず、しかも英語だけでなく、ドイツ語をはじめ、スペイン語やイタリア語、また最近はハンガリー語やチェコ語などが多くて、誤訳だらけ、直訳、拙い仕上がりとなっているのは、恥ずかしく、申しわけなく思っています。

実はこのブログは、2017年/2018年シーズンが、新国立劇場創立20周年、ホセ・クーラが初来日で出演したアイーダから20年となることから、この節目に何らかの形でクーラが招聘されることを願って、少しでも現在のクーラの情報を発信したいという思いから始めたものでした。大変おこがましい話ですが・・。

残念ながら、今のところ、その可能性はほとんどないようにみえます。
また今年、ヨハン・ボータやダニエラ・デッシーの急逝、ホロストフスキーの闘病など、同年代のオペラ歌手の体調不良に関するニュースがかけめぐりました。これにショックを受けた私としては、クーラに、体にも精神的にも負担がかかる来日を望むのはやめて、彼自身が居心地良く、音楽が楽しめる場所で、これまで通り自らの芸術の道をつきすすんでもらいたい、と思うようになりました。もちろん望むのは自由ですし、私には何の力もないので、おかしな話ではありますが(笑)。

ということで、このブログの当初の目的は達成できないことになってしまいました。そのためブログを続ける意味もなくなったわけで、もう止めても良いのですが、せっかく始めたことでもあり、もうしばらく、多面的な活動でアーティストとして成熟期にあるクーラの活動を、紹介していきたいと思っています。
これまで読んでくださった皆様には、ほんとうにありがとうございました。
ぜひまた来年も、よろしくお願いいたします。

またこのブログに目をとめてくださった方で、クーラのことをお好きな方がいらっしゃったら、このブログへのコメント欄や、ツイッターのメッセージ、フェイスブックのメッセージなどに、コメントをお寄せいただければうれしいです。




*写真はリハーサルの様子






*画像は、OJCのHPやFBなどからお借りしました。
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2016年 ホセ・クーラ、プラハ交響楽団とユニセフのためのコンサート / Jose Cura & Prague Symphony Orchestra for UNICEF

2016-12-30 | プラハ交響楽団と指揮・作曲・歌 ~2017



2016年12月7、8日、ホセ・クーラは、今シーズン2回目のプラハ交響楽団とのコンサートを行いました。今回は指揮者として、ラヴェルのボレロや、母国アルゼンチンを中心に南米の作曲家の曲を演奏しました。 *今季1回目 → 2016年10月のオペラアリア・コンサート

プラハ交響楽団のHPに多くの写真が掲載されましたので、それでコンサートの様子を振り返りつつ、このコンサートにむけてプラハで公表されたインタビューから、クーラの発言を抜粋して紹介したいと思います。

プラハ交響楽団のシーズン・プログラムから。


≪プログラム≫

●アストル・ピアソラ(アルゼンチン) タンガーソ「ブエノス・アイレス変奏曲」
●アルベルト・ヒナステラ(アルゼンチン) バレエ組曲「エスタンシア」
●モーリス・ラヴェル(フランス) 「ボレロ」
●カルロス・グアスタビーノ(アルゼンチン) 「3つのアルゼンチンのロマンス - 第1番 少女たち」
●シルベストレ・レブエルタス(メキシコ) 「マヤ族の夜」

指揮=ホセ・クーラ  
プラハ交響楽団

2016年12月7、8日 スメタナホール プラハ

ASTOR PIAZZOLLA Tangazo, Variations on Buenos Aires
ALBERTO GINASTERA Dances from Estancia Op. 8a (Czech premiere)
MAURICE RAVEL Bolero
CARLOS GUASTAVINO Las niñas (The Girls), No. 1 from Tres Romances Argentinos
SILVESTRE REVUELTAS The Night of the Mayas, music from the film (Czech premiere)

SYMFONICKÝ ORCHESTR HL. M. PRAHY FOK / PRAGUE SYMPHONY ORCHESTRA
José CURA | conductor

≪コンサートの様子を、クーラのFBに掲載されたニュース動画から≫

クーラが指揮する様子やインタビューが収められた2分ほどのニュースクリップです。
  → リンク クーラのFBの動画にとびます。




≪ユニセフのパートナー≫

今回のコンサートは、ユニセフのためのチャリティーコンサートでもありました。収益の一部が、世界の子どもの命と健康を守るために活動している国際機関ユニセフ(UNICEF:国連児童基金)に寄付されたそうです。

今回のコンサートの際に、クーラはユニセフ・パートナーの認定証(?)のようなものを受けました。








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プラハ響のコンサートマスターと。



――2016年11月にプラハのプレスが公表したインタビュー(「Opera Plus」)より

●私と仕事をするのは指揮者にとって楽なこと

Q、あなたは指揮と作曲を勉強した後、歌い始めた。同僚の指揮者から恐れられたことは?

A、プロフェッショナルとして必要な準備をしている人は、誰も私を恐れることはない。
私は時折、それぞれの反対の側に立つので、求められるものを正確に知っているため、私と一緒に働くのはとても楽だ。
しかし、彼らが、自分が望むものを知っていることが重要だ。あなたが欲しいものを知っていて、そして私が必要なものを知っている時、私たちの優れた協力を妨げるものはない。しかし、その人間が望むものが分からない場合もある。この場合、協力は複雑になる。

●曲の世界初演は子どもの誕生のようなもの

Q、逆に、作曲家としてのあなたは、自作の世界初演の際に、あなた自身が歌う場合は、指揮が他の人に委ねられるが、心配は? それとも友人の指揮者マリオ・ローズだけを受け入れる?

A、私は自分の仕事を、友人のマリオ・デ・ローズだけに結び付けているわけではないが、もちろん、私の曲の初演を行う時には、指揮台に信頼できる指揮者にいてもらいたい。
曲の初演、それは、常に微妙なプロセスであるため、我々は直接的に、難しい問題を話し合う。
また、偉大な作曲家でさえ、テストの過程で、修正や訂正のためもっと多くのことが必要になることがよくある。その瞬間まで、すべてがまだあなたの頭の中にあるために。それからそれが現実のものになった時、あなたは作者として聞き、さらに微調整する必要がある。
あなたは、あなたの心の中にあるものを転送しなければならない。実は、それは、困難ではあるが、非常に美しいことだ。子どもの誕生のように。

偉大な天才のマーラーやプッチーニでさえ、常に何かを修正している。ましてや、私のような普通の人にとっては?
私は指揮者が神経質になることを知る必要がある。私が彼を止めて何らかの要求をしたとしても、それは彼の権威を尊重していないということを意味するわけではない。したがって、私はいつも、私にとって気心の知れた指揮者と仕事をするようにしている。





●いま、オペラの台本を執筆中

Q、現在、新しい曲を作っている?

A、私は悲劇的なオペラの台本を書いているが、それが何であるかを明らかする段階にはまだない。自分自身で台本を書くことやあらすじを編集することは、私が表現したいものに最も適している。もちろんそれは、しかるべき人によるチェックや言語的な訂正を受けなければならない。

Q、台本を書いている?あなたは歌手、指揮者、ディレクター、セットデザイナー...あなたはすべてをやることができると感じている?

A、そうではない。
もちろん私にできることはたくさんある。しかし、実際は、3つか4つのこと、私はそれをうまくやり遂げることができると思う。
しかし、私のまわりにこのような人たちはたくさんいる。ただ私は、他の人と違い、それを公然と示して実行するだけの勇気をもっている。私はいくつかの分野で手足を動かすことを恐れない。

●木工は大好き、しかし車の修理は・・

Q、あなたな非常に多彩なアーティストだが?

A、私は自分の手で作業することが大好き。小さな手工芸品は上手くやれると思うし、木材を扱うのが大好きだ。
しかし、私には完全に欠落している1つの領域があることを認めている――私の車が動かないと、私はその上に立って泣くしかない・・(笑)。





●プラハ響との出会いは運命的

Q、プラハ交響楽団との協力関係はどのようにして?


A、それは運命だった!
しばらく前、オーケストラと同じ航空機に乗り、その時にマネージャーのテレサ・クランプロヴァが私に気づいて話かけてきた。2日後、私は会議に招待された。
契約は非常に簡単で迅速だった。なぜなら両方の当事者に利益があったからだ。私は主にオペラの世界で外国に行っているが、ここで私はシンフォニック・ミュージックの分野ですばらしい機会を開くことができた。

Q、プラハ響のレジデントアーティストとして2期目だが、コンサートはどのようにして?

A、私たちの仕事は、プラハ響のリーダーシップに常に新鮮で新しいものを発案しようとしていることだ。「ただのコンサート」だけではなく。
コラボレーションはラフマニノフの交響曲から始め、したがって私たちは、高いバーを置いた。プラハ響の代表者とともに、常に、あたらしいピークを一緒に登ってきたので、退屈はなく、それは一種のクレッシェンドに成長した。
私は、聴衆に、私が間違いなくユニークな何かを行うだろうことを保証したい。





●単純で退屈なのは、私のやり方ではない

Q、ラテン音楽を、あなたは他の国では歌手として歌っているが、プラハでは指揮者としてだ。他でやったプログラムを少し変えて持ってくることも可能では?

A、この年齢で、長年のキャリアを経た私にとって、大事なのは、最も簡単な解決策を見つけることではなく、美しさを創造すること。
私は、人々が好む音楽にアクセスすることを望む。私にとっては個人的には難しくなっても、私は気にしない。

単純で退屈なのは、私のやり方ではない。より軽くより簡単な生き方をするのは、私が死ぬまでの間にまだ時間がある。(笑い)
私の人生はこれまでのところ容易ではなかったし、私はそれに満足している。私は15歳でステージにデビューし、それから29年間の国際的キャリアを開始した。音楽活動は約40年間になる。

私とプラハ響は、まだ協力の第2シーズンだ。ラテンアメリカの歌を歌うことなどは、いつか将来的にプログラムに含まれるよう、我々が、まだこの先に多くを持っていることを願っている。





Q、12月5日のあなたの誕生日と今回のコンサートは近いが、あなたが作曲したオラトリオの初演がないのはなぜ?

A、確かに残念だが、私たちは考えていなかった...しかし、それはよかっただろう。

Q、あなたの公式カレンダーでは、2017/2018シーズンも、プラハ響に引き続き協力することがわかるが、あなたのコラボレーションの期間は?

A、契約は3年間を含んで締結されている。
しかし私は、3年後も、私たちの協力が終わらないことを願っている。私は、その先も、少なくとも1年に1回、プラハ響と一緒にコンサートができるよう望んでいる。
今私たちがやっていることが、将来も継続していく、その始まりにすぎないなら、私はうれしいと思う。





Q、2017年6月16~29日に、あなたはベルギーのリエージュで、あなたの最も有名な役、ヴェルディのオテロを演じる。長年オテロをやってきて、まだ改善する点がある?それとも完全にルーティン?

A、それは一般の人には信じられないかもしれないが、このオテロの役柄では、私は、まだ毎回、演じるたびに新しいものを取り入れようとしている。オテロは、常に何かを見つけることができる優れた役柄だ。

それはまた、結局のところ、時がたつにつれて、私の人生経験は異なっていき、私は別の観点からこの役柄を見ている。かつて私は、35歳の時に、50歳の男であるオテロの役に初挑戦し、髪とひげを灰色に染めなければならなかった。
今私は、彼と同じ50代の1人となり、何も染める必要はなく、50代の彼が感じることについて、自分自身が感じるので、熟考する必要はなくなった。例えば、立ち上がる時、膝の痛みを感じ、朝起きて、何か急いで「動き」をしようとすると全身が痛くなり、体は別の言葉を話す。

ちょうど1年前、ある批評家がブダペストで、私のオテロについて、歌だけでなく興味深いボディーランゲージが完全に賞賛されるべきと書いた。私は、彼のこの体の痛みを感じることができる――オテロはマンリーコやカラフのような、若いヒーローのロビンフッドのタイプではなく、ある問題を抱えた男だ。この役柄の進化は複雑であり、勇敢で、価値のある指揮官であるが、人間的には貧しく、嫉妬深い夫、臆病な殺人者であり、自殺に至る。

Q、2015年1月、プラハ国立オペラの舞台でオテロを歌うのを見た。どうやって体を横たえて歌うのか?

A、堅実な技術を持っていれば、ステージ上で違ったことを試みることができる。それは技術的には難しいことだが、不可能ではない。
私の名前は幸いにも、リスクを取り、珍しい作品を見せてくれるものとして言われている。
無名の若いアーティストが挑戦するには勇気が必要なことだろう。あなたが初心者でパフォーマンスで失敗したら、批評家はあなたを踏みつけ、キャリアを破壊する。
尊敬されるアーティストとして、私はさらに進んでいくことができる。観客は、私が可能なことの境界を押し広げようとし、それを観客のためにやっているということを理解してくれるだろう。もし私が何かを完全に歌うのに失敗しても、それは私が歌うことができないという意味ではない。私はリスクをとり、何らかのミスがあっても、許されるだろう。





Q、最もあなたを驚かせたオテロのプロダクションは?

A、私はいくつかのプロダクションについて長く話すこともできるが、プロフェッショナルな倫理綱領は、記録のうえで、その質問に答えるのを妨げている!(笑い) しかし、私のキャリアの上では、非常に良くない、いくつかのプロダクションでオテロを演奏したことを認めなければならない。

Q、あなたのキャリアで最高のオテロのプロダクションは?

A、明らかに私自身のもの!(笑い)

Q、あなたはブエノスアイレスのテアトロコロンでオテロを演出した。これは2013年のオペラ作品の投票で最高のものとして国際的に認められた。インタビューで「誰もが自分の国の預言者ではない」と述べたが、それは今も同じ?

A、部分的にはまだ変わっていないと言える。アルゼンチンの聴衆は私を愛してくれている。批評と行政については常にそうはいえない。
その多くは政治。しかしそれは、地球全体で動いている。
今、私がいる、ここチェコ共和国でも、興奮している人々は一部であり、そして、他の部分は、人々は楽しんでいない。それはゲームの自然な一部。
コロン劇場でのオテロのプロダクションの6公演はすべて完売し、スタンディング・オベーションを受けた。しかし批評は賞賛しなかった...。

Q、批評を読む?役に立つ以上に落胆することは?

A、それは私の仕事の重要なフィードバックなので、私はすべてを読んでいる。
しかし批判的な視点で見るので、私は、悲しみや落ち込んで失うものは何もない。兵士は自分がどこにいるのか知らずに戦争に行くことはできない。
あなたがレビューを本当によく読んでいれば、誰が二次的な目的を追求し、指示され、支払われた人物なのかわかる。それは悪いことだ。そのようなことをよく知り、名前を覚えて、それらから自分自身を守る。
しかし、著者がある作品や公演が好きではない場合、そうしたレビューを積極的に受け入れることは問題はない。これらは私の敵ではない。
そこには私の芸術作品の真実で正直な評価がある。





Q、この間、どんなオペラのプロダクションがあり、今後、何をしようとしている?

A、2015年の9月から10月初めにかけて、ベルギー・リエージュのオペラ劇場で、プッチーニのトゥーランドがあった。ここで私は演出と舞台デザインをし、カラフを歌った。
来年2017年、ドイツのボンで5月と7月に、ブリテンのオペラ「ピーター・グライムス」を準備している。そこでは、舞台デザインと演出をし、タイトル・ロールでも私のデビューになる。

Q、演出、セットデザイナーとして、あなたはオペラの現代的なコンセプトを好む?それとも伝統的なもの?

A、私は特にこの部門について、古典的か現代的かで、好みがあるわけではない。私は知性的なコンセプトを好んでいる。
生産が知的であれば、伝統的でありながら、新しく、現代的で、前衛的であることができる。重要なのは知性だ。
プロダクションが伝統的でかつ愚かな場合は、確かに気がつく。 現代的で愚かな場合はそれも登録される。
逆に、観客が知的なショーと見なしている場合、あなたは懸念することなく、穏やかに受け入れる。
問題は、今日において、オペラの台本を全面的に保持するインテリジェントなコンセプトを作り出すことだ。
時には、コンセプトがショーの最初の10分のためだけが良いオペラを見ることがある。ステージの3時間を、同じ強度で保つことができるコンセプトを作成することが非常に重要だ。これが私が知性と呼ぶものだ。





Q、プラハ国立歌劇場との協力について交渉は?

A、このオペラハウスは現在閉鎖されているため、状況はより複雑だが、プラハ国立オペラ座のリーダーシップで、私たちは、少しずつ、協力について話し合っている。多分、12月にインタビューをしたなら、もっと言えることがあっただろう。
プラハ国立歌劇場が、私の複数の能力を使い、複数の仕事をやることができたら嬉しい。
個人的には、チェコ共和国とプラハは、現在のウィーンのように、注目に値すると思うし、これまで同様に手伝いたいと思う。この小さな国には、作曲家、歌手、指揮者など、数多くの偉大な音楽がある。今日でも、プラハ交響楽団やチェコ交響楽団など、多くの偉大な指揮者とオーケストラがある。プラハには2つのオペラハウスがあり、地域内には他に3、4つの有名なオペラハウスがある。あなたたちは非常に豊かな国だ。特にアートとクラシック音楽において。

Q、チェコの聴衆は他の国と比べて違いがある?私たちは南部のあなたと比べて、クールすぎる?

A、私はクールな、またはぬるま湯の聴衆から、舞台のエネルギーによって強い反応を呼び起こすことができる。
私が1998年に初めて日本に行った時、私は、聴衆は静かだと警告されていた。しかし、それどころか、驚いたことに、日本人はフットボールのフーリガンのように座席に跳ね上がったことを覚えている。 → 初来日の新国立劇場開場記念のアイーダについて 
また、チェコの観客は情熱的であり、それは間違いなく、この国のクラシック音楽の伝統と関連している。あなたたち聴衆は、他国と比較しても非常に教育を受け、訓練を受けていて、関心をもってコンサートやオペラに行く。そして、メトロポリタンオペラやスカラ座でしばしば起こるようなことはない。チェコの聴衆は、オーストリア、ドイツ、スイスと同水準で、イタリア、スペイン、ギリシャとは全く違っている。
北部の観客はシンフォニック・ミュージックに焦点を当てており、南部は主にオペラを志向している。
私はまた、南部の聴衆の拍手が驚くほど自発的ではないことを観察している。隣の人が立ち上がって「ブラボー」と叫ぶか、それとも批判をするかどうか、人々は慎重に周りを見回す。そして、それがまさに主要なオペラハウスだ。
たとえば、スカラ座では、パフォーマーのアーティストに向かって、一部の聴衆の側がいじめをすることさえある――マリア・カラスやルチアーノ・パヴァロッティなどの名前を含め、それぞれのアーティストに、それに関する経験がある。





Q、チェコ語は?

A、チェコ語は学んでいない。あなたたちの言語は重すぎる。
かつてドヴォルザークのラヴ・ソングを歌った。言葉のコンサルタントをもっていたが、発音が完璧だとは思っていない。
実際のところ、英語の歌を歌うことは、大きなチャレンジだ。

Q、若い時に反逆者だったが、あなたは今はより控えめ?年をとったことに反感を感じる?

A、私はまだ反逆者だ。
違いは、私が若かった時は "ロマンチックな反逆者"だったが、今私は、"ストイックかつ実用的な反逆者 "だ。
私は、物事のいくつかは一笑に付すことを学び、エネルギーを不必要に無駄にしないようになった。

(終)





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実は、ラヴェルのボレロの演奏の際に、ユニークな演出があったようです。
指揮者であるクーラは、なぜか観客席に?



ボレロと言えば主役である小太鼓。ドラムの奏者を指揮台に座らせ、そのリズムによってオーケストラをリードさせたということでした。
現地で観賞したファンの方によると、曲の間、クーラは客席に座って、いっさい指揮はしていなかったとのこと。リハーサルでしっかり指示を伝え、本番では、この曲とドラムに敬意を表して、ドラム奏者を主役にするという、いかにもクーラらしい、やり方だと思いました。



ドラムが設置された指揮台の前で、何やら話しているクーラ。






こちらはプラハ交響楽団がアップした、クーラのインタビュー動画です。コンサートのプログラムについて語っています。
José Cura about the programme of his concerts



プラハでは、雑誌のインタビューも受けたようです。






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クーラは12月5日の54歳の誕生日、プラハでオーケストラのメンバーに祝ってもらったみたいですね。(↑上の写真)

実は、12月7、8日のプラハ響のコンサート、その前日の6日まで、クーラはウィーン国立歌劇場で西部の娘に出演していました。海外のファンの情報によると、クーラは11月末からウィーンのオペラ出演をこなしながら、公演の合間をぬって4回もウィーンとプラハを往復して、リハーサルを行っていたとのことです。

体力的にはかなり負担が大きいことと思われますが、何と言ってもクーラ自身が、音楽を楽しみ、オケと観客とともに楽しんだコンサートとなったようです。そのことは、クーラがフェイスブックに紹介した、ある観客からのメッセージにも表れています。


  

「私はほぼ55年間、交響曲を聴いてきた。マエストロ・クーラがプラハ交響楽団を指揮するのを見ることは、私に、ニューヨーク・フィルを指揮するレナード・バーンスタインを思い起こさせた。彼(クーラ)は常にオーケストラを楽しんでいるように見え、さらに重要なことに、オーケストラは本当に彼のために演奏することを楽しんでいるように見える。 昨夜のコンサート(2016年12月8日)は、シーズンのハイライトの1つであり、その後、約15分の喝采が続いた。ブラボー!」

多くの実りをもたらしているクーラとプラハ響とのコラボレーション、次回は、2017年の3月8、9日、クーラ作曲のオラトリオ「Ecce homo」の世界初演のほか、サティやレスピーギの曲をプログラムに、クーラは歌と指揮を行います。これもまた楽しみです。 → 今シーズンのプラハ響とのコンサートについて

また今回のインタビューでは、初来日の際の日本の聴衆の熱狂ぶりについて語っていたのが印象的です。クーラの記憶にも残る出来事だったのですね。





*画像はプラハ響のHPやクーラのFBよりお借りしました。
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ホセ・クーラのクリスマス・ソング / Jose Cura sings Christmas songs

2016-12-24 | コンサート



ホセ・クーラは、2016年、地元スペインのリェイダでのコンサートを最後に、今年の公演をすべて終了しました。
今年も多彩な活動で充実していましたが、来年2017年がまた、たいへんチャレンジングな年になる予定です。何と言っても、2月には、初めてのワーグナーであるタンホイザーに主演、そして5月には、これも初めてのブリテンのピーター・グライムズの演出と主演を控えています。 →2017年スケジュール
クリスマス休暇中も、たぶんクーラのこと、家族と過ごす時間を大切にしつつも、タンホイザーの勉強をはじめ、仕事の準備で大忙しなことと思われます。

クーラは先日、フェイスブックに下のような画像をアップしました。
"Peace & Love"のメッセージをつけて。




ということで今回は、クリスマスにあたって、世界の平和と愛を祈りながら、クーラの歌う、クリスマスにちなんだ曲を紹介したいと思います。


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●Silent night

まずは、「きよしこの夜」Silent nightを、毎年恒例のウィーンのクリスマスコンサートから。
2007年、ホセ・クーラ、エリーナ・ガランチャなど4人が、それぞれの母国語の歌詞で歌っているようです。
Christmas in Vienna 2007 - Jose Cura, Elina Garancha, Eteri Lamoris, Paul Edelmann



つづいて2002年、イギリスのソプラノ歌手レスリー・ギャレットとホセ・クーラのデュエットで。画質が非常の悪いのが残念です。
 → FBの動画ページにとびます。

このコンサート全体のDVDも発売されています。












●Missa Criolla

アルゼンチンのアリエス・ラミレスが作曲した、スペイン語のミサ曲「ミサ・クリオージャ」
1999年、アルゼンチンに帰国した際のコンサートなのでしょうか?短いですが貴重な映像です。
Missa Criolla 1999 (short exerpt)


同じく「ミサ・クリオージャ」、2006年、イタリアのアッシジでのクリスマスコンサートから。
Concerto di Natale 1 - Cura



●Puccini Messa

2006年アッシジのコンサートから、プッチーニのミサ曲を。
Jose Cura 2006 Puccini Messa



●The Lord's Prayer 

アメリカのアルバート・ヘイ・マロッテが作曲した「主の祈り」を。
Jose Cura "The Lord's Prayer" (Albert Hay Malotte)



●Agnus Dei
2007年のウィーンのクリスマスコンサートから、ジョルジュ・ビゼー作曲アニュス・デイ(神の子羊)。
Jose Cura "Agnus Dei" Georges Bizet



●Benedictus
2007年のウィーンのクリスマスコンサートから、モーツァルトのレクイエムの第12曲「ベネディクトゥス」(祝福された者)。
Jose Cura "Benedictus" Mozart



●Hallelujah
最後は、2009年のウィーンのクリスマスコンサートから、ヘンデルのメサイアから「ハレルヤ・コーラス」。
Tamar Iveri, Bernarda Fink, Jose Cura, Boaz Danielと合唱
Jose Cura "Hallelujah"





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今年も間もなく終わりますが、世界各地で、テロや紛争、貧困と格差の拡大、差別と分断の激化など、さまざまな困難におおわれた年でした。
今、この瞬間も、家を失い、傷つき、苦しむ子どもたちが世界各地に増え続けていると思うと、胸が痛み、無力感にさいなまれます。

クーラは、これまでも何度か紹介しましたが、軍事政権下で青少年期を過ごし、経済的混乱から指揮者・作曲家の道を閉ざされたために、アルゼンチンからイタリアに1991年に移住しました。当時のことをふりかえって、現在のシリア難民の人々と自分を重ね合わせて語ったこともあります。当時イタリアで移民排斥勢力が増大したために、イタリアからフランスに移動せざるえないという経験もしています。こうした経歴を背景にして、クーラは自らのアーティストとしての原点は、音楽活動をつうじて、平和の種をまくことだと述べています。

もちろん音楽や芸術で、平和が実現できるというような簡単で単純なことではありません。
しかしクリスマスを前にしたこの時、世界から軍事的な紛争やテロが一掃され、誰もがささやかでも幸せを得られる社会の実現を心の底から願わずにはいられません。
希望を失わず、自分にできることを、自分の足元からやっていきたいと思います。












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2016年 ホセ・クーラ、マスタークラスの生徒たちとプラハ響のコンサート / Jose Cura Opera aria concert with Prague Symphony Orchestra

2016-12-23 | マスタークラス



ホセ・クーラは、プラハ交響楽団のレジデント・アーティストとして、2015/16シーズンからの3年間、活動することになっています。現在、2シーズン目で、歌手として、指揮者として、作曲家として、多彩なプログラムに取り組んでいます。

今回は、2016年10月19、20日の、オペラ・アリアコンサートを紹介したいと思います。

プラハ響のシーズンプログラムの紹介画像


クーラのフェイスブックの告知


これは、クーラがマスタークラスの教師として、2016年2月に教えた生徒たちから、選抜された若いアーティストと共演したガラコンサートでした。クーラは指揮をせず、歌手として出演しました。
 
 → マスタークラスの様子を紹介した記事はこちらを 「2016年 ホセ・クーラ、プラハ交響楽団とマスター・クラス」

出演したマスタークラスの生徒たちは、以下の7名。
Barbora POLÁŠKOVÁ
Ester PAVLŮ
Barbora ŘEŘICHOVÁ PERNÁ
Dana ŠŤASTNÁ
Alžběta VOMÁČKOVÁ
Ján KOSTELANSKÝ
Lukáš HYNEK-KRÄMER

… and José CURA | singing

SYMFONICKÝ ORCHESTR HL. M. PRAHY FOK / PRAGUE SYMPHONY ORCHESTRA
Marco COMIN = conductor 

終演後に、7名の生徒たちをはさんで、左がクーラ、右は指揮者。


こちらは、2月のマスタークラスで選抜発表された際の写真です。これと比べても、コンサートの写真は、皆さんドレスアップして、華やかで、いっそう素敵ですね。



演目は、プッチーニやビゼー、カルメンなどから有名なアリアやデュエットが取り上げられ、生徒単独、またはクーラとのデュエットで歌われたようです。クーラも、冒頭の道化師のプロローグを含め、5曲を歌っています。

●道化師(レオンカヴァッロ)から、プロローグ・・・ホセ・クーラ 
Pagliacci(RUGGERO LEONCAVALLO) Prologo (Si può?, si può?) – Aria of Tonio José Cura
● 同  間奏曲 Intermezzo
●ラ・ボエーム(プッチーニ) ミミのアリア・・・Barbora Řeřichová Perná
La bohème(GIACOMO PUCCINI)Sì, mi chiamano Mimi – Aria of Mimi from Act I Barbora Řeřichová Perná
● 同  ミミとロドルフォの二重唱「愛らしい乙女よ」・・・ホセ・クーラ、Barbora Řeřichová Perná
O soave fanciulla – Duet of Mimi and Rodolfo from Act I Barbora Řeřichová Perná, José Cura
●セビリアの理髪師(ロッシーニ)  序曲
Il Barbiere di Siviglia(GIOACCHINO ROSSINI)Ouverture
● 同  「今の歌声は」・・・ Dana Šťastná
Una voce poco fa – Aria of Rosina from Act I  Dana Šťastná
●カルメン(ビゼー) 「ハバネラ」・・・Barbora Polášková
Carmen(GEORGES BIZET)Habanera (L’amour est un oiseau rebelle) – Aria of Carmen from Act I Barbora Polášková
● 同  第4幕 カルメンとドン・ジョゼの二重唱・・・ホセ・クーラ、Barbora Polášková
C’est toi, C’est moi – Duet of Carmen and Don José from Act IV  Barbora Polášková, José Cura
●マクベス(ヴェルディ) 「天から影が落ちて」 ・・・Lukáš Hynek-Krämer
Macbeth(GIUSEPPE VERDI) Come dal ciel precipita – Aria of Banco from Act II Lukáš Hynek-Krämer
●イル・トロヴァトーレ(ヴェルディ) マンリーコとアズチェーナ二重唱「母さん……眠らないの?」・・・ホセ・クーラ、 Ester Pavlů
Il Trovatore(GIUSEPPE VERDI) Madre, non dormi – Duet of Azucena and Manrico from Act IV Ester Pavlů, José Cura
●リゴレット(ヴェルディ) 「女心の歌(風の中の羽根のように)」・・・Ján Kostelanský
Rigoletto(GIUSEPPE VERDI) La donna è mobile – Aria of the Duke of Mantua from Act III Ján Kostelanský
●運命の力 (ヴェルディ) 序曲
La forza del destino(GIUSEPPE VERDI) Ouverture
●ドンカルロ(ヴェルディ) エボリのアリア・・・Ester Pavlů
Don Carlo(GIUSEPPE VERDI) O don fatale – Aria of Eboli from Act IV Ester Pavlů
●アイーダ(ヴェルディ) アムネリスとラダメスの二重唱・・・ホセ・クーラ、Alžběta Vomáčková
Aida(GIUSEPPE VERDI) L’abboirita rivale a me sfuggia – Scena and duet of Amneris and Radames from Act IV Alžběta Vomáčková, José Cura

プラハ交響楽団のHPに、当日の様子の写真が掲載されましたので、紹介したいと思います。

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道化師のプロローグを歌うホセ・クーラ


ラ・ボエームのロドルフォとミミの二重唱でしょうか?




腕をつかみ、厳しい表情をしているところをみると、カルメンのラストシーンのようですが。




実は、インスタグラムに、この公演をご覧になった方が、カルメンのラストのデュエットでのクーラの歌声をほんの少しですがアップしています。
 → リンク 下の画像をクリックしてください。音量が大きいのでご注意を。


たぶん、トロヴァトーレのラストシーン、マンリーコとアズッチェーナの二重唱。若いメゾに対し、実年齢は父親のようなクーラが息子役です。




アイーダの、アムネリスとラダメスの二重唱のようです。クーラが日本デビューしたのがこのラダメス。もう20年近く前ですね。



●マスタークラスの若手アーティストについて、インタビューから抜粋

Q、あなたのマスタークラスの今年の卒業生の中に、とても才能があり、メトロポリタンオペラの未来のスターかもしれない人は?

A、私は名前を言うつもりはないし、誰も傷つけたくない。なぜなら、もちろん、どのグループでも、そこにはより才能をもつ人、より良いテクニックを持つ人がいて、また別の人はより良い声を持っている。
ここにも、才能のある若い若者がいて、彼らは世界クラスであり、この先に大きな未来をもっている。
しかし、それらのうちのだれがメトロポリタンオペラ(MET)のスターになるかどうかを評価することを、あえてするつもりはない。主としてMETはビジネスに関するものであり、そしてショービジネスの世界においては、ただ芸術についてではなく、それが必ずしも最高の才能を規定するわけではない。
これはまったく別の話であり、それはまったく別の会話になる。
時には、一部の人々が、声は衰退していてもまだそれでも歌うキャリアを続けたと聞く。ビジネスはビジネスだ。


指揮者とハグして、健闘をたたえあうクーラ。


終演後のサイン会で。






プラハ響がアップしたクーラのインタビュー動画。マスタークラスの生徒たちなどについて語っています(英語)。
José Cura - Prague Symphony Orchestra


José Cura - Prague Symphony Orchestra


同じくクーラのインタビュー動画、言語と歌、ラテン系の言語の特徴についてなど(英語)。
José Cura + Prague Symphony Orchestra



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コンサートは大成功で、終演後はスタンディングオベーションだったとのことです。レビューでは、マスタークラスの生徒たちも、歌にパッションがあったと絶賛されていました。動画や録音がないのがたいへん残念です。

いつもクーラがマスタークラスをするにあたってのスタンスは、声楽の技術的なことは自分には教える権限がない、それは生徒自身が先生とともに開発するべきことであり、自分が教えるのは、これまでの経験をふまえ、オペラの歌の解釈とドラマの表現について重点をおく、というものです。だからこそ、生徒の歌にパッションが感じられたということは、先生であるクーラへの大きな賛辞でもあると思います。

こうしたマスタークラスをやるのは、クーラ自身も大好きで、アーティストの責任としても積極的に取り組みたいと考えているようです。今後も、世界各地でこうした機会が増えてゆくことと思います。日本でも実現したら素晴らしいと思うのですが・・・日本のオーケストラのなかで、クーラにレジデントのオファーをしてくれるところがないものでしょうか?





*画像は主にプラハ交響楽団のHPからお借りしました。
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2011年 ホセ・クーラ 回転劇場の道化師 チェスキー・クルムロフ / Jose Cura at Revolving theater of Český Krumlov

2016-12-17 | オペラの舞台―道化師



ホセ・クーラは、レオンカヴァッロのオペラ、道化師のカニオを世界各地で歌ってきました。
今回は、その中でも、とてもめずらしい、回転劇場での道化師の公演を紹介したいと思います。2011年と翌12年、世界遺産にも登録され、世界で最も美しい街ともよばれる、チェコのチェスキー・クルムロフの国際音楽祭での公演です。

チェスキー・クルムロフには、美しい公園の中に、回転する劇場があるのです。舞台が回るのではなくて、観客約600人を乗せた観客席が回転するという、たいへんユニークなものです。
まずは、どんな劇場なのか、クーラが回転劇場を紹介した短い動画がありますので、ぜひご覧ください。

José Cura - Revolving Theatre 2011



そして出演者たちは、回転する観客席の周りで、さまざまな演技を行います。
野外ですので、天候の影響も受けますし、森の中での公演、歌にはマイクを使わざるを得ないなど、さまざまな難しい条件もあったようです。
次の動画は、2011年の公演のダイジェストです。童話の中のような美しくかわいらしい街並み、公演の様子、またクーラのインタビューなどがコンパクトに紹介されています。
とてもカラフルな衣装や小道具、アクロバットの芸人も大勢登場して、魅力的なパフォーマンスとなったようです。

José Cura Český Krumlov 12. 8. 2011



こちらは、2010年に同地でコンサートに出演した際に、回転劇場の下見をする様子がおさめられています。
好奇心旺盛で、あたらしいことにチャレンジするのが大好きなクーラだけに、このユニークな回転劇場とロケーションには大興奮で、大いに意欲をもったようです。
(動画の後半は、同じ場所での別の公演の様子です)

José Cura na Otáčivém hledišti 2010



以下、画像とインタビューからのクーラの言葉を紹介したいと思います。

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――公演前、2011年7月のインタビューより

私たちは木々や植物に囲まれて歌う。 しかし、私はそれが、興味深く思い出深い経験になると確信している。 問題が発生した場合は、問題を解決することが挑戦であり、ルーティンを壊すので、チャレンジは楽しいものだ。

――同じく、公演前のインタビュー

Q、回転する観客席の前で演奏する気持ちは?

A、私はさまざまなアウトドアイベントで働いてきたが、観客が私の周りを回る状況は体験したことがない。
どのように動作するのか不思議に思っている。聴衆を見逃したり、自分が間違った方に行ったりしないことを願っている。

Q、道化師はイタリア南部の村が舞台。今回、ロマンチックな城の庭で、この作品をどう演じる?

カニオの物語はどこでも起こりうる。彼はドラマティックな俳優であり、彼自身の問題と疑念のためにアルコール依存症になった老人。彼は殺人犯だが、彼の恐ろしい行為のために、どこでも演じることができる悲しい物語だ。

Q、カニオの有名なアリア「衣装をつけろ」は俳優の運命の要約か?常に人々を楽しませなければならない?

A、私はもっと重要な場面は第2幕にあると考えている。
カニオは、劇中劇の間に、「私を見てくれ。マスクの後ろの男とその苦しみを見て」という。それは非常に重要なメッセージだ。
聴衆はしばしば、アーティストが機械ではないことを忘れる。そしてキャラクターと俳優を同一のものと考えてしまう。
映画では、アンソニー・ホプキンスは強い個性を演じているが、実際に彼に会うと、非常にシャイな人であることを知る。





Q、イタリアオペラの大きな役をたくさん歌っているが、他に試してみたい役柄は?

私はピーター・グライムズをやりたい。私があまり年をとりすぎる前に、誰かがオファーをくれることを願っている。
チャイコフスキーのスペードの女王のゲルマン役でオファーを何度も受けたし、いくつかワグナーの役でも受けた。しかし、私は言語のためにそれらを断った。私は覚えただけのオペラを歌いたくない。やることは可能だが、もし本当にそのキャラクターを描写したいのであれば、その言語をよく知らなければならない。私にはロシア語を学ぶ時間がない。

Q、今日の若い歌手の状況をどう見ている?

非常に複雑であり、若い歌手にとっては決して容易ではない。
しかし今日の世界は、ますます皮相なものに集中している。今日のオペラ・ビジネスは、とりわけ歌手のルックスに関心がある。
もし彼に声があるならば良いが、もし、そうでなければ・・。また、その反対のタイプの現象もある。これらの人々は、商業目的で利用されている。芸術的な職業の本質は才能でなければならない。





――2011年8月、公演後のインタビュー

Q、回転劇場を経験してみて?


A、これは普通の劇場ではない。それが回転するからではなく、それは楽しい部分だが、自然の中で歌うということ。
ここでは全く別の状況にあり、もし密閉された劇場や録音と同じ音を期待する人は、失望するかもしれない。
私はカニオをこれまで何度も歌ってきて、これは言い訳でも正当化でもないが、大事なことは、観客が期待するものを調整し、いつもとは異なる体験に備える必要があるということだ。

Q、それはまた体力的な要求も?

A、イエス、私たちは非常に素早く動かなければならない。
私はシルヴィオに向かって走っていき、ついに後ろの茂みで彼をつかまえた時には、呼吸が荒くなっている。
アクロバットのように、要求が厳しい。

Q、ここの天候は?

A、私はラテン系なので、この天候には慣れていない。私にとっての問題は寒さと湿気。リハーサルの時、私が歌うと、口から白い息が出た。 その夜は疲れた。

Q、チェコのアーティストは?

A、彼らは非常に勤勉だ。私のキャリアの30年間で、雨の中でリハーサルをし、不平を言うことのない一群の人々を初めて見た。
彼らは、プロフェッショナリズムと演出家への尊敬について、多くのことを教えてくれる。





Q、演出家との関係は?


A、最初の日、彼が私のところに来て、何か変えたいことはと尋ねたが、唯一、椅子を1メートル動かすことだけだった。
私は、彼が庭園のスペース全体をうまく利用していることに驚いた。例えば、プロローグでは、私は回転劇場から非常に離れて歌い始める。

Q、マイクで歌うことは?

A、オペラはマイクなしで歌うため、その点については私たちは満足していない。
しかし、私たちは講堂の隣に立たなければならず、庭を使うことができないので、必要となる。





Q、リスクはあるが、こういう劇場での公演は?

特に観客にとって、パフォーマンスはチャレンジングだ。スタンダードなオペラが見たい人は、回転式オーディトリアムには行かず、オペラハウスで見るべきだろう。
ここでは、私たちは巨大な空間の真中にいる。観客は、完璧な音、完璧な声、オペラハウスで提供される芸術的なパフォーマンスを聞くことはできない。
ここでは、それはまさにショーだ。視覚的に魅力的だ。
馬や牛、鶏がいる農場にいて、歌を待っていると想像してみてほしい。それ以上でもそれ以下でもない。
さらに、この作品は多くのスペースを使用するので、木々の後ろ、茂みの後ろで歌う。音響の欠陥を補うために使用できる特別な装置はない。我々は劇場で歌うように歌うが、同じようには聞こえない。

しかし、ショーとしてそれをとらえるなら、他のすべてのショーと同様に、私たちは楽しむことができる。
なぜオペラをそのような条件で演じるのかという人もいるかもしれない。それに対しては、私は、このオペラは、人々とともに素敵な時間を過ごすために書かれたものだと言う。それは、音楽だけでなく、すべての芸術における感覚。
純粋主義者にとっては、ノートに書かれているとおりに純粋な形で音楽を聴く機会が、他に無数にある。今日の芸術は、それとはまったく異なる何かを意味している。









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唯一のフリーの時間に訪れたという、サイドゥル・フォトスタジオ・ミュージアムで、共演のトニオ役マルコ・ダニエリと。







充実して楽しそうなリハーサルの様子。

 

 

 

 

 


野外のために、雨で場所を講堂内に移した日もあったようです。天候の他にも、クーラが述べていたように、音響の問題、出演者が移動で体力的に負担が大きいことなど、さまざまなリスクもあり、大変ではあったようです。

しかし2年連続して出演して、大好評を得ました。
そしてクーラ自身も、このユニークな公演を大いに楽しみ、さまざまな条件を乗り越えて良いパフォーマンスにするために力をつくしたようにみえます。チェコの演出家や出演者、パフォーマーとの協力もうまくゆき、連帯感が生まれ、その結果、この公演が、その後のチェコ、南ボヘミアでのクーラのさまざまな活動の発展にもつながっていったようです。




*画像は、現地の報道などからお借りしました。
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2016年 ホセ・クーラ ドイツとルクセンブルクでラテンアメリカの曲コンサート / Jose Cura gala Concert in Saarbrucken

2016-12-11 | アルゼンチンや南米の音楽



ホセ・クーラは、2016年11月、母国アルゼンチンの音楽を中心とする南米音楽のコンサートに出演しました。
11月6日がドイツのザールブリュッケン、翌7日がルクセンブルクでした。

たいへんうれしいことに、ザールブリュッケンのコンサートはラジオで生中継され、しばらくの間、オンデマンドでも聴くことができました。残念ですが、すでに終了しています。
  → プログラムやインタビューなどのページ

〈成功したコンサート〉

チケットは完売、レビューも好評でした。

「ホセ・クーラ ―― 世界の主要なステージで、有名な歌手であるだけでなく、オペラディレクターで、作曲や指揮も学んでいる。そしてザールブリュッケンのコンサートにおいて、彼が今、何をしているのか、非常にフレンドリーな方法で聴衆と話す才能を持っている。彼の偉大な声は、ピアノでほとんど聞こえないほどの音の美しさと強さを広げ、その後、空間に満ちる表現力を発揮するフォルテによって(驚嘆すべき「オーロラ」のアリア)、聴衆を魅了した。」
(「Kultur und Sport an der Saar」)





〈プログラムについて〉

コンサートは、オーケストラの曲と、クーラの歌が交互に演奏される形ですすめられました。
指揮者は、ペルー出身のミゲル・ハース=ベドーヤ。
オケは、ザールブリュッケン・カイザースラウテルン・ドイツ放送フィルハーモニーです。

Deutsche Radio Philharmonie Saarbrücken Kaiserslautern
Miguel Harth-Bedoya direction
José Cura ténor


以下のような南米の作曲家の曲によるプログラムに組まれました。

ダニエル・アロミア・ロブレス
 (1871-1942 ペルー)
クラウディオ・レバリアーティ (1843-1909 ペルー)
カルロス・グアスタビーノ (1912-2000 アルゼンチン)
アルベルト・ヒナステラ (1916-1983 アルゼンチン)
エステバン・ベンゼクライ (1970~ アルゼンチン)
ホセ・クーラ (1962~ アルゼンチン)
ジミー・ロペス (1978~ ペルー)
エットレ・パニッツァ (1875-1967 アルゼンチン)

曲目 (クーラが歌った曲は、赤字にしています)
●Daniel Alomía Robles: El cóndor pasa
●Claudio Rebagliati: Rapsodia Peruana «Un 28 de julio en Lima»
●Carlos Guastavino: «Jardín antiguo»
●Carlos Guastavino: «Alegría de la soledad»

●Alberto Ginastera: «Los trabajadores agrícolas»
●Alberto Ginastera: «Danza del trigo»
●Carlos Guastavino: Riqueza
●Carlos Guastavino: Se equivocó la paloma
●Carlos Guastavino: «Pájaro muerto»
●Alberto Ginastera: Canción del árbol del ovido
●Alberto Ginastera: «Los peones de hacienda»
●Alberto Ginastera: Malambo
●Esteban Benzecry: Colores de la Cruz del Sur
●José Cura: «De Noche, amada...»
●José Cura: «Pensé morir»
●Jimmy López: Perú
●Héctor Panizza: Intermezzo épico

グアスタビーノやヒナステラなど、日本でも比較的知られている作曲家もいますが、あまり知られていない曲、まだ若い作曲家もふくめ、ドイツの観客にとって、たいへん刺激的で興味深いコンサートになったようです。

なんといってもハイライトは、クーラがパブロ・ネルーダの「愛と死のソネット」の詩に作曲した音楽劇、「もし私が死んだら」から、2曲を自ら歌ったことです。
この曲は、2015年10月に、プラハ交響楽団とのコンサートで、首席指揮者のピエタリ・インキネンの指揮により、クーラが歌い、世界初演を果たしています。7つの歌曲からなり、オーケストラと、ネルーダ役の男声と妻マティルデ役の女声で構成されているそうです。
この時の様子は、ブログの以前の記事で紹介しています。
  → 「2015年 ピエタリ・インキネンとホセ・クーラ プラハ響とクーラ作曲作品を初演」


〈コンサートの録音紹介〉

そして、プラハの公演は放送されませんでしたが、今回は、そのうちの2曲だけですが、はじめて放送されました。
すでにオンデマンド放送は削除されていますが、クーラのファンページ「ブラボ・クーラ」のHPに録音が掲載されていますので、いくつか、リンクを紹介します。

クーラ作曲の「もし私が死んだら」は、非常に切なく美しいメロディです。特に後半の2曲目がエモーショナルで印象的です。
クーラがこのような曲を作曲する音楽家であるということを、ぜひ多くの方に知って聴いていただきたいと思います。
 
 → ホセ・クーラ作曲 「もし私が死んだら」から2曲  (2曲あわせて6分ちょっとです)

 → もうひとつ、カルロス・グアスタビーノの曲から2曲

  (Bravo Cura のページに飛びます。 Many thanks for BravoCura.com! )


 


クーラ作曲の「もし私が死んだら」の歌詞は、チリの国民的詩人パブロ・ネルーダの「愛と死のソネット」からのものです。
ネルーダは、ノーベル文学賞を受賞した世界的にも有名な詩人ですが、実はチリの自由と独立のためにたたかったチリ共産党員で、民主的な選挙によって誕生したアジェンデ政権を支えた1人でした。アジェンデ政権が軍事クーデターによって倒されると、ネルーダも弾圧され、混乱のなかで亡くなりました(病死とされているが疑問の声もあるようです)。南米の苦難とたたかいの歴史における偉大な人物の1人なのですね。

クーラはお隣のアルゼンチン出身。やはり青年期に軍事独裁政権の時代を経験しています。クーラの経験や、ネルーダの詩へ作曲するきっかけ、また母国語であるスペイン語について、南米の音楽についてなど、インタビューから抜粋してみました。

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〈アーティストは、母国のための文化大使――インタビューから〉

――2016年、コンサートにむけたインタビューより
Q、ラテンアメリカの音楽がプログラムで、歌詞はスペイン語。あなたの母国語だが、どの言語が、歌手として一番快適?

A、実は、私が歌手として最も快適に感じるのは、イタリア語。
しかし、このような歌や軽い歌の場合には、スペイン語は、その甘さにおいて比類がない。
私が選んだプログラムは、今年2016年に生誕100周年を迎えたアルベルト・ヒナステラへのオマージュでもある。

また、パブロ・ネルーダの詩集から7つのソネットに作曲した私の一連の作品から、2曲を取り上げることは大変うれしい。
この"Si muero, sobrevíveme!"(「もし私が死んだら」)は、何年も前に私が作曲したもので、詩人の妻、マティルデ・ネルーダとパブロとの間の、詩の形による、25分間の対話だ。

Q、アルゼンチンで生まれ、1991年に母国を離れたが、現在のアルゼンチンとの関係は?

A、アーティスト、特に成功したアーティストは、母国のための文化大使として行動するべきだ。
私が母国語である言葉で自分の国の音楽を歌うとき、それは喜びであり、私の責務でもある。
また、ラテンアメリカの曲のクオリティは非常に良く、何人かの作曲家たち、特にカルロス・グアスタビーノは、ルービンシュタインがかつて表現したように、シューベルトやシューマンに匹敵する。





――2007年、アルゼンチンでのインタビューより
Q、「もし私が死んだら」は、あなた自身の声のために作ったもの?

A、ハイ・バリトンのために書いた。なぜなら、私は、バリトンの声は、室内楽にとって最も美しいものと考えているからだ。女性にとってのメゾ・ソプラノのように。
ミドルゾーンは、声がより甘く、より柔らかく流れる場所だ。これは私自身のボーカルを反映している。高い音を歌うことができる暗い声だ。
普通の歌のように歌うことはできない。聞くだけでは学ぶことができないという意味で、それらは知的で、音楽をよく読み、深く理解することが必要であり、実際には、ピアノと歌による長いデュエットだ。

Q、あなたはどのようにしてその歌詞の音楽性を歌声に?

A、ネルーダの詩は感覚を目覚めさせ、昔ながらの方法で演劇的だ。それぞれの言葉には演劇とドラマが満載されている。選択肢は、言葉にそってメロディーを書いたり、音楽を書くこと、しかしそれは、ネルーダの魅惑的な世界を開く感覚的な豊かさをともなうことが必要だ。
音楽の複雑さはテキストの複雑さに関係しているので、純粋なメロディーを聴く必要はない。メロディーそれ自体を提示することから離れて、詩に集中しなければならない。





――2016年、プラハでのインタビューより
Q、ネルーダについて?

A、残念なことに、私が子どもだったとき、パブロ・ネルーダの仕事や、彼がどういう人であるのか、私に話してくれる人は誰もいなかった。
私がラテンアメリカの詩を発見し、学んだのは、すでに大人になってからだった。私が学校に行った40年前、その時、アルゼンチンは軍事独裁政権が支配していたことを覚えておいてほしい。
私たちは、パブロ・ネルーダの詩を知らなかった。なぜなら彼が共産主義者や社会主義者の思想をもっていたためだ。私たちは、ガルシア・マルケスやその他の革新的な文学偉業を読むことはできなかった。
当時、情報へのアクセスは非常に限られており、これらの人々は国家の敵とみなされていたからだ。


――2015年、プラハでの世界初演の際のインタビューより

●色彩、透明でクリスタルなサウンドを心がけた
曲は、もともと歌手、女優とピアノのために書いた。オーケストラ・バージョンの作曲は大きな課題だった。非常に親密な音楽なので、主に色彩と、透明でクリスタルなサウンドを心がけ、仕事をした。
パブロ・ネルーダの詩は非常にエモーショナルであり、ステージ上であまりにそれに入り込みすぎないよう、注意深くする必要があった。詩の言葉が、本当に観客の胸を打つように、私は音楽に妥協点を見つけたと思う。

●私の心と魂にふれてほしい
ネルーダの詩に曲をつける時、きわめて注意深くなればいけない。クリスタルガラスの間を歩くようなもの。彼の言葉、詩はとても豊かで、完璧だから、すべての音が聴衆の注意をそらすリスクを負う。
作曲のきっかけは1995年、パレルモでフランチェスカ·ダ·リミニに出演していた時。幕間に楽屋に差し入れられた一冊の詩集が、ネルーダのものだった。感動し、すぐに作曲した。
私の曲で、私の心と魂にふれてほしい。ネルーダのドラマの中で、親密な愛の物語を描きたかった。
この作品は音楽だけでなくドラマ。パブロと妻との会話だ。人間が書くことができる最もロマンチックで官能的な言葉。




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美しく、切なく、エモーショナルでドラマティック・・クーラの歌う南米音楽のコンサート中継を聴いての感想です。オペラでの歌声とはまた違って、ささやくように、声色を変化させ、心に訴えかけるように歌うクーラには、独特の声の魅力と豊かな表現力がありました。

繰り返しになりますが、南米、アルゼンチンの音楽の魅力を教えてくれる、こうしたコンサートの録音や録画を、ぜひCDやDVDなどで出してほしいと思います。とりわけクーラ作曲「もし私が死んだら」の全曲がリリースされることを願っています。





*写真は、Kultur und Sport an der SaarのHPなどからお借りしました。
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2016年 ホセ・クーラ 西部の娘 in ウィーン / Jose Cura / La Fanciulla del West in Vienna

2016-12-07 | オペラの舞台ープッチーニの西部の娘



ホセ・クーラは12月5日で、54歳になりました。そして今年の誕生日は、ウィーン国立歌劇場でプッチーニの西部の娘に出演中に迎えました。
このウィーンの西部の娘のプロダクションに出演するのは、2014年についで2回目です。
今回は、幸いなことに、ウィーン国立歌劇場のライブストリーミングで放送されました。

すでに日本でも、多くの方がこのライブストリーミングを利用されているとは思いますが、あらためて紹介しておきます。
ウィーンのライブストリーミングは有料(1公演14ユーロ、チケット方式の割引あり)ですが、パソコンでも、TVにつないでも、スマートフォンでも観賞でき、また生放送から72時間以内であれば、時差も考慮して好きな時間を選んで観ることができるので、日本からも安心して申し込めます。
  → ウィーン国立歌劇場ライブストリーミングのページ


*クーラの出演した西部の娘は終了。オンデマンドで同プロダクション初演2013年のシュテンメとカウフマンの舞台が視聴可。


このプッチーニのオペラ、西部の娘のディック・ジョンソン役は、クーラがこれまで何度も歌ってきた役柄です。ワイルドな風貌もピッタリで、オテロなどとならんだ十八番のひとつではないかと思います。しかし実は、正規に映像化されるのは、今回のライブストリーミングが初めてでした。本当にうれしいことでした。

キャストは、ミニーにエヴァ=マリア・ウェストブロック。2008年ロンドンの西部の娘でもクーラと共演しています。
ジャック・ランスには、トマス・コニエチュニー。今年は何回も来日して高い評価を受けていたようです。


LA FANCIULLA DEL WEST / Giacomo Puccini
WIENER STAATSOPER 27 & 30 November, 3 & 6 December

Mikko Franck= Conductor
Marco Arturo Marelli= Directer, stage design

Eva-Maria Westbroek= Minnie
Tomasz Konieczny= Sheriff Jack Rance
José Cura= Dick Johnson (Ramerrez)
Boaz Daniel= Sonora




現地のレビューはたいへん好評で、「クーラはトップフォームにあった」と絶好調だったことを伝えています。
また「クーラはやすやすとプレイした」「どのピークに対しても怖れなしの活力」「音楽に押し込まれず、美しいフレーズ」「侵入者の魅力を表現」など、クーラは歌唱の面でも、また舞台上の存在感でも、高く評価されました。
全体としてのパフォーマンスが「初演のキャストと同等以上」と書いたレビューもありました。



(補足)この時のライブストリームされた映像がネット上でアップされています。いつまで見られるかわかりませんが、リンクを。
 歌唱も絶好調、演技もクーラならではの説得力と存在感で素晴らしい舞台です。

「西部の娘」第1幕 ウィーン2016年
 

「西部の娘」第2、3幕 ウィーン2016年




西部の娘は、残念なことに上演機会も多くなく、あまりよく知られたオペラとはいえません。しかしクーラは、「ほとんど演劇のリズムで動くオペラ。まるで話しているように歌う。型にはまった演技や動きは許されない。テキストの流れに沿った自然な演技が求められる。ジャンルの進化という意味では完璧なオペラだ」「西部の娘は立って歌う古いスタイルのオペラではなく、真にモダンな作品。若い人たち、オペラに行ったことがなく初めて体験したい人のためにとって、理想的なオペラ」と、この作品を非常に高く評価しています。

クーラの西部の娘の作品論、ジョンソンの人物像、プッチーニ論については、以前のブログで紹介しています。これまでのクーラの録音や動画リンクも掲載してますので、併せてご一読いただけるとうれしいです。
 → 「ホセ・クーラ プッチーニの西部の娘」 (2008年ロンドンの録音やインタビューなどを中心に)
 → 「西部の娘 プッチーニは最もエロティックな作曲家の1人」 (2016年6月のハンブルクでの舞台やプログラム掲載のインタビューなど)

以下、オペラの流れに沿って、いくつか画像と動画を紹介したいと思います。


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●第1幕第2場 (クーラ演じるジョンソンが登場するのは第2場から)

ゴールドラッシュ最中のアメリカの荒野、一攫千金をねらう鉱夫たちの憩いの場となっている酒場「ポルカ」が舞台。酒場の女性マスター・ミニーは、男たちのアイドルで憧れの的、彼らに聖書を読み聞かせたりもしている。ミニーは荒くれ者に囲まれて暮らしているが、愛にあこがれ、純真で、キスも与えたことのない女性。

ミニーの酒場、ポルカに現れるジョンソン。実は盗賊団の首領ラメレスで、一味と組んで盗みにやってきた。


よそ者の登場をあやしむ保安官ジャック・ランスに問いただされ、「バカラをやりに来た」「サクラメントのジョンソン」と名乗る。




かつて野原で出会い、互いに好意をもっていた2人。偶然の再会を確認しあう。


よそ者に警戒する鉱夫たちに対して、私が保証人になるとジョンソンを認めさせたミニー。友好のためとみんなに促され、はじめて2人でワルツを踊る。


わざと捕らえられてきた盗賊団の一味と、こっそり連絡をとりあう。


手下に盗賊団首領の居場所へ案内させようとみんなが出て行ったすきに、酒場の金を盗もうとするジョンソン=ラメレス。しかしミニーが戻ってくるのを察してやめる。


困惑しながら、2人きりになり、ミニーと語り合うジョンソン。しだいに魅かれあう。


Jose Cura 2016 fanciulla act1





ミニーが決死の覚悟でみんなのお金が入った酒場の金庫を守っていることを知り、また彼女と語り合ってやすらぎを感じたことから、盗みをあきらめ、酒場を去ろうとするジョンソン。「もっとあなたの話を聞いていたかった」と本心をもらすジョンソンに、夜自宅へ招くミニー。再会を約束して去る。


去り際、自分は教育も受けていない取り柄のない娘だと泣くミニーに、「純粋で善良な心をもつ、天使の顔の娘さんだ」と慰めるジョンソン。
その時のやさしく歌うクーラの声を(音声のみ)。
Act1-2 last



●第2幕

ミニーの住む山の中腹の小屋にやってきたジョンソン。




ミニーの話をうっとりと聞き、ジョンソンは読書が好きなミニーに、本を贈る約束をする。


気持ちが抑えきれずキスを求めるジョンソン、腕の中に飛び込むミニー。外は吹雪。




我にかえり、盗賊としての自分には「むなしい夢」だったことに気づき、帰ろうとするジョンソン。


外の吹雪を理由に、ミニーに引き留められる。


互いの愛を確認しあい、もう離れないと歌う2人。


純真なミニーに従って、おやすみをいい、部屋の反対側で眠りにつこうとするジョンソン。




そこに保安官ランスたちがやってきて、ミニーはジョンソンをあわてて隠す。
ランスは、ジョンソンの正体が盗賊ラメレスであることを明かす。
ランスたちが帰った後、責めるミニーに対して、「一言いわせてくれ」と、自らの盗賊稼業を受け継いだ運命を語り、ミニーと出会って夢を抱いたが、それはむなしいことだったと語るジョンソン。別れを告げて部屋を出ていく。








外の銃声を聞いたミニーがドアをあけると、撃たれて血を流すジョンソンが倒れていた。拒むジョンソンを無理やり部屋に入れるミニー。


ランスが現れ、ジョンソンが屋根裏に匿われていることに気付く。ミニーは、トランプで、自分が勝てばジョンソンを見逃してほしい、ランスが勝てば自分はあなたのものといい、ランスと勝負をする。そしていかさまでランスに勝つ。

●第3幕

ミニーに助けられて逃げたものの、ついに捕まったラメレス=ジョンソン。


絞首刑を前に、死を覚悟したジョンソン。ミニーへの思いを語り、自分は遠い地で新しい人生を歩んでいると伝えてほしいと訴える。


今回の公演から、ジョンソンのアリアがYouTubeにアップされていましたので、リンクを紹介します。
「やがてくる自由の日」 ミニーを思い、ジョンソンが歌うアリア。
José Cura - La Fanciulla del West - Ch'ella mi creda libero ( by dolchev in YouTube)


駆け付けたミニーが皆を説得し、ジョンソンを救い出す。


2人であらたな出発をする。このウィーンのプロダクションでは、虹色の気球にのって2人は去っていく。



●カーテンコール

クーラに対して、熱狂的な拍手、喝采が寄せられた。




繰り返されるカーテンコール



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私は、このライブストリーミングで、初めて、クーラの西部の娘の全編映像を観ることができました。
公演期間中に54歳の誕生日を迎えるという年齢にもかかわらず、期待していた以上の、伸びやかな歌唱で、楽々とハイノートに達し、美しい、輝きのある声をたっぷりと聴かせてくれました。

そして何といっても、クーラの舞台を観る醍醐味は、ドラマの登場人物が、性格や背景をふまえて、人間として生き生きとリアルに表現され、一貫したキャラクターとして浮き彫りになっていることです。歌と演技が一体となったドラマとして、違和感なく、オペラをみせてくれる数少ないアーティストだと思います。
今回も、ジョンソンのキャラクター――不本意ながら親の稼業である盗賊団の首領を継いで、盗みや賭博、酒、女・・と、荒れた生活をおくっていたが、純真なミニーと出会って、本当の愛を知り、とまどいながら、おずおずと、誠実に、大切にミニーと接するなかで、本来の自分をとりもどし、生き変わろうとしていく姿、愛と喜び、苦悩、逡巡、後悔、決断、死の覚悟、新たな旅立ちのドラマを、控えめな演技で体現していました。
クーラのジョンソンは、年相応に白髪も増え、体格も貫禄がありますが、私にとっては、本当に魅力的でした。

このプロダクションは、初演のシュテンメとカウフマンの舞台がDVDになっていますし、ウィーン国立歌劇場のオンデマンド放送のプログラムにも掲載されていますので、残念ながら、このクーラとウェストブロックの舞台は、もう観るチャンスがないかもしれません。
長くジョンソン役を歌い、役柄の分析も深めてきたクーラが、自身の演出で、ジョンソンを歌う舞台を、ぜひとも、実現してほしいと思います。



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2016年 ホセ・クーラ ウィーン国立歌劇場にデビューから20年 / Jose Cura 20th anniversary in Vienna

2016-12-02 | オペラの舞台―その他

*2010年、K.S.(オーストリア宮廷歌手)の称号を受けた時の写真


ホセ・クーラは、現在(11月27~12月6日)、ウィーン国立歌劇場でプッチーニの西部の娘に出演中です。  → 12月3日にはライブストリームあり

実はクーラは、このウィーン国立歌劇場にデビューして、ちょうど今年2016年で20年を迎えました。
クーラのハウスデビューは1996年11月、プッチーニのトスカのカヴァラドッシでした。

以来20年間、クーラは、トップテノールとして、世界中のオペラ劇場で歌い演じるなかで、ほぼ毎年、ウィーンに戻り、何年か出演のない年はありましたが、毎年のようにウィーンの舞台で立ち続けてきました。
こうした功績を称えて、2010年には"Österreicher Kammersänger"=K.S. (オーストリア宮廷歌手)の称号が付与されました。
トップの写真が、その際のものです。

先日、クーラは、ウィーンデビュー20周年を記念して、FBページに、ウィーンに縁の深いマーラーの交響曲第2番をクーラが指揮した全曲の動画をアップしてくれました。昨年、ポーランドのノヴィ・ソンチでの演奏ですが、クーラのマーラー、そしてウィーンへの深い敬意を表すものだと思います。
 → クーラの動画ページへ




この20年、クーラのキャリア上では、さまざまなことが起こりました。大ブレーク、世界のメジャー劇場へのデビュー、そして自分らしい芸術の道を歩みたいという思いからエージェントを離れ、独立、様々な困難に直面しますがそれを乗り越え、年を重ね、経験をつみ、アーティストとして、歌手、指揮、演出、舞台デザインなど、多面的に能力を発展させてきました。
ウィーンでも、オペラ指揮者としてデビューし、蝶々夫人を指揮しています。

 → 商業主義の商品にならないと独立独歩の道を選択したクーラの決断についてはこちらを  「ホセ・クーラ スターダム、人生と芸術の探求」
 → 世界的キャリア以前の歩みはこちらを  「ホセ・クーラ 音楽への道」

この20年の機会に、これまでのクーラのウィーンでの公演を振り返ってみたいと思いました。クーラには、残念なことに、ウィーンの舞台の正規の録音・DVDはありません。Youtubeなどの録音・録画と画像を紹介します。


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――ホセ・クーラ、ウィーン国立歌劇場デビューから、20年の歩み

ざっとクーラのHPやネット上の情報からピックアップした、ウィーンでのクーラの出演です。
見落としや間違い、実際はキャンセルなどもあるかもしれませんが、そこはご了承ください。

・1996 November / Tosca Theater Debut
・1997 March,June / Fedora Giordano
・1998 October,November / Fedora Giordano
・1998 September / Carmen Bizet
・2001 January,February / Otello Verdi
・2001 March / Tosca Puccini
・2001 May / Pagliacci Leoncavallo
・2002 January / Pagliacci Leoncavallo
・2003 September / Hérodiade Massenet
・2003 March / Tosca Puccini
・2004 February,December / Andrea Chénier Giordano
・2004 November / Stiffelio Verdi
・2004 November / Pagliacci Leoncavallo
・2005 October,November / Le villi Puccini
・2006 May / Madam Butterfly Puccini / Conductor
・2006 May,September / Le Villi Puccini
・2007 November,December / Tosca Puccini
・2007 November,December / Norma Bellini
・2008 February,March / Pagliacci Leoncavallo
・2008 November, December / Tosca Puccini
・2009 February Stiffelio / Verdi
・2009 February, March / Carmen Bizet
・2009 April, March / Tosca Puccini
・2010 February / Tosca Puccini
・2010 February / Cavalleria rusticana Mascagni & Pagliacci Leoncavallo
・2010 November, December / Manon Lescaut Puccini
・2011 June / Cavalleria rusticana Mascagni & Pagliacci Leoncavallo
・2012 March,April / Tosca Puccini
・2013 May / Andrea Chénier Giordano
・2013 September / Otello Verdi
・2014 September / La fanciulla del west Puccini
・2016 November, December / La fanciulla del west Puccini


こうしてみると、圧倒的にトスカが多いのがわかります。ここにあるのを数えると、8シーズン、歌っているようです。
以下、録画録音などをあわせて紹介します。

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●1996年11月 ウィーン国立歌劇場デビュー プッチーニのトスカ カヴァラドッシ役

クーラのウィーンでのオペラデビューは、プッチーニのトスカ。この時トスカはマリア・グレギーナでした。
クーラは、34歳になる直前。録音だけですが、まだ若々しく、ういういしい歌唱です。

第1幕「妙なる調和」 Jose Cura "Recondita armonia" 1996 Tosca


第2幕 トスカとカヴァラドッシの二重唱 Jose Cura 1996 Tosca Act 1 duet


第3幕 カヴァラドッシ「星は光りぬ」 Jose Cura 1996 E lucevan le stelle Tosca


●1997年、98年 ジョルダーノのフェドーラ ロリス役



●1998年 ビゼーのカルメン ドン・ジョゼ(ホセ)役



●2001年 ヴェルディのオテロ・タイトルロール、プッチーニのトスカ、レオンカヴァッロの道化師 カニオ役

   

●2002年 レオンカヴァッロの道化師 カニオ役

●2003年 マスネ―のエロディアード ジャン役

 

Massenet Herodiade Wien Staatsoper 2003/Final Part 1


Massenet Herodiade Wien Staatsoper 2003/Final Part II


●2003年 プッチーニ トスカ

●2004年 ジョルダーノのアンドレア・シェニエ タイトルロール



●2004年 レオンカヴァッロの道化師 カニオ役

●2004年 ヴェルディ スティッフェリオ タイトルロール

 

●2005年、2006年 プッチーニの妖精ヴィッリ ロベルト役(プルミエ)

 

Jose Cura "Torna ai felici dì" Le Villi 2005


●2006年 指揮者として、プッチーニの蝶々夫人でウィーン国立歌劇場デビュー

 

●2007年 プッチーニ トスカ

●2007年 ベリーニのノルマ ポリオーネ役 グルベローヴァ、ガランチャとの豪華キャスト

Jose Cura "Meco all`altar di Venere" Norma 2007


Edita Gruberová , Elina Garancha , Jose Cura Norma act1 trio 2007


●2008年 レオンカヴァッロの道化師 カニオ役

●2009年 ヴェルディ スティッフェリオ タイトルロール

●2009年 ビゼーのカルメン ドン・ジョゼ役

カルメンはカサロヴァ、第2幕、カルメンとの二重唱と「花の歌」
Vesselina Kasarova, Jose Cura Carmen Act 2 Duo & "La fleur que tu m'avais jetée" 2009


●2009年 プッチーニ トスカ



●2010年 プッチーニ トスカ

José Cura - "E Lucevan Le Stelle" - Tósca 2,2010


●2010年 カヴァレリア・ルスティカーナ、道化師のダブル主演

José Cura Pagliacci 02/2010


José Cura - "Recitar!.. mentre preso dal delirio" - Pagliacci 02/2010


José Cura - "No, pagliaccio non son"- Pagliacci 02/2010


●2010年 マノン・レスコー デ・グリュー役

José Cura - Manon Lescaut - Donna non vidi mai


●2010年 オーストリア宮廷歌手の称号を授与される

La Ópera de Viena premia la carrera del tenor José Cura


●2011年 カヴァレリア・ルスティカーナ、道化師のダブル主演

José Cura - Cavalleria rusticana - Mamma, Mamma! 6.2011


José Cura - Pagliacci - No, Pagliaccio non son 6.2011


●2012年 プッチーニ トスカ

 
 
●2013年 ジョルダーノのアンドレア・シェニエ

Jose Cura "Come un bel dì di maggio" Andrea Chénier 2013


●2013年 ヴェルディのオテロ

クーラのオテロに、イアーゴはホロストフスキー、デズデモーナはアニヤ・ハルテロスという豪華キャスト
  

Dmitri Hvorostovsky , José Cura - Era la notte ... Si pel ciel marmoreo giuro 9,2013


●2014年 プッチーニ 西部の娘 ディック・ジョンソン役



●2016年 プッチーニ 西部の娘 ディック・ジョンソン役



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以上、20年分なのでたいへん長くなってしまいました。クーラのキャリアの大部分、ともに歩み、舞台に立ち続けてきたウィーン国立歌劇場。
今回、はじめてクーラの西部の娘が、ライブストリーミングで映像化されます。あれだけ多く歌い続け、クーラの十八番ともいわれてきた役柄でありながら、正規の映像がなかったので、本当にうれしいです。

今回のウィーンの出演中、12月5日に、クーラは54歳の誕生日を迎えます。
1991年にアルゼンチンからヨーロッパに移住してから25年、ウィーン国立歌劇場デビュー20年。大きな節目を迎えて、ますます、これからも、歌に、指揮に、演出、舞台デザインなどなど、立ち止まることのないアーティストとして、全面的な活動をすすめていくことと思います。



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